メッセージ・イン・ア・ボトル

2015-9670今朝方、妙な夢を見ました。

家の中を整理しているというシチュエーションの中で古い封書が出てきたのですが、不思議なことに開封されておらず、開けていいものかどうか迷いつつ、やっぱり開けよう、いやいや待てよと、延々と逡巡を繰り返す、といったものです。

どういう意味があるのかな~と紐解いてみようと思うのですが、結論が出るような話でもなく、朝食を終えて、今こうして机に向かってそのことを書き始めた次第。ネットで夢占いのサイトを探して読んだところ、古くボロボロになった手紙を受け取る夢を見たら、昔の恋人との再会や、疎遠になっている友達との交流復活がありそう、とのことでした。

受け取ったわけではなく、自分で見つけたんだったよな~と改めて自分が見た夢とは少々違うことが気になったのですが、しかし解釈を変えれば、自分自身が昔の友人か誰かを発掘する、ということなのかもしれません。

ここ静岡には、昔大学のとき沼津や清水に住んでいたころにできた地元の友人も何人かおり、疎遠になっているものの、確かに連絡を取れば再会できる可能性があります。そうした人と連絡を取れば何か良いことがあるかもよ、という夢だったのかもしれません。

この夢が正夢かどうかはいずれわかるでしょうが、それにしても、手紙というものはなかなか捨てられないものです。

先日、といっても正月過ぎのことですが、実際に押入れの中を整理していたところ、古い手紙の束が出てきました。すっかり忘れていたそのひとつひとつに目を通すと、往時のその手紙の相手との関係性が改めて思い起こされ、そのころの気持ちや情景があざあざと目に浮かんできて懐かしく思ったものです。

いわば「タイムカプセル」のようなものであり、それゆえに古い手紙は捨てられないのだろうと思います。ご存知のとおり、カプセル状の容器にその時代のものを入れて地中に埋め、ある年月後に開ける、というものですが、それにしても、この長い時間を封じ込める装置は一体いつごろからあるのでしょう。

調べてみたところ、まず「タイムカプセル」という用語が初めて使われたのは、1939年のニューヨーク万国博覧会のときのことだったようです。

この博覧会の目玉のひとつとして、文明が崩壊しているかもしれない5000年後(=6939年)のための「時限爆弾(タイムボム)」を埋めることが提案されました。が、爆弾はぶっそうだというので、より穏当な「タイムカプセル」という言葉に置き換えられたようです。

このタイムカプセルは、ウェスティングハウス社が製作し、魚雷型で長さ2.2m、直径20センチほどだったそうで、ケースだけで重さ360キロあまりもありました。7つの鋳鉄の円筒がアスファルトで結合されたもの。内側は耐熱ガラスが張ってあり、真空にされたうえで、窒素が充満されたといいます。

中には、糸巻、人形、本、主な穀物の種を入れた小瓶、顕微鏡、15分間のニュース映像、通信販売カタログや約14000語をふくむ辞書や年鑑を撮影したマイクロフィルムなど日用雑貨や当時の記録が収められ、万博が始まる前の1938年9月23日ニューヨーククイーンズのフラッシング・メドウズ公園の会場内の地下15mに埋められたそうです。

ほかにも、5000年後に欠乏しているであろう石炭や、このカプセルがいかにして成り立ったかその発見方法・英語発音に関する注意書きなども封入されたそうですが、当然のことながらこれが開封されるころには、これを埋めた人も、またその事実を記している私も含めた現在の人類はすべて生きていないでしょう。

日本で知られるものとしては、1970年の日本万国博覧会の年に、当時の松下電器(現・パナソニック)が毎日新聞により企画、製作され大阪城公園に埋められたタイムカプセルがあります。こちらも5000年後の6970年開封予定だそうで、我々が生きている間に中身を見ることはかないません。

そんな埋めた当人が見れないようなものを埋めてどうすんじゃー、という意見は当然あるでしょうし、私もそう思います。が、そうしたものを埋めて未来の人に残す、というロマンなのだよ、君は理解できないのかな~とまことしやかに言われると、まっいいか、誰が損をするわけでもないし、と思ったりもします。

が、こうしたイベントで作られるタイムカプセルには大枚な金が投入されることも多く、しかもその投資額は投資者が生きている間には当然回収されることもないわけですから、その費用をだれが持つのか、という問題は当然出てきます。

2015-9678

ロマンなんだから金の心配なんかすんな~という声も聞こえてきそうですが、そうだとしても実際には完璧と思われたタイムカプセルの密封度が十分でなく、中身が保存予定期間の間に失われてしまう可能性も指摘されています。

とくに酸化による劣化は、長期保存を行うタイムカプセルの内容物にとっては重大な脅威であり、このほかマイクロフィルムや磁気テープなど記録する媒体自体が時間と共に劣化し再生できなくなる可能性も大です。5千年後に媒体内にあるデータを読み取る機器や規格が廃れる可能性もあり、このほか記録した言語が滅びてしまうことだってあるでしょう。

価値も分からなくなり結局無価値になるものを金かけてわざわざ埋めるんかい、という批判はおこって当然であり、実際にも短期間で掘り出されたタイムカプセルにはこうした問題が発生しています。

例えばアメリカのオクラホマ州で、この州の合衆国加入の記念行事の一環として、加入50年目の1957年の記念行事で設置されたタイムカプセルは、「核攻撃にも耐える」堅牢な地下室構造のものだったそうです。この中には、当時の人気自動車プリムス・ベルヴェデアの他、50年後の石油資源の枯渇も考慮しガソリンの缶詰も内部に納められました。

華々しいセレモニーが行われる中、埋設されたこのカプセルは予定通り、50年後の2007年に予定どおり開封されましたが、いざ実際に地下室から取り出された自動車は、その原型こそ保たれていたものの、往時の見る影もなく鉄屑も同然に赤錆びており、もはやスクラップにでもするしか使い道の無い有様であったといいます。

地下室は厳重に封印はされていたものの気密性が低く、長い年月の間に徐々に地下水が地下室に染み込んでゆき、これが原因で腐食してしまったようです。同様な話は、日本などでも散見され、学校においての卒業記念や、会社の創業記念、建物竣工記念などでつくられものが掘り出されたときのトラブルは後を絶たないそうです。

そもそも埋設地の目印がなかったため、場所が突き止められなかったというケースは案外と多く、このほか、後年にその場所が駐車場や道路として舗装されてしまっていたり、直上に建物などの構造物が建てられてしまったケースもあります。

教育機関や公共施設では、人事移動や退職の際にタイムカプセルの件について引き継ぎがされず、やがて埋設の当時を知る職員がいなくなり、目印が撤去されたり施設が改築されるなどした結果、埋めた場所が判然としなくなるというケースもあるようです。

少子化に伴う学校統廃合などにより施設が廃止され、その跡地が企業に売却されたり住宅用地として分譲されるケースもあり、後年になってから騒動となるケースもあるようで、このほか、過疎地域では、過疎化の進行などでコミュニティ自体が事実上崩壊し、そのまま忘れ去られてしまう、といったことも起きているようです。

未来の人類に対するメッセージとしての夢もある一方、こうして意図的に作られたタイムカプセルは金がかかるばかりでちっとも歴史的資料にならない、といった批判が後を絶ちません。作った人の日常生活が分かるもの、たとえば日記帳、スナップ写真、書類などのほうがより歴史的価値が上がるだろうとする学者も多いようです。

突然の火山噴火によって埋もれたポンペイ遺跡のような「意図せざるタイムカプセル」には、往時の落書きなどが豊富に残り、古代ローマの日常生活について知る重要な手がかりになっているといいます。タイムカプセルに入れるものとしては、あまり奇抜なものは避け文書や映像などの基本的なものにすべきだという声も多いようです。

日本では、経典を後世に残すために陶・石・金属などで作られた容器を造り、さらにそれを石・陶製の外容器に入れた「経筒」を木炭などの除湿剤とともに埋納する「経塚」が太古に多数作られており、近年こうしたものが発見されて話題になるとともに、貴重な史料として高い評価を得ています。

木星探査機、パイオニア10号・11号に取り付けられた金属板には、これを地球外知的生命体に発見させ、内容が解読されることを期待して設置された金のレコードが取り付けられており、このレコードに電子的なメッセージを入れています。

115枚の画像と波、風、雷、鳥や鯨など動物の鳴き声などの多くの自然音のほか、様々な文化や時代の音楽、55種類の言語のあいさつ、カーター大統領と国際連合事務総長クルト・ヴァルトハイムからのメッセージ文なども加えられ、このうちの画像はアナログ形式でコード化され、残りの音声情報は16と3分の2回転で再生できるようにしてあります。

宇宙では酸化はありえないため、宇宙の果てを延々と飛び続けるパイオニア10号・11号が他の星の知的生命体に発見された場合には、これを解読して貰える可能性は高く、同じタイムカプセルでもこうした形のほうがより合理的です。

2015-9720

しかし、このパイオニア計画におけるメッセージは、私たち自身が見ることはできないわけであり、そこが最大の問題です。そこで、我々の子孫が見ることができるようにする、「宇宙タイムカプセル」をロケットで打ち上げよう、という計画があります。

現在の地球の人々から、カプセルが大気圏再突入する5万年後の人類に対して贈られるメッセージを搭載した衛星を打ち上げようというもので、当初2003年に打ち上げを予定されていましたが、2006年、2007年、2010/2011/2012年と延期され、今のところ、今年2015年にこれが予定されているということです。

KEO衛星といい、この名前は、口語で最も頻繁に使われている3つの音であるKとEとOに由来するそうで、国際連合の教育科学文化機関や欧州宇宙機関、中国の大手通信事業グループ、ハチソン・ワンポアやその他の組織に支援されています。

搭載されるメッセージは、プロジェクトのウェブサイトか郵便によって誰でも投稿することができるそうで、世界中の全ての文化や人種が代表できるように、子供、老人、非識字者の人からもメッセージを集めることが目的とされています。

なぜ5万年後かといえば、これは人類が洞窟の壁に絵を描き始めてから今までとほぼ同じ期間だからだそうです。

この衛星は、全ての地球人約60億人以上から集めたメッセージを搭載するのに十分な容量を持っているといい、衛星が打ち上げられた後も、ウェブで自由にそのメッセージを見ることができるといいます。無論、衛星搭載の本文の書き換えはできないのでしょうが。

KEOにはこのほか、ランダムに選んだ人の血液、空気、海水、土を封入したダイヤモンドも載せられる予定だといい、このダイヤモンドにはヒトゲノムのDNAも埋め込まれているそうです。

また、いくつかのパルサーの現在の回転速度を示す天文時計、全ての文化の人々の写真、現在の人類の知識をまとめている百科事典の抄録等も載せられ、これらのメッセージと図書は、ガラス製の放射線耐性能を持つDVDに記録されるといいます。

未来の人類がDVDプレーヤーを作成できるように、何通りかの図形での説明が加えられているといい、衛星自体は直径80センチメートルの中空球で、球には地球の地図が掘られ、アルミニウム層、耐熱層、真空で接着されたチタンやその他の重金属製の何枚かの層で覆われています。

宇宙線、大気圏再突入、宇宙塵との衝突等に耐えられるように設計されており、打ち上げられたあと、高度8,700マイル(1,400km)の地球軌道を回るように設計されています。軌道上で幅10メートルの1対の翼のような太陽電池を広げ、これにより通信機能や飛行高度を維持する動力などを得るように設計されています。

かなり大きな翼であることから、遠い未来の地球からの観測者も見つけやすいといい、5万年間ぐらい漂ったあと、主電源が落ちるようになっていて、大気圏に突入するようプグラミングされています。また、この再突入時には、表面の耐熱層が燃焼して人工のオーロラを作るようにもなっているともいいます。

そのオーロラを見た未来人があれは何だ!と見つけてくれるのを期待してのことなのでしょうが、果たしてそううまくいくのかどうか。が、仮に発見されなくても強化合金で本体は保護されているため、無事に地上へ落下するはずだといい、また万一海に落ちた場合でも浮力があるため、漂っていられるそうです。

そうすると、仮に未来人に発見されることなく海に落ちた場合は、長らく「ボトルメール」状態になるわけであり、酸化の心配のない宇宙ならまだしも、塩分も多い海の上でホントに大丈夫なの?と疑い深い私などはついつい思ってしまいます。

がまあ、遠い未来の地球人たちはそうした地球外からの飛来物を探知する技術を持っているやもしれず、地上に接近したらこれをキャッチできるに違いなく、また海の上でも探しだすことのできる能力を持っているに違いありません。

2015-9708

片や、現在における人類は、この「ボトルメール」ですら探知する能力はありません。放流されるやいなや海の上を漂い続けるだけのものであり、放流しても誰が拾ってくれるのか、また本当に拾ってくれるかどうかもわかりません。

日本語では「漂流ビン」などと表現されることも多く、“ボトルメール”という表現はあまりなじみがないかもしれません。

和製英語であり、ボトルメールは英語では、“message in a bottle”といいます。その名も、「メッセージ・イン・ア・ボトル」という映画が、1999年にケビン・コスナーが主演で公開されたため、その呼び名を知っている人も多いでしょう。

この映画は、ノースカロライナ在住の主人公が亡くなった恋人への哀悼のために流したボトルメールを、遠く離れたマサチューセッツの海岸で別の女性が拾い、そのことがきっかけで二人がめぐり合う、というラブストーリーですが、私も見た記憶があります。

無論、架空の物語なのですが、実際、長い年月を経てこうしたボトルメールが発見されることがごくたまにあり、この映画に近い哀話が事実として存在します。

1914年、第一次世界大戦のさなか、あるイギリスの兵士が妻に宛てた手紙を緑色のボトルにつめてイギリスの海峡で投げ込んだといい、その彼は2日後、フランスにおける戦いのさなかに死んでしまいました。

ところが、これから85年も経った1999年になって、漁師がテムズ川でそれを拾い上げたといい、宛先の女性はすでにこれより20年前の1979年に亡くなっていたそうです。が、この手紙はその後、ニュージーランドに住んでいる、女性の娘に届けられたそうで、この話はその当時全世界的なニューとして流れたようです。

また、ロバート・クラスカーという、オーストラリア人 カメラマンが1977年に記した本には、日本人の漂流者がやはりボトルメールを残した、という記事があります。

それによれば、1784年、日本人の「マツヤマ・チウノスケ(おそらくは松山千代之介)」とその43人の仲間が太平洋諸島へ財宝探しに行こうと海にのりだしましたが、嵐に遭い珊瑚礁に座礁し近くの島に避難せざるを得なくなりました。

しかし、その島で飲料水と充分な食糧を見つけることができず、そこで得られるココナッツや蟹だけを食べているうちに脱水症と飢餓で死亡者が出始めました。そこで千代之介は自分が死ぬ前に、自分たちの旅で起きたことをココナッツの木の断片に書き、それを瓶につめて海に流したところ、これがおよそ151年後の1935年に日本に漂着しました。

見つけたのは、日本のワカメ採りの漁師だったといい、その場所はなんと千代之介の故郷の海岸だったというのですが、なぜこのカメラマンがその事実を知っているのか、なぜ日本側には記録がないのが少々不思議です。が、戦前の話であるため、往時の記録は戦争のため日本側では焼失してしまったということは考えられるでしょう。

また、戦争前でありまだ日豪の交流があった時期のことであったとすれば、在日していたオーストラリア人の誰かがこの話を母国に持ち帰ったのかもしれません。

2015-9712

が、実話かどうかわからないためか、ギネス世界記録に登録されている、「回収された事のある最古のボトルメール」の記録としては、1914年6月10日に海に流され、2012年4月に発見された手紙となっています。これは、グラスゴー航海学校のC・ハンター・ブラウンという人が流した合計1890本の瓶のうちの一本だそうです。

北海の深層海流を調査する目的で放流されたものであり、海底付近を流れるように特別な錘が付けられていといい、これによってこの瓶は、流地点からわずか約15kmの地点でトロール船によって網で引き上げられたといいます。ビンの中には「646B」という番号が振られた紙が入っていたといい、これによってその出所が確認されたというものです。

最近では、1913年、ドイツのバルト海に投げ入れられたボトルメールが101年目にあたる昨年の2014年3月に海底から回収され、送り主の孫娘が特定される、ということがあったようです。上述の航海学校よりも古い記録なので、現在はもうギネス記録が更新されているのではないでしょうか。

以後、ボトルメールが投函された記録を古い順に見ていくと、1916年2月には、ドイツの飛行船、ツェッペリンL 19に乗っていた乗員が海に投げ入れたボトルメールが、6カ月後にスウェーデンの漁師によって6カ月後に発見されました。

このL-19は天候悪化のため、海上に墜落して乗員全員が死亡。その後遺体や機体の一部が発見されたようです。このボトルメールを出した乗員はその手紙の中で、この飛行船がエンジントラブル3回繰り返したのち、故障したことなどを記しており、「最後のメッセージ」と記していたことから、この後のトラブルを予想した遺書だったことがわかっています。

さらに1945年12月には、第二次世界大戦中、アメリカ軍人が乗船していた船の上から投げたところ、これをアイルランドの女性が拾い、これをきっかけに二人は7年間も手紙の交換を行うようになりました。しかし、国際的な報道合戦の中で、彼らはこのロマンスをうまく全うすることができませんでした。

一番最近では、2005年5月には80人ものコスタリカの難民が漂流中に瓶の中にSOSメッセージを入れて流したところ、運よくこれを漁船が見つけて彼等は救出されたそうです。が、このケースは本当に稀なケースであり、通常なら何年かかって漂着するかわからないようなものに自分の命を託すということはありえません。

過去に長い歴史の中で、ボトルメールが実際に届いたとされる記録は上述までのようにかなり少なく、確かにロマンを感じる行為ではあるのですが、実際に誰かに拾ってもらえるというのは、かなり確率が低いことと認識せざるを得ません。

2015-9780

ましてや、遭難救助のために流すというのはまず正気の沙汰とはいえません。それでふと思い出しのですが、1989年に、北海道の大雪山系で黒岳から旭岳に向かう途中に行方不明になった登山者を捜索していた北海道警察のヘリコプターが、登山ルートから外れた場所で倒木を積み上げて造られたSOSという文字を発見する、という事件がありました。

行方不明だった登山者はそこから2、3キロ北で無事救助されたそうですが、このSOSの文字については本人は知らないと話したため、別の遭難者がいたと見た北海道警察は、翌日改めてヘリコプターを派遣し、調査を進めました。

その結果、動物により噛まれた痕のある人骨の破片とSOSと叫ぶ若い男の声が記録されたカセットテープレコーダーなどが収容され、最終的には、行方不明者のリストや遺留品から1984年頃に遭難した男性と特定されました。

遺留品のカセットテープレコーダーには男の声で「エースーオーエース、助けてくれ。崖の上で身動きとれず、ここから吊り上げてくれ」と吹き込まれていましたが、聞いている者がいないのになぜこのような事を絶叫し遺したのかについてはかなりの疑義を呼びました。

一つの推測として、テープレコーダーに大声で録音したものをボリューム最大で再生すれば、地声による「SOS」よりも誰かの耳に止まる可能性が高いと考えたということがあげられます。また、ヘリコプターが飛んでいるのを見て声を出して動いている際、バッグの中で偶然カセットテープレコーダーの録音スイッチが入ったのでは、との説もあります。

が、いずれにせよご本人が死亡しているため、その真相は闇の中にあります。2012年には、ロシアで同じような事件があり、このときは、コケモモを求めて山中奥深くに入り込んだ男女3人が遭難。シラカバの幹でSOS文字を作り、救助を待ったところ、たまたま森林火災の消火を行っていた航空機がこれを発見しました。

遭難から5日という短い期間で救助されたといい、上述のコスタリカ難民よりも効率がよかったわけですが、それにしてもたまたま運がよかっただけといえ、海でも山でも人気のない場所で遭難という危機に瀕したときのこうした対策は全くあてにはなりません。

この北海道の遭難者が残したテープには、ほかにこの当時のアニメ人気作、「超時空要塞マクロス」と「魔法のプリンセス ミンキーモモ」の主題歌などが収録されていたといい、かなりのオタク少年ではなかったのかという憶測もこの当時さかんにマスコミや週刊誌が流したようです。

が、プライバシーの問題もあり、その後この人物の詳しいプロフィールの公開は行われなかったようです。それにしても北海道のこんな僻地に何しにいったのかは今もって謎です。オタク少年を魅了するような何かがこの土地にあったのでしょうか。

オタクといえば、こうしたアニメのほかにゲームの大好きな最近の若年層向けに、ボトルメールを模したソフトウェアが開発されているようです。ボトルを流した者同士でボトルを拾いあい、互いのデータを自動的に交換できるしくみだそうです。

実際のボトルメールは不確実性があるのに対し、こちらはある程度確信的な手紙交換といえ、ボトルメールという言葉自体がしっくりこないような気もします。が、ネット全盛のこの時代とはいえ、ついに電子上でもボトルメールが登場したかと、少々呆れてしまいます。

このほかネット上を「漂流する」メールを開発した会社もあって、こちらはさすがにすぐに廃止になったようです。すわスパムメールか、と思う人も多いことから当然といえば当然ではあります。が、ある日突然、何十年前のメールが届く、といったことがもしもあったとしたら、多少のロマンを感じないでもありません。

が、不気味なことでもあり、セキュリティの事を考えればあってはならないことでもあります。

それでも、寂しい時代です。こうしたボトルメールを欲しがる人もいると思われ、日本でも高齢化が進み、一人暮らしのお年寄りが多い中、ボトルメールでもいいから、こないかな、と思っている人は案外と多いかもしれません。

あなたはいかがでしょうか。振り返ってみて、それでもボトルメールがやはり欲しい、と思ったら、それはもうすでにあなた自身の高齢化が進んでいる証しかもしれません。

2015-9830