食べるものいろいろ

2015-20445月になりました。

伊豆は他県からの観光客だらけで、イモ洗い状態です。

人ごみの嫌いな私は、この連休中にはどこへも行かないぞ!と固く心に誓っていたのですが、さすがの連日のお天気のよさに、家にいるのもなんだかな~と、ついつい思ってしまいました。

しかし、できるだけ人ごみは避けようとも思い、行楽地は避け、山登りをすることにしました。

我が家からごくわずかな距離のところに益山寺(えきざんじ)というお寺があります。標高300mほどのところにある真言宗のお寺で、弘法大師の創建と伝えられます。

ウソでしょう。が、かなり歴史のあるお寺であることは間違いなく、境内には、根回り5.46㍍、目通り4.05㍍、樹高27㍍、樹齢900年ほどの大楓があります。県下最大の楓です。保存は良好で、木肌も美しく、一方で隆々とした瘤が多くあって、盛り上がるその力強さは見る者を圧倒します。

このお寺のすぐ裏側には神社があり、急な階段を昇って参拝すると、さらにその裏手に登山道があります。これを辿って伊豆の名峰、葛城山に達することもできますが、その反対側を海の方に登っていくと、発端丈山(ほったんじょうやま)という山の山頂に出ることができます。

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今回の登山はこの益山寺のふもとからこの発端丈山の頂上を目指すコースでした。麓にある駐車場(無料)から、かなりゆっくり歩いても1時間ほどの工程で頂上に着きます。が、この益山寺もかなり見どころのある場所であり、ここでたっぷりの時間を使って写真を撮り、頂上までは1時間半ほどかけました。

山頂は、ほんの少しの面積ですが広場になっており、北西方向が開けています。南北朝時代に畠山国清という武将が城を構えたという資料があり、これは「三津城(みとじょう)」と呼ばれていたようです。

登山道を昇り切った山頂の広場がその城跡の楼閣があったところでしょうか。ここからは真正面に富士山がどんと座り、目を左に移すと駿河湾の深い青が目に入ってきます。

さすが、「静岡の百山」のひとつとして選定されている山であり、この発端丈山からの眺めは秀逸です。北方の沼津の方向は樹木に遮られて見えませんが、山頂からさらに三津側へ5分ほど下ったところには、北方を見ることができる展望台があり、ここからの眺めも素晴らしい。

麓の駿河湾奥部の内浦湾も眺めることができ、そこには宿泊施設が並び、それらの中に混じって伊豆・三津シーパラダイスの一部もみえます。

西武グループの企業である伊豆箱根鉄道の経営の水族館で、その前身は、「中之島水族館」といい、なんと戦前の1930年が創業です。日本で5番目に開業した水族館です。初めてハンドウイルカの飼育を開始したことでも知られています。

かなり昔のこと、たぶん学生のころに一度行ったことがあるはずなのですが、展示内容はよく覚えていません。が、今もたぶん大きくは変わらないでしょう。40トン水槽で駿河湾の約400種の魚介を飼育しているほか、ペンギンやアオウミガメといったものから、アザラシ、オタリア、セイウチ、オットセイといった海獣が多いのが特徴です。

イルカショーも有名であり、「イルカの海」でバンドウイルカ・カマイルカ・オキゴンドウによるショーが行われた後、隣接の「海獣の広場」でカリフォルニアアシカ・トド・カマイルカによるショーがオムニバス形式で行われている、とのことです。

入場料、中学生以上のおとな1,960円(4才~小学生は980円)が高いか安いかどうかはわかりませんが、おそらくこの連休中にはかなりの観光客でここもごった返していることでしょう。

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ところで、イルカといえば、静岡県民はこれを食します。

エッ、あの可愛い動物を食べる!? 動物保護派の人は眉をひそめるでしょうが、本当です。県内のスーパーでは、どこでもフツーにイルカの肉がパックに入って売られており、このイルカ肉は、たいてい血抜きをされていないため、鉄分が酸化し黒っぽい色をしています。

調理法としては一般的には、塩漬け・塩抜きし、もしくは、醤油とみりんと砂糖で作ったタレに漬けてゴマをふり、天日干しにします。こうしたイルカの干物は「イルカのタレ」と呼ばれ、焼いて食べますが、また燻製にもします。

また、煮物にすることも多く、この場合は水に晒して血抜きをし、4~5時間ほど下茹でしてアク抜きをし、臭みを除いてから、ショウガ・ゴボウ・ニンジン・大根・こんにゃくなどとともに味噌煮にすることが多いようです。伊豆を含む静岡県東部地方ではこれが冬の定番の郷土料理です。

私も学生のころに旅館でバイトをしていたとき、まかないに出てきたこのイルカ煮をよく食べました。かなりの美味だったことを覚えています。新鮮な生肉は刺身にもできるそうで、これも水に晒して血抜きをし、硬い表皮を除き、肉と脂肪層を数mmの薄切りにして刺身にするようです。おろしショウガ醤油・おろしニンニク醤油などで食べます。

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近年になって大型のクジラの捕獲量に制限が加えられ、流通に支障が出てくるようになると、単に「鯨肉」と称してイルカの肉が市場に出回るケースもあるようです。イルカも広義には、鯨類ではあるため間違いではありません。

もっとも、現在のJAS法上はそのような表示は不適法とされており、それぞれ「ミンククジラ」「イシイルカ」などの鯨種別表示が必要だといいます。

それにしても、あれほど知能の高い動物を食べるなんて……と批判の目が静岡県民には向けられそうです。しかし、戦前や戦後の食糧難の時代、日本ではクジラと同じくイルカも、貴重な蛋白源でした。

静岡以外でも、駿河湾で水揚げされた魚貝類が流通する内陸部の山梨県では明治初期からイルカ食が行われ、山梨県富士川町の鰍沢河岸からはマグロなどの大型魚類とともにイルカの骨が出土しています。

このほかでも静岡県以外でもイルカがよく回遊することころでは、いまだに食用にする習慣が残っているところも多く、その代表は和歌山県です。各都道府県知事許可漁業の「いるか突きん棒漁業」「いるか追い込み漁業」として認可を受けて操業している漁業者も少なくなく、和歌山県でもイルカ食文化はいまだ健在です。

2009年にイルカ追い込み漁を批判する映画「ザ・コーヴ」がこの和歌山の地を舞台に製作され、公開の際にはかなりの物議を呼びました。

しかし、実はイルカの最大の産地は岩手県だそうです。イルカの漁獲量は一般の漁業と異なり、重量ではなく頭数管理とされていてクジラなみの扱いです。定置網で混獲されたイルカが食用とされるのは普通のことのようです。詳しく調べてみていないので細かいことまではよくわかりませんが、食べ方も静岡よりもさらにバラエティーに富むようです。

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このようにイルカを食べる習慣はいまだに各地で残っているわけですが、世界的には野蛮な習慣だとして止めるようにしつこく言ってくる国も多いようです。海洋資源の無秩序な乱獲は慎むべきだというのが表向きの理由ですが、実際には動物福祉の観点から非人道的である、というのが彼等の意見のようです。

イルカと同じくらいに知能が高い動物の代表としてはサルが挙げられますが、じゃあ、サルを食べるか、といえば、やはり日本人でも嫌がるでしょう。イルカも同じだ、という彼等の論調もわからなくはありません。

ただ、古くは日本でもサルは食されていたようで、天武天皇4年(675年)に出された肉食の禁止令では、牛馬鶏犬とサルを食べることを禁じています。また江戸時代末期に来日したイギリスの植物学者ロバート・フォーチュンは江戸の店先でサルが食用として売られている状況を記録しています。

さらに、現代にいたっても第二次大戦後、サルの数が急に減少したのは、戦後の食糧難の時期に食用になったためと言われています。また、熊の胆嚢を熊胆として利用するように、サルの胆も薬用とされました。

さすがに現在の日本では食しませんが、中国ではいまだにサルの脳を高級珍味として食べるそうです。その名も「猿脳」というそうで、清王朝時代の北京における宮廷料理にそのルーツがあるといいます。

どうやって食べるか、についてはあまりにもおぞましいので書きませんが、生きたままのサルを縛り上げ、調理人がその場でサルの頂部を処理して、客に提供するそうです。中国では特に猿の脳はインポテンツを治療すると信じられているようで、猿食のこの習慣は乱獲を引き起こすほどだそうです。

とくに、中国南部のミャンマーと接する雲南省あたりでは今もさかんに食べられるようですが、さすがに中国政府も外聞が悪いと思ったのか、最近厳しい法規制を敷くようになったといいます。

このほか、イギリスのダイアナ妃の元執事は、サウジアラビアを訪問したときにバナナの葉とココヤシに載った猿脳を供されたといいます。

アフリカなどでも猿を食べる風習のある部族がいるとのことですが、こうした猿食の行為に対してはエボラ出血熱やHIVに感染する危険性も指摘されており、中国も含めて今後はこうした風習は減っていくことでしょう。

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このように野蛮な風習というのは時代の変遷とともに廃れていくものです。いわゆる「人肉食」もそのひとつであり、さすがに現在ではもう人肉を食すことはないだろう、と思ったら、北朝鮮などでは現在もありうるといいます。

この国では、農業政策の失敗などから食料不足が慢性化しており、飢えに耐えかねた親が子を釜ゆでして食べて捕まる事件や、人肉の密売流通などの事件が後を絶たないといいます。

お隣の韓国でも日本統治時代の昭和初期に至っても自分の子供を殺して生肝を食べさせる事件や、ハンセン病を治すために子供を山に連れて行って殺し、生肝を抜くという行為が散見されたそうです。

さすがに習慣化しているものではなく、両国とも現在はきつく戒められているようですが、じゃあ日本はどうなのよ、といえば、日本でもほんの100年ほど前の江戸時代には、薬用として人肉を食べていたという記録があります。

江戸時代、処刑された罪人の死体を日本刀で試し切りすることを職とした山田浅右衛門なる人物は、死体から採取した肝臓を軒先に吊るして乾燥させ、人胆丸という薬に加工して販売したとされます。当時は人胆丸は正当な薬剤であり、山田家は人胆丸の売薬で大名に匹敵する財力を持っていたと言われています。

こうした風習は明治になっても続き、1870年(明治3)年には明治政府が人肝、霊天蓋(脳髄)、陰茎などの密売を厳禁する弁官布告を行っています。しかし闇売買は依然続いたらしく、たびたび事件として立件、報道されています。

昭和40年代まで全国各地で、万病に効くという伝承を信じて、土葬された遺体を掘り起こして肝臓などを摘出して黒焼きにして高価で販売したり、病人に食べさせたりして逮捕されていたことが新聞で報道されていたそうです。

こういう人食は、いわゆる「共食い」であり、こうした風習を英語では「カニバリズム(cannibalism)」といいます。ただし、社会的制度的に認められた慣習や風習を指し、現在の北朝鮮のような一時的飢餓状態下の緊急避難的な場合や精神異常による食人を含みません。

しかし、緊急性がなく、かつ社会的な裏づけ(必要性)のないカニバリズムは、さすがに現在では世界的にもなくなりつつあります。文明社会では、直接殺人を犯さずとも死体損壊等の罪に問われる内容であり、それ以前に、倫理的な面からも容認されないタブーです。そして仮に起こったとすれば猟奇殺人に伴う死体損壊として扱われます。

ただ、タブーとされるがゆえに、それを扱った文学・芸術は多く見られます。フィクションでは、「スウィーニー・トッド」、「ハンニバル・レクター」などがそれであり、スウィーニー・トッドの原作では、悪魔的な理髪師が、剃刀で犠牲者の喉を掻っ切り、主人公の愛人がその死体を解体して肉をミートパイに混ぜて焼き、何も知らない客に売りさばきます。

ハンニバルのほうは、精神科医にして連続猟奇殺人犯である主人公が、殺害した人間の臓器を食べるというもので、その野蛮な行為から「人食いハンニバル」として人々から恐れられる、という物語です。

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この映画は、トマス・ハリス原作の同名小説「羊たちの沈黙」として1990年に封切られましたが、アンソニー・ホプキンスが演じるこの主人公の天才精神科医は、アメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI)が企画した「AFIアメリカ映画100年シリーズ」における「悪役ベスト50」で1位に選ばれています。

また、彼のセリフ「A census taker once tried to test me. I ate his liver with some fava beans and a nice Chianti」は、「アメリカ映画の名セリフベスト100」で21位にランク入りしています。これは、日本語字幕では、「昔、国勢調査員が来た時、そいつの肝臓を食ってやった。ワインのつまみだ。」と訳されたようです。

この「ハンニバル」は、映画化された最初の「羊たちの沈黙」以下、「レッド・ドラゴン(2002年)」、「ハンニバル・ライジング(2007年)」としてシリーズ化され、最後のハンニバルライジングですべての秘密が解き明かされる、という仕組みになっています。

実によく練られたストーリーであり、カニバリズムに憑りつかれた教養ある人物の偏執的ともいえる復讐劇が繰り返される、といったその内容は、それまでのありきたりのホラー映画以上に怖い、しかも痛快、ということで映画ファンならずとも多くの人に広く支持されています。

私もファンのひとりであり、原作は無論購入して全部読みましたし、映画化された3本もすべて見ました。

紙面の関係から今日はもうそのあらすじを書くのはやめにしますが、もし原作本も映画もまだ未経験の方がいたら、残る連休中にぜひビデオなど借りて初体験してみてはいかがでしょうか。

ただし、酒のつまみに国勢調査員のレバーを食べながら、ビデオを見るのはやめにしましょう。イルカやサルもまたしかり。映画鑑賞にはやはりポテチが一番なのかもしれません。

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