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タイムアフタータイム

もうすぐ4月です。今年もまた新しい年度が始まります。

日本では、暦年とは別に、特定の目的のために1年間の区切りを決めており、これが年度です。

学校の年度は学校年度、会社経営に係わる年度は事業年度、といいますが、日本では国家予算の会計の年度である会計年度を基本として、4月がこの年度の始まりとしています。これに合わせて学校年度や多くの企業の事業年度のスタートも4月になっています。

しかし、ヨーロッパ、中国、韓国では1月はじまりであり、アメリカなどの北米は10月です。つまり年度はそれぞれの国の都合で決めているのであり、日本の場合、明治17(1884)年に4月初めの会計年度の導入が決定され、2年後に実施されました。

明治22年(1889年)には法制化され、市制および町村制の施行に合わせて同年4月より市町村で実施、翌年5月より道府県も実施、後に都も実施されて現在に至っています。

このように時間の始まりというものは都合に合わせて人が決めるものですが、時間の長さや時間の速さといったものもまた人が定義したものにすぎません。

太古において、人は現在我々が「時」と呼んでいるものを「何かの変化」といった漠然とした感覚で受け止めていました。しかし、それが何かの変化なのか、ということははっきりと認識していなかったようです。

時間という概念はあまりにもとらえがたく、このため比喩を用いて“流れ”と表現しました。人にとって川の流れは理解しやすく、時間の変化を川の流れに例えたわけです。

古来、人間は、とらえどころのない対象については比喩を用いて表現してきました。しかし、比喩というのは、そもそも異なるもの同士を結びつけて使うものです。まったく性質は違うものの、わかりやすいものを例えとして使うことで、物事はわかりやすくなります。

つまり、時間は流れではなく、時間は本来流れでもありません。では時間とはいったい何なのでしょうか?人間が実際に体験し、感じている時間はどのようなものなのでしょう。そもそも、過去や未来というのは実在するのでしょうか?そして変化するものが何一つない場合でも、時間はあるのでしょうか。




こうした疑問に対する答えを出すためにいろいろ思考を重ねていく中で、古代ギリシアの哲学者らは、時間を円のように回り続けるイメージで捉えるということを思いつきました。

時間を円と考えれば、それに始まりや終わりがあるかないかという面倒な議論が避けられます。正しいかどうかは別として、これでひとまず時間というものの定義がなされました。

似たような考え方を古代マヤ文明やインド文明の人々もしていたようです。その後、かなり時代が下って、10世紀ころになっても時間の考え方に対する定まった考え方はまだありませんでした。このころ文明的にも最も進んでいたゲルマン人の間でもまだ円環的な時間意識が支配的でした。

ゲルマン人の始祖が形成した社会を古ゲルマン世界とよびます。彼らの生活の中には現在のような直線時間意識はなく、「timi(時)」と言うとき、これは正確な時間の長さを示すものではなく、季節の重なりといった漠然とした時間の経過を意味していました。

また「ar(年)」というのも、毎年繰り返される収穫の意味であり、それが延々と繰り返されることが時間なのだと考えていました。

これは、このころの人々の生活の根底に農業があったためです。まず農業をもとにした人間と自然の関係があり、それが人間の意識や行動を規定していました。毎年春になると種を撒き、夏になると育て、秋になると収穫して、冬はそれを蓄えるとうルーチンワークを単に繰り返しているという感覚が彼らの時間でした。

こうした円環的な時間意識のもとにおいて、死者は現生とつながっていました。人は死後冥界に入るものの、冥界とこの世は交流可能な世界であり、死者は現世とつながりつつ冥界で生きることも可能と考えられていました。つまり、冥界と現世は並行して存在していました。

その後11~12世紀ころにキリスト教が広まると、この宗教が人々の時間感覚に影響を及ぼすようになっていきます。

人は死ねば煉獄、あるいは天国か地獄へ行く、というのがキリスト教的な考え方です。煉獄とは、天国にも行けない、地獄にも墜ちなかった人の行く中間的なところで、苦罰によって罪を清められた後、天国に入るとされていました。

いずれ場合も最後の審判によってその行先が決まりますが、こうした考え方によって、人々の間に終末に向かって進んでゆく時間の変化が意識されるようになりました。

キリスト教的な時間観において決定的なことは、神の子イエス・キリストの受肉によるこの世への来訪とその死、そして復活という点です。歴史においてただ一回のみなされたとされるこの行為を、キリスト教信者たちは、神または超越的な存在よりなされたと考えました。

そして、これを常人が通常では知りえない知識・認識が開示されたものと考え「啓示」と呼びました。こうした神の啓示は反復されない、一度限りの決定的な出来事であり、彼らの心のよりどころとなりました。

また、キリストの十字架による贖い(あがない)によって、人々の罪による咎(とが)や束縛も許され、それから解放されるとされました。そして死後にあっては神の引き立てによって永遠の命が与えられるという「救済」の思想が導入されました。

こうしたキリスト教の思想は古ゲルマン人が考えたこの世とあの世を行き来するという円環的な時間的感覚とは全く異なるものです。死後、神の擁護のもとにあちらの世界で生きるということは、死ねば現生との絆が断たれてしまうということです。そして、それは神を目指してひとつの方向に進む直線的な時間観といえます。




人はただ1度だけ生きて死ぬ、という考え方はやがてヨーロッパを中心に広まり、経済の基礎をなす商人たちの時間意識にも影響を及ぼしはじめました。

キリスト教を知った彼らは、初めて時間が直線的なものだという概念を知り、そこから商売を行うにあたっては、費用と日数(day)を計算することを思いつきます。これを使って莫大な利益を得るようになり、こうして時間は商人たちにとっての「経済的な道具」となっていきました。

やがて多くの国や地域における商人がこの考え方を踏襲するようになり、より細かい銭勘定をするため、年 (year)、月 (month)、週 (week)、といった概念も生まれました。これを基に人々の生活が規定されるようになると、時間は経済的な道具だけでなく、さらに「社会的・政治的支配の道具」にもなっていきました。

時間を社会支配のために使った指導者たちは、このうちの「年」を主に農耕活動の定着や知的活動の高まりのために使いました。作物の種を撒き育てる「時」を知ることは大きな収穫をもたらします。また年ごとに収穫を増やしていくという知恵が社会を豊かにする、ということを人々が知ったのちは、「年」の概念は古今東西で広く用いられるようになりました。

ただ、「週」は、ごくごく近代になるまで万国共通とは言えない状態でした。例えば日本では、平安期に「週」の考え方が伝わりはしたものの実際には用いられず、生活周期としても日々の意識としても定着しませんでした。

江戸時代の日付の計算も当月は何日あるかがわかればよく、借金の返済や質草の質流れの締めも大抵は29日か30日でした。七曜は煩わしくて不必要とされ日常生活で用いられませんでした。現在のように曜日を基準として日常生活が営まれるようになったのは、明治初頭に明治政府が国策として西洋各国にならってグレゴリオ暦を導入してからのことです。

何日かをひとまとまりとして見なす文化・制度としては、ほかにも5曜制、6曜制があり、10日、90日もあります。7日をひとまとまりと見なす7曜制の文化はバビロニアが起源だとも言われており、これをユダヤ人が取り入れ、ユダヤ教文化からキリスト教文化へと継承され、同文化が広まった結果定着しました。

しかし、キリスト教と敵対していた政権は7曜制を廃止しており、たとえばフランスやロシアでは10日や5日を週とする制度を定めた時期もありました。現在は世界中で七曜制のグレゴリア歴が用いられていますが、サウジアラビアでは2016年に7曜制が導入されるまではヒジュラ暦という主にイスラム教社会で使われている暦法が公式の暦でした。

やがて機械式時計が制作されるようになると、天体とは切り離された人工的な時間概念が意識されるようになりました。世界で初めての機械式時計は、1656年にオランダの物理学者クリスティアーン・ホイヘンスによって発明された振り子時計だと思われます。

大航海時代に入り、天測航法によって現在位置を知るためには、揺れる船内に長時間放置しても狂わない正確な時計が必要となりました。1735年にイギリス人の時計職人のジョン・ハリソンは揺れや温度変化に影響されない高精度な時計クロノメーターを創り出しました。

また、1827年には、スイスの時計職人、アブラアム=ルイ・ブレゲが、フランス王妃マリー・アントワネットの要請で一つの斬新な時計を製作しました。この時計には自動巻き、永久カレンダー、リピーターなどの最新技術が採用されていました。

これによって、時計の進歩は200年早まったとされ、以後、機械式時計は、精度や携帯性が追及されるとともに年々安価になり、人々の間に浸透していきました。こうして、時 (hour)、分 (minute)、秒 (second)といったより細かい時間区分が認識されるようになっていきます。

その後も時計は、より短周期で振動するものを使って精度を上げていきましたが、比較的最近の革新技術としては水晶を用いたクオーツ時計があります。現在では原子の発する電磁波の周波数でさらに精密に時間を計測できるようになり、これは原子時計と呼ばれています。

現代の国際単位系では、1967年以降、時間の基本単位としての「秒(s)」をこの原子時計によって定義しています。セシウム133という元素の振動周波数によって決定され、世界的に統一されたものとして社会生活や産業活動で最もよく使われる時間単位です。



このように、今や時間は物理的な性質まで利用した高度に正確なものとして管理されており、我々もそれで計られた時間の中、規則正しい毎日を送るようになっています。

かつての人々の生活はもっと原始的なもので、一日は夜の闇の中で始まり、やがて夜明けを迎え、昼を迎え、最後に夕暮れを迎える、といったアバウトなものでした。しかし今や秒単位、時にはそれ以下の非常にきめ細かい時間の中で人々は生きていくようになっています。

こうした直線的に進む時間はいくらでも細かく分割できます。物理学的にはこの最小時間間隔をプランク時間と呼び、これは真空中において光が「1プランク長」に等しい距離を通過するのに必要な時間です。

プランク長とは、ビッグバンが起きてから世界の終わりまでの長さのことで、従って1プランク長は、終末の宇宙の大きさです。宇宙の大きさはほぼ無限大ですから、プランク時間は無限大分の1の時間ということになります。

現代科学において今やこうした微細な時間の定義はビックバン以後の宇宙の広がりやスピードを規定する尺度として不可欠なものになっていますが、一方ではまた時間そのものが従来我々が定義していた通りのものではない、ということもわかってきました。

かつて、ニュートンは我々の周囲で流れる日常的な時間の流れは、運動の観察を通じて得られる見かけ上のものとし、これを相対的時間と呼びました。人間が知覚できるのは相対時間だけで、それは月や太陽など知覚可能な物体の運動を観察することと同じであって、我々は物体が動くのを見て時間の経過を知っているにすぎない、という考え方です。

これに対して、時間は知覚するものではなく、いかなる観察者とも無関係に存在するという考え方があり、ニュートンはこれを「絶対時間」と呼びました。見かけ上の時間の流れにすぎない相対時間に対して、この絶対時間は数理的に扱う理論的な時間といえます。

そして、絶対時間は宇宙のいかなる場所でも一定の早さで進んでいくとニュートンは考えましたが、これに異を唱えたのがアルベルト・アインシュタインです。



アインシュタインが発表した特殊相対性理論によれば光の速度はどの慣性系に対しても一定です。慣性系とは、ニュートンが示した運動の第一法則「すべての物体は、外部から力を加えられない限り、静止している物体は静止状態を続け、運動している物体は等速直線運動を続ける」という法則が成立する世界のことです。

例えば静止している人が動いている電車の中の人の動きを目で追っている場合は慣性系の世界にいることになります。

光の速度は不変の原理があるため、ある慣性系と別の慣性系の光の速度は同じでなければなりません。この動いている電車が飛行機や宇宙船になった場合でもこうした目に見える動き、つまり光の速度は一定だとするのがアインシュタインの主張であり、これを「光速度不変の原理」と呼びます。

ところが、ある慣性系から見て空間上の異なる地点で同時に起きた事象は、異なる慣性系から見ると同時に起きてはいません。例えば、飛んでいる宇宙船から瞬いている一つの星を見た時と速度の違う別の宇宙船から同じ星を見た時は、その瞬き具合が違います。

これを「同時性の崩れ」といい、「見えている時間が異なる」ということは、光の速度が変わっていることになります。これを「光速度不変の原理」に基づき、光の速度が同じである、と仮定して補正してやるとすると、宇宙船から見る星の瞬きの時間と地球から見る星の瞬きの時間はずれていなければなりません。

つまり、結果としては、同時に存在している二つの空間において流れる時間が異なっている、ということになります。

一般相対性理論ではまた、2人の観察者がいるとき、互いの相対的な速度差により、または重力場に対して異なる状態にあることによって、2人が測定した経過時間に差が出るとされています。重力場が異なる空間というのは、例えば、宇宙空間と地球上でありこの二つの場所では時間の進み方が異なるということになります。

こうした時空の性質の結果として、観測者に対して相対的に動いている時計は、観測者自身の基準系内で静止している時計よりも進み方が遅く観測されます。また、観察者よりも強い重力場の影響を受けている時計も、観察者自身の時計より遅く観測されます。

このような時間の遅れは、二つある同じ原子時計の片方一つだけを宇宙飛行に送った場合の原子時計の時間のわずかなずれや、スペースシャトルに搭載された時計が地球上の基準時計よりもわずかに遅い、といったことなどから実際に証明されています。

また、GPS衛星やガリレオ衛星の時計が、地上のものより早く動くようになっていることがわかっており、さらに東京スカイツリーの展望台に置かれた光格子時計が地上のそれよりわずかに進んでいる事も確認されています。

つまり、時間の流れはどこでも同じである、というニュートンの理論や、とかくそう考えがちな我々の考え方は間違っている、ということになります。アインシュタインの特殊相対性理論の発表以降、人類の時間に関する考え方は根本的に変わってしまいました。



こうした時間に関する概念が崩された結果、最近では量子力学が物理学の主流となってきています。これは一般相対性理論と共に現代物理学の根幹を成す理論であり、主として分子や原子、あるいはそれを構成する電子など、微視的な物理現象を説明する力学です。

この量子力学の中では最近、時間が木のように枝分かれするという時間観も研究されています。「多世界解釈」もこの分岐時間の考えに基づいた説で、分岐後は複数の異なる世界が同時進行するとされます。これは平たくいえばいわゆるパラレルワールドというやつです。

現在の宇宙は主に正物質である陽子や電子などで構成されており、これはビッグバンによって正物質と反物質がほぼ同数出現し相互に反応してほとんどの物質が消滅した結果とされています。

しかし、反陽子や陽電子などの反物質の存在が微量ですが確認されており、この不均衡は反応前に正物質と反物質との間で微妙な量のゆらぎがあったことに起因するとされています。正物質の方がわずかに多かったと考えられており、反応後に生き残った正物質が宇宙を凌駕するところとなり、現宇宙のほぼ全ての天体が正物質で構成されているという説です。

そしてビッグバンの過程においては、こうした正物質で作られた宇宙以外にも他の宇宙が無数に泡のごとく生じたのではないかとされ、これがパラレルワールドです。

ということは、他の並行宇宙では、逆に反物質のみから構成される世界が存在するかもしれないということです。つまり、そこは我々の世界とは真逆の姿形をした世界であって、さらにそんな正逆の世界が泡のごとく無数にあるということになります。

他に正物質の世界があるとして、そこでの時間の流れは我々のものとは違う場合もありえます。否やそうした世界が無限にあるとすれば、我々の時間解釈と同じ世界もありうるわけです。その世界の歴史は我々が培ってきたそれとすべて同じものであるかもしれません。

量子力学の発展からはさらに宇宙に時間は存在せず、時間とはあくまで人類の感覚としての幻想だと主張する学者もいます。また、時間そのものを測定する方法なども実はなく、物体の状態の変化の速度を時間の経過と捉えているにすぎないとする研究者もいます。

時間がないということは、因果律や連続性があるように感じるのは人間の錯覚ということになります。因果律が存在しない以上、たとえ「過去」を改変したとしても、以降の歴史には影響がありません。従ってタイムパラドックスも生じません。

実は時間が存在しないという考え方は仏教にもあります。仏教における時間理解は基本的に現在指向です。仏陀(ブッダ)は、そもそも前世も来世も説いていません。仏教は輪廻転生を肯定していますが、転生が計測される同一時間軸の上に起こるものとはしていません。

この世の現実存在(森羅万象)はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないとしており、これは「諸行無常」という言葉で表されます。しかし、その流動変化の中に時間という尺度はありません。

なぜならば、すべての存在は極分化された一瞬にのみ存在し、瞬間毎に消滅するからです。瞬時に消えるものは時間で測ることはできません。これを「刹那滅」といい、良く使う「刹那」はここからきています。転生も計測される時間の外にあります。生死も一瞬の中で始まり終わっているために時間とは無縁というわけです。

ローマ帝国時代の哲学者アウグスティヌスも創造以前には時間はなかったと言っています。時間そのものは神によって造られたもので、人の心の働きにすぎないとしています。過ぎ去るものは何もなく、全体が現在にあるだけだとも述べ、時間という概念を否定していました。

もし、現代人が時間という概念を捨て去ったら、この世の中はどうなるでしょう。仕事の締め切りもなくなるし、学校へ行く時間もばらばらで、いつ帰ってもいい。食事や入浴もいつでもできる、やりたいほうだい、という世界はまるでパラダイスのように思えます。

その一方で、仕事は滞り、製造業ではいつまでたっても物ができあがりません。銭湯へ行ってもどのくらい入っているのかわからず、気が付いたら一週間が経っていたなんてこともあるかもしれません。一番困るのは自分や人が何歳かがわからないことであり、結婚した相手が、実は50歳も年上だったなんてこともありそうです。

現代人にとってやはり、それなりに時間というものは大切なものに違いありません。

古代ローマの詩人、ホラティウスは、カルペ・ディエム(Carpe diem)という句を残しています。直訳では「その日を摘め」ですが、「今日という一日を大切に」とも訳せます。

「今という時をよく味わいなさい」という意味とも解釈でき、改めて時間というものとのつきあい方を考えさせられます。時間はこれを意識し、味わい楽しむべきものです。

新年度を迎え、仕事や学業で忙しさも増すと思います。そんなときこそ、過ぎていく時間を意識してみてはどうでしょう。時は無限ではありません。今という時を大切に生きていきましょう。

幸せってなんだっけ?

3月も半ばを過ぎ、かなり暖かくなってきました。

伊豆のソメイヨシノはまだ咲き始めのようですが、他の地方ではもう既に3~4分咲きというところも多いようです。

このソメイヨシノは、様々な遺伝子研究により、実はクローンであることが証明されています。つまり、日本中、どこにあるソメイヨシノも同じ栽培品種のコピーということです。ということは、気温などの環境条件が整えばたとえ数百本であっても同時に一斉に咲くということになります。その開花が爆発的なのはこのためです。

しかし、日本の国土は南北に細長く、一般には暖かい九州や四国から順番に咲いていき、最終的には北海道に達します。いわゆる桜前線といわれるものです。ただ、桜前線にも南限があります。日本におけるソメイヨシノが健全に生育できる南限は、低地では鹿児島県の屋久島や種子島、高地では奄美大島などです。

それでは沖縄ではソメイヨシノは咲かないのか、という疑問が沸きますが、そのとおりです。沖縄本島だけでなく、石垣島や宮古島でも咲きません。同程度の緯度にある台湾でも同じです。気候に合わず、数年で枯れてしまうそうです。

ではソメイヨシノが咲く北限はどこか、と調べてみたところ、日本以外で最も北の地域で咲くのが、デンマークのコペンハーゲンのようです。稚内の緯度が45.4度ですから、これよりはるかに北になり、緯度は55.6度です。

ヨーロッパは北大西洋を流れる暖かい海流で冬も極端に気温が下がることがなく、育つことができるようです。コペンハーゲンでも、4月末から5月初め頃までソメイヨシノを楽しむことができ、そのひとつは日本人にも馴染みのある、人魚姫の像のある公園です。

ランゲリニエ公園といい、ここの噴水池の両脇には、広島市に本店のあるタカキベーカリーというパン屋さんが寄贈した二列のサクラ並木があり、毎年サクラ祭りが行われています。

タカキベーカリーの各店舗の名前は「アンデルセン」といいます。創業者がデンマークのコペンハーゲンで食べたデニッシュペストリーに感銘してこの屋号を使うようになったそうです。その名はデンマークの童話作家ハンス・アンデルセンを由来としています。




このデンマークですが、高齢者福祉や児童福祉が充実しており、所得格差も世界最小であることで知られます。男女の賃金差もOECD(経済協力開発機構)中最小、ウェルビーイングも最高レベルです。これは「身体だけでなく、精神・社会面も含めた健康」を意味します。

公務員や政治家がどの程度汚職しているかを示す「腐敗認識指数」も世界最低です。さらに「社会的流動性」も高くなっています。ソーシャル・モビリティともいい、その指数が高い国ほど生まれた時の階級から脱却しやすく、自由や平等がある状態とみなされています。

平均寿命は81.2歳で日本の84.2歳には及びませんが、それでも長寿国のひとつです。医療制度は社会保険ではなく、税収を原資とするユニバーサルヘルスケアが実現されています。これはつまり、医療費はタダということです。GDPの11%が医療に投じられています。

国民1人あたりの医師数は3.424人で世界28位。2.297人で55位の日本を大きく引き離しています。医療の充実したカタールの7.739人や、キューバの6.723人、ギリシャの6.167人よりは少なくなっていますが、アメリカの2.422人よりは上です。

ただし、医師・看護師の給料が低いことから、医療従事者の慢性的不足に悩んでいるそうです。EU諸国やインドから医師や看護師を呼び寄せてはいるものの、診察や手術の予約待ちは数か月に及ぶのが普通だといいます。

また、福祉国家であるがゆえに税金が高いのが特徴です。デンマークの税制は広範囲なもので、物品税、所得税、その他の手数料に加え、25%の付加価値税が課されます。地方所得税は平均33%ほどもあります。GDPに占める税収比は50%弱でOECD各国で最大です。

しかし、市民の生活満足度は高く、国連による世界幸福度報告ではフィンランドに次いで第2位、世界幸福地図では世界178ヵ国で第1位です。デンマークの次にはノルウェーが3位に入っており、スウェーデンも7位に入るなど北欧の国の幸福度が高くなっています。

なぜ、北欧の国ばかりなのかですが、これらの国は社会民主主義に基づいた経済社会モデルを構築しているからです。ノルディック・モデルと呼ばれ、安全保障や治安維持などに重きを置かず、社会保障制度を充実させることを基本として国民の生活の安定を図っています。

この世界幸福度はどうやって決めているか、ですが、その説明変数は以下の5つです。

1.人口あたりのGDP
2.社会的支援(困ったときに頼ることができる親戚や友人がいるか)と健康寿命
3.人生の選択の自由度(人生で何をするかの選択の自由に満足しているか)
4.寛容さ・気前の良さ(過去1か月の間にチャリティなどに寄付をしたことがあるか)
5.腐敗の認識(不満・悲しみ・怒りの少なさ、社会・政府に腐敗が蔓延していないか)

以上をもとに、150以上の国や地域を対象に幸福度を、各個人の回答の数値の平均値として算出します。人の幸福を図るのにたったこれだけかと思われるでしょうが、世界中の幸福度合いを算定するのは大変な作業であり、これくらいシンプルにせざるを得ないのでしょう。

ちなみに、日本の世界幸福度は2010年代前半は40位台でしたが、後半には50位台に転落し、2020年は58位と年々下がっています。諸説ありますがその理由としては、2.の社会的支援が少ないことが考えられます。

幸福度は、頼れる人の数・ボランティア活動が増加するほど高くなることがわかっていますが、日本は他国に比べボランティアをやる人が少なく、頼りにできる人がいない、と皆が思っているのです。他に休暇が少ないことも原因といわれているようです。

身を振り返ってみて、あなたはどうでしょうか。幸福とは何か?それを測る尺度は?と聞かれてみなさんはどう答えるでしょう。

よく言われるのは、「心が満ち足りていること」といったことですが、あまりにも抽象的すぎてピンときません。単に「幸せであること」という人もいそうですが、言葉を言い換えたにすぎません。幸せであるとはどんな状態で、そうなるためにはどうすればいいのでしょう。

古来、幸福については、多くの哲学者や思想家や宗教家が考察してきました。幸福とは何ぞや、幸福であるためにはどう生きるか、といった方法論を提示した文章・書物は「幸福論」(エウダイモニアニクスeudaemonics)と呼ばれ、学問的な扱いまでされています。

アリストテレスは、幸福は、人間にのみそなわった理性の活動の完成によって実現し、理性の活動とは、人間としての徳の追求である、と述べました。また、ソクラテスは、「生きること」以上に「よく生きること」を重視し、正しく知ることが重要であると説きました。

「人間は考える葦である」の名文句で知られる、物理学者ブレーズ・パスカルは、「絶えず幸福になろうとしている状態にある限り、けっして幸福になることがない」と述べています。

???ではないでしょうか。いずれも難しすぎてよくわかりません。むしろキリスト教のように、幸福とはこれすなわち「愛があること」と言ってくれたほうがすっきりします。キリスト教が普及した中世ヨーロッパでは、真の至福は個々の人間の努力によって得られるものではなく、神からの恵み、すなわち愛(恩寵)によってのみ得られる、とされました。

しかし、近代に入ると、キリスト教とは違った世俗的な価値観が現れ、イギリスなどでは、「快楽」のもたらす満足感が幸福につながるとする発想が芽生えました。結果、人を押しのけてでも快楽を得ようとする空気が生まれ、これは後に「功利主義」につながってゆきます。

功利主義とは、望ましいとされる行為や社会的な制度は、その結果として生じる効用(有効性)によって決まる、とする考え方です。つまり結果が出なければよしとしない風潮です。このころから、幸福は何やら物的なものとして捉えられていくようになります。

イギリスの哲学者、ジェレミ・ベンサムは「量的快楽主義」を唱え、快楽・苦痛は量的に勘定できるものとしました。同じくイギリスの哲学者、ジョン・スチュアート・ミルは快苦には単なる量では測れない質的な差があるとして「質的快楽主義」を唱えました。

この二人の哲学者の意見はつまり同じです。欲求というものの量や質が満たされさえすれば人は幸福である、と言っているのです。物欲が満たされることをすぐに幸福に結びつけて考えてしまう人にとっては、都合のいい考え方です。

しかし、実は多くの人がこの「欲求」というものの正体が分かっていません。自分が何を求めているかが理解できていないために焦ってさらに欲求を満たそうとします。そしてついには欲求に負け、人生の舵取りの主導権を譲り渡してしまいます。欲求は限りなく膨張しつづけますから、幸福である、と思えるような域には永遠に達することはできません。

「幸福である」という状態は、そういうふうに「測る」ものではなく、主観においてしみじみとそうであると感じるものではないでしょうか。自らが望ましいと考える「心のありかた」をいろいろ探した上で、意識的にこれが幸せだ、といえるものを見つけたときこそが真に幸せといえる状態だと思います。

心のあり方は「心の持ちよう」とも言い換えることができます。「曲肱(きょくこう)の楽しみ」という言葉がありますが、これは肱(ひじ)を曲げて枕の代わりにするような貧しい生活の中でも楽しさを見つけることができる、という意味です。心の持ちようによって、幸せかそうでないかは決まってくる、ということを表した名言です。



近年の研究でも、そうした幸福感を決めるのは、居住空間や経済的なものといった環境条件ではなく、個々人の「内的特徴」だということがわかってきました。難しい表現ですが、「信仰心」や「ものの考え方」と言い換えるとわかりやすくなります。「ものの考え方」は「心の持ちよう」でもあります。

幸福感に大きな影響を与えているのは、「婚姻状況」および「信仰心」である、という研究結果もあります。ここでいう婚姻状況とは、未婚/既婚/離婚の違いです。結婚が幸福の条件というのはわかるような気がします。また信仰心の対象は、アメリカでもっともポピュラーな宗教、キリスト教を示します。日本人の場合は仏教がこれに相当するかもしれません。

米国の世論調査会社、ギャロップ社が世界14ヶ国の16万人余りを対象として行った調査でも、信仰心があつくて礼拝や儀式にもよく参加する人のほうが幸福であると感じる比率が高い、という結果が出ました。文化的な違いはありそうですが、日本でも宗教への帰依に充実感を感じる人は多いようです。

さらにアメリカの心理学者、デービット・G・マイヤースが世界各地の110万人を対象に調査した結果、2割の人がとても幸福であると答え、約7割の人がかなり幸福、あるいはそれ以上と答えたそうです。意外と言ってはなんですが、これほど貧困がうずまくこの世界において、この数字はかなり高いものといえます。いったい何が要因なのでしょうか。

1980~1990年にアメリカのシカゴ大学によって行われた調査では、こうした幸福感を持っている人に共通する特徴として、以下のようなものがあることがわかりました。

1.自分自身のことが好きであること
2.主体的に生きているという感覚を持てていること
3.楽観的であること
4.外向的であること

これを見ると、なるほどお金持ちであるとか貧乏であるといった境遇は関係ないように思えます。たとえ貧しくても自分自身が好きで、生きていると実感できれば幸福感を味わえるわけです。また、楽観的で外交的であるということもお金とは無縁です。

私はこのうち、自分自身を好きになれるかどうか、というところがとくに大事なように思います。自己を愛することができれば、主体的に生きやすくなり、楽観的にまた外交的にもなれるからです。幸福だと思える人にはナルシストが多いに違いありません。

同じシカゴ大学の研究結果からはさらに、人は「価値ある活動」に積極的に参加し、自身のゴールをめざして前進するときに、より多くの幸福を感じることができる、ということがわかっています。

「活動」の見極めはなかなか難しそうですが、例えば仕事やボランティアといった言葉に置き換えるといいでしょう。人によっては、スポーツであるかもしれません。

一方、何が自分にとって価値がある活動であるかを認識するには、人生で起こる色々な出来事に対して、できるだけ多様な解釈ができるような柔軟な思考が必要になってきそうです。

例えば 死=「全ての終わり」、とみなすよりも、死 =「異なる世界への旅立ち」と考えたほうがよりポジティブといえます。死んだら終わり、というわけではなく、死後の自分まで含めて生を考えることができるようになれば、人生の視野はかなり広がりそうです。

元福島大学の教授で、現在は様々なスピリチュアル・ケア活動を行われている飯田史彦さんは、人生について最も豊穣な意味づけを可能にするのが、「自分たちは、ある法則のもとで人生を何度も繰り返しながら成長している」という人生観だとしています。

現在の状況を冷静に客観視し、「今の人生は、次の人生の下地なのだから、今回の人生を日々大切に生きよう。そうすればその努力は次の人生にも反映される」と考えれば、希望を持って今を生きようという気にもなります。また死に対する恐れや怒りといった破壊的な感情から抜け出すことができます。

このように、今人生で起きているいろいろな出来事に対して、これまでとは違う目線で物事を解釈することができるようになれば、より高い視点、広い視野でもって自分の人生を眺めることができそうです。「価値ある活動」も見つかりやすくなるのではないでしょうか。

作家の五木寛之さんは著書「人生の目的」の「あとがきにかえて」で次のように書いています。

「人生の目的は、“自分の人生の目的”を探すことである。自分ひとりの目的、世界中の誰とも違う自分だけの“生きる意味”を見出すことである。変な言い方だが、“自分の人生の目的を見つけるのが、人生の目的である”といってもいい。私はそう思う。」(中略)

自分だけの人生の目的をつくりだす。それは、ひとつの物語をつくるということだ。自分で物語をつくり、それを信じて生きる。しかし、これはなかなか難しいことである。そこで自分でつくった物語ではなく、共感できる人々がつくった物語を“信じる”という道もある。」

「“悟り”という物語。”来世”という物語、”浄土”という物語。”再生”という物語。”輪廻”という物語。それぞれ偉大な物語だ。人が全身で信じた物語は、真実となる。」

五木さんは、「価値ある活動」は必ずしも自分で見つけなくてもいい、と言っていると思います。自分で物語を作るのが大変ならば、人が作った物語を信じればいいと言っているわけで、それだけでずっと人生の重み取れたような気になるはずです。

他方、自分だけの物語を作りたい、その偉大な物語を信じたい、という人もいるでしょう。いずれにせよ大切なことは、自分なりの価値観を持って生きるということであって、それは自分が作ったものであっても人が作った物であっても良いわけです。それを信じることが自分にとって一番いい、と思えることもまた幸福であるという状態ではないでしょうか。


デンマークの作家、ハンス・クリスチャン・アンデルセンもまた、童話という物語を綴るだけでなく、「自らの人生の物語」を一生かけて探し続けた人だったかもしれません。

1805年にコペンハーゲンのあるシェラン島と海峡で隔てたフュン島というところで生まれました。父は流れ者の靴職人、母は洗濯婦で、家は貧しかったようですが、アンデルセンは両親の愛によって育てられ、豊かな想像力を育みました。

しかし、アンデルセンが8歳のときに父親が徴兵され、絶望の中、精神を病んで亡くなります。父方の祖父も発狂死しており、アンデルセンはいつか自分もそうなるのではないかと、その後の生涯の間、常に不安に感じていたといいます。

その後母親が再婚したため居場所がなくなったアンデルセンは、学校を中退し織工の見習いを始めますが、15歳の時、オペラ歌手になろうとコペンハーゲンに向かいました。しかし生活は困窮を極め、創作する劇作や歌なども認められず、その後も挫折を繰り返します。

自慢だったソプラノボイスも声変りし夢破れますが、運よく王立劇場の踊り子見習いとなり、同劇場の支配人の助けを借りて大学にも行けるようになります。しかし、結局は卒業もせずに中退して、28歳までヨーロッパ各地を転々としました。

ローマ滞在中に最初の小説「即興詩人」を書き、デンマークで出版したところ反響を呼び、ヨーロッパ各国で翻訳出版されました。人気作家となった彼はその後も死去するまでの間に多くの童話を発表しつづけましたが、70歳の時に、肝臓癌のため亡くなりました。

その一生には暗い影が落ちている印象があります。死去するまで数多くの童話を発表しましたが、特に前半の作品には彼自身の人生を反映させたような内容のものも多く、代表作である「人魚姫」も失恋が原因で生まれました。声を失った人魚姫が最後に海に飛び込んで泡になるという結末は、失恋後の自分の姿を投影したのではないかといわれています。

長じるまでの貧困やオペラ歌手になる夢に挫折したこともありますが、その人生が薄幸に見えるのは、とくにこうした失恋の連続の痛手が影響しているようです。生涯独身でしたが、幾度も激しい恋をし、常に破れ、その都度、その痛手を作品に反映させました。

初期の作品では主人公が死ぬ結末を迎える物も少なくありません。死ぬ以外に幸せになる術をないと考える貧困層の嘆きと、それに対して無関心を装い続ける社会への憤りを書き続けましたが、それこそが若き日のアンデルセン自身の姿であったようです。

しかし、その傾向は有名作家になっていく壮年から中年にかけてようやく緩められていき、晩年には死以外にも希望を持てる方向性があることを書き出すようになりました。おそらくは歳を重ねるにつけ、幸福の意味がわかってきたのでしょう。

たとえば、55歳のときに出版された「パンをふんだ娘」は、高慢な少女の生まれ変わりの物語です。ドレスを汚したくないあまりに雨上がりに出来たぬかるみにパンを放り投げ、それに飛び乗った少女、インゲルはパンもろとも沈み込んでいき、死んでしまいます。

たかがパン一切れのためにどうして自分が地獄へ落ちなければならないのかと、自分の高慢さを全く反省しないインゲルでしたが、地上では底無し沼へ沈んだインゲルを憐れみ、神様にインゲルが天国へ行けるよう祈りを捧げる一人の少女がいました。

やがてこの少女も歳を取り、死の床に就きますが、インゲルのことを片時も忘れることは無く、彼女が天に召されるよう祈りながら亡くなります。その祈りは神に聞き届けられ、インゲルは灰色の小鳥に生まれ変り、以後はどんな小さなパン屑であっても粗末にせず、他の鳥に分け与えるようになりました。

そして、他の鳥に分け与えたパン屑の量があの時踏んだパンと同じ量になると、インゲルの罪は許され、長い苦しみから解き放たれて天国へ召されました。

それまでの彼の作品では、何かと主人公が悲劇の渦中にあるまま亡くなるといったものが多かったのに対し、この作品はなんとも幸せな余韻が残る作品に仕上がっています。

アンデルセンはまた、56歳の時に書いた「蝶」というほのぼのとした作品も残しています。

チョウがかわいい花をお嫁さんにしようと考えました。よいお嫁さんを選ぶためにヒナギクに花占いを行うよう頼みますが、未婚者のヒナギクを「奥さん」と呼んでしまったためヒナギクから相手にされなくなってしまいました。仕方なく求婚の旅に出ていろいろな花に出会いますが、高望みをするチョウを気に入る者は誰もいません。

春がすぎ夏になり、やがて秋になってしまいました。最後にチョウはハッカソウに求婚しますが、今度は彼女に、行き遅れた者同士での結婚などいけませんとたしなめられます。結局そのまま独り者になってしまったチョウは人間に捕まり、標本箱に収められてしまいます。

きれいに飾られて気分がよいチョウでしたが、思ったよりも居心地が良くありません。結婚もこのようにいいものではないかもしれない、とチョウは自らを慰めますが、鉢植えの花からは、「単なる気休めよ」と言われてしまいます。

そこでチョウは考えてしまったに違いありません。幸せってなんだっけ?

生まれ変わりのセオリー

3月になりました。本日、〇〇歳を迎える私ですが、年齢の割には元気です。

とはいえ、最近の運動不足がたたって肥満とまではいえないまでも、BMI値はギリギリです。また血圧が高く、コレステロールがかなり溜まっている可能性があります。さらに右手にはCM関節症という爆弾を抱えていて、年内中にも手術が必要です。

人間だれしも齢を重ねていけば、それなりに悪いところは出てきます。調剤薬局を展開する会社が、全国の65歳以上のシニア世代男女約1,000人を対象にインターネット調査したところ、およそ半数が定期的に医療機関にかかっていたそうです。さらにその半数が何等かの薬を処方されて毎日飲んでいました。

老化というものは止められるものではなく、地球上にあるほぼすべての動植物に老化は存在します。アメリカの生物学者、バーナード・ストレーラーは老化現象には、以下のような4原則があると言っています。

普遍性:老化は遅速の差はあっても、生あるもの全てに共通して必ず起きる。
内在性:老化は誕生や成長と同様に、個体に内在するものによってもたらされる。
有害性:老化によって生じる現象は生物にとって有害なものがほとんどである。
進行性:老化は突発的に起きるものではなく、普通のプロセスによって生じる。

さらに老化は不可逆性であり、一度起きると戻ることはないそうです。つまり、老化が始まれば、誰しもが死までまっしぐらに進んでいくということです。

古代より人は生まれてから既に始まるこうした死へのプロセスを嘆き、できうれば不老不死の体を手に入れたいと考えました。永遠に権力を手にしていたい多くの指導者たちが不老不死の薬を求め、配下の者たちに世界の果てまでそれを探しに行かせました。

しかし、不老不死とはそんなにいいことでしょうか。生き続けるということは「永遠に続く生の苦しみ」「死による終わりがない苦しみ」が継続していくということでもあります。不老不死は人間の憧れですが、長く生きることを苦痛とみる向きも多く、それを求める愚かさや、永遠の生にまつわる悲しみを伝える寓話や伝説も数多くあります。

例えばフライング・ダッチマンは永遠の責め苦を受けるために不老不死を与えられました。これはオランダの伝承で、アフリカ大南端、喜望峰近海でオランダ人船長が風(神)を罵った結果呪われ、船は幽霊船となって船長がたった1人で永遠に彷徨い続けるようになった、というものです。

またギリシア神話のプロメーテウスの話も有名です。ゼウスの反対を押し切り、天界の火を盗んで人類に与えたプロメーテウスは、ゼウスによってカウカーソス山の山頂に磔にされ、生きながらにして毎日肝臓を巨大な鷲エトンについばまれるようになりました。不死の彼の肝臓は夜中に再生し、のちに開放されるまで3万年もその責め苦に遭ったといいます。

不老不死であるがにゆえ、永遠に苦しみ続けなければならない、というのはある種拷問です。そんな責め苦に遭うならば、いっそ死んでしまった方がましです。天寿という言葉がありますが、人にはもともと与えられた寿命というものがあります。恣意的にそれを延ばさずとも、その時がくれば自然に死を受け入れるべきではないでしょうか。

事故に遭ったり病気になって途中で死ぬ人もいますが、何も障害がなければ人は老衰で死にます。これがもともとの「寿命」です。




ただ、人の平均寿命は普通、事故死も病死も自然死も含めたすべての死亡年齢をもって計算します。年齢別推計人口と死亡率のデータを基にして平均的に何歳まで生きたかを計算したものが平均寿命として公表されています。

WHOが発表した2020年版の世界保健統計によると、世界全体の平均寿命は72.0歳で、 そのうち男性が69.8歳、女性が74.2歳です。

平均寿命が特に短い国は東欧やアフリカに多く、一番短いレソトは男女平均で52.9歳、中央アフリカ共和国が53.0歳、シエラレオネが53.1歳などです。一番短いレソトの平均寿命は、日本の63%にすぎません。一方、平均寿命が最も長い国はモナコ(男性85.4歳、女性93.3歳)で、次いで日本(男性82.7歳、女性89.5歳)、シンガポール、マカオ、と続きます

では、過去に最も長く生きた人は、といえば、生没年月日が判明している中ではジャンヌ・カルマンという1997年に亡くなったフランス女性で、122年と164日生きたとされます。また2番目は、アメリカのサラ・ナウスで、1999年に119歳と97日で亡くなっています。

長く生きるのがいいかどうかの議論は置いておくとして、多くの人は、できるものなら長く生きていたいと願うものでしょう。そうした人にとっては朗報があります。

最近では薬物摂取により医学的に寿命を延ばすことが可能になってきています。抗生物質の一種であるラパマイシンにマウスの寿命を伸長させる作用があることがわかっており、これを使って高齢化している動物個体の寿命を伸長させる研究が進められています。

また、低カロリーの食事をとることが、寿命を延ばすことも分かっています。普通栄養は足りているほうが良しとされますが、逆に栄養の不足が細胞中でのDNA修復の増加を引き起こし、新陳代謝を減少させるそうです。結果としてこれがゲノムの不安定性を減少させて、寿命を延長させるようです。

また、高地に住む人は寿命が長いようです。標高1000~3000 m程度の高地に住む民族には長寿者が多く、また冠心疾患や高血圧症の発生率が低いことが報告されています。

これには高地における低酸素という条件が関係しているようです。低い酸素濃度下での運動は体内で主要なエネルギー源として利用されているグルコースの解糖を助けます。結果として、血糖値が低下し、糖の吸収を制御しているインスリンの効果が改善されます。男女平均の寿命が87.68歳と日本で最も長い長野県は、平均標高も日本一で1,132mです。



長生きのためには、糖尿病などの贅沢病にかからないことも重要です。糖尿病の人の平均寿命は男性で約10年、女性では約15年ほど普通の人より短くなっています。高血糖は体の中のタンパク質をも糖化させ、本来の機能が損なわれることで種々の障害を発生させます。

この糖化は、血管の主要構成成分であるコラーゲンや目の水晶体やレンズ(クリスタリン)を構成するタンパク質にも影響し、白内障なども引き起こしやすくなります。また同様のメカニズムにより動脈硬化や血管障害も進行します。

日本の糖尿病の患者数は、40年前には3万人程度だったのが、現在では700万人程度にまで増加しており、糖尿病予備軍を含めると2000万人に及ぶとも言われます。アルツハイマー型認知症や悪性腫瘍の発生とも関係が深いことが最近の研究からわかっており、その原因としては肥満、喫煙、運動不足などが上位にあげられています。

予防するためには、喫煙をやめ運動を心がけることが必須ですが、食生活の改善が最も効果があります。決められたカロリーの範囲内で、タンパク質、脂質、ビタミン、ミネラルをバランスよくとる工夫が大切です。

適度な労働を行っている農漁村部の人には糖尿病が少ないようです。彼らは、生活習慣として魚や豆類を十分にとり、野菜や海草を多食しています。こうした地域には長寿村も多く、逆に米や塩の過剰摂取、魚の偏食の見られる地域は短命村が多いようです。

それにしても、素朴な疑念として、寿命というのはどうやって決まるのでしょう。我々人類を含めた動物における寿命の決定要因は、現在も論争中だということで、充分に説得力のある仮説はないといいます。しかし最も多くの人が支持しているのが「テロメア説」です。

動物は、その成長過程において、細胞分裂を繰り返しますが、その分裂のたびに染色体の端にある「テロメア」という部分が短くなります。ある程度以下になるとそれ以上は分裂できなくなり、これが老化と関係していのではないかとされています。しかし、細胞の老化だけが体全体の老化を司るものではない、という意見もあって定説とまでには至っていません。

また、偶然説というのもあります。これは祖先種においてたまたまある寿命があるものができ、それが遺伝する過程において、とくにその子孫の生存に問題がなかったためたに、その創始者の寿命が受け継がれてきた、とする説です。

人類の祖先はアフリカを起源とするのが定説のようですが、現在の我々の寿命が最大でも100年程度なのはこのご先祖様の寿命を引き継いでいるという考え方です。これは創始者効果ともいいます。

創始者効果は競合している系統が死に絶えることによって継承されます。ということは、我々の先祖と競合していた類人猿がもっと長生きであり、彼らが我々と戦って生きながらえていたなら、もっと人類の寿命は長くなっていた可能性もあるわけです。

かつて大西洋に沈んだアトランティス大陸の人々の寿命は数百年もあったという説があります。

このほか、心拍数説というのもあります。これは脊椎動物の寿命はその生涯で限られた心拍数によって決まるという説で、哺乳類の場合その上限は20億回とされます。

心拍数は生年を重ねるごとに短くなるほか、人によっても差異があるので、単純計算は成り立ちません。が、仮にある人の一分間の脈拍数を60 ~80回、平均70だとして計算すると、この人の寿命は47.6歳ということになります。しかし、20億回の根拠はあいまいです。




人を含めた生物に寿命がある理由として、さらには「個体使い捨て説」というものもあります。例えば、ゾウリムシには人間と同じようにある一定の時間の「生理的寿命」があり、それを「使い捨て」しながら次々と生まれ変わります。

生理的寿命とは、天寿を全うして老衰などの生理的原因によって死亡するまで続く個体の生存期間のことです。生理的寿命がある生物は人間を含めて複雑なものが多く、このゾウリムシも単純そう見えますが、実は単細胞生物としては異例な複雑な構造をしています。

ゾウリムシが生殖するときには、もう一つの個体と細胞接合して新たな細胞が作られますが、元あった体はそのほとんどは捨てられます。これは、元からの古い体を修復しながら生き続けるより、新個体の生成の方がコストが少ないためと考えられています。

ゾウリムシ以外の生理的寿命がある生物も同様に、老化した部分を順番に再生していくよりほとんど、あるいはすべて捨ててしまい再生するほうが種の保存上、効率がいいわけです。

ただ、人間の体の再生の場合に問題となるのは、そこに知性があるということです。死んだ後に再生したとしても、その新しい体で元の体にあった知性をそのまま持ち続けることができるのでしょうか。

肉体が生物学的な死を迎えた後、非物質的なものについては違った形態や新たな肉体を得て新しい生活を送るという考え方があり、これを「転生」といいます。わかりやすい言い方をすれば、「生まれ変わり」でありその存在を繰り返すことです。新生とも呼ばれています。

「非物質的なもの」を霊と呼ぶか、なんと呼ぶかは脇に置いておいて、宗教人類学者の竹倉史人さんは、生まれ変わりについて、「現世で生命体が死を迎え、直後ないしは他界での一時的な逗留を経て、再び新しい肉体を持って現世に再生すること」と定義しています。

しかし、生まれ変わりを信じない人も多く、その信仰・信念は一部の人から見れば荒唐無稽なものです。ただ、近年宗教的観念への信仰率が減少する中で、転生を信じる人の率は増加しており、日本でもある調査で半数近くの人が「輪廻転生はあると思う」と回答しています。



生まれ変わりを現実的な「科学」だとして研究する学者も多く、転生を扱った学術的研究の代表的な例としては、アメリカ・バージニア大学の超心理学研究者・精神科教授のイアン・スティーヴンソン博士による調査があります。

博士は1961年にインドでフィールドワークを行い、いくつかの事例を信頼性の高いものであると判断し、前世の記憶が研究テーマたり得ることを確信しました。そして2〜8歳だけを対象とした調査を行いました。その理由は大人になってから前世を語る人々の事例は、成長過程で得た情報を無意識に再構築している可能性があると考えたからです。

その結果、子供たちが自発的に前世を語り始めるのは、発話が可能になる2歳から5歳までの間であり、多くのケースでは5歳から8歳までには語るのをやめてしまい、成長するにつれ本人の記憶からも忘れ去られるということが判明しました。

スティーヴンソン博士がさらに調査した結果、子供たちが語る内容は,前世の人物が死亡した時の様子や居合わせた人や物の描写、死亡してから生まれ変わるまでの様子など多岐にわたりましたが、わずかな記憶のみをもつ子供もいれば、膨大な記憶を持つ者もいました。

ただ、そうした子供たちが示す行動には、共通点がありました。まず前世の家族に対する親近感の表明があり、「現世」への違和感を表明することも多く、「本当の親のところへ連れて行って」などと訴える事もありました。

前世の居住環境や親族の名を語り、その証言が事実と符合した例も多く、また死亡した時の状況への恐怖があり、例えば特定の乗り物や火や水、銃火器などへの恐れが見られました。

前世の人物と同様の食べ物や衣服の好き嫌い、似たような発話や動作が見られ、また前世の死に方に関連した先天性欠損や、痣、ホクロなどが多々ありました。博士はこれらを生まれ変わりの最有力の証拠となると考えるようになり、「先天性刻印」と呼びました。

前世の人物が死亡した時の創傷痕・手術痕ないしは生まれつきの欠損などが、現世に受け継がれて、痣やホクロ、欠損型奇形などとして再現される、というものです。中には、死ぬ前に際に鋭利な刃物で手や指を切断されたために、その部分が先天性奇形となって現世人格に再現された例もありました。

スティーヴンソン博士は、その著作「生まれ変わりの刻印(春秋社)」の中で、こうした112に及ぶ先天性刻印の事例を報告しています。そのひとつとして、トルコのハタイ地方に生まれたセミル・ファーリシという少年の証言の例をあげてみましょう。

ファーリシの遠い親戚にセミル・ハイイクという男がいました。彼は2人の姉妹を強姦した2人の男を報復で殺害し山岳地帯に潜伏していました。しかし警察に包囲され、ライフルで自殺しました。ハイイクが死んだのは、ファーリシが生まれるほんの2、3日前でした。

生まれてきた彼には、右顎の下に大きな痣があり、そこから出血がありました。ファーリシが生まれる前の晩、彼の父親はセミル・ハイイクが自宅に入ってくる夢を見、彼が自分たちの息子として生まれ変わろうとしていると思ったといいます。

それを裏づけるように彼は、言葉が話せるようになる2歳頃からセミル・ハイイクであった前世を語り始めました。また、家を訪れる警官に敵対的な態度を示すこともあり、棒きれをライフルに見立てて遊び、父親のライフルを持ち出し人を撃とうとしたこともありました。

ファーリシには、右顎の痣のほかに、左の頭頂部に髪の毛のない部分があり、これは喉にライフルの銃口を当て、足で引き金を引いて自殺したハイイクの遺体の状況と一致することがわかりました。毛のない部分は、顎から入った弾丸が頭蓋の外へ貫通した痕だったのです。



スティーヴンソン博士の調査では、こうした前世の体の痕跡を持つ子供たちの割合は、どの文化圏でも男児が多いようでした。更に彼らが語った前世の記憶は、事故や殺人などによる非業の死が圧倒的に多くを占めていました。自然死ではなく、突然人生に終止符が打たれるケースが多いのはそれだけ衝撃が大きく、記憶が継承されやすいためでしょう。

前世と現世の性別が異なっている場合には、性同一障害的な兆候を示す子供も多く、また前世で成人していた場合、その記憶を語る子供たちの物腰は大人びたものになり、早熟な性的行動や、酒・タバコといった大人の愛用品への嗜好も見られました。

死亡した前世の人物の親、あるいは前世を受け継いだ人物の父親や母親が予告夢を見ていたケースも多くありました。「次に生まれる子供は、死者の生まれ変わりである」といった夢などがそれらで、生まれ変わる場所を正確に指摘した夢を見たケースもありました。

スティーヴンソン博士は、さらに衝撃的なケースにも出くわしました。前世を語る者の中に、その前世で語っていた異なる言語をしゃべるものがいたのです。収集した約2000例のうちのわずか3例でしたが、きわめて信ぴょう性の高いものでした。

これらの事例における退行催眠では前世の人格が出現し、本人がアメリカ人であるにも関わらずスウェーデン語やドイツ語などによる意思疎通ができたほか、前世の言語での歌を歌う能力などが確認されました。

精神科の学者であるイアン・スティーヴンソンは、こうした生まれ変わり事例について、あらゆる面から科学的な検討を加えました。作り話説や、自己欺瞞説、偶然説、潜在意識説、記憶錯誤説、遺伝記憶説、ESP仮説 (超感覚的知覚説)、憑依説などがそれらです。

自己欺瞞説というのは、「前世がある」と子供が自分自身に強く言い聞かせているという説です。また、偶然説はすべてを単なる偶然の一致と片付ける説です。しかし、博士の調査の結果、前世を語る子供たちが暗示にかかりやすいといった事実は認められず、また偶然説も先天性刻印の一致の確率のほうが高いことなどを鑑みて否定されました。

潜在意識説は、テレビやラジオなどから見聞きした前世にまつわる記憶が潜在的に残っており、後になって思い出すのではないかとする説です。しかし、彼らが語る過去の人物の情報はマスコミが語るものよりはるかに詳細であり、また2歳や3歳といった小さな子がそうした情報を1,2度聞いたくらいで覚えられるはずはありません。

さらに遺伝記憶説は、子供が遺伝の影響により何らかの記憶を受け継いだのではないか、という説です。しかし、子供が持つ前世の記憶の詳細は、遺伝に基づいて再現されるであろう記憶の内容よりも質量ともにはるかに上回っているため、この説にも説得力がありません。

ESPは、超感覚的知覚の略で、通常では知る由のない出来事を子供が知っているのは超能力によるという説です。しかし、調査した子どもには、そうした能力をもっているという証拠は見当たりませんでした。また、この説では真性異言や先天性刻印を説明できません。

憑依についても、子供たちの支配に成功した人格が4~8歳になるころに一様に憑依をやめてしまうことに疑問が残ります。また、一般に憑依では人格変化や意識変化が見られますが、子供たちは特にそうした変化を示さずに記憶を話していました。

こうした、いろいろな観点からの検討の結果、最終的にスティーヴンソン博士は「生まれ変わり説」が最も妥当な解釈であると考えました。そして、人間の発達、言い換えればその成長は、遺伝要因と環境要因に加えて、「生まれ変わり」という第3の要因の影響を受けるのではないか、と考えるようになりました。

博士は「事例報告をつぶさに読んだ上で各自が自分なりの結論を得るべきであるから、私の解釈は重要でない」と語った上で、アメリカでも屈指の名門大学の教授であるというその立場においても、「生まれ変わり説」はありうる、と断言しています。

アメリカには、サイコップという超常現象の科学的調査を行う非営利団体があります。超常現象に関する調査と反論を行なう団体ですが、その創設メンバーで著名なSF作家のカール・セーガンも、「生まれ変わりは信じないが、まじめに調べてみるだけの価値がある」と評しています。

イアン・スティーヴンソン博士は2007年2月に亡くなりましたが、その生前、2600超の事例が収集されました。死後100万ドルの遺産がバージニア大学の医学部に寄贈され、子どもたちが語る前世の記憶の真偽を客観的・実証的に研究する The Division of Perceptual Studies(DOPS)が創設されました。

また、博士の生前、その前世研究は、実業家のチェスター・カールソンという人物がパトロンとして支えました。カールソンは、「電子写真」の基本原理を確立した世界的発明家であり、1959年にニューヨークで売り出された世界初のコピー機は、会社が計画していた総売り上げ台数をたった6カ月で売り切りました。

この会社こそ、印刷機器の製造販売を行う世界的な大会社、ゼロックスです。1981年、カールソンはその功績を認められ、発明家の殿堂入りを果たしています。

生まれ変わりの賛否の議論は現在も続いていますが、今もその存在に賛同する多くの資産家がその研究を支えています。

冥途に行きたい

もうすぐ雛祭りです。そしてこの日は私の誕生日です。

官公庁関係の仕事をしている人はほとんどがそうだと思いますが、この時期は一年でも一番忙しい時期です。

私の認識では、誕生日といえば、無事に歳を重ねたことを祝い、飲んだり騒いだりしてくつろぐものです。が、これまでの人生では、そうしたことをやる元気もないままこの日を迎えることも多く、なんでこんな時期に生まれたんだろう、と時に恨めしく思ったりもしました。

おそらくそう感じるのは私だけでなく、他の多くの3月生まれの人も同じでしょう。もしかしたら2月生まれの人も同じようにプレッシャーを感じているかもしれません。

では、4月生まれの人にストレスはないのかといえば、そうではないでしょう。4月といえば何かと新しい行事が入ってきますし、学校や会社の新年度が始まります。社会全体もこの時期が一年のスタートとされることが多く、何かとせわしない気持ちにさせられます。

その後の5月はどうかといえば、この時期は年度明け以来の疲れが溜まってくる時期です。「五月病」という言葉があるように、精神的に何かと不安定になることが多いものです。

ほかの季節にもそれぞれ何かとストレスの要因はあります。6月以降はうっとうしい雨の季節ですし、夏は暑くて、私的には一番嫌いな季節です。涼しくなった秋口一番が落ち着くという人も多いでしょうが、季節の変わり目で体調を崩しやすく台風などの天変地異が多い時期です。年末にかけては「師走」の名の通り、何かと気ぜわしくなります。

一年の始まりは、といえばそれこそ一念発起が必要です。結局のところ、年間を通して全く気が休まる時期というのはないように思えます。春だろうが夏だろうが関係なく、我々は季節や時期を問わず、何等かのストレスと向かい合って生きていかなくてはなりません。




それにしても、フラストレーションのまったくない世界というものはないのでしょうか。心理学では、ストレスや不安が無く、限りなく落ち着いた精神状態でいられる場所のことをコンフォートゾーン(Comfort zone)というそうです。

「快適な空間」を意味します。ソーシャルワークの研究家ブレネー・ブラウンは、「不安、欠乏、及び心の傷つきが最小限に抑えられており、十分な愛、食料、能力、時間、賞賛を得ることができると信じられる場所、そうしたものが整えられている場所」と説明しています。

文学的にはこうした「心地よき場」のことを、「ロクス・アモエヌス」というそうです。安全で快適な理想的場所を指す概念で、例えば日陰の芝生、開けた林、のどかな島といった場所が考えられ、しばしばエデンの園がその代表として引き合いに出されます。

イギリスの思想家トマス・モアは、こうした楽園を「ユートピア」と表現しました。ギリシア語の ou(無い)と topos(場所) を組み合わせたもので「どこにもない場所」という意味です。

1516年に出版した同名の著作に登場する架空の国家名で、日本語では「理想郷」と訳されました。モアは絶対に存在しない理想社会としてこれを描きましたが、その意図とするところは現実の社会と対峙させることによって、現実への批判を行うことでした。

モアによればユートピアは約800×300kmほどの巨大な三日月型の島にあります。これはだいたい日本の半分ほどの大きさです。元は大陸につながっていましたが、建国者によって切断され、孤島となりました。島の外側を一周する川があり、その中にさらに島があります。

この海と川で二重に外界から守られた島がユートピア本土で、中には54の都市があり、各都市はそれぞれ1日で到達できる距離に建設されています。各都市にはおよそ6千戸が所属し、計画的に町と田舎の住民の入れ替えが行われます。

各家庭は30戸ごとにファイラークという組織によって管理され、さらに10グループごとに、ベンチーターという小組織の監督下に置かれ、町長はベンチーターから選ばれます。各家庭に10~16人が生活し、家庭や町の人口が均等になるよう人数調整されています。住む家は10年ごとの輪番制で決まります。

大陸本土には植民地が用意されていて、島の人口が過剰になったときには、ここに移されます。逆にユートピアが人口不足になった場合には入植地から呼び戻されます。




法律はあえてシンプルに制定されているために島民全員が理解しており、善悪の判断に迷う必然性がありません。したがって弁護士というものはいません。行政当局や聖職者には学者が採用され、子供たちの初期教育に当たらせています。他の市民も全員が余暇の時間に学習に勤しんでおり、勉学が奨励されています。

ユートピアでは個人資産の所有は認められていません。人々が必要とする品々は倉庫に保管されていて平等に分配されます。島で最も重要な仕事は農業で、男女共に農業を学び、最低でも2年間田園地帯に住んで農耕に従事する義務があります。また市民は、織物業、木工業、鍛冶、石工などの商工活動を少なくとも1つ学ぶ義務があります。

すべての人がこうした商工活動でできた同じデザインのシンプルな服を着ており、凝った服を作ったり着たりする人はいません。勤労義務があり、ゆえに基本的には失業というものはなく、労働は一日6時間と決められています。が、多くの人が喜んで残業をしています。

全員に均等に徴兵義務がある一方、女性には社会的平等が与えられていません。妻は夫に服従し、家庭の仕事に従事するよう制限されています。女性は男性より下位に置かれており、月に一度、夫に自分の罪を懺悔します。

奴隷はユートピアでの生活に必須であり、全ての家庭に2人ずつ配置されています。彼らの出身は他国であることもあれば、ユートピア出身の元犯罪者のこともあります。素行が良い奴隷は、定期的に解放されます。

特筆すべき点は、この元犯罪者は金製の鎖に繋がれていることです。この国では金に価値を見出す者はいません。金はこの国の国有財産の1つですが、鎖や手錠のように犯人を拘束したり、便器のようなものに使われます。

市民は金銭を嫌悪し、「質素」を尊重しています。財産といったものにもほとんど価値がないと考えられており、金銭は諸外国から必需品を購入するときや、外国の土地を買収するためだけに使われます。

医療費はすべて無料で、安楽死が認められています。結婚が奨励されており、聖職者の結婚も認められています。ただ離婚や婚前性交渉は罪に問われます。姦通の場合は身分を奴隷に落とされます。生涯独身の場合も奴隷の身分に落とされます。

食事はそれぞれの町の食堂でとり、配膳や皿洗いの仕事は輪番制で各家庭が行います。原則、全員が同じメニューの食事をとりますが、老人と行政官にはより良い食べ物が回されます。島内は自由に旅行できます。ただし、許可証なしで旅行すると奴隷に落とされます。

ユートピアでは、ギャンブル、狩猟、化粧、占星術は全て禁止されていますが、宗教は自由です。多くの人が太陽・月・惑星を崇拝し、祖霊信仰、唯一神教なども信じられています。キリスト教も浸透し始めていてそれぞれは他の宗教に寛容です。無神論者もいますが、国家に対する脅威と見なされ、追放はされないまでも人々に軽蔑されています。

なぜなら神を信じないような人には、ユートピアの社会生活の意義を理解できるわけがないと信じられているからです。そういう人は自身の利益のためなら法も簡単に破るだろうと誰もが思っています。無神論者にはその誤った信条を正すため、聖職者と討論し、間違いに気付くようにすることが奨励されています・・・・・




いかがでしょうか。「理想郷」というわりには、何か息苦しさを感じさせる内容です。一見すると平和で秩序正しい理想的な社会にも見えますが、徹底的な管理により人間の自由が奪われていて、現在の共産主義国家を思わせます。実際、社会主義の提唱者のマルクスやエンゲルスは、ユートピアという言葉をその持論展開に使っていました。

モア自身は元々法律家で、イングランド王に仕えました。官僚で最高位の大法官に就任したあと、3年間で6名の異端者を処刑するほどの熱心なカトリック信徒で、国民にもその教えを強要しましたが、王に対してもそうで、ヘンリー8世が離婚問題を持ち出したとき、それを正当化するいかなる根拠も無いことを告げました。

それがあだとなり、反逆罪とされてロンドン塔に幽閉され、1535年7月6日に斬首刑に処されました。この処刑は「法の名のもとに行われたイギリス史上最も暗黒な犯罪」と言われています。その首はロンドン橋に晒されました。

ユートピアは、カトリックの厳格な教えを人々に守らせたいと考えたモアが、寓話として書いたものにほかなりません。自分の理想をユートピアという形で示しましたが、そこに至るプロセスについては何ら触れていません。実際に現実社会で実現するのは不可能と考えていたからでしょう。

ところが、イタリアのフランシスコ会のバスコ・デ・キロガという修道士がモアのユートピアを真に受け、これを実現しようと考えました。

フランシスコ会はカトリック教会の修道会で、アメリカ西部やメキシコで布教活動を行っていました。キロガもそのひとりで1530年ごろにメキシコ市郊外に「サンタ・フェのオスピタル」と呼ばれる集合体を作りました。これがその実験施設だったと伝えられています。

さらに、16世紀にスペイン帝国が新大陸に入植した際にも、同じカトリックの布教組織、イエズス会がこれを実現しようとしました。原住民の文化や秩序を白紙状態から作り直すチャンスを得た彼らは、入植開始からすぐに南米中央のパラグアイでその実験を行い、グアラニー人という部族の部落でユートピアを実現しようとしました。

このユートピアはその後18世紀の後半まで続いたとされますが、その後イエズス会の衰退により消滅しました。ローマ教皇にだけに忠誠を誓う彼らを苦々しく思っていたスペイン王室は、1768年にイエズス会を追放することを決定。イエズス会は南米からも撤退することになり、パラグアイのユートピアは崩壊しました。

もし、そのまま続いていれば、この国は早晩、キューバとともに共産主義国になっていたかもしれません。ちなみに、中南米にほかに共産国家はありません。エルサルバトルは過去に共産主義国でしたが現在は民主国家です。



このように、ユートピアを実現しようとする実際の試みがありましたが、こうした理想社会の実現は困難だとわかり、その後は文学の世界のみで普及が進みました。ユートピアという語は、その後理想郷を意味する一般名詞となり、類似の作品も多数創作されて「ユートピア文学」として後世に大きな影響を与えました。

イタリアのトンマーゾ・カンパネッラの「太陽の都」(1602年)などがその代表作とされており、近年ではウィリアム・モリスの「ユートピアだより」(1890年)も中世的で牧歌的な理想郷を描いた傑作とされています。

このほか、ジョナサン・スウィフトの「ガリヴァー旅行記」(1726年)は、さまざまな空想都市を描いており、そのいくつかもユートピアに影響受けて描かれたものとされています。たとえば、空中都市「ラピュータ」などがそれです。

漂流中だったガリヴァーが巨大な鳥に助けられて飛んで行った先は、日本のはるか東にある島国でした。この国には、上空にラピュータという「浮かぶ島」がありました。

ラピュータは底部のアダマント(ダイヤモンドやその他の宝石、他の金属など非常に堅固な物質の集合体)に連結されており、この巨大な天然磁石の磁力によって、眼下の島国、バルニバービの領空を自在に移動することができました。

この浮島の男たちは音楽、天文学、数学などに熱中し、現実離れした抽象の世界に遊んでいました。表向きは勤勉そうですが、その学問は学問のための学問に過ぎません。いつも沈思黙考していて上の空であるため、頭や目を叩いて正気に戻す「叩き役」を連れ歩いています。

一方、ラピュータの女たちは夫を馬鹿にして、眼下のバルニバービに逃亡して情交にふけることばかりを夢見ていました。バルニバービ国は本来豊かな国でしたが、天上の首都ラピュータに搾取される存在であり、その住民には生気がなく町や村も荒れ果てています。



バルニバービにはラピュータに留学し、ここの科学にかぶれて帰郷した者が多数いました。彼らは肥沃だった田園地帯を更地にし、伝統的な農法をやめさせました。そしてラピュータで開発された実験的農法をここで実現しようとしたため、国土は荒れ果てていきました。

このため各地で農民がたびたび反乱を起こしていましたが、その度に国王はラピュータを反乱地の上空に急行させて太陽や雨を遮り、罰としてその農業を破滅させ飢餓や病を与えました。時には反乱軍めがけて投石し、街ごと押し潰すなどして鎮圧しました・・・・・

その後ガリヴァーはバルニバービを離れて日本に行き、江戸で「日本の皇帝」に拝謁を許される、というふうに話は続いていくのですが、本稿の主旨からはずれるので、この話はここでやめておきましょう。

おわかりのようにこの話はかなり脚色されています。が、地上のバルビーニが現実社会であるのに対し、空中のラピュータは楽園都市である、といったところはモアのユートピアの内容を踏襲しているといえます。

このように過去のユートピア文学で表現されてきた「理想郷」には共通点があります。その特徴を挙げると、まず、周囲の大陸から隔絶した孤島である、ということがあげられます。

また科学よってその自然は無害かつ幾何学的に改造されています。物理的にも社会的にも衛生的な場所で、病原菌などは駆除されて極めてクリーンです。社会のあらゆるところに監視の目が行き渡っているため犯罪の起こる余地もありません。

そこに住まう人々の生活は理性により厳格に律せられています。質素で規則的で一糸乱れぬ画一的な社会であって、ふしだらで豪奢な要素は徹底的に排除されています。住民の一日のスケジュールも厳密に決められており、通常は農業に励んでいますが、長時間労働はせず、余った時間を科学や芸術のために使います。

住民はみな質素で清潔な衣装を着け、財産を私有せず、必要なものは平等に分配されます。人は機能・職能で分類され、個々人の立場は男女も含め平等(モアのユートピアは別)ですが、同時に個性はありません。一般市民の下に奴隷や囚人を想定し、困難で危険な仕事をさせている場合もあります。

そして、ユートピアは「理想的な社会」であることから、変更すべきところはもはやどこにもありません。したがってその歴史は止まっており、ユートピアは時間のない国でもあります。ギリシャ語で時間を意味するクロノスとユートピアを合わせ、後年、こうした時間のない国を「ユークロニア」と呼ぶようにもなりました。



こうしたユートピアの原理は、モアより数世紀後の概念である共産主義にも影響を与えました。実際、現在の共産主義国には、時計のように正確で蜜蜂の巣のように規則的な社会のイメージがあります。そして大きな時間変化がありません。

かつてのソビエトがそうでしたし、現在のキューバも古き良き時代のままでその歴史は止まっています。中国は少し進歩したようですが、それでも地方へ行くと昔の姿のままです。

一見すると平和で秩序正しい理想的な社会ですが、徹底的な管理により人間の自由が奪われているという点では、民主主義国家とは一線を画しています。我々のように民主国家に住まう人間にとっては理想郷と呼ぶには少々抵抗があります。

ユートピアでは資本の効率的な利用や社会の安全・健康増進・効率化が基本テーマです。唯一の価値観、唯一の基準、唯一の思想による全体の知と富の共有を目指しており、これに反するものを徹底的に排除しているため、抗う者がいないという意味では確かに平和です。

しかし、その実現のためには人間的なものや自由を圧殺しなければなりません。そこに住まう住民は一見幸せそうに見えますが、理性以外のすべてをそぎ落とされてしまった結果、機械的で冷酷な面が強調されるようになっているように思えます。

こうした世界はきっと暮らしにくいに違いありません。これまでに多くの共産主義国家が消滅してきたのはそうしたことが原因なのでしょう。芸術の世界でも、過去に理性を中心としたユートピア的理想主義が蔓延するたびに、これに反発する思想的な動きが起こりました。マニエリスム、バロック、シュルレアリスムなどがそれです。

マニエリスムは16世紀前半、芸術的表現で極端な強調、歪曲が行われるようになったもので、ミケランジェロ等に代表されるルネサンス様式に対する反動的ムーブメントです。またバロックは、真珠や宝石のいびつな形を指すポルトガル語が語源です。16~17世紀にそれまでの秩序だった芸術を超越する大胆な試みとして登場し多くの人に受け入れられました。

シュルレアリスムは、戦間期(1919-1939)にフランスで起こった芸術運動で、それまで美的・道徳的といわれていた芸術から離れ、理性による先入観を捨てて無意識の探求・表出による芸術活動を目指したものです。「人間性の回復」を目指した前衛運動と言われています。

さらに近年では、「ブレードランナー」のような一見見悪夢のような混沌とした世界が、より人間的な世界と評価されています。例えば、「住みやすさ」をより重視した迷路的な市街地、曲線的な街路を持つ商業地・住宅地、といった「曖昧な街づくり」が人気です。

結局のところ、価値観や基準、思想の統一、知と富の共有といったことを目指す社会は、人間的なものや自由をある程度圧殺しなければ実現しえない、ということなのでしょう。まして、モアが目指したような理性のみを尊重するようなユートピアには曖昧さの巣くう余地はなく、息苦しさを覚えた人々は、どうしても生きにくいと感じてしまいます。

かつて、人間の遥かな祖先は理想郷に住んでいたといわれます。古代ギリシアの叙事詩人のシオドス(紀元前700年頃に活動したとされる)によると、かつて大地および農耕の神であるクロノスが神々を支配していた時代にそうした理想郷があったとされます。

「黄金時代」とよばれ、そこで人間は神々と共に住み生きており、世の中は調和と平和に満ち溢れて、争いも犯罪もありませんでした。あらゆる産物が自動的に生成され、労働の必要はなく、人間は不死ではないものの不老長寿で、安らかに死んでいくことができました。

ところが、クロノスは巨神族ティーターンを率いてオリュンポスの神々と全宇宙を揺るがす大戦争を始め、その結果息子のゼウスによって滅ぼされました。

ゼウスがクロノスに取って代わると、黄金時代は終わりを告げ、白銀時代が来ました。更に白銀時代の人間はゼウスに滅ぼされ、青銅時代が始まりました。以後、神話の英雄が活躍する英雄の時代、歴史時代である鉄の時代と続くにつれ人間は堕落し、世の中には争いが絶えなくなりました。現在我々が住む世界はその延長上にあります。

かつて人間が神々と一緒に暮らしていた時代の世界が真のユートピアだとすると、我々はそこに回帰する必要があります。そのためにはクロノスを呼び戻さなければなりません。ゼウスに敗れたクロノスは他のティーターン族とともに“タルタロス”に落とされました。「奈落」とも呼ばれるこの世界は、現在、地獄と呼ばれています。

クロノスが世界を統治していた黄金時代に、エーリュシオン(エリシオン)という国があったそうです。冥界の審判官を務めるアイアコス、ミーノース、ラダマンテュスが支配する世界で、神々に愛された英雄たちの魂が暮らしていたといいます。

生前正しい行ないをした者が死後に移り住む世界でもありました。気候温暖で芳香に満ち、白いポプラの木が茂っていたというこのエーリュシオンは世界の西の果て、オーケアノス(地の果て)の海流の近くにあったといいます。

「至福者の島」と呼ばれており、当時世界の最西端と考えられていました。中世ヨーロッパにおいても、「幸福諸島」と翻訳され、世界地図にも載っていました。大航海時代の探検家たちの探索の目的となり、近世までそれは行われていたといいます。

仏教の浄土信仰では、冥途とされている国でもあります。私もいつかは行ってみたいものですが、もうすぐ誕生日を迎えることでもあります。ストレスはあるものの、もう少しこの不自由な世界にとどまっていたい、というこの気分をお許し願えるでしょうか。

バシャールになる日

梅の花が咲く季節になりました。我が家にほど近いところにある修善寺梅林でも、梅のほころびが5~6分ほどになっています。

富士山が見えるなど眺めがよいこともあり、ここにはよく散歩に出かけるのですが、それにしてもこの梅林はいつ頃がからここにあるのかな、とふと気になったので調べてみました。

すると、この梅園の隣にある「修善寺自然公園」が1924(大正13)年に開園したことがわかりました。当時の修善寺町の町制施行記念事業として、もみじや赤松が植樹されたようで、これはその後1967(昭和42)年に再整備され、そのとき「民間所有の梅林」を加えて管理するようになったということです。

この「民間所有の梅林」が修善寺梅林のことのようです。がそれにしても、これがいつ造成されたのか、については手がかりがありません。ただ、「修善寺自然公園」が最初に整備されたのと同時期に造成されたのかな、と推測されます、

仮にそれが大正13年だとすると、今年で97年となり、園内の最古の梅の木は100年ほどだということなので、年代的にはだいたい一致します。はっきりとした開設の時期は特定できませんでしたが、1世紀にも渡る歴史があるものだとわかり、妙に納得した気分です。

しかし、伊豆最古の温泉と言われる修善寺温泉はそれ以上の歴史があります。平安初期に開かれたといいますから、1000年以上の歴史があることになります。梅林も100年という長い年月を経ているとはいえ、それと比べればごくごく新しいものということになります。

そういうふうに考えてくると、時を測る尺度というものはまことに遠大なものだなと感じます。

人類の起源はさらに古く600~700万年前くらいだそうです。これに対して地球ができたのは、45億年前だといいますから人類の歴史はそのわずか数パーセントです。人生80年といいますが、それはさらに短く、地球の歴史の長さに比べれば朝露が消えるがごとくのはかなさです。




そんな短い人生を送って何になるんだろう、とついつい思ってしまいがちですが、問題は時間の長い短いではなく、いかにその時間を過ごしたか、というその中身ではないでしょうか。

「今は過去の積み重ね、未来は今の積み重ね」とよく言います。過去の行いや経験を何度も繰り返し、その結果として今があるわけで、今の積み重ねがまた未来を作っていきます。当たり前のことですが、今を積み重ねていさえすれば、未来はやってきます。

ただ、ぼーっと生きているだけの今の積み重ねと、一生懸命生きている中での積み重ねの先にある未来は形が違ってきます。善行を重ねた上での未来と、悪行を繰り返した末にある未来にも明らかな違いがあるはずです。因果応報、六道輪廻はこの世の道理です。

我々が住まう地球も、厳しい環境変化を経験してきたからこそ今の姿になったといえます。かつて巨大隕石の衝突で恐竜は絶滅しましたが、その結果哺乳類が台頭し、人類全盛の時代を迎えました。全く天変地異が起こらない星なら、現在のようにはならなかったでしょう。

少し話が飛躍するかもしれませんが、地球以外の星にもし地球外生命体がいるとして、その生命体が住まう星にももし大きな環境変化がなければ、大した進化はしていないのではないでしょうか。宇宙人もまた「艱難爾(かんなんなんじ)を玉にす」でなくてはなりません。

ただ、そうした著しい環境変化が逆にその生命体の根性をねじまげてしまうかもしれません。育った環境があまりにも悪かったため卑屈になり、「悪い宇宙人」になってしまうということもありそうです。

天変地異などによる災難が起こらなくても、他の星々の隣人たちから侵略される、ということもあり得ます。戦いに明け暮れた結果、自らも侵略的な思想を持つようになり、目には目をモットーとするような過激な思想を持つ宇宙人集団になっているかもしれません。

実際、地球外生命体を研究する人達の中には、そうした心配をする人もいて、いたずらに他の星に向かってメッセージを投げかけるのは危険だと主張している研究者もいます。宇宙物理学者として高名な故スティーヴン・ホーキング博士などもその一人で、地球人が宇宙に対して自らの存在を積極的に発信することには反対していました。




一方、逆に「いい宇宙人」もいるかもしれません。厳しい環境を克服して程よい進化を遂げた結果、慈愛の精神を持つ宇宙人像というのもまた想像できなくもありません。

ただ、あまりにも良い宇宙人なので、我々地球人とのあまりの文明のレベル差を気にし、地球に混乱を与えないよう接触をやめよう、あるいは地球の文明の自力での発展を妨げないようにしよう、と考えているかもしれません。そんな彼らは我々より何枚も上手です。

「動物園仮説」というものがあります。これは宇宙人は地球人の存在を知っているけれども、干渉しないよう自分たちの存在を隠している、というものです。干渉しない理由としては、地球を含む宇宙域が保護区に指定されており、宇宙人が自由に立ち入ることをできなくしているといったことが考えられます。つまり我々は動物園の檻の中にいるというわけです。

そもそもこうした仮説は「もし恒星間航行を可能とする宇宙人がいるなら、なぜこの地球にやって来ないのか?」という疑問に対する答えとして立てられたものです。

こういう仮説を、フェルミのパラドックス(Fermi paradox)といいます。物理学者エンリコ・フェルミが最初に指摘したもので、地球外文明はありそうなのに、そうした文明との接触の証拠が皆無なのはなぜか?という矛盾を指します。

このほかにも、宇宙人は存在し、すでに地球に到達しているけれども地球人の技術が未熟なのでいまだ検出されない、という説があります。いずれも我々が宇宙人を認識できない理由として立てられた仮説です。

一方では、恒星間空間に進出するための進化・技術発展における難関を突破できないので地球にまでたどりつけないという説もあります。我々の祖先がそうだったように、そもそも宇宙に旅立つような科学技術を持った文明がなければ、地球に辿り着けるはずはありません。

こうした仮説はいずれももっともらしく聞こえます。しかしよくよく考えてみれば、そもそも宇宙人というものが我々と同じような形態をしているのかどうかすらわかっていません。その思考内容が地球人に理解できるものであるかどうかも不明です。

仮説はいくらでも立てられますが、それに対する反証の可能性も全くないわけであり、仮説ではあっても理論とはいえません。宝くじを買わずにそのあたりはずれを予想しているようなものであって、事実関係に基づいた議論もできません。

そう考えると、結局この宇宙には地球以外に生命体が存在しないのではないか、と考えたくもなります。「存在しないものは来ない」という仮説を立ててもかまわないわけです。



一方、地球以外に生命がいる確率はゼロではないけれど、今のところ地球の生命が全宇宙で一番目に発生した生命で、二番目は登場していない考えることもできます。或いは二番目以下が存在しても、我々の文明のレベルよりも低い水準に留まっているのかもしれません。

こういうのをレアアース仮説といいます。希少鉱物を指すレアアースではなく、英語では”rare earth hypothesis” と書き、直訳では「稀な地球」ということになります。宇宙は文明を持つ高い知能がある生命で満ちあふれているといった考え方とは対極的な考え方です。

ただ、レアアース仮説は、地球人のように高い知能がある生命体の存在が稀といっているのであって、地球外生命そのものの存在を否定しているわけではありません。

地球の生命は、かつて何度も苛烈な地球環境の激変に直面し大量絶滅を経験してきたために、現在のように進化しました。しかし、そもそも地球のように生命を育むことに適した環境にある星は稀だと言われます。また何度も絶滅を繰り返すような過酷な条件にある確率も低いといったことから、レアアース説は立てられました。

とはいえ、レアアース説が唱えられてからすでに20年以上が経っています。現在は当時とは比べようもないほど太陽系外惑星の探査技術が進んでおり、NASAのデータに基づけば、地球外生命体が存在する可能性がある太陽系外惑星は60以上もあり、まだまだ増えそうです。

そう考えてくると、やはり高度な知能を持った宇宙人はいるのではないか、と思えてきます。最近、アメリカ空軍などの公的な機関がお墨付きのUFO映像を公開するようになり、これらがその証拠だと主張する人たちを勢いづかせています。

「宇宙人は存在するのだが、検出されにくい。それでも理由はわからないが時々姿を見せる。地球に来ている証拠だ」というわけですが、さらに飛躍した主張には、到達した宇宙人は発見されているが、各国政府によって公表が差し控えられている、というものもあります。

アメリカ軍は宇宙人の存在を否定していますが、実はその存在を知っていて、理由は不明だけれども最近その方針を変え、かねてより把握していたその存在を公開しようとしているのではないか、というわけでまさに「メン・イン・ブラック」です。

これらの主張は、到達した宇宙人は全て、潜伏、又は地球の生命に擬態して正体を隠しているといった仮設の上に立っています。

しかし地球にやってきている宇宙人が目に見えるものとは限らず、我々が認識できない形態の生命である、と考えられなくもありません。ケイ素生物・意識生命体といったものがそれです。ケイ素生物というのは、ケイ素(シリコン)でできている生物のことです。自由に形を変えられるので、石などに擬態して我々には見つけられなくなります。

あるいは別次元(五次元等)に存在するため地球人が認識出来ない、といった説もあり、これらはタイムリープ(タイムトラベル)と合わせてSFの世界でよく語られる宇宙人像です。

これとは別に、宇宙人は過去に地球にやってきたものの、最近は来ていない、というものがあります。古代と言われる時代に地球に到達して遺跡などを残し、人類はその子孫である、といった説です。最近の訪問がないのなら認識できないのはあたりまえです。

古代人の技術ではとうてい造れないような創造物があり、それが宇宙人の存在を指し示す証拠だと主張する人はたくさんいます。ナスカの地上絵やピラミッドのような巨大な考古学遺跡やオーパーツは、宇宙人の技術で作られたとか、類人猿から人類を創った、世界各地に残る神話の神々は、宇宙人を神格化したものであるといった数々の説が出されています。



しかし、過去にいたものが現在は存在しない理由な何なのでしょうか。人類の進化を妨げないためだ、といった説もありますが、どこか無理があるように思えます。もし宇宙人がいるとしたら、現在でも何等かの形で存在し、我々を助けてくれてもよさそうなものです。

ただ、彼らは現在もすぐそばに居て、意識体のような目に見えない形をとっているというのなら納得できます。あるいは地球人とまったく同じ姿形をしているためにそうだと認識できないようになっている、ということも考えられます。

そうだとして、何のために正体を見せないようにしているのでしょうか。可能性として、地球人の中に紛れ込んで科学的に我々を調査研究している、といったことなどが考えられますが、あるいは彼らはすでに自分たちの故郷を失ってしまっているのかもしれません。

自分たちが住んでいた星が何等かの理由で消滅し、移住してきた先が地球である、という可能性は否定できません。地球で生き延びるため、地球人そっくりに姿を変え、トラブルを避けることを優先して生きているとしたら、認識できない理由もわかります。

我々が住まう地球もまた永遠のものではありません。地球そのものが天変地異で消滅してしまう確率は低いでしょうが、巨大な隕石による人類の滅亡はありえます。あるいは、太陽が死滅してしまえば、地球の生命はすべて失われるでしょう。

最近の研究では、63億年後に太陽は中心核で燃料となる水素が使い果たし、膨張を開始して赤色巨星になるといわれています。外層は現在の11~170倍程度にまで膨張し、この時点で水星と金星は太陽に飲み込まれ、高温のため融解して蒸発すると予想されています。

その後太陽は現在の11 – 19倍程度にまで一旦小さくなりますが、再び膨張を開始し、最終的に太陽は現在の200倍から800倍にまで巨大化し、膨張した外層は現在の地球軌道近くにまで達すると考えられています。

その後太陽は10~50万年にわたってガスを放出し、その結果白色矮星となり、何十億年にもわたってゆっくりと冷えていき、123億年後には収縮も止まります。もはや核融合反応を起こすエネルギー源も無いため、次第に表面温度が下がり、最後は黒色矮星になります。

黒色矮星になった太陽は徐々に光を放出しなくなります。肉眼で見ることは出来ず、重力的な影響が明白であっても光学的に確認することはできません。ただ、太陽が黒色矮星の状態にまで十分冷えるには、10の15乗年(1000兆年)程度の時間がかかるそうです。

仮に地球が膨張した太陽に飲み込まれなかったとしても、その後太陽はどんどんと冷えていきますから、地球に住まう生命体がその光や熱の恩恵を受けることはなくなります。つまり地球上には住めなくなる、ということです。

だとしたら脱出するしかありません。おそらくその段階では我々地球人も超がつくほど高度な科学技術を持っており、地球以外で住むことのできる星を見つけていることでしょう。しかし、そうした星には先住民がいる可能性があるわけで、だとしたら、彼らを征服するよりは中に紛れ込んで生き残るという平和裏の選択肢を選ぶのではないでしょうか。



かくして、その星に住まう先住民にとって我々は宇宙人になりえるわけです。我々はその星の住民になりすまして生きはじめ、その文明に影響を与えていくのかもしれません。

地球とまったく異なる異星の環境に住むことができるようになった我々は、想像を絶する異質な形態になっている、と考えることができます。それどころか、「生命」に当てはまらない存在である可能性すらあります。

映画「コクーン」では、分子や原子構造を持たないエネルギー体としての宇宙人を登場させており、まるで電波の様に物質を通り抜ける宇宙人像でした。「意識生命体」といえる形態であり、それはいわゆる「幽霊」のような存在です。

あるいはこれらの生命体は別次元に存在し、今の我々ならまったく認識出来ないようなものかもしれません。世界の根源をなす要素が異なる世界は、異次元世界と呼ばれます。

我々が過ごしている3次元空間の世界では、空間内を動くことによって移動が行われますが、それ以上の次元の世界では、我々の世界と根源となる要素が大きく異なっていると考えられます。四次元、五次元といわれるような世界を住まいとする宇宙人なら、我々が認識できなくても当たり前です。

仮設といわれればそれまでですが、我々も将来、そうした次元に住まう精神的宇宙生命体になっているという可能性は否定できないのです。

アメリカの特殊効果デザイナーのダリル・アンカが、交信できるようになったとされる宇宙生命体がそうしたものだと言われています。その名をバシャールといいます。

バシャールという名前は本名ではなく、ダリルがアラブのバックグラウンドを持つことに由来して、その生命体自らが名付けました。アラビア語で指揮官、存在、メッセンジャーといった意味を持ち、また、ダリル自身はバシャールの過去世であると発言しています。

ダリルは1973年、当時住んでいたLAでUFOと2回遭遇したことをきっかけに、その生命体とチャネリングができるようになったそうです。その結果、物事に対する見方が変わり、事象そのものの本質を直感でとらえる” 現象学 ”に興味をもつようになりました。

人間の理解の範疇を超えた世界について色々研究したり勉強する中、ある日瞑想をしていると、誰かが大量の情報を頭の中に入れてくるような感覚が彼の身に起こったといいます。それがバシャールからの最初のコンタクトで、その後、ダリルはバシャールと頻繁にチャネリングをするようになり、彼らの住む世界について様々なことを知るようなりました。

ダリルによれば、バシャールはオリオン座近くにある緑色がかった惑星「エササニ」に住んでいるそうです。地球より少しだけ小さいため、地球ほどの重力はありません。しかし大気は地球よりも濃く、地軸が傾いていないため、1年中心地良い温暖な気候 だといいます。

四季は存在せず、台風などの天候の荒れはありません。1日は25時間ほどと地球とほぼ同じですが、1年は454日と地球よりも3ヶ月ほど長くなっています。

エササニ星人の特徴としては、個人ではなく複数の意識が合わさったような存在とのことで地球人には物理的に不可視だといいます。

また、言葉や名前を持たず、身長は150センチくらいの人間の子供のような体つきで白っぽい灰色の皮膚を持っています。目は大きくて白目のない淡いグレーの瞳で、男性は髪の毛がなく、女性は大体が白い髪だそうです。我々には見えませんが、彼らにはそう「認識」できるようです。

食事はとらず、よって排泄もしません。様々な個性を持ちますが、互いに共通意識を持つ大きな集合意識体で、テレパシーで意思疎通を行います。エササニ星人の100年は私たちの1000年に相当するそうです。

私たちからエササニ星やバシャールの存在を視覚でとらえることができないのは、互いの次元・密度が違うからだといいます。宇宙は多次元構造でできており、異なる次元・密度では周波数も異なり、その空間は見えないし相互作用もしません。

私たち人類がいる世界は「第3密度」で、これに対してより高い波動を持つエササニ星の世界は「第4密度」です。バシャールによれば、時間や時間の連続性といったものは人間が作り出した概念であって思い込みだそうです。過去や未来などあらゆる時間は、実は「いま、ここ」に同時に存在しているといいます。

宇宙のすべての物質はエネルギーです。エネルギーは振動であり波動です。そして「密度」とは、振動数の高さを表す言葉です。宇宙のあらゆるものは7つの密度に分類され、密度が高いほど振動数が高くエネルギーも大きくなり、高レベルの波動と同調します。逆に密度が低いほど振動数やエネルギーが低くなります。

バシャールは常にワクワクし、情熱に従って生きることによって、高い振動数を持ち、高いエネルギーに満ち溢れているそうです。そうなることによって、「やりたいことを、やりたいときに、やれる能力」が磨かれるといいます。

「ワクワクする」というのは「人生の中で真の自分を表現することの出来る波動を高める」ことを表し、その波動は同じような波動を引き寄せます。自分のワクワクする気持ちに従って生きることが人生の目的であり、エササニ人はそれを率先して行っているようです。

周波数が上昇するにつれ、時空間の概念が緩んで柔軟性が生まれるので、自分の意識次第で時間が変化します。そして、時間とは「過去→現在→未来」という直線的な流れではないことに気づくそうです。

そうなると、肉体や実体はあまり意味を持たなくなり、他のバイブレーション、他次元、他の現実(パラレルワールド)、高次のエネルギー周波数をとらえる感覚が鋭くなるといい、そうなればテレパシーで意思疎通ができ、異次元の存在とも交信が可能になります。

ワクワクしたことをたくさんやり、振動数が上がるように毎日を一生懸命過ごしていれば人生は望み通りになるようです。我々もそうした毎日を積み重ね、その上に立った未来を獲得すれば、遠からずバシャールのような意識生命体に近づけるのかもしれません。

太陽系滅亡前までにササエニ人以上に進化し、新たな星で暮らすようになった我々もまた、そこに住む住民から宇宙人と呼ばれているに違いありません。