年末に思う


今年もあとひと月となりました。

そろそろ、一年を振り返ってみてもいいころかな、と今年あったことなどを思い返したりしているところです。

私的には可もなく不可もなくというところですが、それほど悪い年ではありませんでした。健康に恵まれ良い一年だったと思います。

一方、社会的な一年をみると地震や水害などの災害が多く、相変わらずのコロナ禍も続いていて、あまりいい年ではなかったな、という印象です。この疫病による我々の生活への影響は来年もまだまだ続きそうです。

しかし、そうした中で催された東京オリンピックでは日本人選手が大活躍しました。日本はアメリカ、中国に次いで28個もの金メダルを獲得し、1964年の東京オリンピックの16を大きく上回りました。全体でも58個で、当時のほぼ倍の数を獲得しています。

さらに先月、二刀流で活躍したエンジェルスの大谷選手がMVPを獲得するという朗報も入ってきて、スポーツ界ではとかく明るい話題が多かったように思います。

そのほかでは今年はいろんな意味で節目でした。例えば、東日本大震災発生からちょうど今年で10年が経ち、同じく福島第一原子力発電所事故からも10年です。アメリカ同時多発テロ事件からも20年で、ソビエト連邦の崩壊から30周年でした。

「宇宙」に目を向けると、ユーリー・ガガーリンによる世界初の有人宇宙飛行から60周年、アメリカがスペースシャトルを退役させてからちょうど10年です。そのアメリカでは今年9月、宇宙開発会社、米スペースX社による民間人初の宇宙滞在飛行が成功しました。

国内ではさらに先の10月4日、内閣総理大臣指名選挙が行われ、岸田文雄氏さんが総理大臣に指名されました。100代目ということで、こちらも何か時代の一区切りを感じます。

ちなみに初代総理は、明治18年選出された伊藤博文で、日本は平均1.4年に一度新総理を選んでいます。アメリカ大統領の5.0年に一人に一度に比べて格段に多くなっています。






このように何か「時代の節目」を感じる年というのはあるもので、過去においても、誰がみてもそうだったといえる年があります。

そのひとつが1989年だったではないでしょうか。

この年、ベルリンの壁が崩壊したことを節目に、その後1992年までの間に、東欧の脱共産化、東西ドイツの統一、ソ連崩壊、冷戦の終結と、文字通り世界地図が塗り替わりました。とくに東側陣営の盟主であり超大国でもあったソ連の消滅は全世界に衝撃を与えました。

これによって、社会主義の実現を信じていた西側諸国内の社会主義政党や政治学者はイデオロギー論争に敗北し、冷戦時代にソ連共産党から受けていた資金提供は途絶えました。

各国の共産主義者は大打撃を受け、イタリア共産党は解党して左翼民主党に鞍替えを余儀なくされました。日本共産党は「大国主義、覇権主義の歴史的巨悪の党の終焉を歓迎する」とあたかもこれを歓迎するような強気な声明を出しました。しかし、世界的な脱社会主義への動きを「歴史の逆行」とする党員もいて、少なからず政策転換を迫られました。

ソビエト連邦の崩壊によって公文書が情報公開されたため、名誉議長だった野坂参三氏がかつてソ連のスパイであったことが発覚し、満100歳を超えていながらその職から除名されるという事件も起きています。

こうしたソ連崩壊をみた西側諸国は、これを「=共産主義の絶滅」と錯覚してしまいました。中国やキューバなど、未だソ連以外にも社会主義の強国が存在していたにも拘わらず、にです。

その存在を重視しなかった結果、力をつけた中国はその後、唯一アメリカに抗しうる国と言われるまでに勢力を伸ばしました。ソ連に代わって共産主義の旗頭になったこの国が、これほどまでの経済・軍事大国になるとは誰が予想していたでしょう。

そのアメリカでは昨年、「保護主義と分裂抗争の世界」を生み出したドナルド・トランプが大統領選に敗れました。今年はそれに代わって登場したバイデン大統領によって次々と新しい政策が実行に移され、これによって新たな世界秩序が生まれつつあります。

このように昨年から今年にかけての時期は、1989年に次ぐ大変化の時期と考える要素がたくさんあります。加えて、新型コロナウイルスが流行り始めたのは昨年、今年はそれが大流行しました。今後はこの2年間がセットで歴史の節目とみなされるようになっていくことは間違いないでしょう。

無論、これまでにもこれ以上の歴史的大変革と呼ばれた時期はたくさんあります。人類の創生にまで遡れば、二足歩行を行うようになった時代がそれであり、さらに火や鉄を手にした時期にも大きな変化が起きました。

その後、古代文明への移行、ヨーロッパやアジアを中心にした現代的諸地域世界の成立、そして二度の世界大戦、というふうに我々の歴史は、大きな変化があった時代を境に大きく分けることができます。






しかし、考えてみれば人類の歴史はわずか数千年にすぎません。地球誕生は46億年前といわれており、そうした気が遠くなるような時間に比べればほんの一瞬といえます。

その現生人類が、いまやそれよりはるかに長い歴史を持つ地球に大きな影響を与えようとしています。地球温暖化などの気候変動、生物の大量絶滅による多様性の喪失、人工物質の増大、化石燃料の燃焼や核実験などは、地球環境は大きく変えようとしています。

その始まりは、おおむね二次大戦が終わった1945年頃ではなかったか、といわれています。歴史区分としては「現代」とされる時期ですが、最近ではこれに代わって、「人新世」という時代区分にすべきではないかという議論があります。

これは「じんしんせい」とも「ひとしんせい」とも読むようで、ほかに新人世(しんじんせい)や人類新世という呼び方案があります。オゾンホールの研究でノーベル化学賞を受賞したパウル・クルッツェンらが2000年に提唱したもので、国際地質科学連合でも適当な時代区分かどうかについて研究を始めています。

1945年と書きましたが、これについては様々な意見があり、人類が地球環境へ影響を与え始めたのは、はるかに昔の12,000年前の農耕革命を始まりとするもの、あるいは大戦が終わって世界秩序が落ち着いてきた1960年代以降とすべきだとするものなど幅があります。

しかし、第二次世界大戦直後に、社会経済や地球環境が劇的に変化したと考える研究者が最も多く、彼らはその変化が始まった初期のころのことを別途、グレート・アクセラレーション(大加速)と呼んでいます。その開始時期についても、1945年、1950年代など諸説がありますが、いずれにせよ、この時期を境に急激な変化が起こったとされます。

その社会経済的変化の指標としては、人口、国内総生産(実質GDP)、対外直接投資(FDI)、都市人口、一次エネルギーの使用、化学肥料の使用、巨大ダム、水利用、製紙、交通、遠隔通信、海外旅行などがあげられています。

また自然環境の指標は、二酸化炭素、亜酸化窒素、メタン、成層圏オゾン、地球の表面温度、海洋酸性化、海洋における漁獲量、エビ養殖、海洋の富栄養化や無酸素化につながる沿岸窒素の増加、熱帯雨林と森林地域の喪失、土地利用の増大、陸上生物種の推定絶滅率などです。

こうしたグレート・アクセラレーションの考え方が出てくる前までは、地球環境問題というとき、まず最初に「地球温暖化」が取り上げられていました。しかし、温暖化だけではそうした変化は説明できないという声が高く、上のような多くの指標をもとに地球環境の変化を分析した結果、その分岐点が1945年ころだった、と結論づけられました。

その変化の方向性が良い方向性かといえば逆です。我々が棲む環境は多くの要素によってどんどんと悪化しつつあり、影響を与えた人類そのものがその波に飲み込まれようとしてます。






一方、もうひとつの巨視的な地球環境の変化の捉え方として、「プラネタリー・バウンダリー」という考え方があります。

この考え方ではまず、地球全体をひとつのシステムとして考えます。それを維持するためには常に一定条件のもとにシステムが正常に働き続けける必要がありますが、ある限界を超えるとシステムは予想がつかない振る舞いをするようになりやがて崩壊に向かい始めます。

この限界点を「引き返し不能点(ティッピング・ポイント)」といい、この仮説では、環境に負荷を与える化学物質、重金属や有機化学物質による生物圏の汚染、土地利用の変化、淡水利用、生物多様性の喪失、窒素とリンの循環といった「人類が作り出した脅威」がその限界点を創り出しているとされます。

さらに、これらのダメージによって成層圏オゾン層の破壊、海洋酸性化、などが加速されており、その結果、2009年時点では既に、気候変動、生物多様性の損失、生物地球化学的循環の3つの環境指標は限界を超えている、とする研究もあります。

そう明言するのは、プラネタリー・バウンダリーの提唱者で、スウェーデンの環境学者ヨハン・ロックストロームと化学者のウィル・ステフェンをはじめとする約20名の地球システムの研究者たちであって、いずれも一流の研究者達です。

このように、現在の地球環境が既にその限界値を超えているならば、今後はさらに危機的な状況に陥る可能性もあり、悲観的な見方をすれば、その結果やがて人類は滅亡してしまうでしょう。

それを防ぐためには、現在ある資源を保持しつつ安定してこの世界で暮らし続けていくための手立てを打っていかなくてはなりませんが、そのために設定された目標が、最近よく耳にする“SDGs”です。「持続可能な開発目標」とされ17の世界的目標が示されています。

2015年9月25日の国連総会で採択されたもので、「持続可能な開発のための2030アジェンダ」として、向こう15年間の間に実現することが目標とされています。

SDGsの詳細については既に多くのメディアで紹介されているためここで詳しくは述べませんが、これらの目標と達成基準を実施するために、全ての国に対応が求められています。達成基準は各国政府が定め、地球規模レベルでの目標達成を目指しつつ、経済、社会、環境などの各分野で並行して持続可能な開発を行うという取り決めです。

日本でも、政府が2016年から全国務大臣を構成員とする「持続可能な開発目標 (SDGs) 推進本部」を設置してその取り組みを開始しています。ただ、先進国である日本の義務としては、自国の利益だけでなく、環境が脆弱な国々や紛争下にある国々への援助などの特別な配慮が求められており、世界的な視点をもってこれに取り組んでいかなくてはなりません。


しかし、何やら総花的なこうした目標が果たして達成できるかどうかについて、研究者たちの間でも疑問視する向きがあるようです。仮にこうした試みの一部がうまくいったとしても、他がすべて失敗に終わったら、地球環境は今よりもさらに悪化し、その結果人類は、その長い歴史を閉じるかもしれません。

そしてその「絶滅シナリオ」が開始される際にトリガーになりうるのは、何か大きなイベントである可能性が高く、それには自然現象によるものと、人類自身の活動の結果によるものの二つがあると考えられます。

自然現象としては上でもあげた温暖化や気候変動以外では隕石衝突や火山の爆発といったものなどが考えられますが、一般にはこれらが一度に発生して人類が滅亡に追い込まれる事態が起きる確率は極めて低いと考えられています。

一方、人為的なものはそれ以上にリスクが高いとされています。例えば核によるホロコースト生物兵器戦争、パンデミック、人口過多などがあります。こうしたインパクトによって百年以内に人類が滅亡する、といったストーリーは昔からよく描かれてきました。

とくに核戦争・生物戦は、人類を滅亡に追いやる可能性が高いとする説がまことしやかに流布されています。冷戦期を超える軍備拡張競争が起こって大量破壊兵器の際限なき増加が続き、それらが第三次世界大戦の勃発で一度に使われる、といった話を何かの映画で見た人も多いことでしょう。

一方、ウイルスやプリオン、抗生物質耐性を持つ細菌などが大発生し、全人類に感染して死滅させるといった、いわゆる「パンデミック」も人類を破滅させる可能性が高いとされます。
そうしたものを作る技術的な障壁は発展途上国であっても既にかなり低くなっているといわれており、テロなどでばらまかれた病原体が人類を絶滅させる可能性はありそうです。

現在進行している極度の人口増加が人類の破滅をもたらすという説もあります。地球の歴史上、人類ほど数を増やし、また広範囲に広がった大型脊椎動物は他にありません。1800年に10億人だった世界人口は1930年に20億人に達し、現在では約79億人です。

将来的には120億人を超えるという推計もあり、将来的にも発展途上国で出生率が高い状態が続くと考えられています。人口爆発とも呼ばれる人口の増加により、人類は必然的により多くの資源を消費し、より広大な土地を利用するようになるでしょう。

それでも食糧生産が需要を満たせず、偶発的な飢餓発生などが起きれば消費が多すぎるため再生可能な資源も枯渇します。結果、耐えられる限界を超えて増殖した人類は、やがて劇的に減少していくと考えられています。


もし現在の発展途上国が先進国の水準に到達したならば、現在の先進国のような少子化が世界的に発生し、その後は永続的に人口が減少していくという説もあります。仮に世界の出生率がドイツもしくは日本の水準にまで落ちるとすれば、2400年の時点で人類は滅亡するといった学説も出されています。

科学の発展もまたそのトリガーになる可能性があります。規制なく野放図に科学の発展を続けていくと、人間の制御できない新技術が生まれてしまい、結果として人間を滅ぼすことになる恐れがあるという説などがそれです。

0.1 – 100 nmサイズの機械装置のことをナノマシンといいます。将来的にはこれを使った癌治療が実現するなど、医療の世界だけでなくその他の分野でも革新が起こると考えられています。自己増殖能力を持つものも出てくるとされていてグレイグー(Grey goo)と呼ばれています。これが際限なく増殖したとすると、地球の生態系を崩壊させる危険性があります。

また科学者が、世界が存在できているバランスを「たまたま」崩してしまう、ということもあるかもしれません。地球上でマイクロブラックホールを発生させたり、素粒子物理学研究上で偽の真空を創出したりしている段階で間違いが起こる可能性があります。

実際、欧州原子核研究機構の大型ハドロン衝突型加速器が稼働して、素粒子を光速に近い速度で衝突させたときに、マイクロブラックホールが生成される可能性が指摘されています。そうでなくても、現在我々が生きているこの大気中ではこの実験を上回る高エネルギー衝突現象が日常的に発生しています。

さらには人類を超える生物が登場するのではないかという危惧もあります。現在はホモ・サピエンスが霊長類の頂点に君臨していますが、過去には別の種族もあり、これらは全て競争に敗れ絶滅しました。

将来これと同様のことが起こり、我々以上に進化した新人類によって我々が駆逐されるかもしれません。我々の進化は現在も続いており、その中から理論上は新たな生物種が誕生する可能性は十分にあります。

一方、未来の人類はその進化の過程でその遺伝子に異常を来すかもしれず、そのために完全に2つの種に分裂してしまう可能性も指摘されています。まったく違う遺伝子に分化した両者が共存できればいいのですが、他方を撲滅しようと全面戦争になる可能性もあるわけで、その中で人類が滅亡していくというシナリオもありえます。

遺伝子工学などの発展により人為的に「ポストヒューマン」が生まれる可能性もあるでしょう。現在の我々よりも肉体的にも知能的にも優れた「新人類」です。これを「進化」と呼ぶかどうかは別として、地球の歴史上前例がないこうした新人類の登場によって、古い人類が滅ぼされる危険性もあるのです。

逆に人類は退化するのではないかとする説もあります。人間は既に進化の極致に達しており、今後は適者生存の原理が通用しなくなるという説です。既に人類は誕生して進化してきたのとは逆の方向性に向かいつつあり、やがて退化しすぎて滅亡に至るといわれます。


以上のように「人類の滅亡」ついてはいろんな可能性があります。無論、我々の経験したことがないような大事件であり、従って、参考とするデータは何もなく、このためそれがどのくらいの確率で現実となる可能性があるかについての予測は甚だ困難です。

ただ、すべてを仮設で埋め尽くして推論した例もあり、ハーバード大学の哲学者、ジョン・レスリーが2007年に打ち立てた理論では、500年後に人類が滅亡している可能性は30パーセントだそうです。また、2006年にイギリスの経済学者ニコラス・スターが発表した計算結果では、100年以内に人類が滅亡する確率は10パーセントでした。

いずれも100パーセントではありません。ということは、どうやら科学者たちはこの世からきれいに人類が消滅するとは考えていないようです。

人類のすべてが滅亡しないとされる根拠のひとつとしては、例えば世界規模の核戦争などが起こったとしても、人口密度の少ない僻地では人類が生き残るのではないか、とされるためです。例えばチベットの高地、南太平洋の隔絶された島々といった特殊環境では、人類が生き残る可能性があります。

また大都市の地下鉄の線路や構内、政府要人が退避するための核シェルター、長期間の孤立に耐えうる計画と物資を有している南極基地などで人類が生き残る可能性もあるわけです。

核爆弾だけでなく、人類の数を激減させる方法は他にもいくつも存在しますが、いずれにおいても少数の人類は生き残り、いずれは回復して最小存続可能個体数を上回る可能性が高いという説が有力です。

また、地球上のどこかに自立して外海と隔絶された集落を建設することで、人類存続可能性を高めることができる可能性もあります。実際に、いまからこれを実行しておくべきだと提唱する研究者もいて、ある学説では100人ほどの生存者がいれば、破滅的災害の後に人類が存続できる可能性は高いとされています。

それを宇宙空間に求めるべきだとする学者もいます。天才宇宙科学者といわれた故スティーヴン・ホーキング博士も、かつて太陽系内の星に広く移民することで、将来の地球規模の災害や熱核戦争による人類滅亡リスクを下げることができると語っていました。

遠い将来、こうしたコロニーを作成するため、火星をテラフォーミングして、恒久的に自給自足が可能な環境がそこに構築されているかもしれません。地球を脱出して宇宙植民としてそこで暮らす我々は、他の星に住まう宇宙人からは火星人と呼ばれているでしょう。

月もまたその可能性のある場所です。近年の研究で、月に貴重な鉱物資源だけでなく、およそ60億トンもの水が存在していると分かっています。

水は水素と酸素に分解できます。水素はロケットの燃料になるため、月から新たな居住地を目指して旅立つこともできます。また酸素が人類が生きるために役立つことは言うまでもありません。月資源開発を進めれば、多くの地球人がそこに住める可能性があるのです。

さて、時代の区分に始まり、人類の将来のことなど考えているうちに、今日も話が長くなってしまいました。

今年も押し迫ってきました。今年最後の満月は、12月19日だそうで、これは地球から最も遠い満月だそうです。ということは最も小さい満月ということになります。

年の瀬を迎えつつある今、人類滅亡の可能性などは忘れて、遠く離れたその小さな月に住まう夢でも見ながら今夜の一杯を頂くことにしましょう。

コールドスリープの季節


秋が深まるにつけ、鮮やかな紅葉が目につくようになってきました。

この紅葉ですが、どのような仕組みで起きるのでしょうか。

改めて調べてみたところ、その理由は以下のようです。

夏の間、落葉樹の葉では活発に光合成が行われます。しかし、秋になってだんだんと気温が低くなってくるとそれに適さない環境になり、光合成の装置は完全に分解されます。また夏の間、葉に蓄えられていたクロロフィルが分解されて別の物質が形成されます。

緑色だった葉は色を変え、赤くなる葉にはアントシアン、黄色くなる葉にはカロテノイドといった色素が合成されます。また茶色の葉にはタンニンが形成されます。秋になると鮮やかな紅葉が目に付くようになるのはこのためです。

こうした状況下では、それまで葉っぱに蓄えられていた水分やエネルギーが幹へと回され蓄積されます。冬の間に無駄に消費されるのを防ぐためです。そして、葉っぱの付け根には、植物ホルモンのエチレンという物質の働きで離層と呼ばれる切れ目ができます。

秋の深まるころ、ここから葉は枝から切り離され、木々はその葉を落として休眠状態に入ります。幹に行った栄養素は、翌年の春になると再利用され、新しい茎や葉が作られます。

こうして木々たちはその体内にエネルギーを蓄えたまま春まで冬眠します。ただし、針葉樹は冬眠しません。針葉樹もまた落葉しますが、一般には数年で葉を落とします。またすべてを落とすわけではなく、年単位で落葉しないので冬眠もないわけです。







落葉樹と同じく、動物にも冬眠するものがいます。カエルやカメなどがそれで、冬になると土の中に潜り込んで眠りに入ります。こうした変温動物が冬眠するのは、外の気温と体温がほぼ同じなので冬になると体温が下がってしまって、活動できなくなってしまうからです。

こうした爬虫類や両生類だけではなく、クマやリス、ヤマネ、ハムスター、コウモリといった哺乳類の一部も冬眠します。一般的な哺乳類は寒くなると体の中で熱を作ることができ、体温を37度前後に高く保っています。しかしこれらの冬眠動物は冬になると熱を作るのをやめてエネルギーを節約し、体温を下げることに専念します。

つまり、夏が終わって冬が近づくと体のモードが変わり省エネモードに入るわけです。例えばクマやリスは1年周期で冬眠するよう体がプログラムされていて、冬になると省エネモードになって冬眠がしたくてたまらなくなります。

こうした1年を刻むリズムは、もともとどんな動物も持っていたといわれています。しかし、生活環境によってこうした1年サイクルのリズムがないほうが便利だと考える動物の方が多く、これは我々人間も同じです。

その理由はよくわかっていませんが、進化の過程で冬の間も眠くならないようなリズムにシフトしたものと考えられています。人間の場合、野生のものを採るのではなく、農耕や牧畜によって、冬の間でも食料を自ら育て・生み出すことができるようになったのが理由の一つと考えられています。







冬になってエサがとれなくなるというのは、動物にとっては生きていく上では致命的です。人間のように自分で食料を生みだすことができない生き物が、エサがないときに取る戦略としては3つが考えらえます。

ひとつは渡り鳥のように「移動する」という方法です。またもう一つは「何でも食べて生き延びる」という方法、そして最後のひとつがが「眠ること」です。

一般に、冬眠する動物は眠ることで餌を食べないようにしてこのエサ不足を凌ぎます。クマやジリスはほとんど何も食べないことが知られています。とはいえ何も食べないで冬眠に入ると死んでしまうので、秋にたくさん食べて丸々と太り、冬眠中は貯めた脂肪を燃やしてエネルギーをつくります。そしてこの脂肪を冬眠中に燃やし切ります。

一方、シマリスやハムスターのような小さな動物は、巣穴にエサを貯めておいて、冬眠中に起きて食べることで餌不足に対応します。体温が下がった深い冬眠状態が4〜5日くらい続いた後に起き出し、体温を平熱に戻します。そして半日から1日くらいを費やして餌を食べてエネルギーを補給します。こうしたサイクルを冬眠期間中に何度もくり返します。

こうした冬眠動物は冬眠中に体温を下げます。なぜ体温が下げるかというと、起きていては体温を保つために大量のエネルギーを消費してしまうからです。普段は食べ物からとった栄養分をエネルギー源にし、それを燃やしたときに出る熱エネルギーで体温を保っていますが、エサの少ない冬には必ずしもそうはいきません。

冬眠ではなく反対に「夏眠」をする生き物がいます。夏になると暑くて乾燥する地域に多くみられ、乾きのために水や食料がとれなくなるためです。カタツムリやミミズ、昆虫などの無脊椎動物によく見られ、木のウロや岩かげにかくれて体温を下げて過ごします。このほか、ハイギョのような魚類にも夏眠が見られます。

冬眠する場合も夏眠する場合も、その間を過ごすためのエネルギーはその前に調達する必要があります。冬眠動物の場合、そのエネルギー源は、秋になって体内に貯めた脂肪か、巣穴にためたエサしかありません。こうしたエネルギーを節約するために、体を省エネにして栄養を燃やす量も減らします。結果、熱も出なくなりますから自ずと体温も下がります。

と同時に呼吸数や心拍数も減り、いわゆる仮死状態になります。クマなどの大型の冬眠動物はそれほど下がりませんが、それでも普段37度くらいの体温が30度くらいに下がります。またリスなど小型の冬眠動物では体温10度以下にまで下がるそうです。

クマなどの大型動物の体温が高めなのは、子育てのためだからと言われています。体温30度くらいだと少しは動けますから、メスのクマは冬眠期間中に起きて出産し、冬眠しながら授乳することができます。

あまり体温が下がらないため、かつてクマは冬眠ではなく、「冬籠り」をしているだけではないのかと考えられていました。しかし、最近の研究ではクマは冬眠中に使う酸素の量を減らしている、ということがわかってきました。

クマだけでなく多くの動物が、動いたり呼吸したり体熱を作ったりというように、体がエネルギーを使う時には大量の酸素を消費します。冬眠して省エネモードになれば、この酸素を使う量を減らすことができます。酸素消費量の低下もまた冬眠の特徴といえるわけです。







このように、体温が下がり、酸素の使用量も減ると、普通の動物は数時間か、せいぜい2日くらいしか生きられません。なのに、どうして生きることができるかについては、実はまだよくわかっていないようです。

ただ一つわかっているのは、冬眠動物は心臓の使い方を夏と冬で変えているということです。心臓から送り出す血液の量を減らすことで酸素の消費量は減らすことができます。しかし、まったく止めるわけではなく、僅かながらでも血が通っていれば細胞は死にません。

また零下の気温であっても流れてさえいれば血液も凍りません。体温が0度以下になるとさすがに凍ってしまいますが、北極に住むホッキョクジリスというリスの体温を調べたところマイナス4度だったという驚きの研究結果もあります。

こうした冬眠動物の能力は目を見張るものがあります。呼吸数も心拍数も減り、体温も下がって省エネな体になるのに、心臓は止まらないし、臓器も傷まない。そうした中で脂肪も効率的に燃やすことができるというのはすごいことです。

また筋肉も衰えにくいといいます。人間は病気などで長い間寝たきりになると、すぐに足などの筋力が落ちてきます。しかし、クマは冬眠中でも筋肉が落ちません。リスやハムスターなどの小動物も一度は筋肉が落ちますが、冬眠が明けるころ回復しているそうです。

冬眠という言葉からはすぐに「眠り」が連想されますが、英語で冬眠は「hibernation」といい、眠りを表す「sleep」は使いません。本来、眠りと冬眠は別物であるわけです。

ただ、冬眠が始まるときの動物の脳波は睡眠と似ており、冬眠は睡眠の延長線上にあるものと考えられています。上でも述べたとおり、その睡眠のパターンには、ずっと寝ているか、リスのように中途覚醒するという二つがありますが、いずれも眠りは深いようです。

このように熟睡しているときに、大地震や大寒波がやってきたらどうなるのでしょう。いくつかの研究では、冬眠中でも大きな音で起きたり、命の危険を感じるほど寒くなると起き出す例がみられたということです。眠りこけて無意識に見えても、音や外の気温を感じるしくみはちゃんと残されているようです。

ただし、多くの冬眠動物が目覚めてから動けるようになるまで、最低でも1時間くらいはかかります。なので、本当に危険な状態に陥ったときには命を落とすこともあります。体温はいきなりは戻りませんから、すぐには動けません。まず脂肪をたくさん燃やして、その熱で体温を上げていく必要があるわけです。

筋肉が動くまで体温が上がったら、体をブルブルと震ふるわせてさらに熱を上げて覚醒していき、そこでようやく動くという行動に移れます。これは我々人間が寒いときに体をゆすって体を温める行為と似ています。

動物園にいる動物も冬眠するそうです。上野動物園でもツキノワグマなどを冬眠させています。冬のクマはいつもぼーっとしていてとしてやる気がなく、あるとき飼育員がもしかしたら冬眠したがっているのではないかと思い、静かな部屋に移動させたところ、冬眠するようになったということです。ちなみにパンダは主食の笹が冬でも取れるので、冬眠しません。

家で飼っているハムスターなどのペットも冬眠してしまう可能性があります。外出中に暖房が切れていたり、寒い刺激が続くと冬眠してしまうことがあるといいます。ハムスターの場合、飼育環境に応じて冬眠するらしく、部屋の環境さえ整えれば夏でも冬眠させることができるそうです。ただ、冬眠させることができるのは年1回だけです。

とはいえ、むりやり冬眠させると失敗して死んでしまうケースもあるため注意が必要です。体温が下がって心拍数が下がるところまではいいのですが、問題はふたたび体温を上げていくときです。心臓がうまく動き出さず、止まって死んでしまうことがあります。ですから、ハムスターの場合には冬の間でも1日中部屋を暖かくして眠らせないようにするのが無難です。

一方、同じペットでもリスは冬眠させたほうがいいそうです。クマやリスは1年周期で冬眠するよう体がプログラムされており、そのリズムに従ったほうが体にはいいといいます。

こうした野生動物の中には時に冬眠に失敗するものがいるそうです。それでも、冬でエサがない時期に野外をうろついて行き倒れたり、天敵に食べられたりするリスクに比べると安全といえます。彼らにとって冬眠はその環境で生き残るために必要な行為なのです。

かく言う冬眠のメカニズムにはまだまだナゾが多いようです。しかしそれを解明できれば、人間も冬眠できるようになる可能性があります。

実際、極低温状態での生存例が報告されており、日本では2006年に遭難した神戸市の男性の例があります。10月に六甲山で崖から墜落し骨折のため歩行不能となりましたが、23日も経ったあとに仮死状態で発見されて救助されました。

遭難から2日後には意識を失い、発見されるまでの間、食べ物だけでなく水すら飲んでいなかったといい、発見時には体温が約22℃という極度の低体温症でほとんどの臓器が機能停止状態でした。しかし後遺症を残さずに回復し、治療した医師は「いわゆる冬眠に近い状態だったのではないか」と話しています。

また海外でも2012年の冬、スウェーデン北部の林道で、前年の12月から約2カ月間、雪に埋もれたままだった男性が救出されました。この45歳の男性は食料もなく車中にいたところを通行人に発見されました。こちらも31度前後の低体温の冬眠状態になったため、体力を消耗せず生存できたのではないかとされています。

このように、何等かの条件がそろえば人間も冬眠に似た状態になることができるのではないかと研究が進められています。冬眠動物は眠っている間に何等かの方法で体の代謝を抑制し、老化を遅らせて寿命を延ばしているといわれており、それと同じことをができれば、人間も寿命が延びるというわけです。

SF小説には「コールドスリープ」といったものが出てきますが、これは目的地に着くまで人体を低温状態に保つ技術です。もしくは冷凍保存に近い状態にして時間経過による搭乗員の老化を防ぎます。

実現すれば、数十年以上もの長期間に及ぶ宇宙旅行の際にそれに必要不可欠な食料や酸素、健康維持のための生活空間など、生活に要するものを少なく抑えることができます。その結果、宇宙船の質量を減らすこともでき、その分だけ燃料を減らすことができるほか、備蓄スペースを別のことに利用できます。

ただ、現状ではまだ長期間生命を保ったまま人間を眠らせる技術は確立していません。とくに冷凍保存では解凍のときに細胞を破壊してしまうことが問題になっています。SFでは「停滞フィールド」と呼ばれる時間を停滞させる技術がよく登場しますが、無論現時点では実現不可能な技術です。

とはいえ、冬眠への期待は大きく、とくに「臓器移植」に生かすことができるのではないかと多くの研究者がその実現を目指しています。例えば心臓移植の場合、移植するまでの時間が長ければ長いほど手術が成功する可能性が高くなります。

心臓移植では、脳死した人の心臓を移植しますが、現状では取り出して4時間以内に移植しないと心臓がダメになってしまいます。冷やす時間が長引くほど状態が悪くなり、移植には不利になります。

これまでの冬眠動物の研究からはこうした臓器が低体温下で傷まないことがわかっており、その原理が解明されヒトへの応用が進めば、臓器保存の時間がさらに伸ばせるかもしれないのです。それによって移植手術を待つ多くの人の命が救われる可能性があります。

このほか、冬眠中に筋肉が落ちないしくみや、脂肪を効率的に燃やせるしくみを応用できれば、寝たきりの人の筋肉の衰えを防いだり、生活習慣病の原因にもなる「肥満」の予防や改善もできるかもしれません。

さらに体温が低いと普通は血液がドロドロになりますが、冬眠中の動物は血液がサラサラで、「動脈硬化」や「血栓」が起きないこともわかっています。冬眠技術の応用によってその予防薬を作れる可能性があります。冬眠のしくみを生かしてこうした可能性がどんどんと広がっていけば長生きする人が増え、人生100年時代も夢ではなくなるでしょう。

ところで、冬が近づく今日この頃、なんとなく鬱々として気分が晴れない、落ち込むような感覚になるといったことはないでしょうか。

これは「冬季うつ」と呼ばれており、人類がその昔冬眠していたころの名残ではないかと言われています。その予防や改善にも、冬眠のメカニズムの解明が道を開くのではないかといわれています。

この冬季うつになる人は意外に多いようです。決して気のせいなどではなく、ひどくなると季節性感情障害(SAD)という病気として治療の対象になる場合もあります。季節の変わり目、特に日照時間が短くなる秋や冬に多く見られることから「季節性うつ」「冬季うつ」「ウインター・ブルー」など様々な呼ばれ方があります。

地域によって症状やその特徴が違ってくるようですが、多くの場合、日照時間が短くなる10月~11月に発症し、日照時間が長くなる3月頃に回復するようで、これを毎年繰り返します。その症状の多くは一般的には「うつ」と呼ばれる「抑うつ症状」や「双極性障害」に似ていますが、これとは別の特徴的な症状もあります。具体的には以下のようなものです。

・気分が落ち込む
・疲れやすい
・体を動かしたり、何かを始めるのがおっくう
・集中力が続かない
・いままで楽しめていたことが楽しく感じられない
・以前は普通にできていたことがうまくできない
・食欲がない

なにやらコロナに罹った人の後遺症のようでもありますが、これが冬季うつの症状です。

逆に過食になる、と言う人もおり、何よりも過眠になる、という人が最も多いようです。冬季うつになると、朝起きられず寝てばかりになり、やる気も落ちてしまいます。冬眠中の動物にも同じような症状がみられることから、その昔人間も冬眠をしていたのではないかといわれているわけです。

人によっては深刻な症状になる場合もあるようですが、いくつかの点に気を付けていれば、うつ状態から脱することができそうです。

その一つは、まず「なるべく日光に当たる」ということです。日光浴するのが一番で、そのついでに運動するのが推奨されています。生活環境や職場の電気を煌煌と点けて明るくする、というのも効果があるようです。

日光を浴びると体内ではセロトニンという物質が分泌されます。季節性うつ病の原因のひとつは、日照時間の短縮による日光浴時間の減少によってこのセロトニンが減ることです。「幸せホルモン」などと呼ばれており、人の多幸感にも大きく関与しています。

また、セロトニンは睡眠ホルモンであるメラトニンの原料です。これは睡眠・覚醒や季節感といった「概日リズム」に関与しているホルモンで、不足することで様々な変調を引き起こします。不足させないように日光に当たる時間を増やすことで抗うつの効果があります。

二つ目は、「栄養バランスの良い食事をする」ということです。先述のセロトニンは、日を浴びることによるだけでなく、体の中で作り出すこともできます。その材料になるのはアミノ酸の一つの「トリプトファン」という物質で、これを多く含んでいて効率よく摂取できる食品は肉や魚です。いわゆるタンパク質を多く含んだ食物で、これをたくさん摂りましょう。

また、こうしたアミノ酸の効率的な吸収や利用にはビタミンやミネラルも欠かせません。そのためには緑黄色野菜やフルーツなどの摂取も重要です。冬には入手しにくいこうした食材をたくさん食べることでアミノ酸の摂取が促進されます。

なお、季節性うつ病になるととかく食欲がなくなりがちですが、逆にごはんやラーメンなどの麺類が食べたくなって過食に陥ることがあります。こうした炭水化物ばかり食べていると栄養バランスが崩れて悪循環に陥ってしまいます。肉や魚だけでなく、緑黄色野菜やフルーツも摂り、淡水化物は控えめにするなど、バランスの良い食事を心がけることが大事です。

対策として3つ目に挙げたいのは、「安定した睡眠」ということです。季節性うつ病の発生には「体内時計」の乱れも深く関係しているといわれています。

日照時間が短くなる冬には、言ってみれば「時差ぼけ」のような状態になります。このため「概日リズム」が保てなくなりますが、日光を浴びることでこれが解消できることは上でも述べました。ここではさらにその応用として、それをできるだけ決まった時間に行うようにして、体内時計を乱さないようにします。

そのためには、おおよその就寝時間・起床時間を決めて、リズムのよい日々を送るように心がけましょう。せっかく日光を浴びて食事に気をつけ、セロトニンやメラトニンが不足しないようにしても不規則な生活をしていては何もかもが狂ってしまいます。朝はできるだけ早く起きて日を浴びる、夜更かしせずに十分な睡眠時間を確保することが大切です。

多くの動物と同じく、人間も夏は元気で、冬はテンションが下がりがちです。その予防のため我々も昔は冬眠していたに違いありません。実際、ロシアなど北の寒い地域ではかつて、冬になると食べる量を減らし、ほとんどの時間を寝て過すごしていたそうです。冬眠に似たような状態で冬を越すほうが生きのびるのに有利だったのでしょう。

ですから、四番目の対策として、いっそのこと冬眠してみる、というのもいいかもしれません。ただ、来年の春になっても起きてこなかった、なんてこともあるかもしれません。一方、この人生やることはやった、あとやっていないのは冬眠だけだ、という人は、終活として試みるのもいいでしょう。それはそれでまた人とは違った人生になるに違いありません。

目覚めたらあの世にいた… ちょっと試してみたい気がしないでもありません。

やはり軽されど軽


生まれてこのかた、いったいどのくらい引っ越しをしただろうか、とふと気になりました。

そこで指折り数えてみたところ、なんと15回も引っ越していました。

その昔フロリダに一年弱住んでいた時でさえ、一回引っ越しをしており、東京や神奈川に住んでいた時には7回も引っ越しています。傍からみるとなんとこの人は引っ越しが好きなんだろうと思われるに違いありません。

実際、生活のステージが変わるたびに環境を変えたくなる性分のようで、ただ単に気分を変えたいからという理由でよく引っ越ししていました。また失恋したことが原因になったこともあります。

とはいえ、自らの意思で引越を決めたいわば、「自発的理由」による引っ越しがほとんどです。世の中には、自らの意思でなく、何らかの理由でやむなく引っ越しを迫られる人もいるでしょう。それに比べれば自らの人生を自分でコントロールできてきたといえます。

「非自発的理由」で引っ越しせざるを得ない理由でおそらく一番多いのは、転勤や転職などでしょう。ほかには、騒音や公害などによる生活環境の悪化や、火災や自然災害で住んでいた家が壊れてしまった場合が考えられます。また、数は少ないでしょうが、公共工事の実施や施設の老朽化による立ち退きも考えられます。

日本の場合、治安の悪化による引っ越しというのはあまり考えにくいかと思いますが、近くで暴力団による事件が相次いだ場合とか、モラルの低い隣人がいる、生活習慣の異なる外国人が増えてきたから、という理由も考えられなくはありません。ほかに、ストーカーや離婚のトラブル、DVといったことも考えられます。

引越しするにあたっては、当然、家具や家電製品、衣服などの大量の家財を引越し先の住居へ運ぶ必要が出てきます。これらを自力で運ぶこともできますが、大きな家具などを運ぶのは大変なため、運送業者、引越し専門業者にこれを頼むこともあります。

私の場合、比較的荷物が多い場合でも、友人に協力を依頼したり、個人で梱包して運んでいました。引っ越し業者に依頼したのは、ここ修善寺に越してきたときくらいのものです。独身時代と違い、夫婦二人の荷物となるとさすがに一人では運べません。

独身時代、自分で荷物を運ぶ場合にはたいていはトラックやワンボックスカーなどのレンタカーを借りていました。

荷物が少ない場合には知り合いが持っている軽トラックを借りたりもしていました。小さくて小回りが利き、それでいて荷台には意外と多く荷物が積めるため、個人の引っ越しには最適な輸送手段といえます。

日常の短距離移動の道具として「下駄代わり」に多くの人が使っているこの車は、日本の風土や日本人の生活に大きく関わっている自動車といえます。

とくに農山村部や漁村・漁港では仕事と生活の両方で利用されており、農業機械などの道具、収穫した農作物、水揚げした海産物を運搬するための必需品です。また都市部においても、商店・飲食店主や建築関連の職人といった自営業者が軽トラックを保有し、仕事用具や資材、商品を自ら運ぶ場合が珍しくありません。




調べてみると、日本全国で900万台ほどもあるようで、その普及ぶりから、日本の国民車といってもよいほどです。全国で最も保有率の高いのは意外にも東京都で、これは人口が多く商業施設が集中していることと、隘路が多いことが関係しているのでしょう。車体の小さな軽トラは東京の下町を走るのに最適です。

通常のトラックと比べると車両価格や維持費が安く、自家用貨物車としての自動車税はなんと年間たったの5,000円ほどです。2年毎の重量税を含む車検費用や任意保険、車両保険なども格段に安く、個人や零細事業者による保有・維持が容易な点も人気の理由です。

運送業を営むには貨物自動車運送事業法により5台以上を必要としますが、軽自動車のみを使用する場合は「貨物軽自動車運送事業」として1台から許可が下ります。軽トラ1台で事業をスタートできるわけで、これもその需要を押し上げている理由かと思われます。

こんなに便利なものなら輸出すればいいのに、と思うのですが、諸外国では上記のような優遇税制がないことや、「軽自動車規格」というものが日本独自のものであるため、あちらでの法規制に適合しないことが原因で受入れができないようです。

とくにアメリカでは、自動車排出ガス規制と衝突安全基準に抵触することから、基本的には日本製の軽トラは走れません。ただ、一定の速度制限や、自宅からの最大走行距離の制限、州間高速道路への乗り入れ規制といった一定の制限の下で公道走行を許容する州もあり、全米21州でこうした「ミニトラック州法」が適用されています。

しかし走れるとはいえ速度や距離に制限がある軽トラはあまり人気がなく、アメリカではほとんどみかけません。1968年に衝突安全基準などが厳格化されたこともあり、公道走行車両としては販売されなくなりました。その後は農場での作業車として販売されていましたが、売り上げが少ないため1990年代に日本のメーカーは撤退してしまっています。

アジアに目を向けると、台湾や東南アジア諸国で軽トラが売られてはいますが、排気量の制約が存在しない現地事情に則して、エンジン排気量が700ccから1000cc前後にボアアップされて販売される例がほとんどです。日本で生産されたままの軽トラは流通していません。

韓国では、軽トラを生産している自国企業があり、こちらのほうが排気量上限が大きいため、日本の軽トラは太刀打ちできません。

逆にフランスのように日本の軽トラよりも排気量の小さなものが生産されている国もありますが、排気量や最高速度の面で見劣りする、という評価がなされていて人気がなく、日本の軽トラも輸入しようという気にならないようです。

あんなに便利なのに… と誰しもが思うところでしょうが、それぞれの国でその国にあった規制や規格を設けている以上、そこに日本の軽トラが入り込む余地がない、というのが現状のようです。とどのつまり、軽トラは日本においてのみ広く流通している特殊な自動車であって、世界的な標準ではなく、極めて日本的な乗り物ということがいえるようです。




そのデザインですが、各社とも同じような形をしています。現在生産されているものはほぼすべて並列2座のキャビンを持つキャブオーバー式(フルキャブ)です。これは普通の乗用車のようにボンネットがなく、座席の前がすぐに切り立っている形式です。

かつては、セミキャブオーバー式(セミキャブ)、つまり座席の前に小さいながらもボンネットがついていたものもありましたが、ホイールベースが必然的に伸び、車内足先を前輪ホイールハウスが占有して居住性・乗降性に難が生じる、といった欠点があるため、造られなくなりました。

さらに狭い山道や農道などでの小回り性能はフルキャブのほうがよく、荷台の長さなどでもこちらに利があることから、現在、セミキャブ方式の軽トラはほとんどありません。

90年代からは衝突安全基準が厳しくなったためにクラッシャブルゾーンを広く取れるセミキャブが一時増えたものの、最近は技術が進んでフルキャブでも対応できるようになりました。

各メーカーの軽トラのエンジンは、ほぼすべてが縦置きの直列3気筒となっています。同じメーカーの乗用モデルと基本設計が共通化されているものが多いようですが、乗用車に比べて共用低速から粘り強いトルクを発揮するセッティングが施され、燃費などの経済性を重視した自然吸気のものがほとんどです。

駆動方式はフロントエンジン・リヤドライブ(FR)が一般的で、エンジンはキャビンのシートの下か、荷台の真下に配置されています。軽トラックは悪路で使用されることが多いため、ほとんどのメーカーでFR以外にも四輪駆動モデルが併売されています。

副変速機を用いて悪路走行に対応したものや、燃費をよくするために燃料噴射装置を装備したもの、高速巡航を意識したターボ付きのものなどの高級仕様もありますが、普通にはあまり搭載されません。パワステやカーエアコンを省いたものが最廉価モデルとして設定されています。

変速機はエンジンと同じく低速・重負荷走行に強いローギアードのマニュアル(MT)が一般的で、かつては用途に応じて変速段数の異なるMTが選択できる車種もありました。1998年の660cc新規格の発表まではオートマ(AT)はあまり普及してはいませんでしたが、今日ではほぼすべての車種にATが用意されています。





気になる価格ですが、最安値で6~70万円前後で購入できるようです。無論新車です。また燃費ですが、通常の2WD車なら17~20km/ℓくらい、4WDで12~15km/ℓといったところのようです。マニュアル車を選び余分な装備を付けない、そしてエアコンをオフにして走ればおそらくもっと良い燃費になるでしょう。

上述のとおり用途はさまざまですが、近年では小型キャンピングカーのベースにされることも多くなっています。とくに、団塊の世代と呼ばれる昭和22~24年生まれの人々の間で人気だとかで、引退後に時間を持て余すことが多いこの人たちにとっては、ベース車両の価格の低さや低維持費が魅力のようです。

ほかに、取り回し易さや駐車場を選ばないといったこともあり、夫婦2人で軽トラベースのキャンピングカーを購入して、日本中を回る人が増えています。

最近では軽トラックに農作物や地場産品を積み、時通行止めにした公道上や広場でこれらの即席販売を行なう「軽トラック市(軽トラ市)」も増えていて、全国で100カ所近くでこうした催しが行なわれています。他にも、焼き鳥や石焼き芋、焼きそばといった焼き物系屋台経営にもよく用いられています。

いわゆる「屋台」といった販売形式にも軽トラは最適で、移動できるという利点を活かして、最近はいろんなものが軽トラで販売されています。野菜類、果物類、魚介類その他食品、雑貨、衣料など様々ですが、最近はコロナ渦の中にあって、軽食や弁当を売る軽トラ屋台も増えています。

大規模商業施設や小売店舗に近接して店を開き、通行客などを相手に商売を行う、いわゆる「こばんざめ商法」に軽トラが使われることも多く、町の風物詩にもなっています。

このように我々の生活に密着していると言ってもよい軽トラックですが、その未来はどうなのか、というと、これはやはり軽トラを含めた「軽自動車」全体が将来どうなっていくのか、という議論に行きつきます。

近年の軽自動車は、エンジンのパワーが旧規格の550cc時代とさほど変わらない割には、車重が1 トンに迫るかあるいはそれを超えるほどに重くなってきています。このため、1,000 ccクラスのコンパクトカーなどの小型乗用車に比較してパワーウエイトレシオ(重量/出力比)が悪く、燃費も悪くなりがちです。

このため、相対的に環境負荷が大きな軽自動車を普通車よりも過剰に優遇すべきではないのでは、という主張が出てきています。実際、2010年に民主党政権下の総務省が主催した「自動車関係税制に関する研究会」では、軽自動車と1,000 ccの小型自動車のCO2排出量平均値は、軽自動車の方が多いと報告されていました。


こうしたことを受けて、軽自動車への優遇をやめ、むしろ新たに「環境税」といった税を課すべきだという声が高まっています。

しかしその一方で、いくら環境のためとはいえ軽自動車の増税には同意できないという声もあります。その理由はやはり、軽自動車は高齢者や低所得者にとって、貴重な移動の足であるということです。軽自動車がなくなれば買い物や通院、通勤・通学に支障をきたし、日常生活そのものが破壊される可能性があります。

とくに都市部を中心に狭い道がまだまだ多い日本では、車体サイズが極めてコンパクトである軽自動車の利便性が相当に高く、軽自動車を下駄替わりに使っている年金暮らしの高齢者や低所得者層はこれがなくなると遠出できなくなってしまいます。

さらに軽トラックの保有率が高いのは東京ですが、軽自動車全体の普及率は地方のほうが高くなっています。その理由としては、地方では代替となる交通手段が多くは存在しないことです。30万人未満の複数の市で取られた統計結果によれば、「公共交通は不便」と答えた人が4割、10万人未満の都市では半数にものぼりました。

さらに地方は田舎道が多く、移動距離も長いためマイカーは欠かせません。同じく30万人未満の都市で、日常の買い物における移動距離が5 kmを越えると回答した人の割合は、30万人以上の都市の倍であったという調査結果もあります。

地方に住む多くの人たちが、日常シーンにおいて軽自動車などのマイカーが使えないと重大な障害が発生すると考えています。通勤では「遅刻」や「帰れない」を可能性としてあげる人が多く、中には軽がなければ「辞職不可避」といった声もあります。また買い物では「頻度低下で食生活に影響」「そもそも行けない」と言った声も上がっています。

軽自動車の用途については、「買い物」+「通勤・通学」がおよそ8割となっており、また使用頻度も「毎日使用」が約7割と言った結果を見ても、ユーザーにとって軽自動車の存続が死活問題であることが見て取れます。

多くの人が「軽は生活必需品」と考えており、軽がなくなると「困る」と考えています。とくに高齢者層の2割以上、30代でも1割以上は「軽でないとクルマを持てない」と考えていることがなどもわかっています。

軽自動車を製造する大手メーカーのスズキの創業者、鈴木修氏も、軽自動車は比較的低所得の人が生活・仕事に使っているとし、軽自動車の増税については「弱いものいじめと感じる」「こういう考え方がまかり通るということになると、残念というより、悲しいという表現が合っている」と発言しています。


こうした「必需論」が大勢を占める以上、軽自動車や軽トラックが将来にわたって無くなるということは考えにくいようですが、もうひとつ別の見方として、そもそも軽自動車よりも上のクラスの普通乗用車の税金が高すぎるのではないか、という議論があります。

「自家用かつ乗用の」登録車の税金だけが他と比べて突出して高く、例えば軽自動車税は自家用乗用の場合、年1万円程度なのに対して、1,000cc以下の乗用車では約3万円となっており、その所有のためには3倍近い負担を強いられています。

また、自動車取得税も、軽自動車は課税対象額の2 %なのに対して、普通車は3 %です。自動車重量税も、軽自動車はエコカー減税非対象車の3年新規検査車で1万円弱なのに対し、普通車の場合は0.5 t以下であっても、3年で1万五千円です。さらに軽自動車の場合は、18年超の「高齢車」であっても自動車重量税はわずか9千円ほどで済みます。

つまり、そもそも普通車の課税額が高いからみんな軽自動車に乗るんだ、という見方もできるわけです。こうした税制を改めれば、現在若者離れが生じている自動車市場にも喝が入るのでは、という人もいます。ただし、その一方では、普通自動車の税金が安くなると「軽自動車離れ」が起きるのでは、という懸念もあります。

しかし、考えてみれば価格の安い軽自動車の販売では、各メーカーとも得られる収益が少ないわけであり、税金を安くして普通車がもっと売れるようになれば、メーカーもユーザーもウィンウィンになるはずです。軽自動車も税制は今のまま、もう少し排気量を大きくして環境効率の高いものにすれば、さらに売れ続ける可能性があります。

ただ、私は軽自動車をこれまで一度も所有したことがありません。それは私がお金持ちだからということではなく、軽自動車に対する衝突安全性能にかねてより疑問を持っているからです。長い間クルマを運転していると軽自動車と普通乗用車の事故をよくみるのですが、相手が大きいクルマであればあるほどその被害状況は深刻です。

いざというときの安全性を考えればやはり強度の高い普通自動車を、というのが私の考え方です。ただ、それをみなさんに押し付けるつもりはなく、軽自動車のよさもまた認めてはいます。安全運転を心掛けさえすれば、こんなに安くて便利なものはありません。

願わくば普通乗用車の税金をもっと安くしてもらい、軽自動車ももっと安全で魅力のあるものにしてもらって、未来永劫、両者ともにウィンウィンになる時代が来てほしいものです。

自然ってなんだっけ


そろそろ10月も半ば、最近になってようやく過ごしやすくなりました。

秋吹く風も涼しく、軽快な足取りで外を歩くことができます。

ただ、惜しむらくはその空気の中に、ほんの少しウィルスが含まれているかもしれないという懸念があることです。

最近かなり下火にはなっているというものの、もしかしたら… と考えると気楽に町中は歩けません。とくに人が密集している都市部にはいまだなかなか足を向けられないというのが現実です。

こうした昨今、安全に出歩けるのは人里離れた野山ぐらいです。奥深い山の中や霧深い渓谷に身を置けば、そこではマスクもはずして思い切り深呼吸ができます。

最近、週末になるとそうした自然を求めて、よく山野を歩き回るようになりました。伊豆には山奥ながらも足元がしっかりしたトレイルがいろいろあります。半日ほどもそこに身を置けば、心身ともにリフレッシュされるとともに、忌まわしい感染症のことも忘れていることができます。

あまり人には教えたくないのですが、最近のお気に入りのひとつが、伊豆の国市にある「浮橋市民の森」という公園です。

旧大仁町の町政50周年を記念して作られたもので、約15ヘクタールもの広さがある公園です。自然のままの起伏を活かした園内は、深い緑に囲まれ小川を中心にほどよく整備されており水遊びが出来ます。森林浴・バードウォッチングにも最適です。

標高の高いところにあるので、夏は涼しく過ごせます。まだ秋に行ったことはありませんが、モミジの木がたくさんあるようなので、これからが見頃でしょう。四季それぞれの植栽もいろいろあり、他の季節でも楽しむことができそうです。ただ、アクセスがよくなく、それがあまり人に知られていないゆえんです。






こうした自然に満ちた場所は人を幸せな気分にしてくれます。この「自然」は、英語に訳すと”natureになります。生まれや性格を意味するラテン語の”natura”に由来しますが、英語では、「世界の現象全体」という意味で1266年に初めて使われたそうです。

その昔の西洋の宗教学では、神と人間の間に位置するものと定義されていました。11世紀以降にキリスト教神学者・哲学者などによって確立された「スコラ哲学」では「神がお書きになった二つの書物のひとつ」とされています。

二つのうちの一つは、「聖書」であり、もうひとつが「自然という書物」です。聖書だけでなく、神が書いたもうひとつの書物である自然を「読む」ことによって、神の意図や目論見を知ることができる、と考えられていました。

この二つの書物は異なった言語で書かれていたそうです。聖書は人間が話す言葉で書かれ、もう一方の自然は「数的な言葉」で書かれていたといいます。

ガリレオ・ガリレイも次のように述べています。「神は数学の言葉で自然という書物を書いた」。

英語で、“law”といえば法律のことですが、これにはもともと数学や物理などの「法則」という意味も含まれていました。古くはlayの過去の分詞だったそうです。「横たわる」と言う意味ですが、神が置く、整えるというのが原義であり、つまりlaw=法則=自然とは神によって「整えられたもの」ということになります。

現在でも大学の一カリキュラムとして採用されている「リベラルアーツ」の自由七科は、もともとはこうした神が与えたもうた法則や聖書の言葉を学ぶためのものでした。キリスト教の理念に基づいた教育体系であり、これを整えるためギリシャ・ローマ以来の諸学が集大成されてできたものです。

13世紀のヨーロッパで大学が誕生した当時、神学、法学、医学が主な科目であり、これを学んで卒業した人たちはエリートとみなされていました。ただ大学に入っていきなりこれを学ぶのではなく、その前の段階で学ぶべき基礎的な学問体系として用意されていたのがリベラルアーツです。

神学家や裁判官、医者を目指す学生たちは、それを本格的に学ぶ前にリベラルアーツの自由七科を哲学部ないし学芸学部といった場所で学習していました。これは現在でいうところの「教養学部」に相当するものです。

より具体的には、この7科はさらに3科と4科に区分され、うち3科は文法・修辞学・弁証法であって、これらは上の「二つの書物」のうちの「人間の言葉で書かれたほうの書物」を学ぶためのものです。つまり、聖書をよりよく理解するためのものと位置づけられていました。

一方、4科とは、算術・幾何・天文・音楽であって、こちらは人が理解するには少しばかり解説が必要なもの、とされていました。当時は天文も音楽も数学的なものとされており、この4科は「数の言葉で書かれたほうの書物」=「自然をよりよく理解するためのもの」という位置づけでした。

現在の自然科学は、この自然を理解するための4科の裾がさらに広がりあるいは深まって発展してきたものです。それに加え、上級学問である神学、法学、医学も合わさって形成されたものにほかなりません。

つまり、欧米において「自然」を学ぶためには、神の声を聖書で読んで理解し、加えて神の言葉を数学的に学んで基礎学力をつけたうえで、さらに上級の学問を学ぶよう仕向けられていたわけです。






それでは日本ではどうかというと、日本で「自然」という言葉が初めて使われるようになったのは平安時代のことです。平安末期の辞書である「名義抄」には既に「自然ヲノヅカラ」という表現がみられます。

日本語のルーツでもある中国でも、いわゆる老荘思想の中に「自然」という言葉が出てきますが、これらはいずれも現在のような自然を意味するものではなく、「意識的せずに」といった文章の言い回しとして使われていた語です。

老子の老荘思想における「無為自然」とは、「作為がなく、宇宙のあり方に従ってありのままであること」と解釈でき、ことさらに知や欲をはたらかせずに、ありのままに生きることがよい、と言う意味になります。

つまり、自然ではなく、これと対立する人為的なものを否定するという意味で使われており、ここから自然やそこに宿る魂(自然霊)を尊ぶ神道のような宗教が生まれてきたと考えられます。

自然という言葉を欧米のように「数的な言葉」と考え、科学の一端として捉えるようになるのははるかに後世のことです。人の手の触れない地形や環境を指す言葉としての自然は、開国後に「nature」等の外国語を訳する際に使われるようになった言葉だと思われます。

それまでの日本では、自然は「じねん」と読むことが多かったようです。これは万物が現在あるがままに存在しているものであり、因果によって生じたのではないとする仏教の無因論からきたものです。外からの影響なしに本来的に持っている性質から一定の状態が生じることで「偶然」「たまたま」といった意味も持ちます。

現代語の「自然」のように、人間を除いた自然界、山や川、動植物を指す言葉はもともと日本語には存在せず、人間と自然界の間に隔たりを見ることなく、ただ自然(じねん)にあるものがあるようにしてあるだけでした。仏教的な精神風土が日本に根付いた結果使われるようになったものといえます。






このように、「自然」と言う言葉の生い立ちは、日本と欧米ではかなり違っていますが、現在のように西洋的な自然の考え方が世界標準になり、東洋にも浸透し融合してからは、我々日本人が使っている自然もnatureとほぼ同じ意味合いのことばになっています

一方、「自然(=nature)」と言う言葉は、現在では「自然環境」の意味として使われることも多くなっています。

原生地域を意味することもありますが、通常は野生動物、岩石、森林、海岸など、人類に影響されていないものを指します。また人類の介入にも関わらず以前と変わらぬ姿を保持するものも指し、人工物や人間が介在する事象は自然の一部とは見なされません。

そして我々が普段言うところの「自然環境」とは地球のことにほかなりません。地球は今のところ生命の存在が確認されている唯一の惑星であり、その自然は様々な分野の科学的研究対象となっています。

太陽系においては、太陽に近いほうから3番目の惑星であり、地球型惑星としては最大であって全惑星の中では5番目の大きさです。その気候的特徴としては、2つの大きな極地があり、2つの相対的に狭い温帯があって赤道付近には広い熱帯と亜熱帯があります。

降水も地域によってかなり異なり、年間降水量が数mにも及ぶ地域もあれば、1mm未満の地域もあります。地球表面の71パーセントは塩水の海洋に覆われています。それ以外は大陸や島であり、人間が居住する土地の多くは北半球にあります。

地球は地質学的および生物学的プロセスを通して進化し、そこに古代の痕跡を残してきました。地球を覆う表皮、「地殻」は、過去にはほぼひとつにまとまっていましたが、その後プレートに分かれてゆっくりと移動し始め、今やユーラシア、南北アメリカ大陸、オーストラリア、アフリカ、南極などに分化しています。

地球の内部に目を向けると、そこは地球ができた当時と同じように活発に活動しています。岩石が溶解したマントルという分厚い層があり、その内側には鉄を多く含む核があって磁場を形成しています。






一方、こうした地球を取り囲む大気圏に目を向けると、そこは地球ができたころとは大きく変わってきています。

実はその構成は生命活動によって形作られてきたものです。火山やプレートといった地質学的な活動がそれを左右してきたと考えがちですが、こうした地表の条件を安定させるためには生態学的なバランスを取ることが必須であったといわれています。

気候がそのバランスを保つ重要なファクターであり、緯度その他の要因で気候は地域によって大きく異なるものの、長期的な全体の気候は氷河期の間はともかく、間氷期の間はほぼずっと安定していました。

この間、全体の平均気温が1、2度しか変化しないことで生態学的バランスが保たれてきたという経緯があり、と同時にそれが地球の地理の安定にも大きな影響を及ぼしてきました。植物や生物の存在そのものが地表の環境を左右し、また大気の成分の構成を変えてきたのです。

そう考えてくると「生態系」こそが自然を表す言葉ということになります。生態系というとすぐに植物と生物を想像してしまいますが、実はこれらだけで成り立っているものではなく、様々な「非生物」とともに構成されています。

生態系を形作る非生物として特に重要なものは、土壌、大気、太陽からの輻射、水、です。これらの非生物因子は、それぞれの生物と相互に関連付けられた形で機能しています。また、その構造と構成は生物との相互作用によって醸し出される様々な環境要因によって決定されています。

反対に、こうした要因の変化は生態系に動的な変化をもたらします。そして生物はこうした生態系という概念の中心です。生物が中心にあってその周辺の環境の全ての要素と相互作用している、というのが現在科学における生態系の基本的考え方です。

生態学の祖と言われたユージーン・オダムは、「与えられたエリアの全ての生体群とエネルギーの流れが明確に定義された栄養構造・生物多様性・系内の物質循環をもたらす物理環境を含む単位を生態系という」と定義しています。

難しすぎてよくわかりませんが、これは、生物と非生物の間の物質の交換をしているコミュニティこそが生態系だ、と言っているだけのことです。

また、生態系内では、様々な種が相互につながり、食物連鎖という形で相互に依存しており、種の間および周囲の環境との間でエネルギーや物質を交換しています。つまり、「生命」こそが生態系の要である生物を形作っているといえます。



では生命と生物の違いは何でしょうか。

生命とは、生物的な現象をおこす性質のことであるといえます。対して生物は、生命現象をおこす個体のことを指し、“生命現象“をおこす”物体“が「生物」です。

「生物が死ぬ」とは、生物が生命を失って抜け殻になることと考えることができます。また「生物が消える」と言った場合、たとえば宇宙空間などのように一切の生き物がいない状態を想像できると思います。現代科学では物理的に生物はそこにいられないと考えられています。

この「生命」の定義については、実は万人が合意したものというものはありません。スピリチュアルを信じている人たちは、死後の世界に棲む霊たちもまた生命(永遠の)、だと主張しています。ただ一般的な科学者たちは、生物学的な生命の証として、一般的に代謝、成長、適応、刺激への反応、生殖を挙げています。

一方、「生物」と言った場合、これは植物、動物、菌類、原生生物のほか、古細菌、真正細菌などの細菌までのものとするのが通常の考え方です。その共通する特徴としては、細胞があり、炭素と水を基本とする複雑な組織があり、代謝活動し、成長する能力があり、刺激に反応し、生殖するといったことです。

一般にこの「生物」の中にはウイルスは含まれていないとされます。生命の最小単位とされる細胞やその生体膜である細胞膜がないからです。また小器官もなく、自己増殖することがないためでもあります。

ただ、生物かどうかについては、上記のような科学常識とされる生物的な特徴すべてが必須とされるわけではない、と考える人もいて、生物に含めてもいいのではないか、とする見方もあります。これはウイルスは少なくとも刺激に反応し、生殖している、といったことなどからきているようです。

もっとも他生物の細胞を利用して自己を複製させるという点などは、明らかに普通の生物とは異なります。寄生が大きな特徴であって、生物というよりもむしろ極微小な感染性の構造体、タンパク質の殻とその内部に入っている核酸からなっている物体にすぎない、とする学者もいます。

現在ではこうした非生物論が多数を占めていますが、未だに生物に含めるべきとする学者もいます。ウイルスは宿主に感染した状態では生物のようにふるまっており、これを本来の姿と捉えれば生物とみなせなくもない、というのがその理由のようです。

また、アカウントアメーバというアメーバの原生種の中に巣くうミミウイルスと呼ばれるウイルスのように巨大で複雑なものもあり、これはほとんど生物ではないか、といった議論があります。

通常のウイルスが小さいもので20〜40nm、大きいものも含め平均すると100nmほどであるのに対し、このウイルスは直径がおよそ750nmもあります。またゲノムサイズはおよそ120万塩基対、遺伝子数は980もある巨大なウイルスです。

一般的な細菌の大きさはウイルスの50倍程度、5000nm程度の大きさですから、やや小さいものの、これに匹敵する大きさといえ、こうしたこともウイルスも生物とみなせるのではないかという意見を後押ししているようです。



仮にウイルスを生物と見なすならば、その数や多様性は地球上で最も多いといえます。またメタゲノム解析(微生物を培養することなく、ゲノム(遺伝子等)を直接精製してその性質を調べる最新の解析方法)の実用化により様々な環境において「生息する」ウイルスが見つかっています。

これらの解析からは、宿主に残ったウイルス由来の遺伝子が生物進化に関わってきたことがわかっており、またウイルスが地球の生態系や気候にも影響を与えてきたこと、また現在も影響を与えているらしい、といったこともわかっています。

さらに動物や植物のほかほぼ全ての生物の内部に特有のウイルスが存在する、といったこともわかってきています。ヒトを含めた動植物に感染症など疾病を引き起こすウイルスはごく一部ですが、発見・分析されていないウイルスが野生鳥獣を宿主とするものだけで170万種もあるそうです。

その半数が人獣共通の感染症の病原体になるリスクがあると推計されていますが、残りのものは無害と考えられているようです。

それほど多くのウイルスが地球にいるのなら、全宇宙にはもっとたくさんのウイルスがいるのではないか、と考えることもできます。ここまで「自然」の定義を地球に限定して書いてきましたが、それを宇宙空間にまで広げるとすると、天体の大気圏の外側に広がる宇宙の空虚な領域までもが「自然」ということになります。

地球の大気と宇宙空間の間には明確な境界は存在せず、大気は高度上昇と共に徐々に薄くなっていますが、それがどこかでぷつんと切れているわけではありません。その延長線上に宇宙は広がっており、そこには目には見えない素粒子が充満していると言われています。無ではなく何かがそこにあるならばそこもまた自然と考えることができます。

これまで地球外では生命体は発見されていないとされていますが、生物の範疇をウイルスにまで幅を広げて考えるなら、もしかしたら、と言うことも考えられます。ウイルスは生命体に寄生するからこそ存在できるとされていますが、広い宇宙のこと、もしかしたら生命体に依存しないウイルスもいるかもしれません。それをウイルスと呼ぶかどうかは別として。



地球は太陽系内で唯一生命体が存在することが知られていますが、火星にはかつて地表に液体の水が大量に存在していたことを示唆する証拠が見つかっており、そのため、かつて火星には短期間かも知れないが生命が存在していた可能性があります。もしそこに生命がかつて存在していた事実が証明されればそこにもまたウイルスがいたかもしれません。

そのほかの惑星、例えば水星や金星といった他の地球型惑星は、我々が知っている様な生命を維持するには厳し過ぎる環境と見られていいます。しかし、木星の4番目の大きさの衛星エウロパは、氷の地表の下に液体の水の層があると見られており、生命の存在する可能性が指摘されています。

最近、スイスの天文学者たちが赤色矮星グリーゼ581の周囲を回るグリーゼ581dという太陽系外惑星を発見したそうです。このグリーゼ581dはその恒星周囲のハビタブルゾーンにあると見られており、我々が知っているような生命が存在する可能性が大だそうです。

そして、そうした地球外惑星に棲む生物にもまたウイルスが宿っている可能性があります。
いつか、我々人類がそうした生物をみつけ、地球に持ち帰ったとしたら、そうした生命体に宿る未知のウイルスが地球に巣くう時代が来るのかもしれません。

そうしたウイルスによる感染は、地球に大きなダメージを与えるかもしれません。しかし、一部のウイルスなどに見られるように、宿主の生存に有利に働くウイルスも多いと考えられます。それらはむしろ地球の生態系を進化させるかもしれません。

将来、我々の科学技術がもっと発達したら、そうした有利な面だけを取り込むことができるようになるに違いありません。いつか、地球外からきたより優れたウイルスの力を借りることによって、人類はより強靭な肉体を持つようになるのかもしれません。

今はまだウイルスにおびえる日々が続いていますが、いつかそんな日がくる、それを期待したいものです。


ひとつ目のはなし

東京オリンピックは有終の美をもって終わりましたが、もうあと半年も経たないうちに、冬季オリンピックが始まります。

次期の冬季オリンピックは北京で開催されます。2015年7月31日にクアラルンプールで開かれた第128次IOC総会で決定されました。

1次選考を通過した都市は北京のほかにもうひとつ、カザフスタンのアルトマイがありました。事前には北京圧勝の見方もありましたが、結果は44対40と4票の僅差での辛勝となりました。

北京に肉薄したこのアルマトイを現地調査したIOC委員は「壮観な山と素晴らしい会場施設があり、冬季競技への情熱を持っている」と好評価するとともに「大会を成功させる要件を整えている」と述べました。

アルマトイは、オリンピック招致に関して2014年の冬季五輪開催都市にも立候補していましたが、一次選考で落選しています。

しかし、2011年に開催された冬季アジア大会は、首都ヌルスルタンとともにアルトマイで共同開催されたほか、2017年冬季ユニバーシアードの開催地にも選ばれるなど、国を挙げての冬季国際大会の誘致に貢献しています。オリンピックに招致において今回は中国に敗れましたが、将来の奮起を期待したいところです。

このアルマトイという都市はカザフスタンでは最大の都市であり、経済・教育・文化の中心地です。しかし、あまり聞いたことがない人も多いでしょう。

そもそもカザフスタンという国を良く知らないという人も多いのではないでしょうか。正式名は「カザフスタン共和国」で中央アジアに位置する共和制国家です。首都はヌルスルタンですが、もともとはアルマトイが首都で、1997年にここに遷都されました。

ヌルスルタンは美しい町のようです。古くはアスタナと呼ばれた小さな町でしたが、首都となった今、ベルリンを手本とした計画都市として生まれ変わりつつあります。

日本人建築家の黒川紀章の計画に基づいて計画が推進されていますが、未だ建設途上にあります。当初からの黒川さんの計画が今も継続されており、全体像の完成は2030年頃とされています。さながらガウディー設計のサグラダファミリアのようです。

位置的にアフガニスタンは、北をロシア連邦、東に中華人民共和国、南にキルギス、ウズベキスタン、西南をトルクメニスタンにそれぞれ国境を接している内陸国です。ただ、カスピ海、アラル海など海にも面していて、国際貿易港も持っています。

国名は、カザフ人の自称民族名カザク(Qazaq)からきており、これと、ペルシア語で「~の国、~の多いところ」を意味するスタン(-stān/)を合体させたものです。ちなみに、今話題というか問題になっているアフガニスタンも「アフガーン人の国(土地)」を意味します。パキスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンも同様です。




かつては隣国のソビエト連邦に併合されていました。現在でも名前を変えたロシア連邦の影響下にあり、ともにユーラシア連合を提唱して経済統合を進めるなど政治・経済両面で密接な関係を持っています。

しかし独立心も旺盛で、ロシア語で使われるキリル文字の廃止を進めるなど、過度のロシア依存は避けています。ロシア、中華人民共和国、ほかの中央アジア諸国とともに上海協力機構(SCO)の創設メンバーであり、またトルコ共和国などを含むテュルク評議会のメンバーでもあります。

欧米諸国や日本を含むアジア諸国とも良好な関係を築いており、特に日本とはソ連時代から交流がありました。しかし活発といえるほどのものはなく、本格的な交流が始まったのは、1991年12月28日の日本の国家承認以後のことです。カザフスタンの独立はこの12日前の12月16日のことでした。

従って両国関係の歴史はかなり浅いといえます。しかし国交があるので互いに大使館を置き合っており、2006年には小泉純一郎首相が、2015年には安倍晋三首相がカザフスタンを訪問しました。

一方、カザフスタン側からは2019年10月に、30年近く大統領を務めたヌルスルタン・ナザルバエフ氏が新天皇の即位の礼出席のために来日するなど交流を深めています。

経済交流としては、特に原子力エネルギー面で協力関係にあります。カザフスタンはウランの有力な産出国であり、一方日本のは複数の原子力発電所を保有する国家であるためです。

2010年に日・カザフスタン原子力協定が締結されたほか、2004年に日・カザフスタン技術協力協定署名、2008年に日・カザフスタン租税条約署名、2014年月には日・カザフスタン投資協定が署名されるなど、21世紀に入って立て続けに経済・技術に関する二国間協定が相次いで結ばれるなど、両国の交流の度合いは着実に深まっています。

ただ、民間人の交流はまだ限られています。2019年時点で、カザフスタンに在留している邦人は171人、在日カザフスタン人は465人にすぎません。国交も結ばれていて特に渡航が禁止されているわけではありませんが、2016年に比較的大きなテロ事件があったためと、まだ十分な観光情報が日本に入ってきていないからでしょう。

日本の外務省の渡航情報も現在のようにコロナウイルスが蔓延する前は「十分注意してください」のレベル1にすぎませんでした(現在は感染症のため渡航中止勧告レベル3)。今後、コロナが終息すれば、これまで着目されてこなかった穴場として脚光を浴びる日がくるかもしれません。





このカザフスタンには古くは「一眼族」が住んでいたという伝承があります。古代ギリシアの学者ヘロドトスやアリステアスらによる歴史書では、イッセドネス人やアリマスポイ人が住んでいたと書かれており、このアリマスポイ人が一つ目の民族一眼族であったとされます。またイッセドネス人は故人の肉を食す民族だったともいいます。

ただおそらくは神話の世界の話に尾ひれを付けた伝承でしょう。ギリシア神話にも一つ目の巨人が描かれておりこれとの関連が考えられます。この巨人、キュクロープスは、優れた鍛冶技術を持つ単眼の怪物です。ギリシア語のキュクローは円・丸の意で、ウプスは眼で、キュクロープスは額の中央に丸い眼が1つだけ付いていることを意味します。

キュクロープスは複数形です。天空神ウーラノスと大地母神ガイアの息子たちがこう呼ばれ、その一人アルゲースは落雷・稲妻、ステロペースは電光・雷光、ブロンテースは雷鳴であって、3兄弟です。いずれも雷に関連する名前であり、雷の精です。

彼らは父神に嫌われ、兄弟族のヘカトンケイル族とともに奈落タルタロスへ落とされました。弟族のティーターン神の1人クロノスが政権を握ったあとも、久しく拘禁されたままでしたが、全能の神ゼウス達によって解放されました。

キュクロープス達はそのお礼にと、ゼウスには雷霆を、ポセイドーンには三叉の銛を、ハーデースには隠れ兜を造りました。以後はヘーパイストスのもとで鍛冶業を続けたといわれます。

日本にもこのキュクロープスと似た神話があります。日本神話に登場する天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)や天津麻羅(アマツマラ)らがそれらです。ともに製鉄と鍛冶の神であってキュクロープスと同じく1つ眼です。同様に、巨人のダイダラボッチも隻眼だと言われます。こちらもたたら製鉄に関連した神に近い存在といわれます。

妖怪の「一本だたら」は天目一箇が凋落した姿とも言われています。一本踏鞴(だたら)とも書き、熊野地方の山中などに棲む一つ目で一本足の姿の妖怪とされます。また和歌山県と奈良県の境の果無山脈に棲む妖怪は、皿のような目を持つ一本足で、12月20日の日のみに現れるといいます。

この日は「果ての二十日」と呼ばれて厄日とされており、果無山脈の果無の由来は「果ての二十日」に人通りが無くなるから、というところからきているようです。

奈良県の伯母ヶ峰山でも同様に、12月20日に山中に入ると一本だたらに遭うという言い伝えがあり、この日は山に入らないよう戒められています。こちらの一本だたらは電柱に目鼻をつけたような姿だそうで、雪の日に宙返りしながら一本足の足跡を残すといいます。想像しただけでぞっとしますが、人間には危害を加えないそうです。

「だたら」はタタラ師からきていると考えられ、これは「鍛冶師」のことです。上で書いたとおり天目一箇神の零落した姿であって、鍛冶師の恰好をした妖怪ということになります。




これ以外にも、世界的にも「製鉄」という事項と隻眼(単眼)が関連づけられた伝承は多いようです。なぜでしょうか?

隻眼とは、文字通り、本来二つあるべき目のうちの片方が失われたか、または存在しない左右非対称な形象であることを意味します。また顔の真ん中に一つだけ目が存在する場合にも使われることがあります。

「隻」という字を使う場合、身体のその他の部分も片方だけしかないことを示すことも多いようです。隻腕などがそれで、それにまつわる伝承も多く、たとえばスコットランドの山の巨人ファハンは隻眼で隻腕、そして一本脚です。

ほかにもアフリカ、中央アジア、東アジア、オセアニア、南北アメリカなど非常に広大な範囲でこうした妖怪伝承があります。しかし隻眼と一本脚の組み合わせが一番多いようです。文化人類学者のロドニー・ニーダムはこれらをまとめて片側人間(unilateral figures)と呼びました。

古代人は、人と神を同一視することも多く、これらは人と神を合体させたものと考えられます。多くの国で人が零落して神もしくは妖怪になったとされる例がみられます。

なぜ隻眼・一本足(あるいは隻腕)なのかについて、それぞれの神話が別々の説明を与えています。たとえば。北欧神話の神オーディンが隻眼なのは、知恵を得るために片目をミーミルの泉に捧げたからです。これは知恵と知識が隠されているとされる聖泉です。

また、日本の民間伝承に登場する片目の神は、何らかのミスによって片方の目が負傷したからという設定になっていることが多いようです。例えば使っていた斧の柄が折れて目にあたったとか、戦いで避けきれなかった矢が当たったとかです。これらは神がもともと人だったことの現れと考えることができます。

なぜ「隻」なのかについては、学術的な観点からもいくつかの説があり、民俗学者の柳田國男さんは、もともと神に捧げるべき生け贄の人間が逃亡しないように片目や片脚を傷つけていたのがやがて神格と同一視されるようになったのでは、と言っています。

一方、同じく民族学者の谷川健一さんは、隻眼の伝承がある地域と古代の鍛冶場の分布が重なることに着目し、鍛冶の仕事で体を悪くした人を妖怪に見立てたのではないかと考えました。たたら場で働く人々は片目で炎を見続けるため、老年になると片方が見えなくなることが多く、またふいごを片方の脚だけで踏み続けると片脚が萎えてしまいます。

このことが、「製鉄」とい「隻眼」の組み合わせが多い理由と考えれば納得がいきます。

世界的にみても鍛冶屋と身障者との組み合わせが多いのは、それだけ鍛冶職人が多かったということでもあります。鍛冶で作られるものといえば農機具や武器が代表的なものであり、これらの伝承がある国ではそうした産業が盛んだったためと考えることができます。

ただ、こうした伝承で隻眼と一本足が共通するというのはあくまで偶然であって、「身体の完全性の欠如」に要因を求めるべきだとする説もあります。つまり、ただ単に体の不自由な身体障碍者と神をむすびつけて考えるようになったのではないかというわけです。





更には、こうした隻眼や一脚といった形象は鍛冶作業などによる身体障害などは関係なく、雨乞いや風、火などの自然現象に関係して発生したと指摘する学者もいます。

ウィーン大学で日本と中国の民族学・宗教学を学び、「日本学」の権威と呼ばれるようになったネリー・ナウマンは、ユーラシア大陸の様々な文化やアステカ神話に見られる隻眼・一本脚の形象を検討しました。

その結果、これらの伝承の起源が少なくとも金属器時代以前にさかのぼるものであると指摘しました。つまりは刀や農具を鍛える鍛冶という技術が登場する以前から人は一つ目や片足の妖怪が自然の中から現れてきたものと考える風習があったということになります。

古典学者アーサー・バーナード・クックは、それが太陽の象徴であるとしています。なるほど太陽も「独り者」であるわけであり、同様の思考で、男根が形を変えたものと考える民族学者もいます。男性しか持たないこれもひとつしかなく、「一物」とはよく言ったものです。

それにしても「片側人間」と呼ばれる異形の分布は、古今を問わずあまりにも世界的にみられることから、これは人間の心理における一つの「元型」と考えるべきではないか、とする学者もいます。

「元型」とはなんでしょう。英語では archetype(アーキタイプ) といい、これは有名な心理学者、カール・グスタフ・ユングが提唱した概念です。

ユングはこれを、夜見る夢のイメージや象徴を生み出す源となる存在だとし、しばしば人の心に作用すると考えました。元型の説明としては、通常、「作用像」が使用され、これはパターン化された「イメージ」または「像」のことです。

例えば、男性の心に「アニマ」のイメージが浮かぶ場合、その男性は夢に美しく魅力的な「乙女」の姿を見たり、魅惑されたりします。アニマはラテン語で、もともとは生命や魂を指す語ですが、ユングはこれを男性が持つ全ての女性的な心理学的性質と定義しました。

アニマに魅了されると、これまでは、まったく意識していなかった少女とか女性の写真や絵画、ときに実在の女性に、急に引き寄せられ魅惑されるなどといったことがおこります。

少女や乙女や女性の像・イメージが、男性の心のなかで大きな意味を持って来きますが、これは例えば少年漫画ばかり読んでいた少年が、ある日を境に少女漫画のあるヒロインに魅了されるようになる、といったようなことです。このようにして夢想されるようになった少女や女性のイメージ・像は、「アニマの像」と呼ばれます。

一方、アニマは男性が持つ女性的な元型ですが、同じものが女性にもあります。こちらは「アニムス」といいます。女性の心のなかにある理性的要素の元型で、しばしば男性のイメージとして認識されます。女性の場合は宝塚歌劇団の男役をイメージするとわかりやすいでしょう。

アニマとアニマスは対比してよく使われます。英語ではanimus と animaと書き、前者は「理性としての魂」、後者は「生命としての魂」の意味があり、ユングはこの言葉の違いから二つの元型を思いついたようです。男性は理性でもってものを考え、女性は生命を基本としてものを考える、と言われるゆえんでもあります。

同様の対比として「太母」と「老賢者」というものがあります。太母は、すべてを受容し包容する大地の母としての生命的原理を表し、老賢者は理性的な智慧の原理を持つ父性を表します。

そして、それぞれの異性が、自分に持っていない男性的な元型、女性的な元型を求めているのがこの世界といえるのかもしれません。

ただ、こうした「元型の像」は、男女のように対比できるものとは限りません。単に先の尖った峻厳とした高峰を「元型」として心に描く人もおり、あるいは、空を羽ばたいて飛ぶ大鷲のイメージを元型とする人もいます。

「太母」もまた単独で使われ、「グレートマザー」として地面に開いた、底知れぬ割れ目や谷、あるいは奥深く巨大な洞窟としてイメージ化されることがあります。上の単眼や一本足もまた体の悪い人たちを印象的に感じる気持ちが強くなった末に生まれた残像と考えることができます。

これ以外にも元型は多数あります。

一番わかりやすいのがヒーロー、すなわち英雄であり、神話の世界のみならず数多くの伝説や伝承の中で扱われているほか、映画や小説といった文化的な創造物の中にも数多くの英雄伝説が存在します。

あまりよく知られていませんが、トリックスターというのもあります。神話や物語の中で、神や自然界の秩序を破り、物語を展開する者のことで、主人公として扱われやすいヒーローやヒロインとは違い、どちらかといえば脇役です。往々にしていたずら好きとして描かれ、善と悪、破壊と生産、賢者と愚者など、異なる二面性を持つのが特徴です。

ギリシャ神話では、ゼウスの反対を押し切り、天界の火を盗んで人類に与えた存在として知られるプロメーテウスなどがその代表例といえます。孫悟空もトリックスターといわれます。中国では民間信仰のなかで最も活躍する英雄の一人ですが、「愚者」の一面を持っていることからそうであるとされます。

愚者といえば、占いに使うタロットカードに出てくる「愚者」もトリックスターのひとつです。正位置では自由、型にはまらない、無邪気、純粋、天真爛漫、可能性、発想力、天才を意味し、逆位置の意味は軽率、わがまま、落ちこぼれ、ネガティブ、イライラ、焦り、意気消沈、注意欠陥多動性を表します。

トリックスターは、時に悪意や怒りや憎しみを持って行動したり、盗みやいたずらを行いますが、最終的には良い結末を迎える、いうのが多くの物語に見られる往々のパターンです。抜け目ないキャラクターとして描かれることもあれば、乱暴者や愚か者として描かれる場合もあり、両方の性格を併せ持つ者もあります。

文化的に重要な役割を果たしているとき、例えば上のプロメーテウスのように火を盗むといった神聖な役割のときでさえ、おどけてみせたりもします。文化英雄であると同時に既存概念や社会規範の破壊者であり、あるいは賢者であるものの悪しき要素を持つなど、一面的な定型に納まらない存在といえます。

日本ではスサノオがトリックスターの代表例といえるでしょうか。日本神話に登場する男神のことで、「スサ」は、荒れすさぶの意として嵐の神、暴風雨の神とする説や、「進む」と同根で勢いのままに事を行うの意とする説、出雲西部の神戸川中流にある須佐郷の族長を神格化したものとする説があります。

スサノオは多彩な性格を有しています。母の国へ行きたいと言って泣き叫ぶ子供のような一面があるかと思えば、高天原では凶暴な一面を見せたり、出雲へ降りると一転して英雄的な性格となります。

八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治をしたのもスサノオで、優秀な産鉄民を平定した象徴と見る一方、その時用いた草薙剣がその象徴であるとの解釈もあります。日本で初めて和歌を詠んだという伝承もあり木の用途を定めたとも言われるなど文化英雄的な側面もあります。

こういう一見、破天荒ではありますが、型破りでいかにもブレークスルーを行ってくれそうな人間像は人気があります。バッドマンやジョーカーといった悪役を自分自身のヒーローと考え、心のよりどころにしている人も多いのではないでしょうか。

何に元型を求め、それを拠り所にするかは、ひとそれぞれですが、それによって人の内面には膨大な心的エネルギーを蓄えられるといわれます。時には、自分が非常に大きな力・権力を持ち、偉大な存在であると錯覚することもあります。つまりは自分を神や仏と考える、といったことでこれを「自我インフレーション」と言うそうです。

自分こそは、世界を変革する英雄であり、偉大な指導者であるなどの妄想的な錯覚が生じることがあるとのことで、ヒトラーや麻原彰晃といった人物がそうだったのかもしれません。

頭の中だけでもいい、歴史的な大人物になってみたい?そういう方はぜひあなた自身の強い元型をみつけてみてください。