地リスたちの春

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今日は啓蟄(けいちつ)です。

音では「ケイチツ」とよく知ってはいるものの、いざ漢字で書こうとすると書けないもののひとつです。

改めて文字を確認した上でその意味を紐解いてみると、「「啓」は「開く」、「蟄」は「虫などが土中に隠れ閉じこもる」意です。よく言われるとおり、「冬籠りの虫が這い出る」という意味であり、これから本格的な春を迎える日とされています。

次の24節気の春分の日(21日)までは、次の順で春が進んでいく、ということになっています。

1.冬蘢りの虫が出て来る(蟄虫啓戸)
2.桃の花が咲き始める(桃始笑)
3.青虫が羽化して紋白蝶になる(菜虫化蝶)

ホントにそういう順番で春を迎えるかどうかは別として、確かにこの季節になれば梅や桃の花が満開になり、そうこうしているうちに羽虫も飛び交い始めるなど、なんとなく春を感じさせるころではあります。

しかし、この二十四節気の輸入元の中国では、この順番と内容は少々異なっており、1番目の「虫が出てくる」が、「桃の花が咲き始める」に置き換わっており、次いで、山里で鶯が鳴き始める、鷹がカッコウに姿を変える、と続きます。

中国と日本では環境や天候の移ろいが異なるため、これを日本の風土に合わせて置き換えたためですが、ということは、中国では土の中から動物が出てくる、というのはないのか、と思いきや、中国では啓蟄の二つも前の「立春」に「冬蘢りの虫が動き始める」とされる「蟄虫始振(ちっちゅう はじめて ふるう)」が割り当てられています。

日本のほうが啓蟄が遅い、つまり暦の上ではそれだけ春が遅い、ということになるわけですが、こうした動物が這い出てくる季節にも中国と日本の風土の違いが見て取れるわけです。

それでは欧米ではどうなのかな、ということなのですが、アメリカにも「グラウンドホッグ」なる動物が外に出るか、出ないかで春を占う「グラウンドホッグデー」というものがあるといいます。

“groundhog”の”hog”とはブタのことですが、地面の中にいるブタということで、これはすなわち「地リス」と呼ばれる栗鼠の一種のことです。大半は北アメリカに分布し、少数の種がユーラシア大陸、アフリカ大陸に分布するだけで、無論、日本には生息していません。

が、北米ではそこら中に穴を掘って巣をつくるため、ポピュラーな動物なようで、動物園でよくみかけるプレーリードッグなどとも近縁種のようです。食性も同じ草食性で、同じように草や根、種子、木の実のほか、キノコ、昆虫、鳥の卵などを食べます。

両種とも「ネズミ目リス科アラゲジリス亜科マーモット族」に属し、このマーモット族のうち、大型のものは「マーモット」や「プレーリードッグ」、小型のものは「シマリス」と呼び分けられますが、いずれも土中に穴を掘って生活することから、これらを総称して「地リス」と呼ぶようです。

生息地は多様です。草原や高山地帯のほか、熱帯の砂漠地方に住む種もおり、極地に住むホッキョクジリスといった種もあります。木ノ上で生活する一般的なリスとは異なり、木には登らず、地面に掘った穴や、木の洞や倒木の陰、岩の間などを巣穴にし。ここを中心とした地上および地下がテリトリーです。

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樹上性リスに比べ「社会性」が高い、といいこれはすなわち群れで暮らすことが多い、ということです。複雑な社会構造を持つコロニーを形成して生活することが多いといい、なにやら日本人と似ています。

警戒心が強く、危険を察知した際や、高い草の向こうを見る必要があるときなどに、前足の掌を胸につけ後足で立ち上がる習性があります。捕食者の存在を仲間に知らせるため、鳥のさえずりや口笛のような甲高い警戒声を発しますが、プレーリードッグのこうした様子をテレビなどで見かけたことのある人多いでしょう。

北方に生息するものは冬眠します。極地に棲むホッキョクジリスなどは1年のうち9か月ものあいだ冬眠して過ごすそうです。

この地リスこと、グラウンドホッグが冬眠から目覚める日こそが、「グラウンドホッグデー」であり、この習慣の発祥の地とされるアメリカ・ペンシルベニア州「パンクサトーニー」や、カナダ・オンタリオ州「ワイアートン」では、共通してこの日が2月2日と定められています。

グラウンドホッグが、外に出て「自分の影を見ると、驚いて巣穴に戻ってしまう」とされていて、影ができるということは、すなわち、晴天であり、こうした日はグラウンドホッグは自分の影におののき、冬眠していた巣穴に戻ってしまいます。そして、その年は「冬があと6週間は続くだろう」という占いの結果になるといいます。

一方、影がない、すなわち曇や雨の日には、グラウンドホッグは、影を見ることなく、そのまま外へ出るとされており、この占いの結果は、その年は「春は間近に迫っている」となります。

アメリカのパンクサトーニーでは、わざわざこの占いのためだけに、「フィル」と名付けられたグラウンドホッグを飼育しており、このフィル君は毎年2月2日に、グラウンドホッグデーの主役となり、町の郊外の森の中にある広場(Gobbler’s Knob)で彼自らが「占いを行う」といます。

が、実際には、このフィルが飼育されている小屋から彼を外へ追い出し、これを祭りに参加した人々が観賞するだけで、まだまだ寒いこの時期に外に引っ張り出されたご本人にはいい迷惑です。

本来ならば、巣穴から出てきたグラウンドホッグの行動を観察してその年の春の到来を占うべきところですが、実際にはそんなことはできるわけもなく、このフィルの舞台への登場とともに、その日の天候が発表され、それが晴れか曇りかはたまた雨かによって、その年の春の到来が高らかに読み上げられます。

この祭は日の出前から始まるといい、そんな朝早くから始まるというのに大勢の人がわざわざこれを見るために6時ごろからも集まるといい、7時半のフィルの登場と天気予報がメインイベントです。

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“パンクサトーニー・グラウンドホッグ・クラブ”という会員制のクラブが造られており、なかでもInner Circleと呼ばれる特別会員達がフィルの普段の世話をするとともに毎年の祭を主催しており、彼等はこのグラウンドホッグデーにタキシードとシルクハットを着用して登場するそうです。

フィルの名前の由来は”King Phil”とされ、正式名称は「占い師のなかの占い師、賢者のなかの賢者、預言者のなかの預言者にして、類まれなる気象予報者、パンクサトーニーのフィル」だといいます。

もっとも、このフィルはパンクサトーニーの図書館にある空調の効いた部屋で、「フィリス」という名の妻と一緒に飼育されており、冬眠はしていないそうです。Gobbler’s knobに登場するのはこの2月2日の祭の日だけです。

普通のグラウンドホッグの寿命は6~10年程にすぎませんが、このように大切に扱われているフィルを、クラブのメンバーは「フィルは寿命を延ばす秘薬を飲んで永遠に生き続けている」と主張しており、毎年おなじフィルが登場し続けているとしています。

この催しが始まったのは1887年のことだといい、リスごときが、んな長生きなわけはないのですが、これまでに何のグラウンドホッグが「フィル」を襲名したかについては明らかにされていません。

また同クラブは、フィルの予報はクラブのメンバーが作っているわけではなく、フィルがクラブの会長に「”グラウンドホッグ語” で教えてくれている」とも主張しています。

このグラウンドホッグデーは、古代ヨーロッパとキリスト教の風習、祝日の混じったものが、移民によってヨーロッパからアメリカ大陸に伝えられて、できあがった風習のようです。とくにドイツにおいて春になるとネズミが出てくる、という俗信があったようで、ただし、この場合はネズミはネズミでも、ハリネズミが対象だったようです。

冬眠していたハリネズミや、ほかにもクマなどが早く目覚めすぎると、自分の影を見て驚き、ふたたび巣穴に戻ってしまうとされてきたもので、ヨーロッパ人の起源といわれる古代のケルト人は冬至と春分の中間日を2月2日とし、この日に火と豊穣の女神「ブリギッド」に捧げる祭が行われたといいます。

春の訪れを祝うケルト民族の祭りされ、スコットランドやアイルランドなどではこれを「インボルグ」称し、日が長くなって、春の兆しが感じられるのを現在でも祝います

祝いには、暖炉の火と特別な食べ物(バター、牛乳、パン)などが用意され、今後の縁起を占うために、ろうそくの火や、天候が良ければ焚き火が用いられますが、このとき、このころの蛇やアナグマが穴から出て来る状況から判断して、伝統的にその年の天候を占ったといいます。

これが、このグラウンドホッグデーの起源とされるわけですが、その後この2月2日にはキリスト教の正教会においても、聖燭祭(キャンドルマス)が行なわれるようになり、これは聖母マリアのお清めの日とされます。火を使うことなどが類似していることから「インボルグ」から派生してできた行事でしょう。

この日でクリスマスシーズンは終わりとし、と同時に冬が終わって春が来るというわけで、これを祝うためにキャンドルが灯され、と同時にクリスマスツリー等を燃やしますが、これは日本のどんど焼きと似ているのが面白いところです。

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これらが変じて行われるようになった北米のグラウンドホッグデーの風習は、19世紀のアメリカのドイツ系移民の間で始まったようです。

上述のとおり、ドイツ人たちはハリネズミを春の象徴と捉えていましたが、北米にはハリネズミは生息しない(ヨーロッパ、アフリカ、中近東、東アジア(日本を除く)、ロシア、インド)ので、冬眠をする似たような哺乳類として、代わりに地ネズミが選ばれたのでしょう。

パンクサトーニーから東へ500キロほど離れた、ペンシルベニア州バークス郡は、こうしたドイツからの初期の移民の多かった場所であり、ここに設立されている歴史協会には、キャンドルマスとグラウンドホッグとヨーロッパの言い伝えについて書かれた、ある商店経営者の記録が残っているそうです。

これは1841年2月4日付けの日記だそうで、その後もおそらく地元の風習として細々と続けられていたのでしょう。が、現在のパンクサトーニーで行われているような大々的なグラウンドホッグデーは、1887年に、ここの地元新聞編集者の発案で行われ始めたもののようです。

ただ、その当初も、森の中で行われる小さなイベントにすぎませんでした。が、毎年の報道により次第に有名になり、特に1993年にこのパンクサトーニーを舞台にし、グラウンドホッグデーを題材にした映画「恋はデジャブ」が公開されると、人口6200人あまりの町に、世界中から数万人の観光客と多くの取材陣が集まるようになりました。

以来、米各地で同様のイベントが行われ、テレビや新聞で報道されるようになりましたが、グラウンドホッグを飼育していない動物園などでは、プレーリードッグやミーアキャット、ハリネズミなどで代用するようになりました。

パンクサトーニーでは、このお祭りの主人公は「フィル」ですが、カナダではオンタリオ州ワイアートンの「ウィリー」が最も有名であり、他にもケベック州ガスペの「フレッド」、ノバスコシア州シュベナカディのサム等の予報がテレビで報道されるほか、ニューヨーク・スタテン島の「チャック」も人気者です。

今や2月2日には、パンクサトーニーだけでなく、北米の多くの場所でのグラウンドホッグでの祭りの様子がテレビや新聞で報道される過熱ぶりですが、各地の祭りの中でもやはりその元祖であるパンクサトーニーが最も動員が多く、毎年約4万人が訪れるといいます。

ちなみにアラスカ州では2009年に2月2日を「マーモットの日」として公式の休日にしたそうです。これは冒頭で述べたとおり地リスが属する「マーモット族」のことであり、アラスカではこちらの呼称のほうがポピュラーなようです。

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日本には、このように春先に地面から這い出てきた動物を見て、春の到来を祝うといった習慣はとくにないようであり、このアメリカでのグラウンドホッグデーの過熱ぶりをみると、不思議な感じもします。

が、アメリカでももともとはメジャーなお祭りだったわけではなく、これが流行し始めたのは、上述の映画「恋はデジャ・ブ」がきっかけだったわけです。バレンタインデーも恵方巻きもまたメディアや食品メーカーのたくらみによって流行になったものであり、そのように考えると、メディアの力はやはり大きいと言わざるを得ません。

しかし、メディアがまだ十分に普及していない江戸時代などにも流行はあり、これらはとくに思想や信仰において顕著でした。例えば、江戸時代のええじゃないかは、もともとあったお伊勢参りの風習が集団的熱狂状態となり、爆発的に流行した現象です。

従って必ずしもメディアが悪いというわけではなく、要はこれを受け入れる我々の問題であり、これを受け入れるか否かは、その時代時代を形成する人々の価値観、あるいは美意識のありようです。

現代では、流行に飛びつくのはやはり若者が最初であることが多いようで、既存のこうした価値観や美意識、はたまた規範などとはかなり異なっていることも多く、こうしたものを守ってきた年輩者からは逸脱したものとみなされがちです。

とはいえ、こうした流行を採用しなければ遅れていると言われ、若者の間でもセンスがねエなー、とかいわれるため、ついつい受け流されてしまいます。かくして流行にどっぷりとつかってしまう、というのが日本人の伝統のような気もします。

かつて司馬遼太郎さんが、日本人は世界一ミーハーな国民だ、と書いておられましたが、そういうところは確かにあるでしょう。流行が廃れ始めたら本人たちもなぜあのようなものに心を捉われていたか説明できなくなることが多いくせに、その時々ではハマってしまう、という国民性は今も昔も変わりません。

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が、それが悪いことなのか、と問われれば特段悪いことをしていると思うわけでもなく、これを「トレンド」という用語に置き換えてしゃぁしゃぁとしていられる、というところは、むしろ愛すべき、あるいは尊敬すべき国民性なのかもしれません。

さて、流行に関する講釈ばかりたれていると、ネタがないので、今日もページ稼ぎか、といわれてもしかたがないので、そろそろやめにしましょう。

が、最後に先の「恋はデジャ・ブ」がどんなストーリーだったのか、気になる向きもあるようなので、ここに紹介しておきましょう。ネタバレになるかもしれませんが、ちょっと考えさせられる内容でもあるので、後学のために読んでみてください。

もともとはロマンティックコメディとして製作されたものですが、公開後の反響はそれなりに大きく、とくに人間の幸福は自分の中をいくら追求しても求められるのではなく、「他人の幸福によって得られる」といった哲学的な面からの評価が高くなった作品です。

ちなみに、この映画の主人公の名前は、上述のパンクサトーニーのグラウンドホッグの人気者と同じ「フィル」です。この主演男優は、俳優でコメディアンでもあるビル・マーレイであり、その恋人役は、美人モデルとして活躍するアンディ・マクダウェルでした。

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「恋はデジャ・ブ」あらすじ(原題:Groundhog Day、1993年2月12日全米公開)

TVの人気気象予報士、フィル・コナーズは仕事仲間のリタ・ハンソンおよびラリーとともに、毎年2月2日の聖燭節に行われるグラウンドホッグデーを取材するため、ある日都会を離れ、田舎町であるペンシルベニア州パンクサトーニーに滞在していました。

グラウンドホッグデーとはグラウンドホッグが地上に現れ、自分の影を見て冬眠に戻るか、春を迎え入れるかを観察するという言い伝えにちなんだ伝統的なお祭りですが、フィルにとってこの田舎行事の退屈さは耐え難く、当然取材にも身が入りません。

嫌々ながら一日を終えた彼ですが、取材を終えて帰るその帰路、天候が急変したため、パンクサトーニーを離れることができず、前日の宿に再び泊まるハメになりました。

ところが翌朝、フィルが目を覚ますと、その日は前日の2月2日であり、同じグラウンドホッグデーでした。フィルは、昨日と同じ振る舞いを繰り返す人々や仕事仲間に戸惑いを覚えながらも、こいつはもしかしたら、いわゆるデジャ・ブ(既視感)というものかもしれない、と考え直しながら2度目の取材を終えます。

ところが、この日もまた夕方になると天候が悪化し、同じ宿で寝起きするハメに。翌朝再び目が覚めたときもまた、同じ2月2日が繰り返されることとなり、その理由も分からないまま彼はこの時間のループに留め置かれ、天候のためパンクスタウニーの町を出ることができない状態が続きます。

病院にも行き、精神科で奇妙な症状を訴えるフィルに対し、医者は特に異常はないと診断し、精神病院行きを勧めます。ヤケになったフィルは、トラブルを起こし警察に逮捕され、留置場で夜を迎えますが、その翌朝も目覚めるとやはり同じ宿のベッドの上で2月2日を迎えるのでした。

しかし、同じことを繰り返すうちにフィルは、前日の失敗をなかったことにして何度でもやり直せるということに気がつきます。そしてこの自分だけの特権を活用し、町の人々のプロフィールや1日の行動を調べていきました。

こうして得た情報を用いて行きずりの異性を口説き落としてみたり、現金輸送車を襲って大金を得たりしながら満足を得ようとします。また、その中で前から気があった仕事仲間のリタを口説き落とそうと試みます。

ところが、何度繰り返しても彼女を落とすことができず、やがてフィルは際限なく繰り返されるグラウンドホッグデーの1日に再び嫌気が差してしまいます。ベッドの横に置かれた目覚まし時計を壊しても、祭事に用いるウッドチャックをさらって町からの脱出を試みても、ループを抜け出すことは叶いません。

ついに彼は自暴自棄になって自殺まで試みますが、どのような手段で自殺しても結局は死ぬことはできず、やはり2月2日の朝に同じ宿のベッドで目覚めるのでした。

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あるとき、ついに思い余ったフィルは、ついにリタに自分の事情とループで得た知識を明かしてみせます。驚くリタ。しかし、これをきっかけにフィルは、彼女と心の交流を得ることができるようになり、少し自分を取り戻せたように感じます。

その後、フィルは今までの態度を改めてみることとし、他人に気前良く大金を配って回ったり、無尽蔵の時間を生かしてピアノを習ってみたり、寿命でその日に死ぬ運命にある老人を救ったりもするようになります。

フィルは金の無心をするこの貧乏老人に、日によっては大金を施したり、食事を振舞ったりしますが、彼は毎晩になると老衰により回避不可能な死を迎えます。

老人を救うことはできず、ほかにも数々の失敗を繰り返しますが、これらを教訓にかつての自己中心的な性格も改めるようになっていきます。やがては自分だけでなく、その日に起こる些細な事故やトラブルから人々を守ってみたいという気持ちが沸いてくるようになり、こうして次第に充実した日々を送ることできるようになっていきます。

やがて、そのフィルの行為は実を結び、ある日などにはたった1日にしてパンクサトーニーの人々から尊敬を集めることができるような人物になります。と同時にリタからの愛も勝ち取ることができ、ついにその夜フィルは、リタと結ばれます。

そして、翌朝、なぜかそこにはリタが共にいて、日付も2月3日に進んでいることに気がついたフィルは、ついにループからの脱出に成功したことに狂喜します。

しかし、フィルは都会に帰ってTVキャスターに戻る道を選びませんでした。リタと共にパンクスタウニーに永住することを決め、街の人々のためにその一生を尽すことを決めたのでした……。

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