ニワトリは兵器にあらず

2015-1120640今日は、大寒だそうで、これは「たいかん」と読むのだと思っていたら、「だいかん」のほうが正しいようです。

もっとも、今日1月21日だけを大寒と呼ぶのではなく、期間としての意味もあり、1月20日~2月3日まで、つまり、立春までを大寒と呼びます。寒さが最も厳しくなるころ、とは例年言われることなので、誰でもが知っていることではあります。

たしかにこの頃になると、とくに太平洋側では陽射しに恵まれることが急に少なくなり、曇りがちだったり、雨が降りやすくなります。太平洋高気圧が弱まり、低気圧が入り込みやすくなるためであり、これは本来は寒さの弱まりを意味します。

が、依然気温が低いところへもっていって湿気が入り込むことともなり、時に降雪にも見舞われたりして、より寒く感じられるわけです。

この大寒という期間は、古代中国で考案された季節を表す方式である「二十四節気」のひとつです。二十四節気は、さらに約5日ずつの3つに分けられ、つまり24×3=72で、これは「七十二候」とよれます。

元々の中国では、各七十二候の名称は、気象の動きや動植物の変化を知らせる短文が作られており、例えば、「野鶏入水為蜃」というのは、「キジが海に入って大ハマグリになる」という意味です。が、そんなことは実際にはあり得ず、キジは海に入ったら死んでしまいます。

このため、古代中国の二十四節気の名文がそのまま残っているのに対し、七十二候の名称は何度か変更されており、日本でも、江戸時代に入って暦学者によって日本の気候風土に合うように改訂され、「本朝七十二候」が作成されました。現在では、俳句の季語などにも使われます。

現在日本で、大寒の期間の七十二候とされているものは、約5日ずつの3つ、以下の通りです。

○初候(1/21~24・25)
款冬華(ふきのはな さく) : 蕗の薹(ふきのとう)が蕾を出す
○次候(1/26~29・30)
水沢腹堅(さわみず こおりつめる) : 沢に氷が厚く張りつめる
○末候(1/31~2・3)
鶏始乳(にわとり はじめて とやにつく) : 鶏が卵を産み始める

上記のうち、末候にニワトリが卵を産み始めることになっていますが、中国では、これが初候のころとなっています。また、次候には、「鷲・鷹などが空高く速く飛び始める」という意味の、「鷙鳥厲疾(しちょう れいしつす)」が当てられ、そして末候は、日本では次候にあてられている「水沢腹堅」となっています。

このように、日本と中国では共通点もあるものの、「鷙鳥厲疾」のようなものはなく、これが「款冬華」になっていて、その他も順番が違うなどして微妙に季節感が違うことがわかります。

このクソ寒い時期に、ワシやタカが飛び始めるという感覚は日本にはなく、むしろ土の表面を霜柱が覆っている間を、フキの若い芽が出てくる、といった感じのほうがむしろ日本人にはぴったりの季節感です。

七十二候という季節の区切りだけは中国から輸入し継承したものの、季節感だけはこちらの気候や環境、フィーリングに合わせ、季語を変えてきたわけです。

ところが、沢に厚く氷が張り、ニワトリが卵を産み始める、というのは日本も中国でも同じです。ニワトリに関しては、日本は末候であり、中国は初候という違いがありますが、大寒のころにニワトリが卵を産み始める、という感覚は中国も同じ、ということのようです。

では、本当に大寒のころからニワトリが卵を産み始めるのかどうか、というところを調べてみたのですが、実際のところはよくわかりません。現在、鶏卵場などで、採卵用に飼育されている鶏は、1.3日に1個卵を産むよう、選択的繁殖が行われた種であり、一年中卵を産みます。

が、自然に放し飼いのニワトリは、そこここの藪の中や草むらの中に卵を産みますから、地面の霜柱がそろそろ溶け出す春先ころからは動きが活発になり、実際に卵を産み始めるのかもしれません。

その昔は日本だけでなく中国でもニワトリはたいていが庭に放し飼いで飼っていたようですから、あ~大寒になった、そろそろニワトリが卵を産み始める頃だな~、という季節感を昔の人がこのろに感じてもなんら不思議はありません。

ただ、中国や日本で七十二候が定着したころというのは、旧暦を使っていましたから、大寒は実際には今よりひと月ほど早く、年末から始まり、ちょうど今頃の1月20日ころまでです。

なおさらに寒い時期のような気もしますし、いずれにせよ、現代的な感覚では、こうした時期にニワトリが果たして卵を産み始めるかと言えば、???というかんじではあります。

この現在の人類の生活と切っても切り離せないほど身近な存在となっている「ニワトリ」というヤツですが、その起源としては、東南アジアの密林や竹林に生息していたものが原種とする説が有力です。そして、のちにこれらから派生した複数の種が交雑してニワトリとなったとされているようです。

現在ではDNA解析によって、「セキショクヤケイ」という中国南部からフィリピン、マレーシア、タイなど東南アジア熱帯地域のジャングルに生息する野鶏が原種であるとほぼ確定しているそうです。

写真を見るとこれは確かに現在のニワトリに似ています。ただ、羽は赤っぽい笹色をしていて、体重は成鳥でも1kg弱程度とかなり小ぶりであり、どちらかといえばキジに似ています。

それもそのはず、セキショクヤケイは、キジ目キジ科に分類されており、ニワトリも同じで、キジの仲間ということになります。ただ、最近のニワトリは、品種改良のため異種同士との交雑がかなり進んでおり、ひと目見てもキジとはとても思えません。

が、現在もニワトリは、正真正銘、キジ目キジ科に分類されており、日本の地鶏などはこのセキショクヤケイと同じように赤色野鶏の特徴を残しているものが多いようです。

このセキショクヤケイを起源とするニワトリは、その後東南アジアから中国南部において家畜化された後、マレー・ポリネシア、ニュージーランドなどの南太平洋一帯に広まり、一部の島々を除いてほぼ全域に広がりました。

しかし、これらの地域では重要な財産として珍重されることの多かったブタと違い、ニワトリは半野生の状態で放し飼いされることが多く、その昔は主要食料とはみなされていなかったといいます。

日本においては4世紀から5世紀ごろに伝来しました。が、7世紀の終わりころの日本を統治していた天武天皇が、動物保護の観点から、肉食禁止令を出したため、ウシ・ウマ・イヌ・ニホンザルともの食べることが禁じられました。と、いうことは逆にそれ以前は日本人も犬やサルを食べていた、ということになります。

その後ニワトリは、時を告げる鳥として神聖視され、主に愛玩動物として扱われました。肉食を禁忌する風習はその後も長く日本では伝統的に続きましたが、武士の誕生とともに鍛練として狩猟が行われ、野鳥の肉だけは食すようになりました。

しかし、ニワトリは生んだ卵も含めて食用とはみなされませんでした。有精卵であることも多く、これを食べては殺生になると考えられたからです。

ところが、江戸時代に入って、無精卵が孵化しない事が広く知られるようになると、鶏卵を食しても殺生にはあたらないとして、ようやく食用とされるようになり、採卵用としてニワトリが飼われるようになりました。

そして、江戸時代中期以降には、都市生活者となった武士が狩猟をする事が少なくなりました。このため、野鳥があまり食べられなくなり、代わって鶏肉が食べられるようになり、京都や大阪、江戸などの主要都市においてはむしろさかんに食されるようになりました。

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明治期以降は日本の人口も増えていったことから、さらに需要が増え、いわゆる「養鶏業」という分野も農業のひとつの分野として確立されるようになりました。これは欧米でも同じであり、とくにアメリカでは、いわゆる「ブロイラー」と呼ばれる肉鶏の一品種が開発されました。

短期間で急速に成長させる狙いで作られた品種であり、徹底した育種改良の研究により、ニワトリの生育を早め、一羽あたり数週間で最大2kg前後の肉が取れることができます。

もともとはアメリカの食鶏規格の用語で、孵化後2か月半以内の若鶏の呼称でした。が、そもそもはブロイル(broil)する、すなわち、オーブンなどで丸焼きする際、焼きやすいよう、売りやすいように適した大きさに切るため、ブロイラーと呼ばれるようになったものです。

日本には第二次世界大戦後この技術がアメリカから導入され、現在日本では毎年6億羽ものブロイラーが出荷されています。また、鶏卵のほうも、全国の鶏卵生産量は毎年およそ250万トンを推移しています。

詳しく調べていませんが、おそらくは食肉の中においては最も高い国内需給率を誇るでしょう。ちなみに、鶏卵の自給率は96%とかなり高い水準にあります。

現在の日本の養鶏では鶏舎内にほとんど隙間無くケージ(鳥かご)を設置し、その中で飼うケージ飼いが主流となっており、1つの養鶏場では小規模であっても数万羽が、大規模なものでは数10万羽が飼われています。

ただ、すべて同一のケージ内で同一の飼料を与える、という極めて画一的で平準化された生産手段を採っており、この手法はどこの養鶏場も同じです。このため、多少の飼料の違いによって差別化を図ったとしても、似たような鶏肉と卵にならざるを得ず、他の農産物に比べて別の生産者との差別化が難しい商品といえます。

このため、特定の品種を除けばブランド化はあまり行われていません。日本の養鶏業者は比較的小規模での経営が多く、それに対する流通・販売側は全国規模のスーパーマーケット・チェーンや大手の食品会社であるため、価格交渉力が極めて弱い、という問題もあるためです。

他業者と差別化を図って高くなってしまったら、スーパーには買ってもらえなくなるため、大きな投資を行ってまで品種改良や肉質改善を行おうとしないわけです。

ただ、逆に小規模で生産して餌にも特別なものを与えて価格も高めに設定することで、希少価値としての鶏肉や鶏卵を販売しようという取組みは最近増えているようです。

古くからあるブランドである、南部地鶏(岩手県)や比内地鶏(秋田県)、伊達地鶏(伊達鶏)、薩摩地鶏(鹿児島県)といったもの以外のものも最近は増えているとのことです。

スーパーでみかけるこうしたブランドモノは確かに高いのは高いのですが、臭みが少ないように思い、かつなんといってもやはり美味です。ブロイラーは料理してすぐならまだ食べれるのですが、造った料理を後日食べたりすると明らかな臭みがあることがわかります。

大規模養鶏場で育てられるブロイラーなどがどんなものを与えられて育てられているのかよくわかりませんが、きちっと出所がわかった餌を食べているブランド鶏ならおいしく、品質もしっかりとしており、食の安全が保てる、といった安心感もあります。

しかし、それにしても気になるのが、最近猛威を振るいつつあるトリインフルエンザであり、日本だけでなく、世界的にも感染が進んでいるようです。ときにこうしたブランド鶏の開発に取り組んでいる小規模の養鶏場も襲い、せっかく出てきた良い芽を摘んでしまいます。

とくに2000年代になって急増しており、日本では昨年暮れごろから、九州や中国地方において、複数の養鶏場で相次いで感染が報告されています。

どこの養鶏場も、一般人の立ち入りを極端に制限したり、野鳥が鶏舎に入らないように窓や換気口にネットを張ったりするなど、防疫を厳重に行っているようですが、まだまだ冬が続く中、今年も新たな感染が報告されるのは時間の問題、といったかんじがします。

一般的には鳥インフルエンザウイルスがヒトに直接感染する能力は低いといわれており、また感染してもヒトからヒトへの伝染は起こりにくいと考えられているようです。しかし大量のウイルスとの接触や、宿主の体質などによってヒトに感染するケースも報告されており、なかなかに気を許せません。

現在ヒトに感染する、インフルエンザAやBといったインフルエンザは、本来はカモなどの水鳥を自然宿主として、その腸内に感染する弱毒性のウイルスであったものが、突然変異によってヒトの呼吸器への感染性を獲得したと考えられています。

A型、B型は毎年冬期に流行を繰り返し、多くの場合のヒトのインフルエンザの原因になります。が、これがなぜ冬に集中するかについては、諸説あるようです。ひとつには空気が乾燥しているので、鳥の糞なども乾燥してバラバラになり、風に乗って広がりやすく、これに含まれているウィルスが蔓延する、という説がひとつ。

また、鳥インフルエンザは、通常、野生の水禽類(アヒルなどのカモ類)を自然宿主として存在しており、冬季になると、これらの鳥は暖かい土地を探して飛び立ち、南下します。中国大陸にいたこれらの鳥が、日本に飛来し、何等かの感染経路を経て、ニワトリなどの家畜にも感染症をもたらす、といったことも考えられているようです。

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さて、今日のこの項はなにも鳥インフルエンザについて書こうと思い立ったわけではありません。インフルエンザについては、これについて詳しく書こうとするとまた膨大な記述が必要なので、気が向いたらまとめて書く機会を別に持ちたいと思います。

なので、話を元に戻すと、そもそもはこの寒い時期からニワトリが卵を産み始める、といったことでした。

ニワトリがまだペットに近い感覚で庭先に飼われていた時代の感覚が季語となり、現在でも大寒のころの季節感として表現されるようになったものです。このように、その昔は品種を問わずニワトリを観賞用・ペットとして飼育する機会も現在よりも多かったようです。

しかし、現在はニワトリをペットとして飼うというのは、犬や猫ほどには流行っていません。その理由といえば、雄鶏は朝になると、「コケコッコー」と大きな声で鳴くので、密集した住宅地などでは近所迷惑になってしまいます。雌鳥は雄鶏のように時を告げることはほぼありませんが、産卵直後には「コッコ、コーコー」と鳴くこともあります。

このほか、ニワトリはどこにでもフンをするため、衛生上の問題があるということもあります。雄鶏も雌鶏もそのフンは、茶色いドロドロの盲腸便を排泄することもあって、これはかなりの悪臭を放し、手足や衣服に盲腸便が付着するとしばらく臭いがことがあります。

こうした理由がペットとしてもてはやされない理由だと思われます。しかし逆にその声が愛好されてきたものも古くから多く、長鳴鶏(ながなきとり)は、通常の鶏より、長く鳴くように品種改良された鶏です。20秒以上鳴くものもあり、土佐が原産の「東天紅」や東北の「声良鶏」、新潟の「唐丸」などが有名です。

このほかその容姿が愛されてきたニワトリもあり、チャボやオナガドリは、天然記念物、特別天然記念物にそれぞれ指定されています。また、烏骨鶏(うこっけい)も姿が美しいニワトリですが、最近では、その卵が希少価値があるとして高く取引されたりします。

その肉も栄養学的に優れた組成を持ちまた美味であるため、現在でも一般的な鶏肉と比較して高価格で取引されています。中国では霊鳥として扱われ、不老不死の食材と呼ばれた歴史があります。一般的なニワトリと比べても特異な外見的特徴から、現在でも愛玩用として家庭で飼育される事も多いようです。

烏骨鶏に関してはまた、コンテストなども開かれているようです。手入れ次第では鶏とは思えないほど非常に綺麗な毛並みとなるといい、日本でもファンは多いといいます。

さて、このように、食べるにせよ、観賞するにせよ、ニワトリは昔から人間のお友達としてごく身近な存在であり続けているわけですが、戦後すぐのころ、このニワトリを「兵器」として使おう、とする試みがあったということをご存知でしょうか。

「ブルーピーコック(Blue Peacock)」作戦といい、ピーコックとは英語でニワトリをこうよぶわけですが、つまりは「青いニワトリ作戦」ということになります。

この作戦は、なんとニワトリで爆弾を起動させようとするもので、開発しようとしていたのは、犬や猫などの動物愛好家の多いイギリスでした。

ドイツのライン川区域に多くの10キロトン地雷を置くことを目的としたもので、“Blue Peacock”は、1950年代の英国のプロジェクトの開発コード名です。

この地雷は、ソ連地上軍の侵攻を阻止するために開発され、大量破壊を引き起こすことにより、相当な期間にわたってソ連軍の占領を妨げることを目的に開発されました。

爆発により生じるクレーターは深さ180メートルにおよぶとされ、ブルーピーコックは有線通信による遠隔制御、あるいは、8日間の時限装置によって起爆されることになっていました。また、起爆が妨害された場合、10秒以内に爆発するように設計されていました。

このプロジェクトは1954年にイギリス南東部の「ケント」にあるホールステッド砦という軍事施設で開発が進められました。開発を行ったのは、イギリス陸軍の「軍備研究開発機構」という機関でした。

ところが、このブルーピーコックに使われる予定だったのは、ただの爆弾ではありませんでした。

高性能爆薬に囲まれたプルトニウムのコアを包む巨大な鋼製の球状ケーシングからなるもので、後世ではいわゆる「核爆弾」と呼ばれるようになったものです。大量破壊を引き起こすだけでなく、広範な地域での放射能汚染を引き起こすことにより、長期間のソ連軍の占領を妨げることを目的に開発されました。

その元となったのは、これ以前からイギリスが開発していた「ブルーダニューブ(Blue Danube)」という核爆弾で、これは、イギリスが開発した最初の核爆弾でした。“Blue Danube”は、「美しく青きドナウ」の意味であり、その美しい名とは裏腹に巨大な破壊力を持つ実用核兵器でした。

ただ、この爆弾ではブルーピーコックのように地雷として開発されたものではなく、そもそもイギリス空軍の「3Vボマー」という爆撃機に搭載され、敵地に落とされるよう計画されたものでした。

この当時、イギリスの軍戦略立案者は、イギリスもまたヒロシマ型原爆と同等の威力の原子爆弾の開発が可能であり、またこれを保有することによっていかなる戦争にも勝利することもできると考えていたようです。

とはいえ、開発当初のころのイギリスの技術水準はアメリカなどよりもかなり遅れており、このブルーダニューブは、非常に重く、まだそれを搭載できる航空機が存在しなかったためイギリス空軍のウィタリング基地というところに備蓄されていただけでした。

しかしその後小型化が進み、1954年には、ビッカース ヴァリアント爆撃機を装備する飛行小隊にこの爆弾が搭載され、実戦配備されました。

1958年までに、ブルーダニューブは全部で58発生産されたといいますが、その後より高性能で小さな核爆弾が開発されたため、1962年には引退し、お蔵入りになったようです。

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この「ブルーダニューブ」を元にして造られた「ブルーピーコック」もまた、開発された当時は巨大であり、重さ7トン以上もあったようです。その起爆にあたっては、ケントの郊外に砂利採掘場で試験が行われることになりました。起爆と言っても実際に核爆弾を爆発させるのではなく、起爆装置が動作するかどうかを確認するだけです。

ところが技術的な問題がひとつあり、それは、この爆弾がソビエトの侵攻を遅らせることを目的としているため、寒い地域への配備が予定されていたことです。このためこの試験が行われる予定だったのも冬季でした。ケントはイギリスの南部にあるといっても冬季の気温はかなり低く、零下になることもあります。

このため、地中に埋められた起爆装置も、数日経つと、温度が低すぎるために電子部品が正常に作動せず、起爆しなくなる可能性がありました。この問題に対処するべく様々な方法が検討され、断熱材で爆弾を包むことなども検討されました。

しかし断熱材だけでは十分な保温が得られない可能性が指摘されたことから、目をつけられたのが、なんとニワトリでした。生きている鳥を保温機構の一部にするというアイデアであり、このプランにおいてニワトリは餌と水を与えられ、地雷内のケーシング中に封入されます。

ニワトリはこの餌と水によって一週間程度は生きていることができるとされ、これは爆弾の予想最大寿命と同じでした。この当時の核爆弾は核分裂の制御において問題があり、早期爆発の危険性などもあり、一週間ぐらいなら大丈夫と考えられていたためです。

さらに研究を進めた結果、ニワトリが発する体温は電子部品などのコンポーネントを作動する温度を維持するのに最適だと考えられるようになり、イギリス陸軍は奇抜にもこの方法で起爆装置を作ることを決定しました。

そして、このころにはまだこの爆弾にはコードネームが与えられていませんでしたが、ニワトリを使う、ということから、これを「ブルーピーコック」と名付けたわけです。

その後、イギリス軍は、1957年7月に、野戦部隊が用いる原子力発電用設備であるという偽の名目で、このブルーピーコックをドイツに配備するために10発発注しました。

が、結局、国防省は1958にこのプロジェクトを中止しました。放射性降下物のリスク、および同盟国に核兵器を隠すという政治的側面におけるリスクが単に高すぎ、正当化できないと判断されたためでした。

この事実はその後も機密とされ、プロジェクトの関連文書は国立公文書館で極秘に保管され続けました。しかし、その後2004年になって、機密解除され、こうしてイギリス軍がかつて核兵器を持って東西冷戦を乗り切ろうとしていたことが公となりました。

ところが、この機密解除の日は、折悪く4月1日でした。

イギリスでは、4月1日のエイプリルフールの日には、大手の新聞紙までもがジョークを打つ、という国民性の国であり、このイギリスが実は核兵器を保有していた、しかもその根本装置にニワトリが使われていたという事実を人々は体の悪いジョークだと受け止めかねませんでした。

このため、その公表にあたっては、わざわざ国立公文書館が、本件はエイプリルフールの冗談ではない、と表明しなければならなくなる、という一場目もあったといいます。

その後、イギリスの核兵器機構(Atomic Weapon Establishment)という機関の元職員でデーヴィッド・ホーキングズという人物が、そのさらに詳しい内容を公表しました。

ホーキングは、2001年に同機関を退職しており、持ち出した政府の公開文書をもとに核兵器機構の科学技術誌「ディスカヴァリー(Discovery)」にブルーピーコックについてのより詳しい内容を示した論文を発表したのでした。

こうしてイギリスはかなり早い時期から核兵器を開発していたという事実が公然となりました。もっとも、イギリスは、1952年に、プルトニウム爆縮型の核爆発装置を、モンテベロ諸島と西オーストラリアの間の珊瑚礁で爆発させるという核実験を行っており、現在でも大量破壊兵器を保有する国として世界に知られています。

ただ、この時点ではまだ実験段階の爆弾を持っているにすぎず、アメリカなどに追いつくにはまだまだ時間がかかると思われていました。その実践配備がこの実験からわずか5年後に実現していたことはさらに世界を驚かせました。

こうしてこのブルーピーコックの存在が明らかになったあとは、その当時の研究資料などの公表も次第になされました。実際の爆弾も公開されるまでに至り、現在では、唯一残存するプロトタイプが、イギリスの核兵器機構の歴史コレクションとして展示されています。

無論、核装置はすべて取り除かれており、装置に「搭載」される予定だった哀れなニワトリ君もそこにその姿はありません。

が、人類の友である愛すべきニワトリすらも戦争兵器に使おうとしたあさはかさを考えると、あらためて呻吟たる思いが沸きあがってきます。

昨日も、日本人の人質をとって自分たちの意に他国を従わせようとするという大きな事件が勃発したばかりですが、いつの時代にもニワトリだろうが人間だろうが、生きているものでもなんでも自分の得手勝手のために利用しようという姿は変わらないのだな、と思う次第。

この人質もヒトでなく、せめてニワトリであったならば、とも思うのですが、なにせそれにしてもニワトリ君がかわいそうです。

さて、今晩も寒くなりそうですが、そうした夜のおかずは何にしようか、と考えたとき、ふっと頭をよぎったのが、やはり鍋です。しかも、悪いことにここまで書いてきて、妙に食べたくなったのは、最愛の友人であるはずの鶏です。

寒い夜には鍋をあたため、鶏肉や野菜とごった煮して、ポン酢でいただくのが一番。大寒の夜に体を温めるのには最良です。みなさんも今晩のメニューはこれでいかがでしょうか。

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