最近、テレビをつけるとやたらに耳目に入ってくるのが「妖怪ウォッチ」というヤツです。
これが何者であるかは、おおかたの人が知っていると思いますが、元々はニンテンドーの小型ゲーム機用のソフトのキャラクターとして創作されたものです。コミックやアニメなどによる多角メディア展開を前提として企画されたもので、これが大当たりし、今やこうしたキャラクター商品の元祖、ポケットモンスターを凌ぐ勢いです。
私自身は息子の子育て時代に慣れ親しんだこのポケモンのほうが馴染みがあり、妖怪ウォッチ?と最初はあまり興味もなかったのですが、ここまで人気が出た理由はなんなのだろう、と気になり、とまれどんなキャラクターがあるのか、ざっと調べてみました。
すると……「妖怪」といえば、その昔流行った「ゲゲゲの喜太郎」に出てきた数々のユーモラスなものを想像するのですが、これら新妖怪はかなり「近代化」していて、ある条件を満たすと進化・合成などによって変化することができるそうで、しかもその種類は400以上もあります。
この種類の多さは、ゲームソフトだけでなく、玩具としての商品化を進める上でも必要なものであろうことは容易に想像できます。
対するポケモンのほうは、もはやブームは終わりつつあるようですが、テレビアニメのほうは地方などでまだ再放送なども続いています。世界的にもまだまだ根強い人気があり、これまでの資産を無駄にしてはなるものかとまだまだ消え去ることはなさそうです。
現在までに719種類のポケモンが登場しているそうですが、さらに追加されるキャラクターもあるのではないでしょうか。
ただ、妖怪ウォッチのほうもこれから更に数が増えていくとして、いつの日にかポケモンを抜き去るのではないかと思います。とはいえ、かつてブームを引き起こしたアンパンマンなどは息の長い商品となっており、ポケモン自体も消え去る日はないでしょう。
こうした日本発の「発明品」ともいえるキャラクター商品は、いまや重要な輸出産業のひとつになっています。
ほかにも、我々の世代の時代からある「スーパー戦隊シリーズ」や「プリキュアシリーズ」「仮面ライダーシリーズ」なども現在に至るまで生きつづけてきていて、これらも海外では大人気だそうです。このほか、「合体ロボ」ものは、アメリカで映画化までされており、ハリウッドまでを取り込んだマルチメディア商品に成長しつつあります。
さすれば、この日本初の「妖怪」もまたいずれはハリウッド映画に進出するのか、と思ったりもするのですが、妖怪ウォッチのキャラクターはまだしも、雪女や河童といった伝統的な日本妖怪はあまりにも海外の妖精、怪物といわれるものとは異なりすぎており、そのままでは受け入れられそうな気がしません。
改めてこのあまりにも日本的な産物が何者であるかを調べてみると、これは1世紀初頭の奈良時代の日本では、「怪しい奇妙な現象」を表す言葉であったもののようです。それが、様々な神や伝承や怪談や宗教や価値観と結びつき、派生した結果、詳細の解らない現象を、具体的な形を持ったものの仕業とするようになりました。
そして、「怪異を起こす存在」を妖怪と呼ぶようになったと考えられます。このあたりの事情は中国やヨーロッパでも同じであり、中国の妖怪が日本のものと似たものが多いのは、同じく仏教国であるからと思われます。また西洋におけるFairy(フェアリー)すなわち妖精もまた、神話や伝説に登場する、超自然的な存在です。
神仏との合体物、という点では日本と同じであるわけであり、とはいえ対象とする神の存在そのものがかなり異なるため、想像された妖怪や妖精、あるいは怪物としての形は異なってくるわけです。
日本人が海外の怪物を「魔物」と呼び習わし、日本の風俗としての妖怪とは別にしたがるのは、これらにどこか異宗教の臭いを敏感にかんじ、日本以外の文化が造り出したこうした創造物を受け入れることに自然と抵抗を持つからでしょう。
では、同じく超常的なものの代表とされる「幽霊」はどうかというと、日本では古くは、人がその死後、何かを告知したり要求するために出現するとされていたようです。その後時代が下るにつれ、次第に怨恨にもとづく復讐や執着のために出現しているとされるようになり、あちらの世界に行けずにこの世を彷徨う凄惨なものとされるようになりました。
古来から何度も繰り広げられてきた戦乱においては、非業の死を遂げたり、この世のことがらに思いを残したまま死んだ者も多く、それらが霊の形をとって現われるようになったものとされました。
その後、仏教が入って来たことから、その望みや思いを聞いてやり、執着を解消し安心させてやれば、姿を消す、すなわち、「成仏する」という形が浸透するようになりました。
日本で葬式の際に願戻し、死後の口寄せ、あるいは施餓鬼供養などを行うのは、ある意味で死者たちが成仏しやすくしてやり、幽霊化するのを防ぐことだといえるわけです。
では西洋ではどうかというと、幽霊は英語ではghost ゴーストあるいはphantom ファントム、フランス語ではfantôme ファントーム などといいます。
やはり古くから、死者の魂が現世に未練や遺恨があり、現世に残り、生前の姿で可視化したもの、と考えているものであり、希望を実現しないまま死んだ人、責任を果たしきれないままに死んだ人などが幽霊になって出ると考えられてきました。
婚約したまま死んでしまった女性は幽霊になって花婿のもとを訪れ、出産時に死んでしまった女性の幽霊は乳児のベッドの横に立ち、生前自分が行った行為が良心に咎めて死にきれない者も生者のもとに現れるとされます。
また、殺された人、処刑された人、望みを果たさないまま無念に死んだ人たちの幽霊は、生者が慰め、その願いを代わりに叶えてやることで消え去るものともされており、こうした無念を晴らすために幽霊化する、というあたりの事情は日本も西洋もほとんど変わりません。
ただ、日本のように念仏を唱えて供養してあげれば成仏する、という発想は西洋にはないようです。むしろ降霊術師や霊媒によって呼び出す、降霊術といったものも流行り、幽霊として出てきたものとの会話を通してそのカルマを解消する、とった形がとられることが多いようです。
イギリスなどではむしろこうした幽霊をお友達感覚で扱う、といった感覚もあるようで、幽霊を自分の目で見てみたいと思っている人も多く、幽霊が出るとの評判が高い住宅・物件は、通常の物件よりもむしろ高価で取引されていることもあるようです。
ただ、キリスト教国の多いヨーロッパでは、教会などにおいてこうした死者のために「祈る」という行為が行われ、これによって死者の霊を慰める、といった風習が浸透しています。この点は、日本で念仏を唱えて死者を供養するのと多少似通った感覚かもしれません。
このように、こと幽霊に関しては、日本と西洋では意外と共通点が多く、日本人も西洋人もお互いに彼我の幽霊は似たようなもの、という認識を持っているような気がします。
幽霊には「死霊」と「生霊」のふたつがある、と考える点でも共通しています。死霊とは、いわゆる幽霊のことですが、人にとりついて祟りをする怨霊のこととされることも多く、死の直後に親しい者のもとに挨拶に現れたり、さらに親しい者を殺して一緒にあの世へ連れて行こうとする、といった話が昔からたくさんあります。
柳田國男が東北の不思議話をまとめた「遠野物語」には、娘と2人暮しだった父親が死んだ後、娘の前に父の死霊が現れ、娘を連れ去ろうとした話があります。娘は怖がり、親類や友人に来てもらいますが、それでも父親の死霊は娘を連れ去ろうと現れ、1ヶ月ほど経ってようやく現れなくなったといいます。
西洋でも、殺された人、処刑された人、望みを果たさないまま無念に死んだ人たちは死霊として現れ、この世の人を連れ去ろうするケースが多いようですが、生者が慰め、その願いを代わりに叶えてやることで消え去るものともされています。
一方、生霊(いきりょう)とは、日本ではしょうりょう、せいれい、いきすだま、と呼ばれます。生きている人間の霊魂が体外に出て自由に動き回るといわれているものであり、死者の霊である死霊とは異なるものです。
自由に動き回るだけならかまわないのですが、時には自分をいじめたり殺したものを追い回したり、恋する相手にとりついてさまざまな嫌がらせをしたりもします。
日本では、人間の霊(魂)は自由に体から抜け出すという事象は古来より人々の間で信じられており、多くの生霊の話が文学作品や伝承資料に残されています。広辞苑には、「生きている人の怨霊で祟りをするもの」と書いてあるようですが、実際には怨み以外の理由で他者に憑く話も多く、親しい者に逢いに行ったりするといった話も数多く残っています。
西洋でも、自分とそっくりの姿をした分身が別の場所に現れるというドッペルゲンガー現象というものが、ドイツなどで伝承されており、また、バイロケーション(Bilocation)という現象があることが知られており、これは同一の人間が同時に複数の場所で目撃されるというものです。
以前、「ドッペルゲンガー」というタイトルで書いたブログ中には、ある学校の女性教師が、教壇に立って授業を行っているにもかかわらず、数度にわたって、別のところで目撃されていた、といった話を紹介しましたが、ヨーロッパではこうした現象の記録が日本よりも多い、という印象を受けます。
日本の生霊にせよ、西洋のドッペルゲンガーにせよ、これらはいずれもが、いわゆる「体外離脱」とも考えられており、その定義は、自分の肉体から「魂が抜け出すこと」です。
ただ、実際には抜け出しておらず、自分の物理的な肉体を外から見ている、という印象を持っているだけだという、「体外離脱体験感覚」のことだ、とする科学的な見解もあるようです。
が、実際に離脱するにせよ、感覚にすぎないにせよ、国籍・文化圏にかかわらず、このような現象は、10人に1人程度は生涯に一度は経験はしているのではないか、ということもいわれているようです。
とはいえ、日本では上述の「死霊」と同じく、「生霊」という言葉自体がマイナスなイメージで捉えられることが多く、生霊(いきりょう)が「憑いた」という表現がなされ、悪いものにとりつかれた、きもちわるい、とする感覚のほうが強いようです。
伝承としても「奇談」として伝えられることが多く、例えば、平安末期の「今昔物語集」にはこんな話があります。
ある身分の低い男が、京の四つ辻で女に会い、某大夫の邸までの道案内を頼まれます。女をつれて邸につくと、門は閉ざされており、どうしたものかと思っているうちに、その女は消えてしまい、しばらくすると中で何やら泣き騒ぐ音が聞こえました。
不思議に思った男が翌朝、昨日の騒ぎは何だったのかを知りたくてこの邸宅を尋ねました。そして門をたたき、出てきた家の者に聞くと、ちょうど昨日男が女を連れて行った時刻に、この家の主人が「(離縁後、)自分を病にさせていた近江の妻がとうとう現れた」と突然わめきたて、まもなく死んだというではありませんか。
無論、そんな女がこの家に実際に現れたという事実はなく、近江?と京から遠く離れたこの地から女がやってきて現れたというこの話を不思議に思った男は、さらにその琵琶湖のほとりの家まで行ったといい、そこでその死んだ大夫の前妻と面会を請いました。
そうしたところ、この女房は御簾越しに謁見をゆるし、そして男から仔細を聞くと、「確かにそういうことがあった」と素直に認め、礼の品などでもてなして男を返したといいます。
実は、四つ辻で現れた女は大夫に捨てられたこの女房の生霊だったと判明したというわけであり、この女房自体もしばしばそうした体験があり、自覚していたということになります。
何分、古い話なのでどこまで脚色されているのやら事実かどうかはわかりかねますが、このように憎らしい相手や殺したい相手に生霊がとり憑く、という話は日本では昔からたくさんあります。
恋する相手にとり憑く話も多く、享保14か15年(1729~30年)ころ、京都のある商売人の14、5歳の息子に近所の二人の少女が恋をし、その霊が取りついた、という記録があります。息子はこの二人の生霊の呵責にさいなむ様子だったといい、宙に浮くなど体は激しく動き、相手の姿は見えませんが、彼女らと会話する様子もくりかえされたといいます。
こうした噂はすぐに巷に広まり、好奇の見物人がたかるようになってしまったといい、困り果てた息子の父親はついに高名な僧侶に頼み込んで折伏を試み、その結果息子の病もようやく回復した、とされています。
このように、「生霊」とは何かの恨みをもって人に憑くもの、とされているわけですが、必ずしも「生霊」=「悪霊」というばかりともいえず、どういう理由なのかはわかりませんが、自身の体から離れ、どこかへ行ってしまう、という話も多いようです。
近年では、芥川龍之介がやはり生霊を目撃したことを記述しており、その時の体験を短編「二つの手紙」に書いています。大学教師のある男が、自身と妻の生霊を三度も目撃してしまい、その苦悩を語る警察署長宛ての二通の手紙が紹介される、という形式の短編です。
芥川龍之介自身も幽体離脱を経験していたらしいとされる記録もあり、芥川はある座談会の場で、そうした経験が本当にあるかと問われると、「あります。私の二重人格は一度は帝劇に、一度は銀座に現れました」と答えたといいます。
この体外離脱はよく、「臨死体験」と混同されることがあります。何かしら危険に遭遇して瀕死の状況になったとき、臨死体験のひとつとして、体外離脱を体験する、というものですが、体外離脱は必ずしも死に瀕したときばかりではなく、平常時、ごく普通の睡眠中、や明晰夢の最中にも起こることが多いといいます。
自らの意思で体外離脱体験をコントロールする人もいるとされ、とくに禅やヨーガの行者などは修行中に体外離脱を起こすことがあるそうです。
では、体外離脱をしたその本人はその体験を覚えているか、ということなのですが、これについては、体外離脱後には夢とは比較にならないほど強いリアリティーを伴う世界が現れた、と語る人が多く、多くの場合、その体験内容を認知し、記憶しているようです。
ただ、体外離脱後に訪れる世界については、主観と客観の入り混じるイマジナルな世界であるという報告が多いそうです。例えばアメリカの超心理学者として有名なロバート・モンローは、体外離脱中に遠方の住居にいる友人を訪れたときの体験として、その室内を正確に描写することが出来たそうです。
ところが、その友人は体外離脱したモンローに対して、現実の世界ではふだん絶対言わないようなセリフを言ったといい、それが空想なのか現実なのか見分けがつかない状態であったことなどを証言しています。
このモンロー博士については、また別の機会にじっくり書いてみたいのですが、こうした幽体離脱の研究の第一人者として知られる人です。モンロー研究所という幽体離脱専門の研究所を設立し、その中でHemi-Sync(ヘミシンク)技術という音声によるイメージ誘導を用いた体外離脱(変性意識状態体験)に関する技術を開発した、とされる人物です。
もう亡くなっていますが、その研究は現在も後継者によって継続され、ヴァージニア州郊外にあるモンロー研究所では心理学、精神医学、医療、教育などにおいて、外部研究機関との学際的な共同研究も行っています。
このモンロー教授は、1958年にはじめて体外離脱を体験。その後も、複数回にわたり体外離脱を体験したことから、その後はその過程を記録し、体験時の出来事と、実在の場所や人物、会話や時間軸などの検証を試みました。
また、体外離脱体験時における身体的状態を心電図や脳波計などを用い、心拍数、血圧、脳波の測定など、科学的な評価を加えるべく、客観的かつ統計的な分析もすすめました。
医学博士、心理学者立ち会いのもと行った実験では、この心理学者がこう証言しています。「博士と私は同時に、モンローの上半身が熱波のようにゆがんだ印象を受けた。下半身は普通にはっきり見えていた。そのゆがみはおよそ二分続き、実験は終わった。」
さらに、1965年にも、ヴァージニア医科大学の脳波検査室で8回の実験も行いましたが、7回失敗し、八日目の夜、ようやく2回の短い離脱に成功したとされ、その後も幾度か、第三者協力のもとに同じような検証実験を行っています。
こうした実績を経て、1971年にモンロー研究所を設立。ヘミシンク技術を開発して特許を取得しました。これは左右耳から波長がわずかに異なる音を聞くと、右脳と左脳の脳波が同調することを利用した技術で、原理はバイノーラルビートという音響技術(うなりの技術)に基づいているそうです。
ヘッドフォンから聞こえてくる音と瞑想の誘導を使うことでバイロケーション型の体外離脱が達成されるとされるのですが、実際の体験のためにはある程度のトレーニングが必要とされ、この技術を会得するためにはモンロー研究所で行われる滞在型プログラミング(有償)に参加しないと、できない、とされています。
しかも無論英語のプログラムであり、英語が理解できなければ受けても意味はありません。ところが、最近はモンロー研究所自身からこのヘミシンク技術を伝授するためのCDなどの製品が世に送り出されており、邦訳もされているようで、何もわざわざアメリカまで行かなくてもこれが体験できるようになっているようです。
ただ、モンロー研究所お墨付きの正規の販売代理店以外にも多数の業者が「体外離脱ができる」を謳い文句にまがい物を売り出しているケースもあるようなので、その選択においては見極めが必要です。
また、そもそも何のために体外離脱をする必要があるのか、というところもはっきりと目的意識を持っていなければ、単なる「生霊」になってしまう可能性もあるわけです。
このヘミシンク技術においては、この体外離脱のステージを「フォーカス」と呼び、現在のところ、このフォーカスは49段階まであるようです。
例えば、フォーカス1では、「意識が物質世界にしっかりある状態。覚醒した状態」ですが、学習が進み、フォーカス10になると、「肉体は眠り、意識は目覚めている状態」になります。意識が肉体の束縛から自由になり始める状態です。この状態がヘミシンク・ワークの基本だそうです。
そして、フォーカス12では、「知覚・意識の拡大した状態」となり、意識は肉体的・空間的な束縛から自由になり、五感を超える知覚が起こったり、ガイドやハイヤーセルフと呼ばれる意識存在と交信することが可能になるといい、さらにフォーカス15では、「無時間の状態」となります。
この段階では、意識は時間的な束縛から自由になり、過去や未来へ行くことができるようになるといい、さらにフォーカス21では、「この世(Here)とあの世(There)の架け橋」、物質世界と非物質世界との境界に行きます。
ここよりも上が、いわゆる死後の世界の人々と意思を疎通できる段階とのことで、さらにフォーカス23では、自分が亡くなったことに気がついていないとか、この世への未練や執着が強いなどの理由で、この世に非常に近い領域で囚われ、留まっている人々との霊とのコンタクトができる段階だといいます。
さらにはフォーカス27では、次の生への輪廻転生が体験できるといい、フォーカス35では、人間のみならず、地球生命系内の、時間を超えた自分の意識の広がり・つながりを体験できます。そしてフォーカス42では、地球を飛び出し、太陽系を超えた、太陽系近傍の銀河系内の自分の意識の広がり・つながりが把握されます。
最後のフォーカス49に至っては、銀河系を超えた、銀河系近傍の自分の意識の広がり・つながりが把握されるということで、人によってはさらに上のレベルに行くことも可能です。この宇宙を超えた、さらに大きな自分の意識の広がり、つながりが把握できるといい、まさにこのレベルになると神に近づけるレベルです。
このヘミシンク技術については、「体外離脱体験」、「死後体験」「死後体験Ⅱ」「死後体験Ⅲ」などの連作で有名になった、「坂本政道」さんが日本の第一人者とされており、私もこの本の何冊かおよび関連本を読んだことがあります。
東京大学 理学部 物理学科卒で、カナダトロント大学 電子工学科 修士課程終了後、ソニーで半導体素子の開発に従事していたというエリートでした。
しかし、カリフォルニア州で半導体レーザーの開発に従事していたとき、このヘミシンク技術について知り、以後はこの世界の研究に没頭するようになります。
現在ではモンロー研究所が公式に認定したトレーナーでもあり、「アクアヴィジョン・アカデミー」というヘミシンク技術の伝授・関連グッズの販売などを手掛ける会社の社長さんもやっていらっしゃいます。
国内でヘミシンクを体験するためには、この会社から正規のCDなども入手されると間違いはないと思われますが、アメリカのモンロー研究所へのツアーなども企画されているようなので、英語に自身のある人はチャレンジしてみるのも良いでしょう。
私も体験してみたいところですが、なにせ金と時間が……
ということで、なにやら坂本先生の会社の宣伝のようになってきましたが、体外離脱など嘘くさい、などと言わず、それが実際にありうるかどうかをこうしたCDを入手し、自分で体験してみるのも良いかもしれません。
1980年にグレン・ガバードという研究者によって行われた調査では、339例の体外離脱事例のうち、その体験を心地よいものだと感じた者は85%であったといい、しかもそのうちの半数以上はその体験が「喜びあふれる」ものだったと語っています。
またこの実験では体外離脱者の心理的プロフィールも調査されており、彼らが心理的に正常であり社会的適応能力も極めて高いという結果を得たといいます。
正常のみならず社会的に評価の高いあなたならきっと体外離脱ができるに違いありません。いつの日かレベルを上げ、地球を飛び出して、宇宙を駆け回ってみる、というのはいかがでしょうか。