天城高原へ

さて、ここまでこのブログにお付き合いいただいた方は、ブログカテゴリーがいつのまにか、「伊那谷日記」から「修善寺日記」に変わっていることに既にお気づきかと思います。

そう、この物語の最終目的地は「修善寺」なのですが、そこへ至るまでにはまだまだ紆余曲折あるのです。なので、もう少しこのストーリーにお付き合いください。

前号からの続き・・・・そう、そして移住先探しの先は、伊豆中央部へと移っていきました。伊豆半島は、一般的に東伊豆、中伊豆、西伊豆、南伊豆の4つの地方に区分されているそうで、あまりにも町中すぎる、として移住先として私が選択から外した三島市や沼津市、函南町は、このうちの中伊豆という区分に入るようです。

中伊豆と呼ばれるこの地域には、このほか伊豆市と伊豆の国市などに小さな別荘地が散在していますが、あまりぱっとした物件もなさそうなので、リサーチは更に東伊豆、南伊豆へと移っていきました。

そこで目にとまったのが、伊豆高原と天城高原です。この二つの高原地帯は、もともと伊豆急行線を保有する東急電鉄とそのグループ会社の東急電鉄、東急不動産といった会社が開発した別荘地です。伊豆地方だけでなく、関東地方にも鉄道を保有しており、かのバブル崩壊でも倒産するようなことはなく、管理する別荘地でも運営に支障がでるなどの問題はとくに出なかったようです。

伊豆の他の別荘地でも、大手建設機械メーカーのコマツ(旧小松製作所)のグループ会社が造った別荘地や、三菱地所や住友不動産などの大手不動産会社や銀行などが造った別荘地がありますが、これらについても現在までのところ大きな破たんのうわさはなく、おおむね運営は安泰のようです。

寄らば大樹の陰・・・ということで、ここはやはり管理体制がしっかりしている別荘地を探そう、ということに気付いたまではよかったのですが、しかしそれでも、ともかく実際の土地を見なければ埒があきません。ともかく、現地に行ってみよう!ということになり、ようやく伊那以来の重い腰を上げる時が来ました。

ただ、行くなら行くで、やはり具体的な物件候補を絞ってから行こう、ということになりました。どこでもいい、ということではなく、できれば伊豆の中でも涼しそうなところ、ということで、まず選んだのは「天城高原」でした。標高1000m近い高所にあるため、そのほかの伊豆のどこよりも夏涼しく、海岸に近い土地よりも気温は2~3度も低い、というのがその理由です。

そして東急グループが管理する「天城高原別荘地」の中にみつけた物件は、床面積はそれほど多くないのですが、敷地にある程度の余裕があり、増築が可能かもしれない、という物件。物件の管理しているのは、伊豆急行線、伊豆高原駅にほど近いM社さんで、地元でも老舗の不動産屋のご様子。早速電話で予約を入れ、その物件と同じ別荘地内でタエさんが選んだ物件の二つをみせてもらうことにしたのです。

6月28日の午後、東京の自宅を出て、厚木小田原道路を経て伊豆高原に着いたのは午後過ぎのこと。気温はやや高めで、30度をちょっと超えていたかも。天気はこの時期にしてはめずらしい晴天で、物件を見せてもらうには絶好の条件です。

約束の時間が迫っていたので、手早く近くのラーメン店でお昼を済ませ(実はこのラーメンやのラーメンは絶品でした。また後日ご紹介しましょう)、すぐ近くの不動産屋さんM社さんへ。

M社は、伊豆高原駅から歩いて十数分の高台の桜並木通りにあります。この桜並木通り近辺は知る人は知る、結構有名な観光地。おしゃれな飲食店や、工房、ブティックのほか、「ねこの博物館」などのプチミュージアムがあちこちにあり、とくに若い人に大人気。M社さんも桜並木沿いに本拠を構えておられ、広々とした敷地に建てられた洋風の明るいお店でした。不動産屋というよりも、どこかのマンションのショールームのようなかんじ。

受付でお約束をしたことを告げ、打ち合わせルームに案内されたやや緊張気味の二人の前に出てこられたSさんは、やや痩せ気味で中背のやさしそうな男性。年齢不詳ですが、気安くお話ができそうなタイプ。笑顔を絶やさない落ち着いた応対をする方で、今日のご案内も彼がしてくれるとのこと。早速、Sさんが運転するプリウスの後ろに乗せてもらい、現地へ向かうことになりました。

M社を出て、まがりくねった山道を山の上のほうへ上のほうへと向かう道中、さりげなく天城高原の様子やら伊豆高原の様子などをお聞きしてみました。それによると、天城高原は東急グループが管理しているリゾートなので、管理体制は非常にしっかりしているとのこと。しかし、最近は新しくここに別荘を建てる人はそれほど多くなく、出て来るのは築後20年以上経った中古物件が多いとか。住んでいる人の高齢化も進んでおり、最寄りの鉄道駅(伊豆高原駅)から30分以上かかることから人気は今ひとつ・・・なのだそうです。

これから目指す目的地について、それを案内する不動産屋さんご自身の口から、あまり人気がない・・・みたいな言葉が出て来るとはビックリ。しかし、何事にも隠しだてせず、率直なものいいで現地の現状について語ってくれるSさんに、二人とも好印象を持ちました。

その日は梅雨中にも関わらず良いお天気でしたが、湿気が多く、外は蒸し風呂状態。外気温は30度を超えています。ところが、プリウスが、まがりくねった道をどんどん山の上のほうへあがって行くにつれ、プリウスの車載温度計の表示も1度、また1度と下がっていきます。ああ、やっぱり涼しいんだーという実感・・・

そして、まずタエさんが選んだ物件に着いたのは、ふもとの町を出てからおよそ30分ほど経過してから。気温は、既に27~28度に下がっています。やはり涼しい!その物件は林間にあり、あまり眺望はよくない別荘でしたが、5LDKと広く、床面積も120m2あるのを気に入り、タエさんが選んだのでした。

物件は、天城高原の最も高いところから東側に下がった林間にあり、かなり入り組んだ地形の中にありました。道路からもさらに谷底に向かうような細い小道をくだったところにあり、まさに森の中の一軒家という雰囲気。涼しそうですが、周囲は何やら暗い雰囲気。Sさんに鍵をあけてもらい、早速内部に入ると、この暑さの中でも中はひんやりとしています。ただ、中に入ったとたん、何やらカビの臭いにおいが・・・しばらくするとさきほどまで、ひんやりと・・・と感じていたのは湿気が多いため、と気がつきました。

ただ、いかにも「別荘」という重厚な造りで、2階から1階を見通せる吹き抜け構造になっている間取りは、なかなかおしゃれ。持ち主さんがまだ現状でも別荘として使われているようで、家具やら生活用品はそのまま。しかし、この湿気の中でよくカビないなーという印象。ふたりであちこち見ていたところ、1階のリビングで何かをチェックしていたご様子のSさんがポツリと一言・・・曰く・・・「ダメだなこりゃ」。

みると、リビングの床の上を何度も体重をかけて踏んでみて、床下の様子を確認していたご様子。聞くと床下の構造材がどうも腐っているようだ、とおっしゃいます。

さきほどまでの車中でも率直なモノの言いようをされる人だなと思っていましたが、自社管理の物件をけなすような言い方で、「ダメ」と言い切るとは・・・

続けてSさん曰く、「湿気が多いんで床下が腐っているんだと思うんですよ。こういう湿気の多い場所に建てた家は床下から腐ってくるんです、床を踏んでみてグニャグニャしているようなら、かなり傷んでいると思って間違いない。こういう物件はあまりお勧めできないですね~」とのことで、長いこと使っていない別荘物件には、こういうのが結構あるそうです。

二人で床を踏んでみると、なるほどグニャッと沈みこむような感じが確認でき、思わず顔を見合わせて、うなずき合うふたり・・・

「カビ臭いんで、早くこ出ましょう。こんなところに長くいたら、肺が悪くなっちゃう。つぎ行きましょ、次!」とSさん。それにしても結構はっきりモノを言う人だなーと、思わずふたたび笑ってしまった二人。

「仕事だから案内させていただいているけれど、それで体を悪くしたらもともこもありませんからね。」というSさんのひょうけた言い方にも再び大笑いした二人でした。

後日Sさんからお聞きしたことですが、Sさんは2年ほど前に、東京で別の仕事をしていたのを辞め、田舎暮らしをしたいという奥さんの希望を入れて伊豆へ来られたとのこと。M社に勤め初めてまだ1年あまりなのだそうです。会社が売り出している物件についても、悪いものは悪い、と平気でお客さんに言うことをポリシーにしている、とのことで、どうもその背景にはM社の人使いの荒さがあるようです。それでもこの仕事を続けておられるのは、人と接することがお好きなためのようで、今日のムシャ&タエとの接客もそれなりに楽しんでおられるご様子。

なかなか良い案内人に出会ったなー、とあとでタエさんともうなずき合ったものでした。

さて、林間の別荘を出て、次の物件へ。この別荘地は敷地面積が1000万m2あるそうで、場所から場所へ移動するのも一苦労。敷地の端から端まで移動するには車で数十分はかかりそうです。

次の物件へ向かう途中、この別荘地の中心的存在の「ホテルハーヴェスト天城高原」に立ち寄ってもらいました。18ホールの立派なゴルフコースを備えたこのホテルは、なかなか立派なもので、二食付き一泊、16,000円〜27,000円とか。富士山を望む比較的高級なリゾートとのことです。

このホテルには隣接して、「天城高原ベコニアガーデン」といった観光施設もあります。広い別荘地の中で食べ物やちょっとした日常品が手に入るのはホテルハーヴェストとこの施設の二つだけとのこと。あとは、ふもとの伊豆高原まで30分以上かけて車で買い出しに行かなければなりません。ふもとの伊豆高原駅までシャトルバスもあるそうですが、有料で片道300円取るとのことで、その費用もばかにはなりません。

ホテルを後にし、ようやく次の物件に到着。この物件は、私ムシャが選んだ物件。現場は、明るい尾根の上にあり、その尾根の上にさらに盛土をしたような高台に建っていました。家の外回りはパステルカラーでおしゃれに塗装されており、リビングの外側にはウッドデッキがしつらえてあって、そこからは富士山も見えるとのこと。あいにくその日は雲がかかっていて見えませんでしたが、富士山が見える、というのが私がこの物件を選んだひとつの理由。前々から富士山の見える家に住みたいと思っていたからです。

敷地はそれほど広くない印象ですが、建物自体はおしゃれで小奇麗なかんじ。早速内部を見せてもらうことに。この家は、土地の傾斜を生かしてスキップフロアになっており、きれいに掃除された3DK。床面積はそれほど大きくはないけれども、プラスで小さなロフトもあって、そこそこ収納も多い様子。おそらく、かなり年配のご夫婦が二人でお住まいになっていたようで、内部のあちこちには手摺が。外部にはその旦那さんが手作りしたと思われる小さな物置小屋もあり、ここに住んでおられたご夫婦の睦まじさが目に見えるようです。

再度、外部に出て、床下などもチェック。大きな問題はないようでしたが、さすがに築30年近く経ていることから、外壁や基礎部分の根太の一部分が腐っているようでした。敷地は北側に向かってやや傾斜しており、平たい部分もあることはあるのですが、増築をするとなると、基礎工事には結構お金がかかりそう・・・

なんでも、ここに住んでいたご夫婦はこの天城高原が大変気に入っていて、ここを売りに出して、現在同じ別荘地内の別の土地を購入し、そこに新しい家を建築中とのこと。人口が減少しているというこの天城高原ですが、こうした交通の便の悪いところを気にいって住みたいという人もいるぐらいだから、きっと良い所なんだろうなーと思いました。

確かに景色もよく、明るい感じでなかなか良い家だな、とは思ったのですが、ただ、いかんせん床面積が小さく、また増築も難しそうなので、我々二人が使うとすると、これはちょっと無理かなーと正直思いました。

伊豆での家探しはまだ始まったばかりだし、初日にすぐに気にいった物件に出会えるとも思っていなかったので、この物件にあまり乗り気でない、といったそぶりはSさんにはみせず、ほどよいところで「今日のところは」ということで、引き揚げたい旨を伝えました。

下山途中、他の別荘も2~3軒ほど外部からだけ見せてもらいましたが、その日はとうとうこれぞ!という物件には出会えず時間切れ。

山を下ってM社に戻り、再度応接ルームに案内された二人に、受付のお嬢さんから、冷たいおしぼりと飲み物、そしてケーキのご提供が。一日暑い中を歩き回ったあとのこのサービスはなかなか心にくいものです。

事務室で何やら探していたSさんが戻ってこられ、手渡してくれたのは本日の物件の資料と他の物件資料。今日の物件の印象を聞かれたので、正直にいまひとつだったことを伝えると、これを予期しておられたようで、曰く、「今度は、一日かけて伊豆のあちこちの物件をみてはどうですか?」とのお申し出が。

その日の応対で、Sさんのお人柄に大変好意をもっていた二人は、このお申し出を快諾。後日再び、伊豆の別荘めぐりをすることにしました。このとき既に私の心の中では、天城高原と伊豆高原はないな・・・とどこかで思っていたものの、今度来れば、もっと良い物件にめぐりあえるかもしれない・・・という期待も半分。しかしそれが空振りに終わるとはこのときはまだ考えてもいませんでした・・・(続く)

再びの家探し

富士山が見える家に住めたらいいな・・・

広島・山口へのショートトリップを終えて、東京へ帰って来た二人。また新たに家探しを始めるのか~と少々うんざり感がありましたが、気を取り直して、Sさんにアドバイスされた「南西方向」にある物件についてのリサーチを始めました。

伊那の家については、管理する不動産屋さんにお詫びを申し上げて、購入を辞退することに。不動産とは「水もの」と言われるように、こうしたキャンセルは日常のようなことなのでしょう。社長さんはいやな顔ひとつせずに、了承してくださいました。

さて、多摩地方から南西方向にある土地といえば、伊豆や箱根観光地が真っ先に思い浮かびますが、そのほかにも、御殿場や沼津、三島といった、どちらかといえば町中の土地もあります。それぞれの土地にそれなりのよさはあるでしょうが、逆にマイナスの要素もあるはず。これらの中からどこを選ぶか、については自分達の希望する条件をまず整理することから始めました。そして、まとまった条件は以下のようなもの。

・夏でも快適に暮らせるよう、ある程度涼しいところ。
・東京都内には、少なくとも2~3時間で出られること。
・バス、電車などの交通機関が近くにあって、利用できるところ。
・建物は、できれば4LDK以上と大きいこと。
・湿気が少ないこと。
・できるだけ眺めが良いこと。できれば富士山でも見えるといいな・・・

「4LDK以上」は、二人で住むにしてはちょっと大きすぎるのでは、とお考えの方もいるでしょうが、我々二人の共通点として、書籍や書類を大量に所持していることがあり、これらの収納スペースを確保することと、来年以降、大学生となる息子君が返って来た時の部屋の確保、というようなことを考えると、やはり必要だな、という見解でした。

そして、ネットを駆使していろんな物件漁りをはじめたところ、以下のような候補地が浮かびあがってきました。

・芦ノ湖高原(神奈川県と静岡県の境界付近)
・十里木高原(富士山南東部、静岡県)
・南箱根(函南町と伊豆の国市境界付近、静岡県)
・伊豆高原(伊豆東部、伊東市の南、静岡県)
・天城高原(伊豆中部、静岡県)

これらの場所の周辺には、熱海や伊東、湯河原といった有名な温泉町もありますが、標高が低く、夏は暑そう、ということで除外しました。また、箱根は極めて物件数が少なく、というよりも高級別荘地が多く、我々の手の届く範囲ではなさそうなので、これも除外。三島や沼津、小山町、函南町などの市街、もしくは市街に近い土地は、標高もあまり高くなく、わりと住宅が建てこんでいて、せっかく移住するのに、また住宅地じゃあなーということでこれも除外。そのほか、下田や熱川などの伊豆南部も考えましたが、高原地帯が少なく、なにせ東京から遠い・・・下田からだと、東京まで4~5時間もかかるのではないでしょうか。

候補に残った土地のうち、芦ノ湖高原や十里高原は、富士山周辺に作られたリゾート地であり、人気も高く、ネットで調べるとなかなか魅力的の物件もありました。しかし、他の地域に比べると実際に購入できる物件数が少なく、なかなか決定打が出ません。また、芦ノ湖高原はかなり標高が高く、涼しいことは涼しいけれど、駿河湾から吹き上げてくる風が心配でしたし、十里木高原も良いところのようでしたが、アクセスが悪く、雨が多く、一年を通して湿気が多い、という情報もあり、やめることに。

雨の多さや湿気については家探しにおいて、やはり気になるところです。今回の物件探しにあたっても、気になったので色々調べてみましたが、富士山南部から南西部にかけての地域は、富士山ぶつかって上昇する気流の関係から雨が多いそうで、御殿場や裾野市、十里木高原での雨量は静岡県内でもかなりの量にのぼるようです。芦ノ湖高原のある三島は、雨量はそれほど多くないようですが、標高が1000m近い山の上になるため、やはり風の問題があり、夏は涼しいかもしれないが、冬は逆に寒さが気になるところ。

それでもあきらめずに、これら富士山に近い土地柄で売りに出ている物件を色々あたってみましたが、数もそれほど多くなく、気になる物件もなかなか出てこないので、ついにはこの地域については断念することにしました。

そして、残る伊豆の三地域です。このうち伊豆北部と伊豆高原は、不動産物件が多い地域です。とくに伊豆北部の函南町と伊豆の国市付近の、いわゆる「南箱根」と呼ばれる地域には、バブルの頃に建てられた別荘がゴマンとあり、ネットで不動産情報を探すと、これらの別荘地情報であふれていました。

富士山や駿河湾が一望できる景色の良い場所に建てられた別荘地も多く、建てた当時はかなりのお金がかかっただろうな~という物件も少なくありません。伊豆箱根鉄道や東海道線などの各駅に近いために交通の便もよく、価格も手ごろのものも多いので、これらの別荘地の中から選ぼう!と思い始めたころ・・・

・・・とある情報が目に入りました。

・・・その情報とは、これらの別荘地のいくつかは、管理会社がバブル崩壊と同時に倒産し、敷地内の道路や水道などのインフラの管理が行き届かなくなっている、というものでした。管理会社が倒産したため、道路が傷んでいたり、路肩が崩れていたりといった箇所の修復がままならず、また側溝に貯まった落葉の処理が進まない、水道管や下水道管の老朽化の問題・・・など色々な問題が起こっているというのです。

最も深刻だなと思ったのは水の問題。と、ある別荘地では、別荘地内近くの井戸水をくみ上げて管理会社が供給していますが、その水の値段が周辺の市町村で供給されている公共水道よりもはるかに高い価格になっている、というものでした。もともとの管理会社が倒産してしまった、ある別荘地では、修復別荘地内に住む住民が結集して新たに組合を作り、ここが主体となって別荘地内の道路や上下水道の管理を始めました。しかし、別荘地の管理に関してはやはり素人集団。この組合の運営をめぐって住民とのトラブルが発生し、裁判沙汰にまで発展しているとか。

バブル崩壊から20年以上経過していますから、地中に埋まっている水道管や下水道管の老朽化もこれからどんどん進んでいくと思われます。南箱根の別荘地すべての管理会社が倒産しているわけではありませんが、別荘地を造った大手の不動産会社や建設会社の中には、別荘地を維持していくことがかなりの負担になっているところも多いようです。道路や上下水道の管理を周辺の自治体に委譲したがっているところもある、というような情報も出て来ました。

私が調べたところ、とくに問題になっている別荘地では(ここに住んでいらっしゃる方へも配慮して、どこの別荘地かはここでは明かしませんが・・・)、多くの別荘が「ダンピング」状態で売りに出ているものも少なくなく、このため、不動産価格が著しく下落しているようです。何も知らないで買った人は、入居してみて水道料金の高さや、道路などの維持管理の悪さに気付くのです。上下水道の将来的なメンテナンスに関しても不安材料となります。

風光明美な土地で温泉も出る、といった魅力的な場所でも、そこを維持していくためのインフラが整っていなければ、安心して住むことはできません。

そういうわけで、伊豆北部のこれらの別荘地の物件は、魅力的なものも少なくなかったのですが、それを管理する管理会社や管理組合のことも調べて見て、これはちょっと、と思われるものは除外することにしました。

そうすると、あれほど魅力的な物件が多かったこの地域の物件で、これを見てみよう、というものはほとんどなくなってしまいました。ここに至るまでに、伊豆や静岡県内の少なくとも30社以上の情報をみてきましたが、不動産会社の中には、こうした問題のある別荘地の物件ばかりを紹介しているところすらあります。問題のなさそうな別荘地を中心に物件を紹介している会社でも、問題のありそうな別荘地物件が含まれていることもあり、しかも、それをほめちぎっているような不動産会社は敬遠することにしました。(・・・続く) 

南西へ・・・

信州一の名古刹 諏訪大社 この地に住むはずだったのだが・・・・・

「引越先探しの顛末・・・のその後」のその後です。

カードをめくり、いつものように霊視をされていたSさん・・・ 引越先をめぐっては、伊那の家を入手したいがどうか・・・?との我々の質問に対して、重い口調で出て来た答えの内容は次のようなものでした。

「家と住む人の「気」が合っていない。住んでいるうちにあっちこっちに手をいれながらすむようになるかもしれないし、別のところにまた引越したくなるかもしれない。」

そして、

「この家は本当は住まないほうがよい。ただ、もしどうしても買うのなら、家と土地を守っている氏神様、とくに商売をするならば稲荷神社にお参りをした方が良い。」

とのこと。続けて、「蔵に呼ばれたのかな~(この家に惹きつけられたのは蔵のせいかな~)」

とも。確かにあの家でもっとも気になっていたのは蔵だったし、そのほかにも住むためにはあちこち、手入れをする必要があり、結構お金がかかりそうだなー、とも思っていたので内心ぎくり。

さらに、Sさん曰く、

「(二人とも)この家を買うことに、納得しよう、納得しようとしすぎているかんじがする。確かに家そのものは金色のエネルギーで満ち溢れていて、地のエネルギーも強いものがある(すなわち、格が高い)。ただ、住み手となるあなた方のエネルギーと合っていないので、下手をすると家と土地のエネルギーに「食われ」てしまうおそれがあります。」

うーむ・・・ かなり長い間家探しを続けてきて、少々うんざり気分になっていたところでもあり、ようやく巡り合った有力物件に対して、二人とも納得しようしようと、していたかも。

家と土地のエネルギーが強い・・・というのも、言われてみると、なんとなくそんな気がしてきました。本当は必要のない蔵まで付いていて、今の二人の身分にとってはふさわしくないのかも。

そして、もうひとつ思い当たったのは、この家の前の持ち主さんのこと・・・ 実は、この家を入手するにあたり、この家の権利に関する詳しい不動産情報を、案内していただいていた不動産屋さんから入手していたのですが、その情報と不動産屋さんのお話を総合すると、この家の前の持ち主さんは代々この家を守って来た大きな農家の末裔で、とある建設会社の役員までされていたそうです。ところが、何年か前にバブルが崩壊したためでしょうか・・・破産宣告を受け、それでこの家を手放すことになったようなのです。競売に出ていたこの家を案内してくれた不動産屋さんが手に入れ、多少の手直しをして、売りに出した・・・ということ。

・・・ということは、前の家の持ち主さんも、この家と土地のエネルギーに負けて「食われ」てしまったということなのか・・・!?

Sさんの口から出て来たこのお話。本当は、この家は大丈夫、ふたりにぴったりです!とでも言ってもらえるかと思っていたので、それとは正反対のお答えを聞いて一瞬頭が真っ白になりました。

苦労して探してきた家をあきらめてまた、ふたたび家探しの旅に出る・・・!?正直そんな元気はありませんでしたが、これまでもいろんな「予言」を的中させてきたSさんのこと。このアドバイスも真剣に受け止めなければならないんだろうな・・・と少し落ち着いて考えるとそう思えるようになってきました。

そして、気をとりなおして、それじゃあ、今後どうしたらいいんでしょうか・・・とおそるおそるの質問に対してSさんは・・・

「長野はよくないようです。別の家を探すならば、南西のほうがいいでしょう。「灯台もと暗し」と出ている。身近なところに良い話がころがっているのではないか。地元の工務店など(家を実際に作った人など)に聞くなどすると、より質の高い情報を入手できるでしょう。」

とのこと。「南西」というと、今住んでいる東京の多摩地方からみると、伊豆とか箱根方面になります。なので、御殿場とか、三島、箱根あたりのことをおっしゃっているのかな・・・と聞くと、

「南西の方向・・・ 三島、御殿場、箱根・・・いずれも良い。「7」という数字が出て来るので、7週間後か、7月中か、7カ月後に次の家がみつかるのではないでしょうか。」

さらに、「今売りに出している家についても、7月にもしかしたら売れるかもしれない・・・」とのこと。

「今売りだしている家」、というのは、先妻と一緒に建てた家のことです。今はマンション住まいのムシャ&タエなのですが、今の家に住む前に、この家には10年あまりの間住んでいました。思い出深い家だったのですが、タエさんと再婚後気分を一新するため、これを売却することにし、昨年、リフォームをかけて売りに出していたのです。しかしこの不況の中、なかなか売れなくて困っていたのですが、長いこと売れなかったこの家がもうすぐ売れる!???・・・

にわかに信じがたいようなお話ばかりだったのですが、しかしこの時、Sさんが予言されたことは、このあと、ほとんどが現実になっていくのです。無論、このときはそんなことがあろうとは、全然予想もできませんでした。

Sさんは、さらに、「南西の方向に住む家を変えたら、仕事は全体的に幅広くやれるようになる。南西を拠点にするのはとても良い!」ともおっしゃいました。ともかく、南西方向を探せ、仕事の面でも南西方向が良い、縁起の良い土地柄が必ずある、ということのようなのです。

こうして・・・伊那が引越先としてふさわしいかどうか、という命題に対してひととおりのアドバイス(・・・というか私たちにとってはもう「結論」でしたが・・・)を得ましたが、その日はそのあとも、父や先妻など亡くなった人達のことや、今後の仕事のことなど、いろいろお尋ねしました。が、それらのことは、また、別の日にお話しすることにしましょう。

ちなみに、Sさんには相手のオーラの色を見ることもできる方なので、今のオーラの色を聞いてみると、

タエさんは・・・薄いピンク色、紫色の入ったラベンダーのような色(白も入っている)。天界に近い色なので、メッセージを受けやすくなっている。何かを試す時の色。いろんなものに結果を出すために、いろんなことをやるべきだ、とのこと。

ムシャは・・・赤色がある。今、そろそろマグマが発色しはじめている時(仕事に関すること?) 胸のほうに緑色があるので今は癒しが必要。黄色もある。人を引っ張っていく色である。

とのことでした。さらに、ムシャは・・・やりたいことがあるが、それを実行できていないいらだちがある。守りに入らなくてよい。自分がこうだとおもったらやれば良い。というアドバイスも。

家探しに没頭していて、なかなか本来の仕事に戻れないいらだちが現状としてあるのは確かなので、またしても心の中を見られたようでギクリ・・・

それにしても、いつものことながら、Sさんの能力は目をみはるものがある・・・帰ったら早速、南西方向の物件を探し始めて見よう、と帰りの車の中で話し合ったムシャ&タエなのでした・・・

暑い夏もそろそろ・・・

9月になりましたが、まだまだ暑い日々が続きます。去年の夏はもうもう、どうしようもないというほど地獄のような日々でしたが、今年の夏はまだなんとかしのげるほど。この夏はやはり節電を・・・ということで、我が家でも日中は、極力クーラーをつけないようにしていました。無論、テンちゃんが「常駐」している私の仕事部屋もです。

けれども、体中が毛におおわれているネコにとっては、やはり厳しい環境のようで、ウチのテンちゃんも、この夏、日中はほとんど寝ていましたっけ。その寝相がこれ。あいかわらず大胆な格好で寝てくれちゃっています。すぐそばを通っても、少々大きな物音がしても、この体勢を変えることなく、延々と夕方まだ寝ています。

「ネコ」という名前は、一説によると、一日中寝ているから・・・といわれますが、なるほどウチのネコもよく寝るわ・・・こちらはクーラーをつけていないせいもあって、昼寝もおちおちできんというのに・・・

ところで彼女は、この夏で2歳になりました。一年前のまだまだ子猫だったころには、帽子の中にスッポリ入って寝ていることもしばしばあったのに、あれから一年も経つとこんなに違うもんかいな・・・とあきれるやら、かわいいやら。上の写真と比べると使用前・使用後という感じがせんでもない。

今週一杯くらいはまだ暑いようですが、最近、夜になるとかなり涼しくなり、セミの声もあまり聞こえなくなりました。暑い夏もそろそろ・・・のようです。そのせいもあり、彼女の活動も活発になってきました。秋といえばお魚のおいしい季節。彼女のために、今度おいしいお魚でも買ってきて一緒に食べるかな♪   ・・・と今日も親バカの飼い主なのでした・・・(続く)

引越先探しの顛末・・・のその後

6月に引越先探しの顛末記・・・を書いてから三カ月が経ってしまいました。久々の書き込みです。その後、何しとったんじゃー!とファンの皆様(いるっしゃるんかしら?)から多大のお叱りを受けそうですが、これが・・・いろいろあったんです。

長くなりそうですが、これまでのことをかいつまんでお話しましょう。

・・・その後、長野県は伊那の家に住むことにしよう、と一度は決め、敷地内にある蔵の中を見せてもらいました。蔵は明治38年に作られたという立派なもの。中は農作物などの貯蔵場所として長年使われてきたようで、我々が中に入ったときにはほとんど何も残っていませんでしたが、若干の農作業用具と、この家のあるじが昔通ったとき使ったらしい古い農業高校の教科書などが残っていました。中はひんやりとしていて、案内してくださった不動産屋さんによると、一年中等して20度以下の気温だとか。かなり古いものなので、あちこち手直しも必要と思われましたが、手入れをすれば部屋として使うとしても十分な広さもあり、暑い夏が苦手な私が書斎として使うにもぴったり。これはこれで結構気に入り、後日、東京へ書類を送ってもらって、仮契約を結ぶことにしました。

 

これでようやく引越先探しも一段落ついた・・・ということで、二人とも少しほっとしました。思えば、ここ二月ほどは、ずーっと家探し。いろんなところへ行けるので、それはそれで楽しくもありましたが、なかなか良い家がみつからないので、少々うんざりしていたところ。それに、ここ数カ月、少し前に大病を患った母親のことも気になっていました。山口に住んでいる私の母は、今年80歳になりますが、若い頃には国体にも出たことのあるスポーツウーマン。私の小学生時代にはママさんバレーのキャプテンもつとめ、地区大会で優勝したこともあるほど、元気なおばさんでしたが、さすがに寄る年波には勝てず、ことしの4月に肺血栓を起こし、生まれて初めての入院。

その後回復してかなり元気にはなったのですが、病気とは別に左足が悪く、年とともにその症状も悪化し、家の中の移動も大変。病気で体も弱っているため、滑ってころんで大けがでもしたら大変・・・ということで、家の中に手摺を付けてあげたいと思っていました。家の中の掃除も最近おっくうになっているようなので、それも手伝ってやりたい。4年前に父が亡くなったあと、家の外も荒れているので、それやこれやで一度帰郷したかったのです。

今回の帰郷の目的はもうひとつ。それは、タエさんが昔住んでいた広島の家の売却。今はテナントとして賃貸ししていますが、我々の長野への移住も本格化しそうなので、こちらの不動産としての処理もそろそろ考えようか、ということ。この話もいろいろあるのですが、長くなりそうなので、やめるとして、ともかく山口と広島の二ヵ所の用事を片付けるため、帰郷することとなりました。

山口のほうの仕事のほうは、思ったより大ごとで、家の外にあった古い温室などを片付けたり、伸び放題になっていた木を切ったりでおおわらわ。かなり疲れましたが、家の中の掃除や手摺付けも含めてなんとか処理を終え、そして広島へ向かったのです。実は広島の家のほうは、既にもう買いたいと言ってくれる人がいて、その方との初めての会合を持つことが主目的だったのです。が、もうひとつ、できればお会いしたい人がいました。

その方は、タエさんのお母さんの代から親しくしていだいている方で、宝石のデザインをやったり、テレビ関連のお仕事もされており、地元では知る人ぞ知る有名な方。二児の母とは見えないほど、いつもチャーミングな笑顔といでたちで年齢よりかなりお若くみえます。しかし彼女の本当の才能というか、持って生まれた能力とは、普通の人では見えたり感じたりできないものが、できること。そう、実は大変、霊的な能力のある方なのです。

最初にお会いしたときに聞いた話では、なんでも子供の頃に数年、記憶がない時期があったとか。いつ頃からそういう能力に目覚めたか、とかはお聞きしたことはありませんが、物心がつくころから、その能力を生かして人にいろんな方々の相談に乗ってこられたようです。

この世の中には、そうした能力を信じない人も多いことから、人にはカウンセラー、またセラピストといった自己紹介をされているようですが、我々二人にはその心配もないことから、いつもその向きのお話も色々してくださいます。また、カウンセリングをするときには、いつも「占う」、という形をとりながら相手の内面的(霊的側面)をみていかれますがそれは表向きのこと。以前、そのことについてお聞きしたら、「占い」という形でもとらないと、一般の人にはなかなか信じてもらえない、すんなりと入っていかない、いう意味のことをおっしゃっていました。

霊能者の方々もそれなりの苦労がおありなんだろうな、と思いましたが、いつお会いしてもそういう苦しみはみじんもみせない方なのです。我々もこれまでもいろんな相談に乗っていただいてきていますが、「占い」の結果は、ほぼ百発百中。それはそうだよなー。本当は占いじゃなく、あちらが見えるんだものな~といつも感心するのですが、彼女曰く、私にも霊感があるとのこと。今のところ、表立ってそういう能力は感じないので、本当かな~と思うのですが。

さて、その方、お名前を出すのは、ちょっとはばかられるので「Sさん」としておきます。Sさんにに今回アドバイスをしてほしかったことは色々あったのですが、一番お聞きしたかったのは言うまでもなく、伊那の家のこと。本当にこれが我々にふさわしいかどうか?でした。

夕方4時近く。広島のアーケード街から少し離れたいつもの喫茶店でいつものように、待ち合わせた三人。その日Sさんは、急に左目に充血が起こったとうことで、眼帯をされていましたが、我々のアドバイスをするには支障がないとのことで、いつものように脇に水晶を置き、カウンセリングを始められました。

質問内容は、家のことが中心だったので、まずそれをかいつまんでお話したあと、「占い」が始まりました。パラパラとカードをめくっておられましたが、いよいよその結果を言葉にされる段になると、「うーん・・・」と何やら腑に落ちないことがあるご様子・・・。これは、きっとあまり良い結論ではないのだな、と正直思ったものですが、その後ポツポツと彼女の口から出て来たのは、予想もできないような内容のお話でした・・・