未来予想図

先日、山口からやってきて滞在していた母が帰り、我が家はふたたび夫婦二人とネコ一匹の静かな生活に戻りました。

伊豆にいる間は、退屈だろうからと、毎日のようにあちこちに連れ歩いて観光し、おかげでこちらも、一年分かとも思えるほどあちこちの景色を楽しむことができましたが、当の本人も伊豆の自然を満足したようで、帰り際の三島駅では、何度も何度も感謝のことばを聞かされました。

こちらも、ふだんは遠く離れていて、あれこれとしてやることもできなかったものが、ここへ来てようやくできたこともあり、自己満足かもしれませんが、何年かぶりの親孝行をした気にもなりました。

タエさんも両親を亡くして久しかったためか、義理の母とはいえ、この一週間のあいだ、ひさかたぶりに親孝行らしいものをした気分になったようで、かつ楽しかったと言ってくれています。

ところで、このバーさん、昭和7年生まれで、この年は西暦では1932年になります。

この昭和の初めのころ、歴史上は何が起こっていたんだろう、と調べてみたところ、まさにこの年の昭和7年には5.15事件が起こっており、大日本帝国海軍の青年将校らが首相官邸に乱入し、犬養毅首相を暗殺するなど、ちょうど日本が軍国主義まっしぐらの暗闇の中を走り始めたころのことだったようです。

さらにこの年11月にも、陸軍士官学校の教官らによるクーデター未遂事件が起こっており、5.15事件と同様の方法、手段をもって、元老、重臣、警視庁などの襲撃が予定されていましたが、このときは、未然に密告があり、クーデターは発覚して、首謀者は全員逮捕されています。

同年、満州国では帝政が始まり、執政として溥儀が皇帝となります。5月に東郷平八郎元帥が死去すると、日比谷公園で国葬が行われましたが、これを契機に東郷を「軍神」に奉る神社建設の声が全国で起こるなど、「神国日本」の著しい武装化が容認されやすいような風潮が蔓延するようになってきました。

また、海軍の神様的存在だった東郷平八郎元帥が亡くなったことにより、それまで政党内閣との協調を基本としてきた海軍首脳部をコントロールする人間がいなくなり、これが軍縮を進めようとしていた政治家たちと軍部が離反するきっかけとなっていき、その暴走がさらに加速するようになります。

ヨーロッパでも、6月には、ドイツの大統領選挙においてヒトラーが当選。総統と首相を兼任するようになるなど、その後の二次大戦へ向けてファシストたちが台頭し始めていました。

この年の暮れ、日本はついに米国にワシントン海軍軍縮条約の単独破棄を通告。その翌年の昭和10年には、第二回のロンドン海軍軍縮会議が開催されたものの不調に終わり、その2か月後の1936年1月、日本は同条約会議を正式に脱退します。

こうして軍縮時代が終わり、日本の時計は、いよいよ戦争突入へ向けてカウントダウンを刻み始めるのです。

このように、日本だけでなく世界的にも暗い時代に入りつつあった、1935年の6月、アメリカで行われた「米国化学300年祭」の席上、トーマス・ミドグレーという学者が、「100年後の世界」を予想した演説を行っています。

ミドグレー氏は「百年後には風邪、結核、敗血症はもちろん癌とかその他の現在生命に拘はるとされてゐる多くの病気は根絶するであらう」と語ったことが、1935年6月20日付の日本の朝刊でも掲載されています。

このときから、今年で78年が経過し、100年までにはまだ22年ありますが、残念ながら今のところ、これらの病気の中で根絶したものは一つもありません。

また同じころ、ソ連の科学者たちが書いたリポートでも「二十一世紀に入らないうちに、人類はガンという疫病を忘れてしまうだろう」と自信満々に語られていましたが、この病気の根絶も当面は難しそうです。

このソ連の科学者たちによるリポートは「21世紀からの報告」という題だったそうで、その後、1959年に出版され、その中には、50年後の2009年の段階での世界の予測が記載されています。

我々は、ほぼその50年後の世界にいるわけであり、その内容には興味がそそられるところですが、そこには、例えば「携帯電話」ができているだろうと書かれており、その出現を見事的中させていることには驚かされます。

「旅行をするときにも、大きな荷物を持つこともなくポケットにテレビと電話器を入れ、小さな電子計算器をさげていけば、どこへいっても不便はしない。機械類は、みんな小さくなるので電話器もたばこの箱くらいである。しかし相手の顔を見ながら世界中のだれとでも自由に話ができる」と書かれていたそうで、かなり具体的な内容まで当てています。

医学分野でも「電波を利用した機械をつかえば、どこが悪いか見つけることができ、手術もエンピツくらいのメスで、血もださずに手術してくれる」という記述がみられ、これは現在のCTスキャンやレーザーメスを連想させるものです。

ただ、テレビや電話、そしてこれらとコンピューターの一体化までは想像できなかったようであり、このほか、モスクワに人工太陽が輝くとか、石油からバターや砂糖ができるようになるとかいった、荒唐無稽なものも多かったようです。

このように、その当時の科学先進国、アメリカやソビエトの科学者たちは、なんとか自分たちの技術の「未来予想図」を描こうとしていたようですが、日本でも、経済成長のさなかにこうした予想がさかんに行われています。

1960年に、その当時の科学技術庁が、「21世紀への階段」という調査報告書をまとめていますが、これは当時の東大の学長などの日本の科学者の頭脳を総動員して作られたレポートであり、その中には40年後の日本の姿が描かれていました。

このレポートの中身を、46年後の2006年、文部科学省系のシンクタンクなどが検証しており、その結果として、同レポートに書かれた135項目の予想のうちどれだけが実現したかを公表しています。

それによると、実現したものは、54項目であり、全体のほぼ4割にあたり、なかなかの「正解率」だったようです。

具体的には、携帯電話のほか、電子レンジ、人工授精・精子の永久保存、人工心臓、音声タイプライター、時速100kmで走る自家用車による休日旅行、などが実現しており、このほかにも原子力潜水船(透明窓を備えた潜水客船)というものもありますが、原子力潜水艦は実現したものの、商用の原子力潜水船は実現していません。

とはいえ、実現しなかったものも多く、宇宙への玄関口となる「地球空港」の設置や、家庭のオートメーション化(電子家政婦)、時速500kmのモノレールの実用化などは、実現しなかったものに含まれています。

しかし、アメリカでは現在、2030年代半ばまでに火星の有人周回飛行を行うという目標を掲げ、その計画の中で、月にその前進基地を作る計画があることを公表しており、地球空港とはいえないかもしれませんが、国際宇宙ステーションは既に実現しています。

また日本でもロボット技術が進み、ウェーターロボットや介護ロボットがほぼ実現しており、リニア新幹線も実用化はまだ先になるようですが、2003年には日本の超電導リニアが581 km/hの世界記録を樹立しています。現在は無理でもあと、20~30年後に実現しそうなものはこのほかにもたくさんあるようです。

この予測は、昭和の高度経済成長期に立てられたものですが、さらに時代を遡り、大正や明治のころに公表された「未来予想図」にどんなものがあるかといえば、例えば、「五十年後の太平洋」というタイトルで、大正15年に大阪毎日新聞、東京日々新聞が論文を公募し、同年8月から3ヶ月間両紙上に掲載した論文を単行本にまとめたものがあります。

その一等入選論文の中には、無線電送機(無線で電力を送る機械)、人造人間、「太平洋を三〇時間で横断する一〇〇余人乗り積載量五千トンの飛行機」などの実現予想に関するものがあり、また、日本で発明された「殺人光線」とドイツの発明した「人造人間」によって戦争の意味が無くなり、太平洋に平和が訪れるという予測などもありました。

この「五十年後の太平洋」が対象とする予言年限は、50年後の1976年(昭和51年)だったということですが、上述の科学技術庁による50年後の予想図と比べると、その通り実現したものは少なく、かなり低い的中率だったようです。

しかし、これより少しあとの、昭和2年(1927年)に、子供向けの科学雑誌、「子供の科学」などの出版で有名な誠文堂新光社が、「科学画報」という雑誌を出しており、この中で組まれた「100年後の科学画報」という特集での予測の中には的中したもの多かったようです。

人類、ラジオ、地下文明、建築、都市などが予測された中で、100年後、すなわち2027年には、すでに印刷物というものはなくなり、「蓄音蓄影装置」によって音や印刷情報が送受信される、と書かれており、これは携帯電話やインターネットを介したパソコンにほかなりません。

雑誌などの、編集会議では世界各地から「離身電波」によって参加するとも書かれており、これは、テレビ電話会議のことでしょうか、かなり現実に近い予想をしています。

それでは、これより更に古い明治時代の未来予測はどうでしょうか。

明治34年(1901年)の正月に報知新聞に掲載された100年後の未来予測では、電信や電話に関する項で、マルコーニが発明した無線がより進化して、無線電話で東京からロンドンやニューヨークと自由に話せるようになる、と書かれており、これは100年を待たずしてかなり早くから実現しています。

このほか、「数十年後に」東京の新聞記者は、ヨーロッパで戦争が起こったときに編集局にいながらにしてカラー写真を電送できる、とも書かれており、これも実現しています。

「伝声機が改良され、10里(40キロ)離れた男女が延々と愛を語れるようになる」というものや、電話では、相手の顔がみられる「写真電話」が実現し、写真電話を使えば、遠距離の品物を選んで購入できるようになる、といったものもあり、まるで今日のインターネット全盛の時代を予測したようなものあります。

もっとも、「品物は地中の鉄管を通って瞬時に届く」といった、現在でも実現が難しそうなものもあり、こうした過度の実現予想があちこちにみられるのはちょっとご愛嬌です。

このほか、交通技術では、19世紀末では80日間かかった世界一周も、20世紀には7日もあれば十分であろう、とか、ツェッペリン式の空中船は大いに発達し、軍艦は空を飛び、空中には砲台が設置されるはずである、などのその後の飛行機の商用化、軍用化を見通したかのような記述がみられます。

さらには、

・列車は非常に進化し、暖房冷房装置が完備する。急行ならば時速80キロで、東京神戸間で2時間半で行け、現在4日半かかるニューヨーク・サンフランシスコ間も一昼夜で行けるようになる。動力は石炭を使わないから、煤煙の汚水も出ず給水する必要もない。

・馬車鉄道や鋼索鉄道はなくなり、電気車や圧搾空気車は大改良され、車輪はゴム製となる。先進国では街路上ではなく、空中および地中を走るようになる。

・鉄道は5大陸を貫通して自由に行き来できる。馬車が廃止になり、自動車が安くなる。軍用も馬に代わって自転車と自動車がとってかわる。

などなど、明治時代になされた予測とは考えられないほど、的確な予想がなされており、しかもかなりの的中率で実現しているのには驚かされます。

しかし、現在も実現しておらず、将来にわたっても実現が困難であろうと考えられるものも当然あり、例えば、「1ヶ月以上前に天災を予知できるようになる」とか、「暴風が起これば、大砲を空中に撃つことで雨に変えることが可能となる」、「20世紀も後半になれば、津波もなくなる」といった災害の制御に関してはかなり甘い予測もみられます。

このほか、「獣語の研究が進み、小学校に獣語科ができるようになり、人と犬猫猿は自由に会話でき、下女、下男は多くが犬に占められ、犬が人の使いをする世の中になる」、などの予想もあり、こうしたものをみると、真面目にやっとるんかい、という気にもなり、笑ってしまいます。

しかし、このほかの、医学や理化学などを含めた全般的な予想結果をみても、これが100年以上も前の人が考えついたものなのか、と思えるようなものが本当に多く、明治時代の日本人の想像力の豊かさには感嘆させられます。

とはいえ、現在使われている科学技術の多くは、明治時代に既にその基礎となる技術が発明されていたものも多く、その延長上を辿って行けば、なんとなく予想はつくことは考えられ、驚くべきことではない、という見方もできなくはありません。

誰もが考え付かないような突拍子もない予測は、荒唐無稽だと一笑に付されるだけであり、新聞や雑誌といった、どちらかといえば、「まじめな」刊行物では、あまり無理な予想を出すと、読者から嫌われてしまいます。できるだけ、その当時の最新の知見を用いて、考えうる予測をするというのが筋でしょう。

しかし、SFやファンタジーなどの「空想」の世界となると、またこれは別の話になります。

サイエンス・フィクション(Science Fiction)、略してSFは、その名の通り、科学的な空想にもとづいたフィクションの総称であり、その時代時代での科学的知見がSF物語のネタやたたき台となってはいますが、その内容は、まじめな未来予想とは隔絶したものになりやすいのは当然です。

しかし、逆にSFが科学の発展を方向付けることもあり、最初は空想だったものが、これがヒントとなって科学技術を発展させるとともに、その発展がさらに次の別の次元のSFを生み出すということが過去には繰り返し行われてきました。

その典型的な例が「ロボット」であるというのはよく言われることです。

手塚治虫の「鉄腕アトム」や横山光輝の「鉄人28号」、あるいは「機動戦士ガンダム」などに憧れてロボット工学の道を進んだ日本の技術者は大勢おり、現在の日本がロボット工学で世界の最先端にいるのは、こうしたフィクション漫画が普及したことに起因する、と考える人も多いようです。

アメリカでも、「2001年宇宙の旅」に誕生した、人工知能を備えたコンピュータ「HAL 9000」を実際に作ってみたい」という動機で人工知能の研究を始めた研究者が多いといいます。アメリカで発明されたコンピューター技術は、その後こうした研究者によって熟成され、今日のこの国の科学技術を支えています。

このほか、科学礼賛的な希望に満ちたアメリカの「科学小説」として、その頂点に立つといわれているのが、1911年にガーンズバックというSF作家によって書かれた「ラルフ124C41+」というSF小説であり、ここには執筆当時にはまだ発明されていなかった未来の道具が100以上も描かれています。

例えば、蛍光照明、飛行機による文字広告、テレビ、ラジオ、プラスチック、ナイター、3D映写機、ジュークボックス、液体肥料、自動販売機、睡眠学習、電波を利用した電力送信、ガラス繊維、ナイロンなどなどであり、1911年といえば、日本では明治44年にあたり、無論この当時には、その存在の影すらありませんでした。

しかし、そのほとんどが現在までに完成されており、その実現はアメリカ人の手によるものばかりではありませんが、漫画の「ドラえもん」のような、「あったらいいな」の世界を各国の技術者が、こうしたSFに触発され、具現化させてきたのです。

このように、現代社会に大きな影響を与えてきたSFですが、「最初のSF作家」として一般に認知されているのが、かの有名な、ジュール・ヴェルヌやH・G・ウェルズです。

フランス人であるジュール・ヴェルヌは、愛読書のエドガー・アラン・ポーの小説にある科学技術を織りまぜて現実性をより高めるという手法に注目し、1863年に冒険小説「気球に乗って五週間」を発表し、瞬く間に人気作家になりました。

この作品は純粋なSFではありませんでしたが、その後、本格的な科学小説として書かれ、1865年に出版された「月世界旅行」では、砲弾に乗って月へ行くという科学的な宇宙旅行が初めて描かれており、SFの嚆矢(こうし)としての意義は大きいものです。

その後も「海底二万里」や「インド王妃の遺産」などの多くの科学小説が書かれましたが、ヴェルヌの作風はその当時の最新の科学知識を活用したものがほとんどで、当時としてはかなりの現実味と説得力があり、この点がそれ以降に発表されたSF作品とは異なっていました。

これに対して、イギリスのH・G・ウェルズ (ハーバート・ジョージ・ウェルズ)も、ヴェルヌが書いた「月世界旅行」の30年後に「タイム・マシン」を書き、一躍SF作家として有名になりました。

ご存知のとおり、「タイム・マシン」は、主人公のタイムトラベラーが時間を移動する機械を発明し、西暦80万2701年の世界へ行く物語ですが、タイムマシンのほうは、当然のことながら現在でも実用化されていません。

ヴェルヌが冒険小説的な科学小説を書いたのに対し、ウェルズは「ファンタジー」をベースにしたSF小説を書いており、ヴェルヌがその小説の中で「現代世界」を描き、ともすれば単なる科学礼賛になりがちであったのに対し、ウェルズは「未来世界」を描き、幻想的・空想的要素を取り入れることを主題としました。

これにより、「現実から外挿される世界を書きながらも現実という束縛を離れる」という現代SFの特徴を最初に取り入れた作家として広く知られるようになりましたが、その作品群は「科学小説」と考えるには程遠く、蛸型火星人、透明人間、冷凍睡眠装置、最終戦争といった、いわゆる、SFの基本的な「ギミック」は彼が最初に考え出したものです。

「ギミック(gimmick)」とは、「いんちきな仕掛け・からくり・策略」のことであり、ほかにもその後のSFでは「ガジェット(gadget)」と呼ばれものが多用されるようになり、これは、「便利で気の利いた小物、ちょっとした思いつきの目新しい機械・装置、仕掛け」です。

当然、科学的な見地から考案されたものではなく、この点、ヴェルヌがその小説の中で登場させたもののように、現在の我々の世界に実現しているようなものが少ないのはあたりまえです。

それはともかく、このウェルズとヴェルヌの二人が発表したSF群が、その後のSF小説の隆盛の礎を形成したことは間違いありません。

このあと、ウェルズやヴェルヌに影響を受けたコナン・ドイルが登場し、1912年に発表された「失われた世界」や死去する前年の1929年に発表された海洋SF小説「マラコット深海」は、科学的予見に満ちたドイルの傑作といわれ、SF小説の世界ではウェルズとヴェルヌに次ぐ巨匠と目されるようになりました。

SFはその後、イギリスの作家、ジョージ・グリフィスが、後年「スチームパンク(steampunk)」と呼ばれ、現代では、歴史改変もの、サイエンス・ファンタジーの一種として知られる分野を確立し、これが大衆向けの作品として商業的に成功したため、イギリスやヨーロッパではこうしたものを中心としたSFが盛んになっていきました。

「スチームパンク」のスチームとは、蒸気機関のことであり、グリフィスの小説では、ヴィクトリア朝のイギリスや西部開拓時代のアメリカを舞台とする物語が多く、そのような中にSFやファンタジーの要素を組み込んでいます。

例えばヴィクトリア朝の人々が思い描いていたであろう、レトロフューチャーな時代錯誤的テクノロジーまたは未来的技術革新を登場させ、同時にヴィクトリア朝のファッション、文化、建築スタイル、芸術を描くというスタイルは、産業革命のラッシュで疲れていたこの当時のイギリス人やアメリカ人に大いに受けたようです。

こうして、ウェルズらによって最初の完成を見たSF小説は、スチームパンクなどのちょっと違った方向に行きかけましたが、20世紀に入ると、アメリカでは再び、未来予測的で科学礼賛的な希望に満ちた科学小説が流行するようになり、前述の「ラルフ124C41+」などの作品に代表されるような、SF小説の黎明期と呼ばれる時代に突入していきます。

こうしたSF小説の潮流は、その後の日本にも流れ込み、日本でもこうしたSF小説が広く読まれるようになるとともに、日本独自のSF名作も数多く創出されていきました……

……が、そうした歴史などを延々と書いていくと長くなりそうなので、今日はもうこれでやめにしたいと思います。

ただ、こうした日本におけるSF小説の流行は、現在世界に冠たる「日本文化」として知られる、アニメショーンなどの世界を形作る結果となっていったことに少し触れておきましょう。

SF小説から発展した世界は、いまや、漫画、アニメ、ゲームといった多くのメディアに展開され、SF大国日本と呼んでもよいほどの全盛期を迎えています。

現在、SF作品を対象とした文学賞のうち、英語圏においてもっとも有名なものは、1939年から毎年開催されている「SF大会」で選ばれるヒューゴー賞と、アメリカSFファンタジー作家協会(SFWA)に所属するSF作家・編集者・評論家などの投票によって選ばれるネビュラ賞の2つです。

SF大会は、2007年の第65回大会にはアジアで初めて日本でも開催され、その会場は横浜のパシフィコ横浜でしたが、このときのヒューゴー賞トロフィーの台座はフィギアの製作で有名な海洋堂が作成し、ロケット状のトロフィーの隣にウルトラマンが並んだデザインだったそうです。

こうしたSFに関する賞は、日本国内においても数多く創設されており、最も権威のあるものは、SF大会の参加者を中心としたファン投票によって選ばれる「星雲賞」や、日本SF作家クラブ会員の投票によって選ばれた候補作を選考委員が選考する「日本SF大賞」などです。

このほか、SFマガジン読者賞、公募新人賞などの色々な賞が設けられており、こうした賞の受賞作品は、ベストセラーになることも多く、これらを読まれた方も多いのではないでしょうか。

そこから派生したアニメーションは、ロボットと同じく、日本の文化を生み出す「源泉」となっている感があり、たかがフィクションといえども、世界に冠たる科学技術を誇る日本人によって研究され、創出された作品であり、その最先端の技術内容に真剣に目を向ければ、そこにはビジネスや科学における未来を垣間見ることができるはずです。

お気に入りのSF小説をみつけ、遠い未来に目を向けてみましょう。50年後、100年後にはあなたは生きていないかもしれませんが、もしかしたら、生まれ変わって、そこに書いてあることを体験するかもしれない、そう考えると、より楽しいかもしれません。

まだ実現していない未来をSF小説をもとに想像してみる、そして自分なりの予想図を書いてみる、というのも面白いかもしれません。そしてそれを熟成させていけば、きっとあなたもSF小説家になれるに違いありません。

近未来のSF科学小説、あなたも書いてみませんか?