明日はもう節分ということで、今年も足早に月日が過ぎていきます。
このころになると冬が終わり春の到来をより強く意識するようになってきますが、「節分」の意味するところは、文字のとおり、「季節を分ける」ことです。
立春と何が違うのよ、ということなのですが、立春とは1年365日を季節毎に区切り、これを「二十四節気」としたもので、時間の流れを「季節感」に当てはめて数えるように体系付けた昔の「暦」のひとつです。そしてこの春の初めのころの期間を立春といい、その初日のこともまた、立春といいます。例年では節分の次の日の2月4日になります。
ところが、元々二十四節気は、中国の気候を元に名づけられたもので、日本の気候とは合わない名称や時期もあります。このため、それを補足するために二十四節気のほかに「雑節」と呼ばれる季節の区分けを取りいれたのが、日本の旧暦です。
そしてこの雑節のひとつが、「節分」というわけで、ほかに土用、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日などがあります。
んなの面倒くさい、一緒にすればいいじゃん、と私も思うのですが、そのあたりが日本人の繊細な感覚のたまものというべきなのでしょう。中国の気候や風習とはちょっと違う、独特の空気感を機械的に一年を分けた二十四節気だけでなく、こうした雑節で説明したかったわけです。
春が来る、だから「立春」というには、ちょっとまだ肌寒いし、それなら「節分」といえば冬と春を分ける日、という意味となり、まだまだ寒いけれども、この日を境にこれからだんだんと暖かくなる、とすれば角は立たず、確かに非常に微妙な解釈ができます。
とはいえ、一日しか違わないのに、立春と節分を一緒にしなかったのには意味があります。そもそも節分とは、二十四節気のうちの「大寒」の最後の日です。また、この大寒は二十四ある節のうちの、最後の節にあたります。つまり、旧暦では節分の日は大晦日にあたる、ということになります。
平安時代の初期頃から行われている鬼払いの儀式として、「鬼やらい」というものがありました。これは、「鬼遣らい」、「鬼儺」などとも表記され、これを略して「儺(な)やらい」ともいいます。
「払う」というほどの意味であり、鬼を「追い」「払う」という意味であり、これをやがて呼びやすく音読みで「追儺(ついな)」とするようになりました。
そして平安の時代にはこうした言葉を口にするだけではなく、大晦日の12月30日に、年中行事にとして、鬼を払う役目を負った役人が、宮中にいるとされる架空の鬼を追いかけまわす、という具体的な儀式が一般化しまた。
この鬼を払う役目を負った役人は、方相氏(ほうそうし)と呼ばれ、その脇には侲子(しんし)と呼ばれる補佐役がいて、総勢20人ほどで大内裏の中を大声で鬼を追い払う掛け声をかけつつ回ったといいます。
また、内裏の中でこれを見ている公卿さんたちも、ただこれを見ているだけでなく、方相氏を掩護する、として見えない鬼に向けて弓矢をひき、さらに公卿の中でも身分の高い「殿上人(でんじょうびと)」と呼ばれる人達は「振り鼓」と呼ばれるでんでん太鼓を叩いて共に鬼退治に参加したといいます。
体育館などに集まった人達が大声で叫びながら会場を駆け回り、その背後では観客がやんややんやと笛やラッパを鳴らし、自分たちも鬼を指さしながら囃し立てている、といった風景を想像するとだいたい似たような光景になるのではないかと思われます。
が、相手もいないのに、単に空をみあげて叫びながら駆け回っている人達を、大の大人が大勢で応援している様子を想像すると、ちょっとヘンです。
とはいえ、宮中で行われた、この年末になると皆で鬼を追い回す、というこのお祭り騒ぎが、たしかに節分のルーツです。
ところが、その後、室町時代ころには、伊弉諸尊(いざなぎのみこと)が桃を投げつけることによって鬼女、黄泉醜女(よもつしこめ)を退散させた、という神話にちなんで、桃がこの鬼に向かって投げつけられるようになりました。
中国においても桃は神仙に力を与える樹木・果実とされ、昔から邪気を祓い不老長寿を与える植物として親しまれてきており、この日本神話はここから来ていると考えられています。
桃である理由は、これは大昔より数少ない果物であり、匂いや味も良いほか、薬用としても使われたためです。咲いた花も美しく、紅い小さな花に続いて豊潤な果実を付けるところが不老不死のイメージにぴったりです。
「桃源郷」とは死のないユートピアのことであり、ここに咲く桃は、人に利益を与え死を遠ざけます。ゆえに、これを鬼に投げつければ、長生きできる、というわけです。
ちなみに、「桃太郎」は桃から生まれた男児が長じて鬼を退治する民話ですが、これも桃が神聖なものである、としていた時代の桃崇拝から生じたお話です。3月3日の桃の節句は、桃、すなわち男児の加護によって女児の健やかな成長を祈る行事であるわけです。
邪悪な鬼を退散させる力を感じさせるイメージもあり、古今東西珍重されてきました。がしかし、桃というのは栽培も難しい上に、できた実は腐りやすく保存がききません。このため昔から高値で取引されることが多く、こうした高価な桃を大量に鬼に投げつけるわけにはいきません。
そこで登場してきたのが豆です。その昔宮中では公卿たちが大声を上げて鬼を追い回していただけでしたが、これに桃投げが加わり、やがては安価に入手できる豆を鬼に投げつけながらそこら中を駆け回る、という風習に変わっていきました。
豆もまた「穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっている」とい信じられてきたものであり、桃と同じくこれを持って邪気を払うという考え方もあり、その後は豆が主体になっていきました。
その後、大声で駆け回るという風習もまた変わっていき、現在の「オニは外、福はウチ」に近いものになっていきます。室町時代ころには既に「鬼外福内」を唱えていたという記録があり、その後さらに豆を家の中から外に向かって投げつけることで、鬼が退散する、というふうにさらに変化していったのでしょう。
また、これより以前の平安時代ころにも、鞍馬山の鬼が出て来て都を荒らすのを、祈祷をして防いでいたといいます。「鬼の穴」から出てくる鬼を封じるために、三石三升の炒り豆(大豆)で奴らの目を打ちつぶし、災厄を逃れたという故事伝説があるようです。
やがて、「魔目(豆・まめ)」を鬼の目に投げつけて鬼を滅する「魔滅」という語呂合わせもできるようになり、さらに親しみやすく庶民の間に定着していきましたが、長い間には、鬼に豆をぶつければ、邪気を追い払い、一年の無病息災でいられる、という民間信仰が人々の間に定着しました。
さらには、豆を撒き、撒かれた豆を自分の数え年の数だけ食べれば健康になれると言われるようになり、地域によっては、自分の年の数の1つ多く食べると、体が丈夫になり、風邪をひかないという習わしがあるところもあります。
かくして現代では、毎年この年になると、どこのスーパーへ行っても、コンビニでもどこでも豆を売るようになったわけですが、「福豆」として売られているこの豆のパッケージには、厚紙に印刷された鬼の面が豆のおまけについているものもあり、一般家庭では誰かがそれをかぶって鬼の役を演じて豆撒きを盛り上げます。
本来は家長たる父親あるいは年男が豆を撒き鬼を追い払うものでしたが、最近は逆にお父さんが率先して鬼役に回る家庭のほうが多いようです。お父さんに働かせ、自分は家にいてグータラしているお母さんのほうが鬼にぴったりだと思うのですが、たいがいの場合、優しい心根のお父さんが鬼になります。
おとぎ話の桃太郎や一寸法師に出てくる鬼も、おおむね男、とされているようで、だいたいどんな話でも鬼は男、そして悪者であり、これを善の象徴である何者かがやっつける勧善懲悪物語です。
昔話の「桃太郎」でも、桃から生まれた元気な、しかし小生意気な小僧が、出征時に両親から黍団子を餞別に貰い、道中、遭遇するイヌ、サル、キジにその黍団子を分け与えて家来にした上、鬼ヶ島での鬼との戦いで勝利をおさめます。
やっつけられる鬼がどんな悪行をしたかというと、方々に出没しては財宝を奪いとり、蓄財していた、という罪が課せられています。桃太郎たちはその罪を懲らしめ、最終的にこの財宝を没収し、郷里のお爺さん・お婆さんの元に帰ってこれを差出し、幸せに暮らしたとして物語は締めくくられます。
この桃太郎話の発生年代は正確には分かっていないようです。が、だいたい室町時代ごろに発生したのではないかとされています。江戸時代以降にはさらに広まりましたが、これは草双紙というこの当時の絵本が流行ったためで、「桃太郎」「桃太郎昔話」といったタイトルの草双紙が多数出版されて人々に読まれました。
しかし、明治時代初期までは、桃太郎を見送ったのはお爺さん、お婆さんではなく、桃を食べて若返った若夫婦の間に男の子が生まれたという話だったそうです。そして、ここでも桃が不老不死の薬として登場します。
いわゆる、「回春型」の話であり、さらには桃そのものが女性であったという説もあります。おばあさんが拾ってきたのは、大きな桃ではなく若い娘で、桃は若い娘のお尻の象徴である、という説です。
子供が出来ず悩んでいたこのおばあさんは、拾ってきた娘におじいさんの子供を孕ませたといい、おばあさんはその娘から、子供を取り上げて、自分たちの子供にした、という説でもあります。しかし、考えてみると年老いた自分の夫に若い女をあてがって子を孕ませ、あげくは生まれたその子を取り上げる、というのはひどい話です。
もし現在ならば裁判沙汰となり、この女性の親権が争われるでしょうし、結婚していながら若い女をあてがわせたこの婆さん、それを喜々として受け入れたこのスケベジジイもまた、倫理的な面からも非難されてしかりです。それにしてもこの爺さんの年齢がいくつだったのかよくわかりませんが、よく子供ができたものです。
このように、桃太郎が現在のような話になる前は、この物語についてはかなり色々な解釈があったようです。さらには批判的な見方もあったようで、例えば「学問のすすめ」で有名なかの福澤諭吉もまた、桃太郎についてこう書いています。
「桃太郎が鬼ヶ島に行ったのは宝を獲りに行くためだ。けしからんことではないか。宝は鬼が大事にして、しまっておいた物で、宝の持ち主は鬼である。持ち主のある宝を理由もなく獲りに行くとは、桃太郎は盗人と言うべき悪者である。」
「また、もしその鬼が悪者であって世の中に害を成すことがあれば、桃太郎の勇気においてこれを懲らしめることはとても良いことだけれども、宝を獲って家に帰り、お爺さんとお婆さんにあげたとなれば、これはただ欲のための行為であり、大変に卑劣である……。」
現代でも「本当は鬼が島に押しかけた桃太郎らが悪者ではないか」と逆に考える人がいてもおかしくなく、事実、裁判所等で行われる模擬裁判の事例やディベートでは、この桃太郎の話が議題として取り上げられることもあるそうです。
さらに最近では桃太郎は「暴力的な話」だとして、小学校や幼稚園向けの絵本や子供向けの書籍では「鬼退治」ではなく「話し合いで解決した」などと改変されている場合さえあるようです。
桃太郎だけでなく、他の日本の昔話もそのまま子供に教えては害になる、とのたまう人々が増えているそうで、グリム童話同様に、「本当は怖い昔話」などの形で書籍化、出版されています。が、残酷話としてだけではなく、官能話などに意図的に話が曲解されているものもあるようで、少々行き過ぎなかんじもします。
同様な話しは唱歌にもあり、「も~もたろさん、ももたろさん」で始まる、文部省唱歌の1つ「桃太郎」も批判の対象にされることがあるそうです。一般には、最初の1~2フレーズしか歌われておらず、多くの人がその後を知りませんが、改めてみてみると実際には、以下のような歌詞になっています。
桃太郎(1911年(明治44年)作詞者不明、作曲・岡野貞一)
桃太郎さん、桃太郎さん、お腰につけた黍団子、一つわたしに下さいな。
やりましょう、やりましょう、これから鬼の征伐に、ついて行くならやりましょう。
行きましょう、行きましょう、貴方について何処までも、家来になって行きましょう。
そりや進め、そりや進め、一度に攻めて攻めやぶり、つぶしてしまへ、鬼が島。
おもしろい、おもしろい、のこらず鬼を攻めふせて、分捕物をえんやらや。
万万歳、万万歳、お伴の犬や猿雉子は、勇んで車をえんやらや。
とくに、後半のあたりの「つぶしてしまえ、鬼が島」とか、「分捕りものをえんやらや」あたりは結構過激であり、「のこらず鬼を攻めふせるのが面白い」、というのも確かにちょっとな~というかんじはします。
このため、こうした暴力性を感じさせる表現が子供の情操教育にはよくない、というわけで、最近では小学校の音楽の時間で紹介される場合などには、現在では歌詞が改変されたり、後半部を削除したりする場合が多いといいます。
桃太郎が分捕る宝もまた、もともとすべては村人のものである、という主張もあります。このため、宝は分捕りに行くのではなく、「取り返しにいく」と表現されて売られているDVDもあるそうです。さらにこのDVDの結末では、桃太郎が鬼を退治するまでは同じですが、その後奪取した宝はすべて元の持ち主の村人に返しているといいます。
そして、宝を取り返してもらった村人は、その一部をお礼として、桃太郎とお爺さんとお婆さんに渡し、桃太郎達は、お礼の宝をたくさんいただいて幸せに暮らした、という細かさです。天邪鬼な私などはこうした話を聞くと、アホか、良きも悪しきもあるのが世の中じゃ、そこまで変える必要があるんかい、と思ってしまいます。
このほか、その昔NHK教育テレビの番組「おはなしのくに」の中で紹介された桃太郎話の中では、桃太郎はそもそもが「乱暴者で親の手伝いをしない怠け者」だったことになっています。
ところが、村を襲ってきた鬼に育ての親のお婆さんが襲われたことで目が覚め、鬼ヶ島の鬼たちを懲らしめる立派な男として成長していく……というスポコンドラマのような仕立てになっており、「やればできる」という教訓めいたストーリーになっていたそうです。
このように、鬼をやっつけ、宝を持ち帰る、という話は単純に考えれば楽しいおとぎ話なのに、これを現代的な解釈で折り曲げ、無理やり変えてしまおう、という動きが最近増えているのが少々気になります。
子供に残虐なことや不正を教えてはいけない、ということで正当化される向きもあるようですが、一方では子供の自由で豊かな想像力の発展を阻害する、といった側面もあると思われます。原本のあまりにも行き過ぎた改変は長い間に培われてきた日本文化を愚弄するものでもあり、逆に改悪であると思うのですが、みなさんはどうお考えでしょうか。
さらに、これまでは子供が対象でしたが、最近はこうした民話やおとぎ話を社会問題の提起のために使おうというような動きもあります。例えば「男女差別」を現代用語化した、いわゆる「ジェンダー・バイアス」を排除しようという動きでの応用も見られます。
「ジェンダー」とは、「社会的・文化的な性のありよう」のことを一般にさしますが、この場合の「ジェンダー」という用語それ自体には、良い悪いの価値判断を含むものではなく、単に♂♀の違いを社会的な意味で使うときに使う用語です。
ところが、これに「バイアス」つまり、「偏見」という言葉をつけることで、これは現代社会における男女の役割分担の意識を変えよう、という人々の運動用語として使われるようになります。そして、これをわかりやすく説明しようとして利用されるのが桃太郎などの昔話です。
ご存知のとおり、桃太郎では、男性であるお爺さんが「山へ柴刈りに」、女性であるお婆さんが「川で洗濯」をします。
ところが、現代のように社会への女性の積極的参加が叫ばれている時代には、この役割分担はおかしい、と彼等は考えており、例えば「北名古屋市女性の会男女共同参画委員会」では、「モモタロー・ノー・リターン」という創作劇を作成しています。
この作品の中では男性であるお爺さんが「川で洗濯」に、女性であるお婆さんが「山へ柴刈り」に行くと、両者の役割を逆転させており、これまで当たり前に受け入れてきた男女の役割を入れ替えて、固定していると思いがちな男女の役割について考えてもらう内容になっています。
さらには、主人公も女性の「桃子」になっていて、さらには後段の話における鬼が島には、男の鬼と女の鬼の両方がいます。たしかに、鬼の形態の歴史を辿れば、初期の鬼というのは皆女性の形であり「源氏物語」に登場する鬼とは怨霊の事ですが、これは女性の形で出てきます。
女の本質は鬼であり、また母親が持っている、自分の子供を戦争で傷つけたものに対する憎悪のようなものが鬼に変化したものです。が、桃太郎が話として成立する室町時代ころには、そうした母性の話はどこかへ飛んでしまい、鬼といえば男が大多数ということになってしまいました。
なので、話の筋としては、この鬼が島にも男の鬼ばかりでなく、女の鬼がいてもおかしくはないわけです。ところが、犬や猿、キジを連れて鬼が島に乗り込む最後のほうでは、桃太郎ならぬ、桃子たちは、男の鬼に虐げられている女鬼たちを目撃して、そこに疑問を感じます。
そして、「男も女も、男だから、女だから、ということで区別されず、それぞれが個人として尊重される」のが正しい世のあり方だ、と考え、この鬼が島においても、3カ条からなる「鬼が島改造計画」を鬼たちに提案します。
ここまでくると、もこれはおとぎ話ではなく、原作の桃太郎の話をうまく利用した風刺劇です。最近ではこうした古典をうまく利用して自分たちの主張をアピールするために使いまわそうという動きが多く、誰しもが子供のころから慣れ親しんだ話には、感情移入がしやすい、という点に目をつけているわけです。
この桃太郎については、さらには別の観点からの解釈もなされています。そのひとつは、桃太郎たちが鬼から奪ってくる「金銀財宝」の獲得の点であり、すなわち経済的に成功しさえすれば何でもやっていいのか、というわけです。
一体何が「正義」なのか、といった価値観についての投げかけなわけですが、そういうふうに考えていくと、なぜ桃太郎が連れて行ったのは猿や雉などの野生動物なのか、別にネコなどのペットでもよかったのではないか、などなど物語の細部に至り、何とでも解釈は膨らんでいきます。
多様化する現代においては、昔ながらの話を勧善懲悪モノとして単純に受け止めるだけでなく、何事も深く考えてみよう、そこから何か見えてくるものがあるかもしれない、というわけなのでしょうが、おいおい待てよ、そんなに捻じ曲げてばかりでは疲れないかい、と私などは思ってしまいます。
鬼はその昔から、「悪い物」「恐ろしい物」の代名詞であり、それを畏怖するところからこうした伝承が生まれてきたのであって、理解不能なモノノケに対する昔の人の純粋な驚きや恐怖をわかりやすく説明してくれたものです。
それ以上それ以下でもない、と思うわけであり、あれやこれやと考えすぎるのが、最近の日本人の悪い癖です。その考えすぎのラビリンスにがんじがらめになった結果が、現在の日本の混迷を招いたのではないかと、思う次第です。
とはいえ、全国的にみれば、鬼といえば「悪」といわれるような単純なものではありません。非常に多様な現れ方をしており、特定のイメージで語ることは困難です。ところによっては「神」のように慕われているところもあって、例えば鳥取県伯耆町(旧日野郡溝口町)では、鬼は村を守ってくれる「強い物」とし崇められています。
また伝説の酒呑童子は赤毛で角があり、髭も髪も眉毛もつながっており、手足は熊の手のようであるとされますが、元々はこのような定まった姿は持っていないとも言われており、これは変身した一つの姿にすぎない、という考え方もあるようです、
鬼の語源の「おぬ(隠)」とは、「姿の見えないこと」でもあり、鬼とはもともと変幻自在の存在です。酒呑童子もまた時には見目麗しい異性の姿で現れることもあったようです。このほかにも鬼が転じて美しい男女となり、人間の若い男や女を誘う、といった話も多々あるようです。
中には、きっと自分を守ってくれるような優しい鬼さんもいるはずであり、その鬼はまた絶世の美女、あるいはものすごいイケメンかもしれません。
なので、今年の節分には、こうした鬼さんを追いやるのではなく、家に招き入れて、一緒に酒を飲むといいかもしれません。まだまだ寒いこの時期、絶世の美女の鬼とともに床に入る、というシチュエーションを想像すると、これはまたなかなかオツなものです。
が、明日の朝目覚めてみたらその鬼は実は愛する嫁だった、な~んてのがオツならぬ「オチ」かもしれません。
さて、あなたのところには明日、どんな鬼がやってくるでしょうか。
下田市 田牛(とうじ)の竜宮窟にて