日に日に暖かくなってきました。日中の気温が20度を超えるのもめずらしくなくなり、去年植えた庭木もほとんどが新芽を吹いて、これまで土色一色だった庭がそれだけで明るくなったような気がします。
しかし、新芽と同じくらいに早くも雑草が生い茂るようになり、これを抜く作業だけで一苦労です。今朝も庭に出たところ、どうにもこれが気になったので、小一時間ほどもかけて目立つところだけ草抜きをしました。
それにしても、昨年の今ごろには、まだこの庭も荒れ放題のままで、長年放置されていたためか、萱(かや)が生い茂り放題で、これを抜く作業だけでも汗だくになるほどでした。しかしその後の苦労も実り、今やこうして背丈の低い雑草を定期的に引くだけの作業で済むようになったということは画期的です。
とはいえ、抜かれる雑草のほうもたまったものではありません。せっかく安住の地を得たのに引き抜かれてゴミとして捨てられる彼ら(彼女ら)の身になって考えれば、なんぼのもんじゃい!ということになるでしょう。
かつて、昭和天皇は、「雑草という名前の草は無い」という意味のことをおっしゃったことがあるようで、長い間昭和天皇の侍従長だった入江相政さんという方が、「宮中侍従物語」という本でこのことについて触れられているようです。
それによると、天皇が住まわれていた御座所の庭、これを「広芝」というのだそうですが、この広芝はキジやコジュケイなど野鳥がたくさん飛んできて、天皇もお気に入りだったということです。が、いかんせん広い庭であるだけに、あちこちから草の種が飛んできて夏になるとすぐにボーボーになってしまっていたようです。
ある戦後すぐの夏のこと、天皇皇后、両陛下が夏休みのために那須の御用邸か下田にいらっしゃって、秋口にお帰りになる予定あり、このとき侍従たちは、お帰りになって草がたくさん茂っていたらお見苦しいだろうと、この広芝の草を刈ることにしました。
しかし戦争直後のことでもあって草を刈る人手が足りず、陛下がお帰りになった時に、入江さんが「真に恐れ入りますが、雑草が生い茂っておりまして随分手を尽くしたのですがこれだけ残ってしまいました。いずれきれいに致しますから」とお詫びをしたそうです。
すると陛下は、いつもは侍従たちには穏やかに接しておられるのに、このときはいつになくきつい口調で、「何を言っているんですか。雑草という草はないんですよ。どの草にも名前はあるんです。どの植物にも名前があって、それぞれ自分の好きな場所を選んで生を営んでいるんです。人間の一方的な考えで、これを切って掃除してはいけませんよ」とおっしゃったというのです。
どんな草にも名前や役割はあり、人間の都合で邪険に扱うような呼び方をすべきではない、ということをおっしゃりたかったようで、これを聞いた入江氏にはこの言葉が強烈な印象として残り、天皇と過ごされたことを書いたこの述懐録にもぜひこれを書きとめておきたいと思ったようです。
昭和天皇は、生物学者としても知られており、とくに海洋生物がお好きだったようですが、植物の研究にも力を注いでいたようです。
1925年(大正14年)には赤坂離宮内に生物学研究室が創設されたほか、1928年(昭和3年)にも皇居内に生物学御研究所が建設され、ここでとくに変形菌類(粘菌)とヒドロ虫類(ヒドロゾア)などの分類学的研究をされていたといいます。
戦前には天皇がこうした「人臭い」研究をしているというのはあまり公表されておらず、その研究成果の多くは戦後発表されたもののようで、ヒドロ虫類についての研究成果は、「裕仁」の名で発表され、7冊もの研究図書が生物学御研究所から刊行されています。
また、このほかの分野についても、専門の学者と共同で研究をしたり、採集品の研究を委託したりしており、その成果がやはり生物学御研究所編図書としてこれまで20冊ほど刊行されているということです。
この昭和天皇の生物学研究についてのレベルがどの程度のものであったかについては、山階鳥類研究所の創設者であり、元皇族の山階芳麿や、鳥類学者で侯爵だった黒田長礼の研究と同じく「殿様生物学」の域を出ないという見解がある一方で、「その気になれば学位を取得できた」とする評価もあります。
とはいえ、研究者の中には昭和天皇の研究成果を見て「クラゲの研究者」と呼んでひそかに軽蔑していたという話もあるようです。
しかし、こうした見解を持つ学者はむしろ少数派であり、多くの研究者が昭和天皇自身が直接行った生物学研究の学究的な成果について、高いとはまではいえなくても好意的な評価をしているということです。
ただ一方では、昭和天皇が自ら学者として自然科学分野の研究に没頭されるようになったのは、純粋な個人的興味というよりも、むしろ天皇という「職業」を自然界の秩序における重要な地位と考え、自らの役割を「シャーマン(超自然的存在と交流・交信する呪術者)」と考えていたのではないか、という見解もあるようです。
昭和天皇の学友で掌典長も務めた永積寅彦という方は、生物学研究の上において、昭和天皇は何か独自の堅い「信仰」のようなものを持っていたのではないかと語っています。
その根拠としては、昭和天皇が詠まれた和歌の中に、干拓事業の進む有明海の固有の生物の絶滅を憂うるものがあり、これを「祈る」という表現であらわされたことなどがあります。
かつての「現人神」、現代における「国民の象徴」である天皇が使うような言葉ではなく、こうした禁句とされる語を使っている点は非常に特異なことである、と諫早湾干拓事業に反対するなど干潟の保護活動に努めた自然保護運動家の山下弘文さんなども指摘しているそうです。
自らを国の自然を守るシャーマンと考え、生物学研究にいそしむことそのものが、天皇が行うべき「自然信仰」と考えられていたのかもしれません。
まあしかし、天皇のような国の頂点に君臨されている方々にとっては雑草も大事な研究対象かもしれませんが、我々庶民にとっては、雑草はやはり放っておくと庭を占領してしあう厄介ものには違いありません。
最近は手で草を引くのが面倒な人も増えていることから、化学的な薬品で草を枯らす、いわゆる「除草剤」の販売が増えているそうです。
かくいう我が家でも、昨年は萱の大量発生を防ぐため、この除草剤が大活躍しました。また芝生の間に生えてくる雑草には、これ専用の除草剤があり、芝は枯らさないで雑草だけを枯らしてくれるという優れものもあります。
ところが、最近では、除草剤も効かない「スーパー雑草」が拡大しているということです。
宮城県では田んぼに「オモダカ」という雑草が急速に増え、コメの収穫に影響が出ているそうで、福岡県でも麦畑に数種類の除草剤でも効かない雑草が出現したとか。
雑草の効率的な管理は農家の宿願でもあり、長い間の研究の結果、1980年代に優れた除草剤が次々に登場し、一気に普及しました。ところが同じ除草剤を散布し続けたことで雑草が抵抗性を獲得してしまったらしく、除草剤が効かない現象が日本各地で見られるようになってきているといいます。
日本だけでなく、世界的な傾向のようで、アメリカでは、「グリホサート」という世界的に広く普及している除草剤が効かない雑草が登場して、造園家や農家を悩ませているということです。
このため、更に従来の除草剤を改良して次々と新しい除草剤が開発されてはいるものの、今度はこうして開発した除草剤に耐性を持つよう、農作物の遺伝子組み換えなどが必要となっているそうです。
イタチごっこのように除草剤と農作物の改良が進む中、果たして食の安全を保っていけるのか、雑草とどう向き合っていけばよいのか、というのは、日本だけの問題ではなく、世界的な問題にもなっているようです。
ところで、この雑草、農作物のためだけに悪為を及ぼすものだけでなく、住宅や道路といった構造物にも被害を与えるものなどもあるようです。
「イタドリ」という植物がありますが、これは北海道西部以南の日本、台湾、朝鮮半島、中国に分布する東アジア原産種です。
日本ではごく普通に見られる植物で、茎は中空で多数の節があり、その構造はやや竹に似ています。茎を折るとポコッと音が鳴り、食べると酸味があることから、スカンポと呼ぶ地方もあるようです。確か私の郷里の山口や広島ではカッポンとか、コッポンとか呼んでいたように記憶しています。
ポッキリと手折って、口に入れると淡い酸味はあるのですが、渋くはなく、大量に口にしようとは思いませんが、少量なら食べれるので、私も子供のころにはよく口に入れていました。
また、私自身はやった記憶がないのですが、昔の子供はこのイタドリを使って、「イタドリ水車」という遊びをやっていたようです。切り取った茎の両端に切り込みを入れてしばらく水に晒しておくとたこさんウィンナーのように外側に反るので、この中空の茎に木の枝や割り箸を入れ、川の流れの中に置くと、水車のようにくるくる回るのだとか。
春に芽吹いた種子は地下茎を伸ばし、群落を形成して一気に生長し、路傍や荒地までさまざまな場所に生育でき、肥沃な土地では高さ2メートルほどまでになります。谷間の崖崩れ跡などはよく集まって繁茂しており、その茎は太く強靭で、これは生長の早い地下茎によるところが大きいようです。
この日本原産種ともいえるイタドリですが、実は世界の侵略的外来種ワースト100の一つにも選定されている厄介ものです。
その花は特段綺麗だとも思わないのですが、おそらくその竹のような日本的な姿が気に入られたのでしょう、19世紀に観賞用としてイギリスに輸出されました。日本原産とされたことから、その学名も“Fallopia japonica”と、なっているほどです。
ところが、その旺盛な繁殖力から、ヨーロッパの在来種の植生を脅かす外来種となり、とくに舗装率の高いイギリスでは、コンクリートやアスファルトを突き破るなどの大きな被害が出るようになりました。
イタドリが土地に生えると、建物の土台を強化コンクリートでさえ侵食して、十年後には建築物が何の前兆も無しに崩壊することもあるそうで、大阪ではイタドリがアパートメントを崩壊させた例もあるそうです。
あまりにも被害が多いため、イギリス政府は2010年3月、イタドリの駆除のために、天敵の「イタドリマダラキジラミ」を輸入することを決めたといいます。
このイタドリ、イギリスの有名作家、ジェフリー・アーチャーの「誇りと復讐」という小説(新潮文庫版、2010.6)にも出てきます。
物語のほうは、自動車修理工の主人公の復讐話なのですが、この主人公が若かりし頃、勤めていた修理工場のオーナーの娘にプロポーズして受け入れられ、この女性とその兄と三人でワイン・バーで祝杯を挙げていたところを、弁護士や、俳優、不動産屋、麻薬常習犯の会社員などの「札付き」グループにからまれ、喧嘩になります。
この喧嘩で女性の兄が相手の男らに刺されて死んでしまうのですが、札付きグループの証言によって、主人公は殺人者に仕立て上げられてしまい、その後22年もの懲役刑を喰らいます。
やがて刑期を終えて出所した主人公は、叔父が残していた莫大な遺産を苦労して相続することに成功し、この金を元手に、綿密な計画を練ったうえで、自分をおとしめた4人組に対する復讐を開始します。
やがて主人公は、人を使ってこの札付きグループに2012年のオリンピック開催に備えての自転車競技場用地の取得を持ちかけるのですが、このときその土地にこっそりと、イタドリを植え、これを大繁殖させることによってこの不動産の価値を暴落させ、グループに大打撃を与えることに成功する……
というような話です。
後半は法廷でのやり取りとなり、グループがコテンパンにやっつけられるところなどは大いに溜飲も下がり、久々に読み終わってスカッとする小説でした。さしずめ、現代版の「モンテ・クリスト伯」と言ったところで、ストーリーも良く練られています。興味のある方は一度読んでみてください。読み始めると止まらないと思います。
このジェフリー・アーチャーですが、事業家として成功し順風満帆だったにもかかわらず、ある時国際的な株式投資の詐欺に引っかかって全財産を失い、破産宣告を受けます。
このときには、英国議会史上最年少で下院議員にも当選したばかりでしたが、その職も辞さざるをえなくなります。1974年のことでした。このときの怒りと体験をバネに彼はデビュー作「百万ドルを取り返せ!」を書き上げるのですが、これが大当たりし、アーチャーは一躍ベストセラー作家の仲間入りを果たします。
その後、本人が「サーガ」と呼ぶ年代記風の物語のほか、エンターテインメント色の強いミステリを手がけ、また短編集なども出版するなど多彩な才能をみせつつ、一流作家の道を突き進みます。一方では、政治への情熱も失ってはおらず、やがて政界に復帰し、ついにはサッチャー政権の要職まで努めるようになります。
ところが、1986年、保守党の副幹事長職にあったアーチャーに、突如、彼がコールガールと性交渉を持ったと言うスキャンダルが持ち上がります。ちょうどイギリスでは、総選挙を翌年に控えていた頃で、選挙への悪影響を案じた彼は副幹事長の職を自ら辞し、と同時にスキャンダルを報じた新聞社を名誉毀損で訴えます。
この裁判において、アーチャーは勝訴し、これによって彼は莫大な損害賠償金を手に入れます。そして、しぶとくも再び政治の世界への復活をめざして活動を再開し、1999年にはロンドン市長選の保守党候補に選ばれるまでになります。
ところが、こともあろうことか彼の長年にわたる旧友が、先のコールガール事件の名誉棄損裁判において偽証することを頼まれた、と突然地元有力紙に暴露します。
事実の是非は今も不明ということであり、何かしらの陰謀があったのではないかという憶測も当然のことながら飛び交いましたが、ともあれこの暴露記事によってアーチャーは政界への復帰を断念せざるをえなくなり、市長選への立候補も取り下げます。
ところが問題はこれだけでは終わらず、このときアーチャーは十数件の容疑で逮捕され、7週間に及ぶ裁判の結果、2001年、司法妨害と偽証罪で実刑が確定してしまいます。
こうして刑務所に収監されることになったアーチャーは、これからおよそ2年もの間に、5つもの刑務所を転々としていくことになるのです。
ところが、七転び八起きというのは、本当にこのアーチャー氏のためにある言葉のようであり、彼は再び復活を果たします。まず彼は刑務所内での生活を克明に綴った獄中記を執筆し、これを新聞に連載します。
さらには出所後も、服役者達から問わず語りで聞いた身の上話やら、彼らが犯した犯罪の模様を小説化し、「プリズン・ストーリーズ」というタイトルで出版したところ、これが大ヒットします。
そして、その復帰第二作目が、先ほどのイタドリの話が出てくる「誇りと復讐」であり、この小説の主人公が刑務所に収監されている間の話も、彼のベルマーシュ刑務所での体験をほぼ忠実に再現したものだといいます。
まるで小説を地でいっているような人生であり、これが事実であるということが信じられないほど「奇なる」生涯です。
1940年生まれということなので、今年でもう73才。さすがに政界への復帰というのはもうないようですが、執筆活動は相変わらず精力的に進めており、日本語訳され出版されたものの中で最新作は、「遥かなる未踏峰」というタイトルです。
その内容は、登山家として有名なジョージ・マロニーのことを書いたもので、アーチャーとしては初めての「山岳小説」ということで話題を集めたようです。
実在の人物を描いたフィクションということで、これまでのミステリー調の作風とは違ったまた別の世界へのチャレンジをしたものであり、私も大いに興味がわくところです。今度の連休にでも買って読んでみようかなと思ったりしています。
さて、本日は大天気もよさげということであり、これからさらに庭の草引きを続けるか、出かけるか悩ましいところです。聞くところによると御殿場の富士霊園のサクラがほぼ満開ということで、触手が非常に動くのですが、どうしましょう。
これからはまだ八重桜も見ごろです。どこが名所だかまだ調べていませんが、この富士霊園か八重桜をもって今年のサクラはほぼ終わりでしょう。その先には長い夏が待っています。が、それまでに庭の雑草をみんな抜いてしまわねば……
雑草という名の草はない……しかれども、名があろうがなかろうが邪魔なものは邪魔…………字余り……でした。