望んでいることが起こらないときは・・・

富士吉田市 北口本宮冨士浅間神社

今日は再び、以前ご紹介したペニー・ピアースさんの、「人生を変える波動の法則」 からの引用です。

先週までの引越先探しを通じ、なんで望んでいる物件がみつからないんだろう・・・と考えた時、改めてピアースさんの本を見ると、「望んでいることが起こらないときは・・・」 という項目が目に入りました。一度、読んだはずなのですが、改めて読み返してみると、今回の経験をまるで予言しているようなことが書いてありました。本文はかなり長く、わかりにくい箇所も多いので、私の言葉でピアースさんの文章を以下に改訳してみました。

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●「望んでいることが起こらないときは・・・」改訳

何かを望み、ボジティブな気持ちでそのことをしばらく思っていても、それを手にいれられるとは限りません。それは、自自分自身の波動に問題があるからか、あるいは、自分自身で現実化を邪魔している場合、また、自分の魂の計画では、それが必要のないことであるからなどなど、いろんな理由があるからなのです。

それではまず、「自分自身の波動に問題がある」、とはどういうことなのでしょうか。

例えば、こんな例があります。ある会社に有能な社員がいて、その会社の大改革のプランを高い情熱を持って作成し、経営陣につきつけました。しかし、会社の経営陣はそれを拒否し、そのプランは実行されなかったのです。なぜ実現しなかったのか。それは彼のプランにおいて、その会社の古い経営スタイルや保守的な経営陣のことが考慮されていなかったためだったからです。会社の波動は彼の波動よりも遅かったので、経営陣は、短期的にたくさんのことをしなければならない、という彼のプランを実行することが怖くなったのです。

また、何かを実現させようとするために、あまりにも自分自身の意思の力を使いすぎたのかもしれません。自分の力を現実化のプロセスに注ぎ込み、プロセスを支配しようとしすぎたのかもしれません。無理に実現させようとするのは、流れと調和せず、重要な情報を見失っているしるしであることが多いのです。

何かが実現しないとき、なぜ実現しないのかには、また別の理由がある場合があります。それは、「自分自身で、現実化を邪魔している場合」であり、その望みが怖れや欲などのネガティブな感情から発している場合です。

「家を失わないためにお客をもっと増やさなければならない」「一人きりにならないために、恋人が欲しい」などが良い例です。

こういう場合は、実は「欲しいもの」に着目しているのではなく、自分の「怖れ」に最も注目を注いでいるので、そのために怖れそのものが現実になってしまうのです。一時的には頑張って、お客や恋人をみつけられるかもしれませんが、自分自身が怖れている現実は潜在的に残っており、いずれ表面化します。怖れを避けるため、現実を避けるか、欲しいものを無理やり手に入れようとして、自分のエゴにしがみついている状態なのです。

こうした状態のとき、人の心の中には心配や疑いが心の中にうずまいているはずです。「そのうち、お客が減っていって、本当に家を失わないだろうか」「今の恋人が去って、また一人になるのではないだろうか」というような心境です。このような状態は現実化への流れを狂わせ、結果が生じるのを邪魔してしまうことになります。すなわち、家を失うことになり、恋人もみつからないのです。

また、現実化を自分で邪魔しているというときには、体がそれを現実だと感じられなかったり、結果が自分自身に深いやすらぎをもたらさないために、望んでいる事柄が実現しない、という場合もあります。

例をあげましょう。

ある人が、ある日、草ぼうぼうの自分の家の庭をみて、ああ、もっときれいな庭が欲しいな、と思っていたとします。 ちょうどそのころ、その庭をみたある高名な庭師が、世界で一番きれいな洋風の庭にしてあげよう、と言いました。 しかし、その人は本当は純和風の庭が好きなので、洋風の庭・・・と言われても理解できないし、ピンとこなかった。けれど、せっかく有名な庭師がそう言ってくれるのだし、あまりにも熱心なので、庭師の言葉に従って、洋風の庭を作ってもらうことにしました。その結果・・・毎日、朝起きてその庭に出て、本当は自分があまり好きでもない庭を見て後悔の気持ちでいっぱいになる・・・

乗り気ではない体が結果が出るのを邪魔した良い例です。

お金儲けにもそうである場合があります。本来、お金は紙切れであって、人間の体にとっては特に、愉快でも刺激的でもない抽象的な存在にすぎません。体がその紙切れを集めることを現実的だと感じない場合、その紙切れ集め、すなわちお金儲けはうまくいきません。身近な人を亡くして失意のどん底にある時に、お金儲けが楽しい、と思う人はあまりいないのではないでしょうか。

望んでいることが実現しない場合、自分にはそれを得る資格がない、と思っている場合もあります。または、それがもたらす変化を本当は望んでいないときにも現実化はおこりません。

例えば、幼いころの感情的な心の傷を負っていたり、ひどい貧乏長い間味わった時などに望んでいることが起こらないことがあります。人を愛したいのに、こんな自分を愛してくれる人なんかいるわけがない、と思っている人は、本当は自分が傷つくことを恐れて人を愛せないのです。お金は欲しいけれど、お金がたくさんありすぎると、泥棒に狙われるのではないかと不安・・・ といった例もあります。

自分を十分に認めていないときにも、現実化がおこらないことがあります。自分には能力がない、と思っている人にはその人の持っている能力以上の仕事はこないものです。

人は、今の収入や生活レベルに満足しているときには、より多くを望みません。より多くを手に入れると人生が面倒になると思うからです。 また、齢をとって想像力がなくなったり、想像力を使わずにすごしたりするときにも何も欲しくなくなったり、大きな夢を持てなくなる場合があります。

夢を大きくふくらませるためには、より大きなエネルギーや高い活動レベルが必要です。また、豊かな知識と夢をふくらませることのできる物理的な空間が必要であり、さらには夢を持つことができるようにするために必要な「新しい自己意識」を得るためには、何らかの「改革手段」を思いつくことが必要となります。

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青梅市 塩船観音寺

 抜粋・改訳は以上です。

私の場合、家探しにやっきになっていた自分自身を振り返ってみると、要約文の冒頭にあった、「何かを実現させようとするために、あまりにも自分自身の意思の力を使いすぎた」 状態にあったように思います。

「自分の力を現実化のプロセスに注ぎ込み、プロセスを支配しようとしすぎ、無理に実現させようとしたため、流れと調和せず、重要な情報を見失った」・・・というのは、安くて良い住宅が欲しい欲しいと思って探していたけれど、どうしてもみつからなかった、という現実とまさに一致します。無理に安い家を探そうとせず、多少の出費は覚悟して、本当に自分達が欲しい家の情報を集めた結果、ついに理想に近い家がみつかりました。

ピアースさんの文章を改訳した私の文章は、それでもまだ、とりちらかっている感じがしますので、彼女がとりまとめた、「現実化のプロセスを速めるもの、遅らせるもの」、と題した整理結果をそのまま引用します。

●現実化のプロセスを速めるもの、遅らせるもの

○ 速めるもの

・アイデアに気づき、注意を向ける。

・体が、アイデアを現実的でごく当たり前のこととして体験する。

・魂の波動を周囲から全体へと放射する。

・あなたと共に創造のプロセスを行うすべての存在・粒子を尊重する。

・あなたの波動が、もの、人、状況、場所、求めている体験に一致している。

・結果が完全であると信頼している。

× 遅らせるもの

・望んでいるものは遠くにあると思っている。

・怖れから望んでいる。心配し疑っている。

・結果を無理にでも引き出そうとする。それを実現するために自分のエネルギーを使いすぎる。

・望んでいるものが、あなたの魂の目的ではない、

・あなたの魂は、その結果があなたにとって害があることを知っている。

・頭が必要以上のことをやろうと必死になる。

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われわれの、良い家が欲しいという願いは、怖れや欲などのネガティブな感情から発したものではありません。

だからこそ、家探しのプロセスにおいても、起こる事象や目の前に現れる人々をすべて尊重しながら、自分達の波動が、求めているもの、人、場所や状況に一致しているかどうかを確認していこうと思います。

ある物件では、どうしてもその物件でなければならない理由を見つけることができませんでしたが、今考えてみると、その場所の波動と自分達の波動とが合わなかったから断念したのだ、ということが理解できます。

そして、場所を変え、自分達の波動と合う物件を探し続けていけば必ず良い結果が出る、と信じながら家探しを続けて行けば、きっと良い物件にめぐりあたると思います。

どうでしょうか。あなたの望んでいることは実現しそうですか?

引越先探しの顛末・・・

ひさびさの書き込みです。気がつくともう6月!(前回の書き込みでも同じようなことを書いたような・・・汗・・・) この間、何をしとったんかいな、たいして仕事もせんと・・・と言われるとつらいいものがあるのですが(誰が言うんでしょうか?)、実は・・・ 実は・・・ムシャ&タエは、次の住処(すみか)を探していたのでした!

さて、6月(しつこい!)。来年一人息子が大学に入る(であろう(受かればの話だが・・・))まで10カ月を切るようになりました。我々夫婦は、息子が大学に行くのと同時に、子離れすることにしており、息子が出て行ったあとは、二人も東京を脱出して、信州あたりにでも移住しようと話していました。

なぜ、信州か。それは、ひとえに夫婦ともども夏の暑さに弱いから。 昨年夏の異常に暑い夏は、世間の皆さまにとっても辛いものだったと拝察いたしますが、われら二人にとっても地獄のような日々でした。しかも9月に入っても暑さは続き、10月頃になってようやく涼しくなったものの、急に涼しくなったせいもあって、私はすっかり体調を崩してしまいました。 また、今住んでいるこのマンションは、やはり集合住宅ゆえの息苦しさもあり、お隣さんや階下の生活音なども聞こえてきます。近くには車通りの多い道路もあって、その音も時折入ってくる。マンションなので庭いじりもできないし・・・創造的な仕事をするためには、ちと向かないねーというのは、二人とも同意見。長年住んだ東京ですが、息子のひとり立ちをきっかけに、ここは喧騒を離れ、より涼しくて静かな田舎を探してそこへ移住しよう! ・・・と、いうことになったのです。

さて、その引越先は・・・二人とも富士山が大好きなので、最初は首都圏からも近い山中湖あたりに住まいを探そう!と決めていたのですが・・・そこへきて今回の福島原発の一件。生まれてはじめて計画停電なども経験し、近隣の千葉や茨城でも地震による大きな被害が。 次は、東京や東海地方で大地震が起こってもおかしくない、といわれていることもあり、東京と同じ東京電力管内でもある山中湖は断念することに・・・(富士山が噴火するかもしれんしね)

実家のある山口にでもするか・・・という話も出ましたが、仕事の関係で東京から遠く離れすぎるのもなあ~というわけで、それなら、東京からもあまり離れていない信州にしよう! 東京電力管内でないから、停電にもなりにくいし!・・・と二人で決めたのでした(なんという、あんちょくな決断・・・)。

とはいえ、信州といっても広い。新潟に近い北信州もあれば、松本を中心とした信央、どちらかというと名古屋圏に近い、南信。うーむどこにするか。いろいろ悩んだ結果、やはり東京への交通の便が良いのは、松本や諏訪地方だろう、ということになり、そこで、まず最初に思い浮かんだのが、私が学生の頃に、住み込みの測量のアルバイトをしたことのある蓼科。ここは、東に八ヶ岳を仰ぎ見る高原地帯で、夏涼しく、年間を通して雨の少ない土地。すぐ近くにある野辺山には、天文台もあり、星のきれいな場所です。

と、ゆーことで、早速現地へ行くことに。中央高速を飛ばして、諏訪南ICで降り、富士見町や原村、蓼科、佐久とまわり、野辺山も見て、帰ってきました。自宅へ帰ってからは、ネットで物件探し。 しかし、せっかく信州に住むんだから、山や湖がきれいなところだよな~ というあんちょくというかミーハーな動機から物件を探していたせいもあり、なかなか良い物件がみつかりません。東京から比較的近く、我々と同じようなことを考えている人も多いらしく、このあたりはなかなかの人気スポット。良い物件はすぐに売れてしまうらしく、なかなか良いものにあたらない日々・・・・・

そして引越先探しの対象は二転三転。北へ行ったり南へ戻ったり、時には新潟近いほうまで探したものの、なかなか気にいるものもなく、むなしく日々が過ぎて行き・・・・・

そんなある日、せっかくだから、これまでとは全然別のところを探してみよう、と思い立ち、八ヶ岳山麓からは遠く離れた、飯田方面の物件を探してみることに・・・ 飯田といえば、長野でももう一番南側の地域。東京からの距離は下手をすれば400kmにもなります。さすがに遠いよな~ と思いながら、それでも探していたところ、こ、これは!という物件を見つけたのです。

場所は、飯田市のやや北にある、高森町という町。 物件のあらましを記したホムペによると、その家からは南アルプスが一望のもとに見える!!! とのこと。築年数は30年近く経っているものの、敷地面積も建坪も十分に大きく、自宅兼、仕事場とするには絶好の物件!

と、ゆーことで。早速、物件を管理する不動産会社さんと連絡をとり、なんと翌日には物件を見に現場まで行ってきたのでした。

これが、その物件から見た写真。東側にはリンゴ畑が広がり、そのはるか向こうには南アルプスの雄姿が!建物は築30年近く経ってはいるものの、状態はよく、夫婦ふたりともすっかり気にいってしましました。現場を案内してくれた、管理会社の社長、Sさんも大変気さくな方で、お若いながらもしっかりした語り口。なによりも実直そうでユーモアもお持ちのこの若い社長さんに夫婦二人ともぞっこん!

ところが・・・ 良い物件にはすぐに引き合いがつくもの。帰り際にSさんにお聞きすると、実は、既に検討中の方がいるとのこと。検討する、と言われてから20日以上も経っているので、多分大丈夫だと思うが・・・しかし、先約さまがある以上、その方を優先せざるを得ないとのことです。その方がキャンセルならば、我々にということなので、とりあえずその方と連絡を取っていただき、後日電話を・・・ということに。こうして引越先探しの最初の長~い一日が終わったのです。

その後、東京に帰ってからは二人ともその家の話でもちきり。リビングが狭いのであそこは増築が必要だとか、裏の倉庫は使い勝手も悪いので撤去。和室に明かりとりの窓も欲しいよなーとかとか。もう、すっかりそこに住むことになったつもりで、いろいろ妄想したいた二人ですが・・・・

三日ほど経ち、Sさんからのメールが。その内容は、先様に電話をしたところ、「購入したい」との意思表示をされたとのこと。ガーン・・・・・ もろくも崩れ去った妄想。二人の夢の家はこうして、二人のリンゴ畑の中へ消えて行ったのでした。トホホ・・・

しかーし!そんなことであきらめるムシャ=KIUEMONではないぞ! ここは金沢商人の末裔としての意地を見せてやる~(なんのこっちゃ)ということで、気を取り直して再度インターネットでの物件探しを始めることに・・・

が、やはりなかなか予算の範囲では良い物件は見つからず、むなしく日々は過ぎて行き・・・・ なにやら仕事も手につかず、家探しばかりしているのもアホらしくなってきていた、とある日・・・  ふと思ったのは、これまでは手持ちの予算の範囲の中だけで物件を探していたけれど、少し無理して借財をすれば、もう少し良いものが見つかるかも・・・・・ということ。 多少出費は多くても、もっとグレードの高い物件を探せば、これまでのわれわれと同じように安い物件を探している人達が見落としている物件にぶつかるかも・・・・と思った次第。 これからの長い人生、しかも余生を送るかもしれない家なのだから、もう少し無理してみるか・・・・

と、ゆーことで、方向を転換し、予算よりもやや高めの物件を探すことしたのです。

その結果・・・ 早速候補としてあがったのが、先ほどの高森の家よりもやや北側にある、駒ヶ根市にある物件。ホムペでは建物の写真が一枚あるだけで、内部の写真などの他の情報は皆無。ただ、その紹介欄では、「眺望よし」とあります。これはきっと、家の中からアルプスが見えるに違いない。それにしても内部の写真がないのはなぜ???

あんまり変な物件には手を出さないほうが良い、とも思ったけれども、気になってしかたなく、こりゃーやっぱ、現場へ行ってみるしかないよ、と、ゆーことに。早速、その管理会社に電話をし、家の中を見せてもらうことにしました。

 

翌日、再び中央高速に乗り、伊那谷へ。

その家は、駒ヶ根インターチェンジから車で15分ほどのところ。伊那谷の左岸の高台の集落の中にありました。周囲は畑と田んぼ、森に囲まれ、その中にぽつぽつと家がある感じ。よく見ると別荘のような家もあり、かなり開発された地域なのかな・・・という印象。 が、探せど探せど目的の家がみつからず、ついには管理会社さんに電話して、近くまで迎えに来てもらうことに。 管理会社さんの車の後を我々も車で後をついて行った先は・・・・・ なーんだ、さっき通った所じゃん。 どうやら同じところをぐるぐる回っていて、そこに目的の家があるのに気がつかない二人なのでした・・・

その家も、前は田んぼ後ろは畑で、ちょうど近所のお百姓さん達が田植え機で田植えをなさっている真っ最中。その家の駐車場にも大きなトラクターが止まっています。管理会社さんによると、近所の方に少しの間置かせてくれ、と頼まれて置いているトラクターなのだどか。すぐ裏には別の農家やすぐ前にも新しい家があり、何やらご近所さんとの関係がいろいろある家なのかな~という印象。

気を取り直して、家の中へ入ります。玄関、リビングと回り、二階へあがってベランダへ出ると・・・・なんと!


当日はちょっと天気が悪かったのですが、駒ケ岳を中心とする中央アルプスがリビングから一望のもとに見えるではありませんか! ふもとには遠く駒ヶ根の市街も!こりゃー夜には夜景もきれいだろうなー

管理会社さんによると、この家の前の住人は、奥さまを亡くされたご年配の男性だとかで、奥さまが亡くなられるまではここを別荘として使っていたそうです。ご高齢なので、寒い信州から離れ、今は名古屋のほうに住んでおられるとか。ご高齢なこともあり、家の中の大量の荷物も片づけられず、家が売れることが決まったら、管理会社さんのほうで整理して、買った人に手渡すつもりでいたそうです。たくさんの家具が残されていて、ホムペに載せると見栄えがよくない、という理由で家の中の写真が掲載されていなかったというわけ。納得・・・・・ それにしても家の中の大量の家財は別として、家の作りは、かなりしっかりしていて、というよりも相当お金をかけて建てた家らしく、外観は日本風なのですが、内部はかなりモダンで瀟洒な洋風なつくり。築年数も浅いし、何よりも家から山々が見渡せる!価格も結構安い!

と大いに気にいったのですが、管理会社さんによると先の高森の物件と同様、この物件にも検討中の方がいるとのこと。そのご本人に確認したあと、後日結果を連絡するとのこと。とりあえず、連絡先をお教えして、帰路につくことに・・・

その帰りの車の中でのこと。タエさんに印象を聞くと・・・・どうもあまり気が乗らないご様子。 あんなにいい物件なのに何が気に入らないのかな~と思い、聞いてみたところ、物件はいいのだけれど、周りの家々が近すぎ、何やら閉塞感があるのが気になる・・・ とのこと。

そういわれてみれば、この家は市域からも離れ、山里の中にあって回りは田んぼや畑ばかりであるものの、思ったよりも民家と民家の距離が近く、斜面に立ってて見晴らしが良いせいか、どうも他家も目に入りやすい、という欠点があるようです。 距離的にはそれほど近くはないものの、視覚的には近くに見え、結構近所づきあいもめんどうくさそう、と感じさせる何かがある・・・  と、言葉で書くと、そういうことなのですが、何かことばでは表現できない、なにか心に引っかかるものがある・・というところで二人の意見が一致。

家の内装や外観はお金をかければ治せるけれども、人間関係はそういうわけにはいかない。やはり周囲の家々が気になるところには住めないよねー 今後のことも考えると少しでもひっかかるところがないほうが・・・・ということになり、終の住処探しは、結局また振り出しに戻ることにあいなりました。

そして、週末を迎え、再びインターネットを使った家探しが始まりました。なんという執念!そんな時間があったら仕事せんかーい! と言われそう。でもついてしまった火はもう消せねー、ここで引いては男がすたる、と前よりも躍起になって家探しを展開!

そして・・・ 日曜日の夕方までに、執念で5件ほどの候補物件を選んだのでした。5件のうち、1件は北信にあって不便。また他の物件は市街地近くにあるのでうるさそう、といった理由から除外し、結局残ったのはそのうちの2件。最初の高森の家をホムペで見つけてから、早2週間!いよいよ家探しも最終局面に入るのか!?ペペンペンペンペン!

と・・・・いうことで、不動産屋さんが開いている月曜日になったので、早速その物件の管理会社に連絡をとり、まず向かったのが、諏訪湖から30kmほど南にある町、伊那市。

伊那市に限らず、伊那谷にある町の多くは、谷沿いにある街道沿いにできた宿場を中心に出来た町が多く、伊那市も旧高遠藩のおひざ元の宿場町として発展した町。町の中心街には天竜川が流れており、その左岸側のやや高台の場所にその物件はありました。

実はかなりの予算オーバーだったのですが、家から中央アルプスが見えるらしいということと、やや古い割には内装がきれいそう、下水道も使えるらしい、などなどが最終候補として残ったわけ。周りには家々があるものの、田園地帯の平地なので、前回の駒ヶ根のように他家が目に入りにくく、あまり周囲が気にならないのでは、というのもこの物件を選んだ理由でした。

その日はもう梅雨に入っているというのになかなか良いお天気で、不動産の下見をするには絶好のお日和。早速現場についてみると・・・・ まずびっくりしたのは、まあ敷地の広いこと!データを見ると、なんと約300坪!その広い敷地の中に立つ二階建ての木造家屋は、どっしりした感じでまずます。ただ、ちょっと古いかな、というのが私の印象。その母屋の隣になにやら倉庫のようなものがあるのは、なんかいな・・・・と正面に回ってみると・・・ あらかじめホムペで前知識は持っていたものの、これがそうか! そうなのです。 今でも信州の田舎へ行くとときどき見られる、「蔵」 なのでした!!

 

写真でみるのと、実物を見るのとでは大違い。不動産屋さんはまだ現場に到着していなかったのですが、ちょっと失礼して中をのぞかせてもらうと、その日、外は結構暑いのに、中はひんやり。蔵というものは、味噌や米などの食糧の保存のため、一年中同じ温度を保っている必要がある・・・・と何かで聞いたことがあったのですが、こんなにひんやりしているとは・・・ 建物のあちこちは傷んでいるところはあるものの、なかなかのものです。何よりも蔵の中になど入ったことのない二人でしたから、その重厚な存在に二人ともすっかり感心してしまいました。

しばらくして不動産屋さんが現場に到着したので、早速家の中を見せてもらうことに・・・・ まずは玄関から入って、一階のキッチン、リビング、和室と見て回りました。土地も広いけれども家の中も広く、なんと120平方メートルの、6DK! 二人で住むには少し大きいけれど、かねてより、仕事にも使える家を、ということで探していたので、広さは申し分なし。続いて二階にもあがってみましたが、そこからはどどん!と中央アルプスの山容が迫り、雪をいただいた駒ケ岳も見えます。 一階も二階も部屋のつくりはしっかりしており、壁や床、天井もとてもきれいに保存されていて好印象。外見は少々古びた感じはあったものの、中に入ってみて、私もタエさんもすっかり気に入ってしまいました。

しかーし。やはりこれだけの物件ゆえに検討中の人もいるとか。このあと、もうひとつ物件をみるため、本日はとりあえず、ここまでにさせてもらい、もうひとつの物件を見たあと、後日お返事をする、ということにして、不動産屋さんにお礼を言い、次の物件に向かうことにしました。

そして、次なる物件は、諏訪湖の物件。伊那ICから入り、諏訪湖についたのは午後3時過ぎになってから。その物件は、中央高速道路の諏訪湖サービスエリアのすぐ真下にありました。

車で乗りつけると、すぐに中から飛び出るようにして出迎えてくれたのは、少し関西なまりがあるものの、日本語ペラペラの中国人女性。とてもチャーミングなお嬢さんですが、あとで聞いたところによると同じ中国人と結婚されているとのこと。

さらには、旦那さんと今お住まいなのは、なんと、先ほどまでいた伊那! 伊那から遠く離れた諏訪で伊那在住の女性に出会うとは・・・・・ これは何やら運命かもしれないな~と妙にご縁を感じてしまった私。

なんでもこの物件のリフォームは、一から彼女が手掛けたとのことで、ご本人にとっては天塩にかけた我が子のような存在らしく、ご案内にも熱が入ります。早速、家の中に入ってみると、広々としたリビングからは、眼下に諏訪湖の青くて広い水面が!

この光景には二人とも絶句・・・・ これは素晴らしい!と思い、他の部屋も見せてもらいましたが、とてもきれいでモダン。お洒落で使い勝手もよさそうで、広さも二人で住むには申し分なし・・・・ キッチンやお風呂、トイレも新品でとても気持ちのいいものです。ただ、収納がやや狭いことと、家が立っている敷地が70坪ほどと狭く、大量の書籍を持ってくる予定の二人にとってはやや手狭かな~との印象。加えて、西側のお宅とは、1~2mほどしか離れておらず、下手をすると、お隣の生活音が聞こえてしまいそうなのが気になるところ。そして、さらには、諏訪湖の南側に位置し、諏訪湖を望む家であるということ・・・・・ そう、この家は北向きの家なのでした・・・・

とはいえ、まったく日当たりが悪い、といことではなく、南側に面した採光も取れている間取りなので、それは致命傷とはいえず、むしろ、敷地面積が狭く、隣家が近すぎる、という点が問題。 とはいえ、タエさんはかなり気にいったようで、その中国人のお嬢さんとも意気投合。 お互いのメルアドを確認しあったあと、後日返事をするということに。そして、長い一日を終え、帰路についたふたり。そして、帰りの車の中で出した結論は・・・・

やっぱり、伊那の家にしよう!でした。諏訪湖の物件も申し分なく住みやすそうなのですが、やはり広さが問題になりそう。隣人も気になる・・・・ 駒ヶ根の物件がそうであったように、やはり隣人関係はその家に住むときに最も重要な要素です。伊那の家もお隣さんはいるものの、その場所は広々とした田園地帯であって、お隣との距離もあまり気にならなそう。ただ、タエさんというよりも、私が気になったのが「蔵」の存在。当日は蔵の二階へあがるための鍵を不動産屋さんがご用意できず、中を全部見れなかったのが気がかりです。

二人とも伊那の家が気に入り、これにしよう!と決めたものの、最終的な判断は蔵を見てから決めよう、とゆうことになり、そして、再度伊那の土地を訪れることに。

こうして二週間にわたって繰り広げられたムシャ&タエの家し騒動は、どうやら落着をみせそうな雰囲気。しかし、それにしても、その気になる蔵の中はいかに・・・・・ 続く

あいかわらず無防備・・・

これは、生まれて2カ月ころに撮ったテンちゃんの写真です。このころは、まだ体重1kgぐらいだったと思う。さんざんおもちゃで遊んでもらったあと、遊び疲れて、寝てしまったご様子。このころから、この子はときどき大胆な寝方をします。我が家に連れてこられたころは、よく、私のおなかの上でまるまって寝てましたが、ときおり、ひとり寝のときには、こうしたあられのない格好を見せてくれ、目を楽しませてくれましたっけ。

そして、あの子猫子猫していた日々から、そろそろ2年の月日が経ち・・・・

これが、最近の彼女の寝姿・・・・・ あいかわらず無防備なのにはかわりがないが、うーむ。かなりふてぶてしくなったというか、より大胆になったというか・・・ そりゃーそうですよね。今の体重はなんと、4.3kg! けっしておデブ、というわけではないんですけれど、やっぱ、もう子猫じゃあないんだよなー、とつくづく思ったりして。でも、子猫じゃなくなっても、体重が4倍になっても、今日もかわいさ百倍のテンちゃんなのです! 続く・・・

「問題」の見方を変える・・・

日付をみると、あっとびっくり!もう5月! 前回の書き込みから、あっという間に一カ月以上が経ってしまいました~ (しらじらしい・・・しっかり認識しておったくせに・・・)。

前回の記事を書いたあと、まだこれから暑くならないうちに、旧宅の家の倉庫を取り壊そうと思いつき、旧宅のある2kmほど離れた町へ毎日通っていました。朝から夕方遅くまでみっちり・・・。ツーバイフォーで作った頑丈な倉庫二階部分を壊し、その下のコンクリートブロック塀をハンマーでたたき割って建て壊し・・・の重労働! 毎日のように体のあちこちに、あざやらキズやらができ、はたまた筋肉痛に悩まされ・・・の日々が2週間ほど続きましたが、ようやく全部撤去し、休息の日々・・・

そして、2~3日でようやく少し体が楽になったので、書き込みしようかな~♪ と思っていた矢先・・・山口の実家の母が緊急入院! あちらに帰って看病やら家の片づけをしておりましたら、それでまた一週間が経ち・・・ 母親は元気になったものの、と、気がつけば連休の真っさなか~ (唖然)。連休中、特段どこへ行く予定もなかったので、疲れた体をいやすべく、毎日ゴロゴロしておりましたら、ブログへの書き込みもすっかり滞っておりました・・・ と、まあどなたが読んでくださっているかはわかりませんが、とりあえず、書き込みが滞っていた言い訳なぞ、もぞもぞと書いている次第・・・

とはいえ、ただ単にゴロゴロしていたわけではなく、山口へ行っている間に読もうと思っていて、果たせなかった読書を家でごろ寝して始めることにしました。本のタイトルは、「人生を変える波動の法則」(PHP出版) 著者は、世界的なスピリチュアル・カウンセラーと言われる、ペニー・ピアース(Penny Peirce)さん。タエさんが買った本ですが、途中で読むのを中断していたのを横取りして先に読むことに・・・

本の内容は、人にも動物にもモノにもすべてに「波動」があり、その調和において、すべてのエネルギーが高まり、人にとってはそのエネルギーの高まりによって幸せになることができる・・・といった難しいことが書いてあるのですが、理論的なことが色々書いてある導入部分はともかく、後半部分は非常にスピリチュアルな内容で、なかなか良い本でした。ただ、その内容をブログだけでは伝えるのはちと、難しい・・・かな。

なので、全部を紹介するわけにはいきませんが、その中の一節を紹介することにしましょう。
「より高い答えと選択と計画を見つける」という章の中の一節なのですが、私はなるほど!と思いました。そのまま引用します。

◎問題の見方を変える
「運命とは、日々の問題を一つずつ悩みからチャンスと導きへと変えることによって、少しずつ歩んでゆくものです。一つひとつの問題と向き合うとき、魂が何を意図としているかを探しましょう。魂はあなたが体験から学ぶために、様々な状況を作り出します。問題に気づいたときに、自分の内側を見ると、自分がエネルギーの流れを止めていることに気づくでしょう。あなたがまだ十分に体験していないことや、人生について誤った認識を持っているところを、魂が教えているのです。問題とは、必要なことにあなたの注意を向けさせるものです。問題のある状況を変えようとして戦略や行動を探すかわりに、その状況をじっくり味わって、魂は自分に何を気づかせようとしているのか見て下さい。
たとえば、上司に昇進と給料の値上げを要求するとき、ほんとの気持ちは会社を辞めて独立したいのかもしれません。アパートの隣人のたばこの煙が寝室に入ってきてイライラしているのは、自分の家を持ってもいいのだと気づくためかもしれません。問題を新たな気づきへのきっかけとすることによって、魂の表現と運命を邪魔していたものを除去できるのです。」

どうですか?自分に生じた様々な問題は、自分自身の魂が、その問題の勃発と同時にその解決策を教えてくれようとしている時なのだ・・・という意味のことを言っているようです。ピアースさんはさらに、問題が長引いているときの具体的な事例と、その問題に自らが気づき、問題自体が解決の方向へ変化していく場合の事例についても具体的に示していて、私は、それを読んでいちいち、なるほど、なるほどな~と感心してしまいました。それらについては、分量が多いのでここで示しませんが、そのあと、ピアースさんはまとめ的に、こうも書いています。

「直観の時代には、最善の答えは魂が焦点を当てたテーマに即して浮かび上がってきます。しかもびっくりするほどすてきな答えなのです。「問題」は単にあなたの魂からくる導きであり、方向を変える必要があるということを示すものなのです。解決はあなたの個性の驚くべき部分や様々な変数の思いがけない組み合わせを使って、最も期待していないときに奇蹟的に現れ、いくつもの問題を同時に解決します。」

何か難しい問題に直面したとき、人は悩んだり落ち込んだりしますが、最初にそれを「問題」だと気付いた自分自身の中の場所へ意識を向けると、それに対する答えがおのずから浮かんでくる・・・ 問題と答えは一緒に存在している・・・・ともピアースさんは言っています。

今回の連休中、ここしばらくの間の疲れをいやしていましたが、そのおかげで、すばらしい本に出会うことができました。

さて、連休が明けた昨日は、東京の西の端、青梅市にある「塩船観音寺」にタエさんと行ってきました。つつじの名所で、何万本というつつじが咲き誇っています。七分咲き程度でしょうか。それでもすごい迫力です。つつじの中を急な階段やまがりくねった道も・・・・ たくさんの「問題」をかかえている私たちが、ひとつひとつその問題を解決していく道筋も、きっとこんなふうにきれいな花に囲まれているに違いありません。

新燃岳はいま

4月になりました。相変わらずテレビも新聞も東北関東大震災と福島原発の話題で埋め尽くされていますが、少々気になったので、宮崎(鹿児島)の新燃岳の様子をネットで調べてみました。

ウェザーニュース社のホームページによると、東北地方で地震津波があった直後の3月13日、17時45分と18時15分頃に続けて二度の噴火が起きていました。久々の大噴火だったようです。最初に噴火したほうが大きく、噴煙の高さは火口上4000mまで達しました。

3月13日の噴火(写真:ウェザーニュース社HPより)

その後、3月22日の火山噴火予知連絡会による発表では、発表されま新燃岳は最盛期(2月上旬まで)に比べて、噴火活動は低下した状態が推移しているとのこと。ただし、地下のマグマだまりへのマグマの供給は続いており、マグマの上昇は断続的に続いていることから、今後も活動は続くとのことでした。

専門家により噴火活動は低下しているとの見解が示され、13日の噴火以降、10日ほどは穏やかな状況が続いたためこれを受け、気象庁は、爆発的な噴火により大きな噴石が3kmを超えて飛散する可能性は低くなったと考え、火口からの立ち入り規制区域を、これまでの半径4kmから3kmに縮小しました。

ところが、その翌日の3月23日にはまた、中規模の噴火があり、噴煙の高さは火口から1000mほど噴煙をあげており、相変わらず活発な噴火活動が続いているようです。

ところで、私は、この新燃岳周辺の住民の方々の避難計画を作る仕事に関わらせていただく機会があり、2月の終わりから3月のはじめにかけて宮崎市内に滞在していました。避難計画を検討する関係上、周辺の市町村のホームページなども見せていただきましたが、その中で、私にとってひときわ印象的だったエピソードがありましたのでここで紹介しておきます。

ご存知ように宮崎県では、昨年の5~6月頃から牛や豚などの家畜の病気である口蹄疫が著しくまん延しましたが、新燃岳のすぐ東側にある、高原町(たかはるまち)においても、口蹄疫が猛威をふるいました。高原町は人口一万人ほどの小さな町で、椎茸や山芋などの特産品のほか、宮崎牛による畜産業が町の重要な産業であり、口蹄疫の発生により多数の牛などの家畜が処分され、町の住民に大きな打撃を与えました。

口蹄疫が広がる前の5月に、高原町の広報誌「広報たかはる」は、4月に行われた「高原町総合畜産共進会」という牛の展覧会が町畜産振興センターにおいて行われたことを報じていますが、このときの会には肉用種々牛の部に74頭、乳用種々牛の部に21頭、肉牛枝肉32頭の合計127頭の出品があったと伝えています。町内の畜産農家による町内産宮崎牛や乳製品の販売は町の中心的な産業であり、これらがほとんど失われたということは町の人々にとって著しいダメージだったに違いありません。

高原町では次第に広がる口蹄疫をなんとか防ごうと全力を尽くされたようで、「広報たかはる」でもその7月号で「口蹄疫特集」まで組んで口蹄疫まん延を防ごう、と町の人々に奮起を促していました。

ところが、その翌月の8月号をみると、もう広報のどこにも口蹄疫予防に関する記事はなく、宮崎牛等の畜産に関する一切の記事が見当たらなくなっており、ただ、口蹄疫に関して全国から集まった支援金の額だけが記されていました。それまでの「広報たかはる」では毎号、町の特産であり、自分達の誇りでもある牧畜牛の記事を必ず掲載していましたが、この号に関しては一切の記事はなく、たださしさわりのない日常の記事だけが掲載されているのです。どこかに何か一行くらい書いてあるだろう、と思って捜してみたのですが、本当に牛のことについてはウソのように何も書いていないのです。

これを見て私は、町のシンボルともいえる牛を失った町の人々の悲しみを痛烈に感じました。おそらく、広報誌を作った町役場の人達は、牛たちの処分の状況や、その後の農家の動向などについては一切触れないことにしたのだと思います。広報誌でさえ、掲載することすらはばかれるような沈鬱な空気が町中にあふれていたのだと想像されます。町の人々の悲しみにおもんばかる役場の人達の思いやりと、その当時の町の雰囲気が、口蹄疫についてはまったく触れらていない、広報誌から伝わってくるようでした。

ちょうどそのころ、とある民主党前衆議院議員が、ツイッターで、「牛や鳥を大量に殺処分して、命を粗末にしていることに宮崎の大地の神様が怒り猛っているように感じる」と投稿していたそうですが、地元民の置かれている状況も正しく理解せず、そのような投稿をするなんて 言語道断です。町の人のこころをくみ取り、広報誌でもそうした人々の傷を刺激しないように、気配りをした高原町役場の方々と比べると大違いです。

そうした町中が悲しみにおそわれているさ中、その翌年に噴火した新燃岳の噴火は、高原町の人々に更なる試練を与えました。町の中心的産業を失った上に、たび重なるようにふりかかる災難を、高原町の人々がどのように感じているかは、想像するに余りあるものがあります。平時なら大きく取り上げられるであろう厳しい状況が、東北地方での災害が大きく報道される中、まだまだ続いるのです。

東北関東大震災からの復興が今後の日本の第一の目標には違いありませんが、その陰でこのように二重の苦しみを味わっている人々の救済もけっして忘れてはいけない、そう思います。(む)