来週は、もうゴールデンウィークです。麓の温泉街も、修禅寺の新緑を求めてあちこちから観光客が集まり、さぞかし賑わうことでしょう。
その一週間前の、今日4月20日は、ぶっそうな話しですが、「マリファナデー」と呼ぶそうです。420(フォー・トゥエンティ, four-twenty)ということで、アメリカやカナダの大麻使用者は、毎年この日にマリファナを摂取し、それを味わえることを祝うためにひとところに集うといいます。
日本では厳しく取り締まれている麻薬であり、なんだかなーと思うのですが、カナダのバンクーバーの例では金融街を中心にその解放をめぐってデモも行われ、主要な道路が封鎖される規模になることもあるということです。
こうしたカナダやアメリカなどの北米の大麻のカルチャーにおいては、420という番号は、大麻を表すスラングだそうで、「フォー・トゥエンティしてる?」は、大麻やってる?の意味になるといいます。
その正確な由来は不明です。現在も多くの論争の対象になっているといいます。ただ、1970年代初め、カリフォルニア州サンラフェル (San Rafael) のサン・ラフェル高校の生徒の集団が、毎日放課後の午後4時20分、大麻を吸う目的でルイ・パスツールの銅像の前で会っていた、という話があるようです。
この時間由来説がもっとも広く受け入れられているとのことですが、ほかにもアメリカのパトカーにおいては、大麻薬事犯を発見したとき、「420」というコードを使って無線で交信する、という事実もあり、これが由来だという説もあるようです。
いずれにせよ、こうしたスラングが流行り始めた時期は1970年代前半といわれており、これは1975年に終結したベトナム戦争と何か関係があるようです。ベトナム戦争で精神を病んだ大麻を吸うアメリカ兵士が急増したといわれており、彼等の間の隠語として「420」が定着していったのでしょう。
しかし、アメリカ大陸においては、これよりもかなり昔の1549年には、すでにアフリカのアンゴラから連れてこられた奴隷がブラジル東北部での砂糖のプランテーションで砂糖とともに大麻を栽培し、喫煙していたといいます。アメリカ大陸のスペイン領やイギリス領でも大麻の栽培は行われ、特にメキシコでは大麻使用が大衆化しました。
アメリカ合衆国内で本格的に流行するようになったのは、1840年に医薬調合品として大麻の利用が可能になったことがきっかけといわれています。
1842年から1890年代まで処方される薬の上位にあり、その後、大麻を吸引できる店が開店し、上流階級や地位のあるビジネスマンがここにお忍びで通いました。また、禁酒法時代にはクラブなどの公共の場で酒の代わりとして振る舞われていたそうです。
しかし、1915~27年には南西部州を中心に医療目的以外の大麻使用が州法で非合法化され始め、禁酒法の廃止や治安悪化、人種差別や移民問題、合成繊維の普及と相まって、1937年に連邦法によって全米で非合法化されました。
ところが、1960年代にはヒッピー・ムーブメントで大麻使用が大衆化され、上述のようにこのあとベトナム戦争が起こって、戦争の後遺症に苦しむアメリカ兵士の間で大麻を吸う者が急増しました。
こうした背景もあり、アメリカでは一応連邦レベルでは禁止されているものの、州レベルでは合法化されているところもあります。2014年月時点で23州で医療大麻として、また2州では嗜好品として合法化されています。
2012年のアメリカ大統領選においても、その前哨戦で嗜好品としての大麻合法化の是非を問う住民投票が3州にて行われ、コロラドとワシントンの2州が賛成多数で可決し嗜好品として大麻が合法化されました。比較的最近のことなので、このニュースを覚えている人も多いでしょう。
このほかの州においても、米国の連邦法と矛盾するものの、米国では一般法は基本的に州法が優先されるため、大麻問題に関しても同様に州法が優先することとなっています。2013年のギャラップ調査によると58%のアメリカ人が大麻の合法化を支持しているといいます。
片や日本では、大麻には多幸感をもたらす鎮痛作用・食欲増進などの薬理作用がある、として、大麻取締法による規制を受ける「麻薬(痲薬)」の一種に分類されています。日本での使用は、無許可で所持しただけで最高刑が懲役5年、さらに営利目的の栽培は最高刑が懲役10年とされており、厳しい罰則が適用されるれっきとした犯罪です。
が、日本においても違法に「ヘッドショップ」といわれるタバコ店などで取り扱われているようで、その存在を隠すため、上述の「420」などの隠語が使われているそうです。例えば、日本でチェーン展開しているあるヘッドショップの店名は「four-twenty」だそうです。
試しに、ネットで「420」、「ヘッドショップ」と入力して検索してみてください。次々にいかがわしげなサイトが出てきます。無論、その全部で大麻を扱っている、とういわけではないでしょうが。
この「ヘッドショップ」の意味や由来は、調べてみましたがよくわかりません。が、本家はオランダの雑貨店だった、とするサイトをみつけたので、案外と正しい情報かもしれません。オランダではこうした雑貨店に大麻関連の商品が並ぶことが多いといい、これをヘッドショップと隠語で呼んでいるようです。
日本でも、愛煙家向けに主に煙草、薬草、パイプを扱う店があり、所によって「薬関連」も取り扱う雑貨屋があります。おそらくはそうした店は非合法に大麻なども扱っていると思われ、それをオランダに習っていつのまにか「ヘッドショップ」と呼ぶようになったのでしょう。
実はオランダでは大麻は合法化されています。1976年に大麻に関しての寛容政策が行われ、コーヒーショップやユースセンターでの大麻販売を認めました。大麻がコーヒーショップなどで販売され、早くから大麻が事実上合法化されている、ということは日本では意外に知られていません。
こうした薬物使用は「公衆衛生」の問題として扱われ、犯罪ではありません。タバコや酒と同じく、高じれば生活習慣病にはなる可能性はあるものの、摂取は認められています。
この施策は現実に即した実用主義的な政策だ、とオランダ政府は主張しているわけですが、ただ、同じドラッグでもコカインなどは「ハードドラッグ」と位置付け、大麻(マリファナ)などはソフトドラッグとし、明確に区別しています。そして使用を許可しているのは後者だけです。
これはどういうことかというと、元々大麻などのソフトドラッグ使用者が多いオランダでは、そもそもソフトドラッグというものは完全追放できないと考えたようです。
オランダは、ヨーロッパにおける海上貿易の玄関口としての側面があり、物品の出入が激しく、薬物の入出が激しい国であり、ロッテルダムの貿易量は世界一であり、貿易中継地点です。また、歴史的に多くの迫害者を移民として受け入れてきており、それにより、さまざまな文化に対して寛容です。
18世紀から19世紀の西欧諸国において、薬物、特にアヘンの貿易は経済的に重要でしたが、オランダにとってもまた、アヘンは重要であり植民地への商品として輸出されました。20世紀初頭までは、オランダはコカインの最大生産国であり、これもアヘンと同様に植民地へ輸出されていました。
こうしたことから、アメリカ合衆国やその他西欧諸国に比べると、薬物への危機意識が少なく、このため早い時期から薬物市場が形成されていました。
しかし、これを禁止法で抑えつければ、ソフトドラッグがハードドラッグと同じ闇市場に出回る結果となる可能性があります。ソフトドラッグ使用者がハードドラッグ使用に走る機会を増し、薬物による害を増やすことになる、というわけです。
そんなことになるよりは、行政がしっかり管理できる施設にのみ一定条件下でソフトドラッグ販売を許可し、ソフトドラッグ市場とハードドラッグ市場を完全に分離したほうが薬物による害は少なくなる、とオランダ政府は考えました。ハードドラッグが入ってこないようにソフトドラッグ市場を限定して厳格に管理したほうがやりやすいと考えたのです。
厳しい政策で薬物を完全に追放することは不可能だという前提に立ち、その上で薬物による害を減らそうというのが彼等ならではやり方といえ、言ってみれば「必要悪」ということになるでしょうか。
しかし、他国の大部分は、日本もそうですが、薬物は社会にとって有害であると考え、オランダとは反対に、ソフトドラッグを含め薬物全般を追放する政策を取っています。その温度差から、最近では薬物対策を巡ってオランダと周辺諸国の間では何かと摩擦が生じているといい、特に近隣のフランスやドイツとの摩擦が顕著だといいます。
この「大麻」ですが、薬や嗜好品としての歴史は長く、中国では2700年前に既にシャーマンが薬理作用を目的として使用していました。また、紀元前450年ころ、東ヨーロッパではスキタイ人やトラキア人は大麻を吸っていたといい、70年にはローマで医療用として既に大麻が使われていました。
その後、アラビアと中東では900年から1100年にかけて大麻の喫煙習慣が広まりましたが、ヨーロッパには、1798年のナポレオン・ボナパルトによるエジプト遠征によってエジプトから伝えられ、1843年にはパリで「ハシッシュ吸飲者倶楽部」が設立されました。さらに、1870年にギリシアで大麻使用が全土に普及しています。
また、イギリスの上流階級の間にも広がり、ヴィクトリア女王は生理痛の緩和に使っていました。その用法としては腹痛や発熱、不眠症のためであり、ほかにも結核患者に使われていたという記録があります。
日本では、江戸時代の1709年、博物学者の貝原益軒が発行した「大和本草」に大麻の項があり、麻葉の瘧(オコリ・マラリアのこと)への治療薬としての効能が記載されているほか、これ以前の日本書紀などでも大昔から麻が植えられていた様子が記されています。
明治に入ってからは、1886年(明治19年)に「印度大麻草」の呼称で日本薬局方に記載され、1951年の第5改正日本薬局方までそのまま収載されていました。戦前の生薬学では、紙巻煙草による嗜好用途のほかに鎮静薬及び催眠薬、あるいは喘息に効くとされ、戦後も規制される前は、庶民の間でも痛み止めや食用として普通に使用されていました。
ただし、日本で伝統的に栽培されていた大麻は幻覚成分である「THC」と呼ばれる成分の含有量が0.1%程度と弱く、薬用として使われることのほうが多かったようです。ところが、第二次世界大戦後にアメリカ進駐軍が入ってきてからは、彼等を真似て嗜好目的で使う人が著しく増え、広まっていきました。
しかし、アメリカ人兵士による大麻犯罪が増えたことから、1947年(昭和22年)にはGHQが「大麻取締規則」を発し、また翌年の1948年には日本政府による「大麻取締法」も施行され、厳しくその所持が制限されるようになりました。
今日では、日本だけでなく、多くの国が大麻に関して原則的に規制をする法律を規定しています。これらの法律となる基準は、国連が定める麻薬に関する国際3条約であり、多くの国はこれに批准するとともに、これに準拠した上で国内法を整備しています。
国際3条約とはすなわち、1961年の「麻薬に関する単一条約」、1971年の「向精神薬に関する条約」、および1988年の「麻薬及び向精神薬の不正取引の防止に関する国際連合条約」であり、北朝鮮でさえ2007年にこの3条約に批准しています。
ただし、条約批准国の中には、一部の国の一部地区において、使用形態・使用用途などを絞って、例外的に許可する場合が存在します。上述のアメリカの一部の州やオランダなどがそれです。
1961年の「麻薬に関する単一条約」から50年が経った現在では、オランダと同じように全面禁止による対策はむしろ麻薬の蔓延を助長するという考え方に同意を示す国も多いようです。2011年に国連の「薬物政策国際委員会」が提出した報告書にも、禁止による対策は失敗し、これが薬物による問題を助長している、と書かれているといいます。
この報告書ではとくに、大麻のようなソフトドラッグの薬物としての有害性を誤って評価した結果、このような事態に発展したとし検討の余地がある、としており、今後ともこの大麻の使用を巡っては国際論議が活発になっていく可能性があります。
もっとも、元々嗜好品として使う歴史の浅い日本では、オランダのようなことにはならないのではないでしょうか。とはいえ、昨今、大麻所持が暴露されて逮捕される芸能人がやたらに増えているようであり、少々気にはなります。
ところで、この大麻ですが、何か特別の植物からつくられる麻薬、と思っている人も多いかと思いますが、実は違います。
これはなんのことはない、「アサ(麻)」から作られます。日本人にもなじみの深い植物であり、中央アジア原産とされるアサ科アサ属で一年生の草本です。
昔は麻のことを、普通に大麻(たいま)または大麻草(たいまそう)と呼んでおり、第二次世界大戦の終戦前までは、日本では米と並んで作付け量を指定されて盛んに栽培されていた主要農作物でもあります。
ただし、古来から日本で栽培されてきたものは麻薬成分をほとんど含まないものでした。4か月で4メートルの背丈になるほど成長が早く、茎などから繊維が得られ、食用となるほか、油も取れるなど高い利用価値があります。現在でも大豆に匹敵する高い栄養価を持つ実を食用として使うこともあり、料理に使うこと自体は違法ではありません。
が、麻薬成分の含有量は少ないとはいえ、大麻取締法があるため、国内では許可なく育てることはできません。このため、食用の種子は輸入に頼っています。しかし、その使用方法を巡っては、法律で規制される麻薬と混同され、無用の疑いをかけられる可能性があるため、この輸入モノの麻は、「ヘンプ」と呼ばれることもあります。
ただ、この輸入モノのヘンプの中にも当然麻薬成分の含有量が多いものも含まれ、麻薬成分を多く含む品種の葉及び花冠を乾燥または樹脂化、液体化させたものを、現在では特に大麻(マリファナ)と呼びます。
この麻薬としての利用は、上述のように江戸時代にマラリアなどの治療薬として使われ始めたのが起源ですが、生活用品としての利用の起源は、戦国時代にまで遡ります。
木綿の栽培が全国に広まるまでは、高級品の絹を除けば、麻が主要な繊維原料であり、糸、縄、網、布、衣服などに一般に広く使われていました。木綿の普及後も、麻繊維の強度が重宝されて、特定の製品には第二次世界大戦後まで盛んに使用されていました。
現在でも衣類・履き物・カバン・装身具・袋類・縄・容器・調度品など、様々な身の回り品が大麻から得た植物繊維で製造されており、麻織物で作られた衣類は通気性に優れているので、日本を含め、暑い気候の地域で多く使用されています。
また大麻の繊維で作った縄は、木綿の縄と比べて伸びにくいため、荷重をかけた状態でしっかり固定する時に優先的に用いられます。また、伸びにくい特性を生かして弓の弦に用いられることもあります。
このほかの麻の用途としては、その昔は、繊維を取った後の余った茎を苧殻(おがら)と称し、懐炉用の灰の原料として広く用いられており、これを燃やしてお盆の際に迎え火・送り火とする、といったふうにも使われていました。
現在では、その果実は生薬の「麻子仁(ましにん)」として調剤されます。この麻子仁には大麻のような陶酔成分は無く、穏やかな作用の便秘薬として使われます。栄養学的にはたんぱく質が豊富であり、脂肪酸などの含有バランスも良いため食用可能であり、香辛料(や鳥のエサにもなります。七味唐辛子に含まれる「麻の実」はこの麻子仁です。
また、果実を搾ることにより油を得ることができます。この油を含んだ線香がアロマテラピー用として市販されているほか、「ヘンプ・オイル」としてボディーケア製品・潤滑油・塗料・工業用途など、非常に広範囲に使われています。また、抗菌性の性質を持っているため、石鹸・シャンプー・洗剤などの成分としても使われています。
この麻は、戦前、日本の小学校の教科書では栽培方法や用途が教えられるとともに、教育の一環として学校で栽培されることもありました。戦前の日本はまだまだ貧しい国であったため、特に衣服に重宝されたようで、国家によっても大麻の栽培・生産が奨励されていました。
しかし、戦後のGHQによる「大麻取締規則」や日本国政府による「大麻取締法」の施行によって、嗜好用だけでなく産業用の大麻にまで規制を行うようになった結果、日本における大麻の栽培者数は1950年代には2~4万人であったものが、1960年代には1万人を下回り大幅な減少を続け、1994年には157名にまで減少しました。
おそらく現在では何等かの伝統工芸を作るために麻を栽培している、といった農家以外では麻を作っているところはほとんどないのではないでしょうか。
ただ、日本では麻は古来から神聖な繊維とされており、神社の鈴縄、注連縄(しめなわ)や大幣(おおぬさ)として神事に使われるものにも国産が多く使われます。また、相撲で横綱の締める注連縄も麻繊維で出来ており、相撲もまた元は神事から発祥したものですから、やはり国産のモノが望ましいとされているようです。
大幣(おおぬさ)というのは、よく神社で、宮司さんが、棒のあたまに白いふさふさの箒のようなものが付いたものでお祓いをしてくれると思いますが、アレのことです。
この大幣のことを実は大麻とも書き、この「おおぬさ」は、神道の祭祀においてお祓いに使う道具の一つで、ただの棒に見えるものは、榊(さかき)の白木の枝です。
またその先端につけられているふさふさは、「紙垂(しで)」と呼ばれる白い紙の場合もありますが、絹織物を含めた織物の場合もあり、他に麻で作った糸、「麻苧(あさお)」をつける場合もあります。
両方を総称して、祓串(はらえぐし)とも言いますが、「大麻」(おおぬさ)」と呼ぶ場合の、「ぬさ」とは神への供え物や、罪を祓うために使用する物のことであり、これに「おお」をつけるのは、「ぬさ」の美称です。当初は主として麻や木綿(ゆう)を使っていたことから、大麻と呼ぶようになりました。
この大麻(大幣)は、祓う対象となる人や物に向かって左・右・左と振って使用し、これによって大麻に穢(けがれ)が移ると考えられています。神社によっては、大麻で祓った後に、小さな榊で塩の入ったお湯を撒く場合もあるほか、大麻自体を塩湯が煮え立った釜に入れて振り、無病息災を祈るところもあります。
日本最古の神社とされる、伊勢神宮から頒布される「神札」のことも大麻、または「神宮大麻(じんぐうたいま)」と呼びます。伊勢神宮では、江戸時代、伊勢講などの講が組織されて多数の人がここを訪れるようになりましたが、その際、参詣者を案内し、参拝・宿泊などの世話をする者のことを御師(おんし)と呼びました。
この御師が、頒布した御祓(おはらい)がこの神宮大麻の起源だそうで、当初はお祓いをつとめた祓串(大麻)を箱に入れ配っていたそうです。最初は、箱にこの祓い串を入れたもの、あるいは祓い串を剣型のお札で包んだものを頒布していたようです。ただ、現寸ではなく、おそらくは本物のお祓い串のミニチュア版のようなものだったでしょう。
が、参拝客にいちいちこうした嵩張るものを手渡すのは面倒だということで、明治以降は単にお札に「天照皇大神宮」と書かれ、これに「御璽(ぎょじ)」と呼ばれるハンコを押したものだけになりました。
中身も、ご神体である大麻から変わって、御真(ぎょしん)と呼ばれるお札だけになりましたが、明治時代になると、国家神道の形成により御師の制度は停止されるようになり、こうしたお札は伊勢神宮が組織した神宮教に所属する神社から全国的に頒布されるようになりました。
しかし、その元は神具である大麻の頒布であったわけであり、人々はこの麻を自宅の神棚に祀って、1年の間の家内安全・無病息災などを祈ります。伊勢神宮の神社本庁から頒布された大麻の数は、2011年のデータでは、888万545体であったといいます。
今このブログを書いている私の頭上にある神棚にもこの神宮大麻が修められています。
さて、その神宮大麻を神社から頂いた正月から4ヶ月が経とうしています。なかなかに厳しい時代であり、今年もまだまだ先が長いわいなと、気が遠くなる思いがあるのですが、だからといって、麻薬になどに手を出そうとは思いません(が、酒はやめられないかな?)。
みなさんも大麻などに手を染めることなく、神社から貰ったこうしたありがたい大麻で身を清め、(楽しく酒を飲みつつ)残りの一年を乗り切りましょう。