伊豆∞フロリダ

6月になりました。あとひと月で、今年の前半戦も終わりかと思うと、時の速さを改めて感じます。歳を重ねるにつれ、時間が早く過ぎるように感じやすくなる、とテレビでタモリさんが言っていましたが、それって本当かもしれません。ただ、ここ伊豆へ来てからの時間の経過は、東京へ住んでいたころよりは少し緩やかになったような気がします。引っ越し後、少し落ち着いてきて、気持ちに余裕が出てきたからかもしれません。が、実はここ伊豆では、過去の火山活動が原因で時空にゆがみができており、それが原因で時間の流れがより遅い・・・なーんて、そんな妄想をしてみたりもする。んな、わけありませんが、ただ伊豆の空気を感じていると、それも本当のようにさえ思えてくる・・・

昔話の浦島太郎は、竜宮島に滞在した主人公が実は何百年もそこで過ごしていたことを知らず、地上に帰ったら白髪のジイさんになってしまった、というストーリーでした。そうすると、もしかして、あと2~3年後に東京へ帰ったら、その変化にびっくりする・・・なんてこともあるかも。そういえば、数年前にはなかったスカイツリーが今や現実のものとして存在し、ついこの間までは戦災の影響でボロボロだった東京駅は、もうすぐ新しく生まれ変わる。新宿駅南口のバスターミナルの完成も間近と聞きます。東京の時間の流れは、ほかの地域よりも確かに早いかもしれません。

そう考えると、時の経つ速さは、その住んでいる場所によって違う・・・ということはあるのかもしれませんね。その昔住んでいたハワイには3年半ほど滞在していましたが、それが長かったか短かったかと問われると、ずいぶん長いこといたなー、という印象。

無論、3年半というのは、確かに長い時間だとは思うのですが、感覚的には、もっとそれ以上いたような感じがするのです。

その理由をあれこれと考えてみたのですが、その理由は気候でしょうか? ご存知のとおり、ハワイは日本ほど四季の変化が顕著でなく、一応冬めいた季節はあるのですが、せいぜい薄手のセーター一枚あればなんとか過ごせる程度の寒さ。当然曇りや雨の日もありますが、長続きはせず、日本のように梅雨の季節はありません。このためか、いまその当時のことを思い出しても、一年中さんさんと太陽が降り注ぐ安定した天気の中を過ごしていたようなイメージがある・・・

つまり、気候変化が少ないということは、時の流れを感じるための季節変化という尺度が明確でない、ということになります。しかし、季節の移ろいが時間の経過を長く感じるか否かに関係するか? と聞かれると、ウーン、関係あるような気もするし、関係ないような気もする・・・

確かに季節の変化があまりないので、ハワイで起こった出来事がいつごろのことだったか・・・と思い出そうとすると、その前後関係がよくわからなくなります。大学に入ったときと卒業したときは、別の季節だったはずですが、同じような花が咲いていたような気もする・・・

なので、もしかしたら、季節変化が小さい場合には記憶があいまいになる、ということはあるのかもしれません。が、はっきりとした相関があるのかどうかと聞かれると、あまり自信がありません。

そうすると、実際より長くいたような気がするのはなぜ? とさらに考えてみたところ、ハワイで新たに経験したことがあまりにも多かったからではないか、というところに行き当たりました。

実際、ハワイへの渡航にあたっては、引越しの手続きから入国、大学でのレジストレーション、英語の研修などなどから始まって、いろんな国からの留学生や先生との出会いと交流、数々の授業。そして辛く長い勉強の日々・・・。 と、それまでの人生とはうってかわったような日替わりメニューでのストレスの連続。とはいえ、面倒なことや苦しいことばかりではなく、楽しいこともあり、そうしたことの積み重なりを思い出すと、かなり密度の濃い毎日だったとように思います。風光明媚な土地柄にも触れ、きれいなところへもいっぱい行ったし、日系2世、3世のアメリカ人との交流、同じアパートに住む外国人留学生とのつどい・・・などなど楽しいものも多く、そういう記憶が、次から次へとよみがえってきます。まさに、走馬灯のように・・・

だとすると、時間の経過を長く感じるか短く感じるかは、場所によって違うというよりも、もしかしたら、その時々で起こった事象の数が多いかどうかで決まる、と考えるべきなのかもしれません。同じ時間スパンならば、そのときに起こったことが多ければ多いほど、その時間が長く感じる・・・もっともらしい理論じゃあありませんか。

そういえば、ビルやがけなどの高いところから落ちた経験のある人が、その落ちる間のわずかな時間に過去に起こった出来事を次々と思い出し、その落ちている瞬間は数秒にすぎないのに、まるで何分か何十分かもかかったような気がする、と話していたのをテレビか何かで何度か聞いたことがあります。

さらに考えてみると、ハワイでの滞在のような長期間ではなく、たかが一泊二日ほどのショートトリップの旅行でも、その時間がものすごく長く感じられる、ということがよくあります。たかが二日ほどで季節変化が起こるわけはなく、旅行中ずーっと晴れていたり曇っていたりということはよくあることですから、時間の経過が長く感じられることに季節変化や天候の変化は関係ない、ということがわかります。

そういうふうに考えていくと、過去の人生においても、ずいぶん長いことかかったな、と思える時期には、いろんなことが重なっていたように思います。わたし自身は、8年ほど前に先妻を亡くした時期を挟んで、その前後合わせての数年が人生で一番長かったように思う。人生の岐路にさしかかったときは、さまざまな変化が起こりうるもので、その積み重ねはやはり時間の経過をゆるく感じさせるものなのかもしれません。

話は変わりますが、実は、ハワイへ行く前に、フロリダにも住んでいたことがあります。もともとはフロリダにある大学の大学院へ進学するつもりで渡米したのですが、その前に英語をシェープアップしておく必要があり、フロリダ北部にある州都、ゲインズビルという町に9か月ほど滞在したのです。当初はそのまま、フロリダで目的を達しようと考えていたのですが、その後思ったより短い期間で英語が上達したのと、フロリダの気候があまりにも体にあわず、結局フロリダからは撤退。いったん日本に引き上げて再検討した結果選んだのがハワイというわけです。

このフロリダなのですが、アメリカ人にとっては、老後の人生を送る最高の土地、ということで、みなさん歳をとると退職金などをすべてつぎ込み、南へ南へということでやってきます。フロリダ南部では、町中がジイサンバアサンでひしめいているんだぜぇ、と友達から聞いていたので、ウソだろーと思いましたが、行ってみたら本当でした。とあるリゾートタウンなんぞは本当に老人の数が多く、町中歩いていても建物の中に入っても、どこへ行っても年寄ばかりなのです。

話が脱線しましたが、アメリカ人の間でフロリダが人気なのは、ずばりそこが気候が温暖だからです。国土の広いアメリカですが、海に面していて気温が高いという場所は、フロリダなどの東南海岸諸州とカリフォルニア、そしてハワイだけ。カナダに近い北のほうでは寒冷な地も多く、老後はそうした寒さが身に染みる・・・だからこそ歳をとるとみんなこぞって南を目指すというわけです。なかでもフロリダは風光明媚なところが多く、地価も安いため、とりわけアメリカ人には人気があるようです。

そんなフロリダですが、私が気に入らなかったのはその湿気です。ハワイ同様、温かくて、太陽サンサンのイメージがありますが、温かいというのにも限度があります。夏場の一番暑いときには40度というのはざらで、それ以上になることもしばしば。そしてその暑さに加え、5月から9~10月にかけての雨季には夕方になると、ほぼ毎日のようにスコールが来ます。当然、暑いところへ来ての雨ですから、その蒸し暑さは筆舌に尽しがたいものです。暑いのも、湿気が多いのも苦手な私は、本当に参りましたが、それ以外にも水がまずいということもありました。高い山のないフロリダでは、平地にた貯めた(貯まった)水の循環が悪く、カルキなどの添加物を入れないと飲めない、ということのようでした。生水は絶対飲むな、と言われていたのを忘れてそのまま飲んだところ、何日も下痢をした、なんてこともありましたっけ。

そんなわけもあって、結局フロリダに住むことはあきらめたのですが、初めての海外滞在でもあったその9か月間は、その後長い間記憶に残るものになりました。暑くて湿気が多いという難点はあるものの、大西洋に面したきれいな砂浜や、スペイン統治時代の数々の史跡。アメリカならではの広大な畑とはるか水平線まで続く水路や、湿地帯。そのところどころに湧き出す清水と、そこに生息するジュゴン。ディズニーランドにNASAのあるケープカナディラル、そしてキーウェスト、と数えればきりのないほどの観光資源を持っており、その多くを私も留学中訪れました。

通っていたフロリダ大学の英語教室では、ヨーロッパやアフリカ、中南米などの多彩な国からの留学生との交流もあり、こうした人たちとの異文化交流は実に新鮮でしたし、国による考え方の違いというものがあることも知り、いわゆる国際感覚、というものがこのときかなり身に着いたように思います。

フロリダの気候の悪口ばかり書きましたが、秋になると、この地獄のようなフロリダの町が大変身します。フロリダの州都、ゲインズビルの町の秋色は本当に美しく、色づいた紅葉の木々と、地面に落ちた枯葉のコントラストは、本当に絵に描いたようでした。ゲインズビルには、町中のあちこちでリスをみかけます。かさこそと落ちた枯葉の中を走り抜け、気によじ登って木の実を食べるリスたちの姿は愛らしく、アメリカ南部の町であることを忘れ、ヨーロッパのどこかへタイムスリップしたようなかんじ。はっと息を飲む・・・という景色にどれほど出会ったでしょうか。

さらに、フロリダ大学には、日本からの留学生も多く滞在しており、留学生同士で仲良くなった人たち同士で、旅行へ行ったり、パーティをやったりもしました。その中には今も親友として親しく付き合っているK君や、結婚したりまた別の国へ行ってしまって連絡がとれなくなった友人たちもいましたが、K君をはじめ、日本への帰国後も連絡がとれる人たちとはいまも交流が続いています。

このように、楽しい思い出も多かったためでしょうか、フロリダにいたその9か月は、今もとても長いものだったように感じられます。

やはり、時の長さとは、その時経験したことの多さに比例する、改めてそう感じるのです。

さて、長くなったので、今日の項もそろそろ終えましょう。最後にまたまた話が変わりますが、我が家の庭には、「マンリョウ」という木がたくさん生えています。冬になると赤い実をつけ、「万両」とも書いて縁起がいいので、正月などには縁起物として飾られたりします。実ができるのは主に冬、ということなのですが、我が家のある場所の標高が高いためか、今年の冬が寒かったせいかわかりませんが、庭のあちこちのマンリョウはいまだ赤い実がつけており、目を楽しませてくれています。

ところが、このマンリョウについてネットで調べてみたところ、アメリカのフロリダ州では、有害な外来種として厄介者扱いになっている、ということがわかりました。江戸時代には、園芸植物として江戸庶民の人気を博し、多様な品種群が栽培されたとそうなので、そうした珍しいものの一部が渡米し、かのフロリダの地で広まったのかもしれません。

我が家の庭にあるマンリョウと、かつて過ごしたことのあるフロリダとのちょっとしたつながり。不思議なかんじはしますが、案外とハワイ同様、フロリダもまた私にとっては、「猿の惑星」なのかもしれません。

 伊豆でもつつじが満開です 修善寺自然公園にて

猿の惑星

ここ伊豆地方の昨日は午後から雷雲に見舞われ、夜遅くまでかなり降っていましたが、今朝は一転、良いお天気です。しかし、富士山のある山の手のほうは大気が不安定であるらしく、今日も昨日も厚い雲に覆われています。ここのところ、富士山の見える回数がめっきり減ってきましたが、これから夏に向けてはさらに見える日も少なくなっていくのでしょう。湿気が多く、雲ができやすい初夏から夏に向けては仕方のないことではありますが、富士山の見えない日は、ちょっとさびしい気分。

でもその分、家の周囲の緑の変化が豊かになってきていて、鳥や昆虫の動きも活発になっったように思います。何の鳥だかわかりませんが、朝早くからピーチくぱーちくにぎやかです。今出入りの左官屋さんのUさん宅では、庭先にエサ台を置いているそうで、そこにひまわりの種などを置くようにしておいたところ、ヤマガラなど、いろんな鳥が遊びに来るようになったそうです。我が家でも庭が完成したら、ぜひ試してみたいと思います。

ここ、10日ばかり、あまり遠出をしていないのですが、ふもとの修善寺や大仁にたまに出かけると、そこら中の田んぼに水が張られ、植えられたばかりの稲の苗が風に揺られている風景をよく見ます。田んぼの風景など、日本中どこでも見られるものですが、ここ伊豆の田園風景は、どこかほかの場所と違う気がする・・・そんな話を昨日、移動中のクルマの中でタエさんとしていました。

いったい、何が違うんだろうか・・・と二人して考えてみるのですが、どうもその理由がよくわかりません。ただ、ついこの間まで住んでいた多摩地方の田園風景は、よく日のあたる上天気の日でさえ、どこかさみしい。というか良い表現が出てこないのですが、色でいうと寒色系なのに対し、ここ伊豆では温かみのある暖色系のような気がするのです。

その原因をあれこれ考えてみるのですが、おそらくは土の色の違いによるのではないかな、というのが一つの理由。多摩地方の土の色はいわゆる関東ローム層の真っ黒な色で、それが多摩の風景を全体的に暗くしているような気がします。それから地形の違い。多摩地方のそれは、かなり起伏に富んでおり、十数キロも先まで見通せるという場所はそれほどないのに対し、ここ伊豆では、富士山はもとより、遠くは箱根や天城山まで見えることも多く、広々とした感じがします。

起伏が多いということは、場所場所で陰影の差が大きい場所も多いということで、それが全体を暗くしているのかな、というふうに思います。

それから、これはあくまで感覚的なもので、何も根拠はないのですが、やはり空気が違うのではないか、と思います。わたしは、仕事柄、これまで日本中のあちこちの場所に行く機会があり、四十六都道府県で行ったことのない県はひとつもありません。そしてその行く先々でやはり、違った空気があることを敏感に感じ取り、ああ、ここはこういう空気なんだ、と思うことしばしば。一番顕著な例は、やはり北海道。ここは、内地に比べて明らかに空気が違うということは、一度でも行ったことがある人はわかると思います。

いうまでもなくそれは、湿気の少なさに起因するのですが、内地の植物が生育できる北の限界線が津軽海峡あたりなのだそうで、海峡を渡ると植生ががらりとかわる、ということをその昔携わっていた環境調査で知りました。このほか、北海道にはゴキブリがいないそうで、植物だけでなく、北海道は動物の生態についても内地とは違う独特の環境を持っているようです。

こういうことから類推すると、いわゆる空気の違いというのは、その地域の大気の状況、すなわち湿気と気温の関係とか、風の状況、日照の程度を基本とし、その環境で育つ植物や動物の種類の違いに原因があるのかな、と。専門家ではないので、本当のところはわかりませんが、いわゆる、土、火(日)、水、風、木がその大地の特色を形作る5大要素なんだろうなということは、なんとなくわかります。

で、あるとするならば、まったく同じ空気の場所というものは、存在しないわけで、多摩地方と伊豆地方の空気の違いもしかり。それぞれの環境を形作る基盤のそれぞれが異なるためなのでしょう。

おそらくはそういうものを理論的に比較する学問があるのでしょうが、ただ、そういうものがあったとしても、人がああ違う、と感じる感覚というものは説明がつかないものなのではないかと思うのです。

 修善寺温泉近くでみつけた麦の穂 こういう風景も多摩ではあまりみかけませんでした

と、ここまで書いてきて、ふと思い出したのは、ハワイの気候です。ご存知の方も多いと思いますが、ハワイ諸島は、海底の火山が隆起してできた島々です。太平洋プレートにのっかって、今も少しずつ日本に近づいているそうで、日の丸がキラウエア火山の頂上に掲げられる日もそう遠くないことでしょう。本当です。でも、これを読んでいる人はその日まで生きていないと思うけど。

で、その火山島であったハワイと、伊豆は、実は大変よく似ている、ということが、先日修善寺虹の郷へ行ったときにわかりました。園内に伊豆の「ジオパーク」への取り組みについて、という表題での展示があり、ここに伊豆半島の成り立ちの説明板があったのです。

ジオパークというのは、地形的にめずらしい特徴を持つ地域で、地形以外にも優れた自然や文化遺産を持っている場合、それをひっくるめて公園化し、地域の経済発展に役立てましょう、という取り組みだそうです。ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)がそれを世界的のあちこちで推進していて、審査して「ジオパーク」として認定されると、その地域の発展のためにユネスコからお金が下りる、というしくみのようです。ユネスコに認定され、世界的なジオパークとして認められたものが、「世界ジオパーク」。その前哨戦として、まず国内の委員会で審査され、世界ジオパークに立候補していいよ、として認定されたものが「日本ジオパーク」というそうです。

世界ジオパークには、有珠山のある洞爺湖有珠山ジオパークや、雲仙普賢岳のある島原半島ジオパークが有名ですが、そのほかにも糸魚川ジオパーク、山陰海岸ジオパーク、室戸ジオパークの3つがある、というのは私も知りませんでした。

日本ジオパークには、阿蘇とか霧島、隠岐の島、伊豆大島などが認定済みで、現在15ほどあるみたい。とりあえずは、この仲間入りを果たし、いずれは世界ジオパークに立候補しよう、という試みのようです。どこが主体になってやっているのか確認しませんでしたが、多分静岡県と伊豆・箱根の関連市町村なのでしょう。

ジオパークに認定されれば、地域発展のためにお金が下りる。けっして悪いこととは思いません。ただ、税収悪化に悩むお役人さんもいろいろ考えてるんだなーと感心する一方で、ほかにやることはないんかーい、自然エネルギーを使った発電とかいろいろあるじゃろーが、などと勝手なことを思う次第。

さて、前置きが長くなりましたが、ハワイと伊豆が似ているのがわかったという、虹の郷でみつけたその表示の話です。2週間ほど前に我が家にいらしてくれた、神主さんご夫婦のSさんが、伊豆は南からどんぶらことやってきて、本州にぶつかってできたという話を聞かせてくれていましたが、それは、その話を裏付けるものでした。その昔、やはりハワイと同様に海底火山が隆起してできた伊豆諸島は、100万年前ぐらいに本州にどーんとぶつかり、その時に、箱根やら丹沢山塊が盛り上がり、その後、バラバラの海底火山島だったものがひとつになって今の伊豆半島を形成した、とか。このスケール感。なかなかのものじゃありませんか。

で、気候の話です。以前からここ伊豆の風物は、どこかハワイと似たようなにおいがする、と思っていました。無論亜熱帯にある日本に付属する伊豆と、太平洋のど真ん中になるハワイでは、気候は全く違うのですが、どこか似たものどうしのような気がするのです。空気も澄みきっているし、水もうまい。海に囲まれ、火山活動こそ今は活発ではありませんが、過去の火山活動のおかげで温泉があちこちに出る。共通点が多いように思います。

だとすると、ハワイで3年あまり過ごしたあげく、また似たような空気のところに戻ってきていたのか、と不思議な気になってきます。

その昔、「猿の惑星」という映画がありましたが、宇宙飛行士だった主人公が、宇宙船の故障で見知らぬ惑星に不時着。そこは猿が支配する星だったが、ストーリーの最後で、実はそこは人間の文明が滅びたあとの地球だった・・・というお話。主人公が、最後の場面で、浪打際で半壊した自由の女神像をみつけて、謎が解ける・・・というラストシーンは、結構衝撃的でした。いま、ちょっとそんな気分でもある・・・

・・・空気の話に端を発して、話はハワイへ飛んで行ってしまいましたが、ハワイと伊豆は似た者同士・・・というのはなかなか面白い説だと思いませんか? まだまだ見ていない場所も多い伊豆半島ですが、この先あちこちまた訪問して、まだ見ぬ景色も堪能したいと思います。もしかしたら、その中には、本当にハワイで見たのとまったく同じ風景があったりして。楽しみです。

短気は損気?


一雨ごとに緑が深くなっていくようです。昨日は、終日お天気という予報だったと思いましたが、大気の状態が不安定なようで、ここ修善寺でも午後遅くから、雨になりました。雨になる前に、今取り組んでいる庭造りの最終段階で完成させようと思っている「塀」の材料を買いに、伊東にあるホームセンターまで行ってきました。

この界隈には大きなホームセンターがふたつあって、ひとつは、すぐ麓の修善寺駅にもほど近い場所にある、「カインズ・ホームセンター」。全国のあちこちにお店を出店しており、家具雑貨を扱う店として、同じく全国展開を図っている「ニトリ」と同様、おそらく今、最も流行っていると思われるホームセンターです。このカインズに勝るとも劣らない規模を持つホームセンターは、私が知る限り、静岡には二つあって、そのひとつは、「ジャンボ・エンチョー」といいます。

静岡と愛知にしか店舗がないので、おそらく東京だけでなく、それ以外の地域の人にも馴染のない名前だと思います。「ジャンボ」の名のつくとおり、かなり大きなホームセンターで、その旗艦店の三島店は、「ホームアシスト」の名前で出店しています。隣接する大規模モールの「サントムーン」と合わせて、この地域最大の商業施設といえるでしょう。サンムートンのほうは、映画館や大小のブティック、食堂街、スーパーマーケット、ドラッグストアなどなどからなる複合施設で、ないものといえば電気店ぐらい。ホームアシストが隣にあることもあって、週末には多くの静岡県民でごったがえします。

静岡のホームセンター界におけるもうひとつの雄は、「ハンディホームセンター」というお店。こちらも静岡と、神奈川の一部でだけ展開しているお店なので、東京の人はたぶん知らない人が多いと思います。その伊東店は、かなりの規模で、日常雑貨や一般の大工道具、建築資材、園芸グッズ、以外にも「建築金物」の専門棟まで置いている本格的なもの。

このホームアシストと、ハンディーホームセンター、それにカインズホームの3つがあれば、おそらくは家一軒建つのではないかと思うほど、その内容は充実しています。しかしそれぞれのお店にも、あるものとないものがあって、あるいは、あっても値段が高いものもあったりします。このため、それぞれのお店を見比べ、庭造りにおいて一番リーズナブルで役に立つものを選択していくのが、日曜大工の「ツウ」の醍醐味なのです。

と、ここまで書いてきて、やっぱりこういうお店を選ぶにしても、前世のスパイの癖が出とるなー、とつくづく思うのです。あちこち動き回り、情報を収集して一番良いものを選択する・・・ウーン、プロですな~。いっそのこと、探偵でもやるかしらん。

さてさて、しかし、よくよく考えてみると、前世から受け継いでいるという資質は、何もすぐれた能力だけでなく、おそらくは短所も引き継いでいる可能性があります。

そこで、自分で最も劣っているというか、短所は何かなー、と考えてみる。そうすると、ありました、ありました~。大きな欠点が。それは、気が短い、ということ。

いつも思うのですが、男性というものは、女性よりも気が短い人が多いのではないでしょうか。それはおそらく、女性は昔から家の中にいて、狩をして帰ってくる男性を待っていることが多く、そのため、いやでも気が長くないと生きていけないということに由来しているのだと思います。逆に男性は、外で狩をするにしても、おなかをすかせている家族のために、日の暮れる前にできるだけたくさんの食糧をとって帰る必要があります。
急ぐ側と待つ側、どちらがイラッチかというと、その差は歴然ではないでしょうか。

結婚など、何等かの形で女性と生活を共にしている男性の多くはたぶん経験していると思うのですが、たとえば、二人で出かけるときの準備にかける時間。これは、女性のほうが断然多いと思う。まず、髪を整えるのから始まって、次いでは化粧、そして、おべべの選択。これで終わり、さあ出かけようかという直前になって、あ、ちょっと待って、今晩のおかずにするものチェックするから冷蔵庫みてくる~、とか、テーブルの上が片付いてないから、ちょっと待っててね、とか、あ、お隣に回す回覧板みてなかった、とか、とか、とか。

そして・・・ようやく玄関に至り、いよいよ外へでようという段階になり、男性の怒りは極地に達するのです。その前には、鏡をみながら履いていく靴をあれこれ選び、ど・れ・にしようかなー♪ と迷っている彼女の姿が・・・

時計をみると、でかける予定の時間をはるかにオーバーの1時間。えーかげんにせーよー!
・・・日頃のうらみが積もっているせいか、ここのところ、ちょっと熱くなってしまいました。―――えー、ともかく、女性は絶対、男性よりも気が長いと思う。そう、男性が気が短いのではなく、女性のほうが気が長いのです。

と、議論がどっかへ行ってしまいましたが、話をもとに戻すと、かくいう気の短い男性陣の中にあっても、自分自身はとりわけ気が短いほうだと思う次第。

たとえば、人の話を聞いている中、話の冒頭でその話の骨子がだいたいわかってしまったときなど。初対面の人やあまり親しくない人なら、相手の気持ちもおもんばかって、そういうときは笑顔でうなずきながら、最後まで辛抱して聞くのですが、ごく親しい友人や家族、そしてタエさんだった場合などにはもう大変。で、結論はなんなの、あ、そんならわかってるよ、話は終わりね、ということになるのです。

このほか、釣りはもちろん、お店などの行列に並ぶなんてもってのほか。料理や掃除は手短に。人ごみの中を歩くのは大嫌いです。人をよけるために、歩行時間が余計にかかってしまうから。このほか、自分が気が短いなー、と思い当たることは、やまほど。別にこれ以上例をあげる必要もありませんが・・・

そして、スパイだったという、前世を振り返ってみて、なんでそんなイラッチだったのかな、と考えてみたりするのです。

思うに、スパイというものは、できるだけたくさんの情報を集めてこなければならないもの。情報を収集する場所も、情報を提供してもらう人も、できるだけたくさんあったほうが良いわけです。そして、です。同じ時間内でできるだけたくさんの情報を集めようと思ったら、やはりできるだけ効率的に行動しなければなりません。短い時間の中で、できるだけたくさんの場所へ行き、多くの人に会って、情報の断片を収集する・・・それができなければスパイとはいえない。なんてなことを思うわけです。

そうかぁ、それで気が短いのか— と一人合点。しかしそれでこの項を終わってはいけませんね。問題は、それを是正するために現生に生まれ変わってきているはずなので、それがどうなっているか、です。

そういう癖がこれまでに更生されてきているかどうか、と、考えてみたのですが、これまでのところ、あまり是正はなされていないか・・・な。しかし、これはよくタエさんが言うのですが、曰く、そういう性格を直すために、私と結婚したのよ。わたしがのんびり屋であることによって、そのイラッチが試されているの。それによってあなたの、辛抱強さが鍛えられていくのよ・・・だそうで、よく言うよ。

とはいえ、気が短い、というのはまあ、短所ではあるのですが、考えてみれば、ものごとをできるだけ効率的に行おうとする性格のあらわれでもあって、必ずしも悪いことばかりでもないような気もするのです。短気だからこそ、ひとつのことが長続きしない・・・でもそうであるがゆえに、人よりもよりたくさんのことにチャレンジできる、そういう考え方もあります。

なので、とりあえず、今のこの短気な性格をすぐに直そうという気にはならないのですが、前世では、もしかしたらその気身近な性格がゆえに身を滅ぼしたということもあったのかも。

それは、このブログでよく出てくる霊能者のSさんに前世リーディングをやってもらったときのことです。どうもそのスパイだった人生のときの、死に際の様子がわからない、とおっしゃるのです。アラビアンナイトの時代だったそうですから、どこかの砂漠の中で掻き消えるように消えた!? ということのようなのですが、その原因は果たしてなんだったのか。先を急ぐあまり、無理な旅行をして、砂嵐の中で行き倒れたか・・・とか想像するのですが、この短気な性格からすると、ありえん話でもない。

そして、そのスパイだった人生は、実はタエさんの前世と大きなかかわりがある、と教えられたのもそのときです。

そのお話はまた長くなりそうなので、またの機会にしましょう。今日はこれから、庭の塀の基礎を作るという大仕事が待っています。明日以降、体がボロボロになっていなかったらまたアップしましょう。

 雨後の巨大きのこ なんという種類でしょう? 修善寺虹の郷にて

薪割りの技術

 修善寺虹の郷にて

ここのところ、比較的良いお天気の日が続きます。昨日の日曜日には、気温もぐんぐん上がって、ふもとの大仁では28度にもなりました。気になる我が家の気温は・・・というと、25~26度どまり。やはり、山の上にあるだけに、気温はやや低め。風がよく通るので、体感温度はさらに下回るためか、もっと気温が低いようにもかんじます。しかも夜はさらに涼しく、窓を開けっ放しにしていると、寒いぐらい。今、門回りのアプローチの工事に来ていただいている左官屋さんによると、夏の夜はクーラーもいらないくらいだとか。暑いのが苦手で、涼しい場所を求めてたどり着いた終着駅だけに、ひとまず成果は上々、といったところです。

とはいえ、まだ梅雨に入ってもおらず、本格的な夏はまだまだ先のこと。これからどんな季節変化がこの修善寺で起こるのか、またじっくり観察して、ブログにもアップしていきたいと思います。

先日のブログにも書きましたが、暑さがまだまだ本格化しないうちに、庭の造成をしてしまおうと、先週から積極的に庭造りに取り組んでいます。我が家の東側には、20坪ほどの細長い庭があって、そこに前の住人が、高さ2mほどの築山を築いていました。築山のあちこちには、そこにもともとあった「森」の一部とみられる木を伐採したあとの切り株が5~6本ほどもあり、そのうちのひとつは、直径80cmほどもある、杉の木の切り株です。この切り株だけを残し、あとは掘り起こしてきれいにしようと思いましたが、思ったより根が深く、どうしても2本ほどが抜けません。

結局、抜くのをあきらめて、斧を買ってきて、その2つの切り株の地上に出ている部分だけ、「カット」することにしました。こうやって、斧をふるうのは、おそらく、子供時代以来でしょうか。その昔、わたしが子供のころには、父が勤める役所の工事事務所に隣接した長屋に住んでいました。まだ昭和40年代のころのことです。高度成長時代とはいえ、まだまだ一般家庭でボイラー付きの風呂釜を持っている家庭は少なく、我が家も風呂釜は五右衛門風呂。中に水を張って貯め、外にあるかまどに薪をくべて、お湯を沸かします。薪は、近所の燃料屋さんが毎週届けてくれますが、ひとつひとつがおおぶりなため、これを斧で細く割って、かまどで火が付きやすくするのです。

この薪割りとお風呂を沸かすのが私の担当で、学校から帰ってくると裏庭に据えてある薪割台に配給された薪を据え、細かく割っていくのが私の日課。大きな斧はそのころまだ小学生だった私には少し重めでしたが、父に教わるまま、練習を重ねると、すぐにコツを覚え、小さな体をいっぱいに使い、結構太い薪でさえ、うまく割ることができるようになりました。

今、ここ修善寺に移ってきて、久々に斧をふるってみると、その頃のコツはいまだに体にしみこんでいるようです。斧をふりかぶり、目指す木の根っこに向けて斧を振り下ろすのですが、そのタイミングを逸すると、斧はぜんぜん別のところに突き刺さります。ところが、私の場合、久々に斧を使うにしては、かなり、正確に狙った場所に斧を落とすことができることがわかったのです。

今では若い方のほとんどは薪割などやったことがないと思いますが、薪割というのは、実際やってみると、なかなか面白いものです。とくに自分の腕よりも太いゴツイ薪がスパッと割れて左右に飛び別れるときの快感は、やってみた人でないとわからないと思う。そして割り終わって細かくなった薪を積み上げて、倉庫の脇につみあげたあと、自分があげたその「成果」にみとれる瞬間は至極の時といえます。

思えば、自分が子供のころには、遊び道具といえば、こうした家の外にある木や草であることが多かったことを思い出します。今のようにゲーム機などはなく、外へ出て、使えそうなもの木端などがあるととってきて、父の大工道具の中にあった古釘を使って組み合わせ、自分の好みにあった「おもちゃ」を作るのです。それは、船であったり、自動車であったり、飛行機であったりしましたが、できあがり具合はともかく、そういうものを作るプロセスは楽しく、今思うと、自分の手先の器用さは、このころに培われたものかな、という気がします。こうした工作だけでなく、庭造りやちょっとした大工作業、料理、裁縫、などなど、たいがいのことは自分でできる、という旦那は、世の奥様方にはかなり重宝されるのではないでしょうか。自画自賛。

しかし、先日書いたブログでも書いたように、こうした能力は案外と前世から受け継いできたものなのかも。そう考えた上で、自分が最も得意とすることは何かな、と考えてみました。すると、やはり思い当たるのは、情報収集能力・・・なのかもしれません。

わたしには昔から、何かことを起こすたびに、いろいろな情報を集めてきてはそれを分析した上でないと、行動しない、という癖があります。時には行き当たりばったりで、ふらりと旅に出る・・・ということもあるのですが、何か明確な結論を出さなければならない必要に迫られた場合には必ず、まずいろいろな情報を集めるところから始めるのです。

たとえば、旅行に行く場合ならまず、行きたい場所を情報誌などからおおまかにピックアップします。行きたい場所と場所をつなぐのは、道路であったり、鉄道であったりしますが、その旅行で使える自由時間を計算します。たとえば北海道までの三泊四日の旅行であったら、新千歳空港に到着するまでの時間から、帰路札幌を立ち、自宅につくまでの時間を除いたのが自由時間です。そして、移動経路を選定する前に、先に宿泊先の情報を集めます。高級旅館ばかりだと費用がかかってしまうので、リーズナブルな旅館をネットなどを使って3日分選定します。

宿を選ぶにあたっては、できるだけ行きたい場所に近い場所にある宿を探しますが、この時点ではだいたいの候補選びだけにしておきます。そして、さきほど選んだ自由時間内で、その3つの宿を日が暮れる前に無理なく移動できるかどうかを、検討します。移動に無理がありそうな場合、宿のどれかをまた選定しなおし、もう一度移動経路を検討します。このプロセスを金銭的にみても時間的にみても自分に無理がないようになるまで繰り返し、最終的な旅行プランを決めるのです。

あまり細かい旅行プランを決めすぎると、自分で決めたノルマに自分で縛られる羽目になりますから、これ以上の細かいことは決めないようにしていますが、こういうふうにおおまかに旅程を縛っておくと、実際の旅行の際にも心に余裕ができ、スムースな移動が可能になるのです。

旅行好きで旅行にしょっちゅう行く方は、こんなのあたりまえじゃないか、と思われるかもしれません。しかし、実は、こういうプランを立てる上で集める情報は結構膨大なものになります。旅館ひとつにしても、立地場所や料金、部屋のグレード、食事の内容、温泉の有無など、移動にしても乗用車で行く場合には、高速を使うかどうか、山道などの時間のかかる経路が含まれていないかなど調べることは結構あります。クルマを使わない場合はなおさらのこと、電車やバスの時間や料金、接続の状態、運休はないかなどなど、調べる情報はクルマの場合以上に山のようにあります。

こうしてコツコツと情報を集め、整理し、さらに組み合わせて問題があれば、整理方法を変えてまた組み合わせてみる・・・こういう情報処理を行うには結構な手間暇と、さらにコツがいるのです。

世の人みんながみんなこいうコツを知っているとは限りません。考えてもみてください。だから、旅行会社みたいなものが存在するのです。いろいろな情報を集めて金になるプランニングを作り、提供する。これには結構高度なノウハウがいるのです。

以上、旅行のプランニングを例にとりましたが、わたしの場合、何をやるにもこのようにいろいろな情報を集め、それを整理したうえで行動する、という癖が染みついているようです。そんなら、旅行会社でもやれば、といわれそうですが、残念ながらそういう職業につくことはなく、結果的には建設コンサルタントになってしまいました。

でも建設コンサルタントという職業も実は膨大な情報処理をする職業なので、旅行会社にこそ務めませんでしたが、結局は自分の得意な分野を選んだということなのかもしれません。

前世がスパイだったという私。その情報収集処理能力は、現世でも役にたっているようです。前半生では、その能力を技術屋さんとして使ってきましたが、後半生はどうでしょう。以前、霊能者のSさんにそうしたことをうかがったときにおっしゃっていたのは、私が今生で生まれてきたことの目的のひとつは、そうした能力を使って、短い間だけでもトップに立つこと、だそうです。

「短い間」というのがちょっとひっかかりますが、わが後半生の目標はこの情報処理能力を使って何等かの組織のトップを目指すこと、なのかもしれません。あるいは、何か芸術的な取り組みや職人的な取り組みでの高みを目指すことなのかもしれませんが、さあて、これからどうなることやら。

みなさんが前世から受けついできた能力はなんですか? それを現世で生かしていますか?

 お勝手の窓に現れた夜の訪問者 雨の季節が近づいているようです

迷い

5月も終わりに近いというのに、涼しい日が続きます。朝夕はとくに涼しく、時に毛布が欲しいと思うほど。でも、天気が良い日には、リビングに暖かい日差しがおりてきて、その中にねそべるテンちゃんも、とても気持ちよさそう。ここへ来てすぐのころは、まだどこか知らないところ、というかんじで落ち着かない様子でしたが、最近はすっかりこの家に馴染んで、リラックスしているようです。

さて、昨日、書こうと思っていたことが、息切れしてしまい途中でやめてしまったので、あらためて続けたいと思います。

このところ、何か深刻な問題ごとがあると、今自分に起こっていることは、どういう意味があるのだろう、と考える癖がついてしまっています。また、あまり気にするほどでもないことでも、これは何か意味があるのかな、とついつい思ったりします。

たとえばどこかへ外出する用事ができたとします。けれども、どうしてもその日はそこへ行くのが気が進まない、ということがありませんか? そうした時、無理してそこへ行くよりも、きっと気が進まないのは何か理由があるからだ、とまず考えてしまうのです。そういう時に限って、その日は行った先で大きな渋滞に巻き込まれたり、電車で人身事故があって、帰りが遅れたり、ということがあります。

このように、何か気が進まない、というあまり論理的でない理由で迷ったことの理由が、あとでわかったりするということが、みなさんにも時々あるのではないでしょうか。

迷ったら、即行動! という人も多いかもしれませんが、私は自身は、外出に限らず、何か買い物をするときでも、どうも気が進まない、迷ってしまう、というときは、なるべくその行為をいったんやめてもう一度自分の心に聞いてみる、ということをよくやります。

それでも、どうしても行かなくてはいけない、という大事な用事のときには、やはり外出しますが、そのときは、その迷ったということ自体を覚えておくようにしています。そして、その結果として起こったことが良しにつけ、悪しきにつけ、あとで反芻してみるのです。そうすると、出かける前に迷ったその意味がわかったりします。

このような小さなことだけでなく、もっと大きいこと、人生を送る上での重要な事項について決断を下すときなどにはなおさら、本当にそれが正しいことなのか、と判断に迷い、なかなか決断を下せない、ということは誰しもによくあることです。

たとえば、今回の伊豆への移住の前、長野県や山梨のあちこちで、血眼になって移住先探しをしていましたが、最終的に長野のある物件をみつけ、契約直前までいきました。しかし、契約書にサインする直前になって、タエさんが、頭痛がする、と言い出しました。わたし自身も、何かはっきりした理由はないのですが、ひっかかるものがあり、そうしたところ、たまたまですが、二人で広島へ帰郷する機会がありました。広島にあるタエさんの実家の売却の件で、買主さんが会いたい、と言ってこられたのです。

広島には、かねてより親交のある霊能者のSさんがいらっしゃいます。そこでタエさんが、急なことで申し訳ないが、相談に乗ってもらえる時間があるか、と連絡をとったところ、たまたま、1時間ほどならば時間が取れるというお返事が返ってきました。Sさんはこうした相談ごとや、テレビの仕事なども持っていらっしゃるなど、多忙な方なので、我々の思いつきで連絡を取って、お会いできるとは正直思っていませんでした。それが、すんなりと面会できた、というのも、あとで考えると、「お導き」だったのかな、と思います。

そして、お会いしたSさんのこの件に関しての回答は、二人をはっとさせるようなものでした。

その長野の物件を探す前までには、相当な数の不動産を見て、探していた二人。移住先さがしにもそろそろうんざりしていたところに現れたその物件は、金額的にも立地的にも妥当なように思えました。が、私自身、少し気に入らない点もあるけれど、ここいらで妥協しよう、という気になっており、あとで聞いた話では、タエさんも、ムシャ君も疲れているようだし、気になる点もあるけれど、そろそろ折り合いをつけようと思っていた、ということでした。

そして、Sさん曰く、その物件を決めるにあたって、何か自分たちを納得させようさせよう納得させようとしていませんか? 家と土地はとてもいいものなのだけれども、今のお二人の「気」とはあっていない。そのまま住み続けると、家の気に二人の気が飲み込まれてしまうだろう、とおっしゃいます。

さらに、その家に住むと、一家離散の可能性もある。もし本当に住むのなら、近所の神社などにもお参りし、十分なお供えをしたほうが良い、とも言われました。

そして、その物件をあきらめ、再び家さがしの旅に出・・・というくだりは、過去のブログにも書きましたね。詳しいことは、そちらをご覧ください・・・

結果として、長野の物件に住むことをやめてしまったので、Sさんのご指摘が正しかったかどうかは、わかりません。しかし、やめようと思ったのは、自分を納得させようとしている、というSさんのご指摘が、ずばりこの問題の核心をついていたためであり、その時ふたりとももう一度、心から、そこに住みたい、と思う家を探そうと思ったのも、そのご指摘が正しいと思ったためです。

自分の心のありのままの行動をとった、ということで、納得もでき、その後、現在のこの家のような良い物件にも見つかり、やはり、あの決断は正しかった、と今は思います。しかし、あのとき、タエさんの頭が痛くなったり、たまたま広島へ行く機会ができ、Sさんのスケジュールが空いていたいりと、何か、誰かにしくまれたような、そんな気がするのです。

人には、みんな守護霊さんがついていて、そういう方がその人に対して、常にメッセージを送ってくれているといいます。今にして思えば、もしかしたら、このときの出来事も守護霊さんがそうなるように仕向けてくれたのかも。家を買う、という人生の中でも最大級の「事件」であるだけに、守護霊さんも、ここでこそその能力発揮、ということで、最大限のサポートをしてくれた、そういうふうにも思えるのです。

Sさんによると、私自身にも守護霊さんがいて、一番よく見えるのが、江戸時代ころの庄屋様のような人だそうです。ほかにもきりりとしたお顔だちの老齢のご婦人も見えるそうで、このほか亡くなった父親も私についてくれていて、いろんな手助けをしてくれているとのこと。タエさんにも亡くなったお母さんのほか、女性の守護霊さんなどがついていてくれている・・・我々の守護霊さんのことについては、また長くなりそうなので、またの機会に書きましょう。

さて、自分自身は、こうしたい、こうありたい、と思っているのに、何かひっかかる、気になるというときには、もしかしたら、守護霊さんが何かささやいているからかもしれません。

守護霊などは信じない、という人でも、私がふだんやっているように、何か行動を起こすときに迷ったら、その迷ったこと自体を覚えておき、結果として生じた出来事とその迷いとの因果関係を洞察してみることは、自分自身を知る上でもよいことではないでしょうか。

実はその迷いこそが、守護霊さんからの大事なメッセージだったりするのですが・・・

 沼津 牛臥海岸にて