いったい何を信じるか?

スピリチュアルという言葉は、最近ではごく普通に耳にする様になりました。「オーラの泉」などのテレビなどの影響で、多くの人が関心、興味を持つ様になったのだと思います。

しかし、スピリチュアルっていったい何なのか?と聞かれると、自分ではわかっているつもりなのに、もし人に説明しようとするなら、舌をかんでしまいそうです。

試しにネットで、「スピリチュアルとは?」と検索すると・・・ありますねー、いっぱい。

現在は「スピリチュアルブーム」などと言われるほど流行語になっているそうで、「ヒーリング」、「前世診断」、「占い」などのほか、自己啓発的思想としてスピリチュアルを位置付ける人たちもいるようで、文字通り百花繚乱、俗悪なものから、高尚なものまで、まさにピンキリという感じです。少し前(今も?)に「癒しブーム」というのがありましたが、それとスピリチュアルブームの境界も定かでないなか、これからスピリチュアルとは何か、を真剣に学びたいと考えている人は一体何を信じればいいのか、わからなくなりそうです。

最近のスピリチュアルブームはさまざまな消費や経済効果をもたらす、ひとつの「産業」になってしまったようで、人々の心に対して有害な現象も非常に目立つようになってきました。占いに頼り切って依存症になる人とか、先祖の霊の供養や悪霊の除霊ができるといういかがわしい霊媒師、霊的なパワーがあると称して高額な商品を売りつける悪徳業者、信者獲得のための手段として利用するカルト団体などなど。

スピリチュアルと称する分野での他者との関わりにおいては、個人的な事柄がオープンの状態でやりとりされることが多く、暗証番号や口座番号、自分のみならず身内の情報など、本来なら他人に知らしめるべきでないことまで相手に知られてしまい、気がついたときには警察沙汰になっていた、なんてことも最近は多いようです。

私自身も実は星占いなどが好きで、テレビや雑誌などでその時の運勢などが出ていると必ず見る癖がついてしまっており、「スピリチュアル」を話題にした民放番組もたいがい見ています。 ある意味、スピリチュアル産業育成の一翼を担っている、ともいえますが、最近では俗悪なものとそうでないものの違いぐらいは、わかる程度には、勉強が進んだかな~ ただ、俗悪なものの中にも意味のある内容の部分もあったりして、そこのところの見極めができるかできないか、についてはやはり、スピリチュアルに関するものを色々、読み、考えているかどうかに左右されると思います。

とはいえ、占いとかについては、占いが当たった時は、ああやっぱりと思ったりもするのですが、当たらないことも結構あったりして、結局はこんなものは信じるべきじゃないな、と切り捨てるのですが、でもやっぱり見てしまう・・・の連続です。

何故なのかな~と、あとで自己嫌悪に陥ったりして、その理由なども時々考えてみたりするのですが、意思が弱いとかそういうことではなく、何かああいった太古からある「占い術」には意味があって、だから現代に至るまで続いてるんだろうなーとか、漠然と思うのです。

星占いなどは、科学的な根拠があるものではありませんが、星と星の配置によって運命が決まるという占い術なので、天文学の知識がある程度ないと占えない、というところもあり、そういったところが玄人?受けするところなのかな、とも思います。が、まあ星占いはスピリチュアルとは切り離して考えておいたほうが良いのでは、と自分では思う次第・・・

閑話休題。

話をもとに戻しましょう。何を信じるか?というところに至るまでに随分遠回りしてしまいました。で、やはりこれからスピリチュアルなことなどを学んでいこうとする人がいて、何を信じるか、といったときに、やはり考えるのは、それって何か科学的な根拠でもあるの?ということだと思います。

わたしも、最初のころそこのところが一番ひっかかったものです。自身が技術屋であるだけに、霊魂の存在とか輪廻転生とか、いきなり信じろといわれても信じることができるものではありませんでした。宇宙人がいる、と言われれば、なんとなくそういうものもあってもおかしくない、とは思うのですが、輪廻転生とか言われると、じゃー何か証拠を見せてよ、と言いたくなるのは私だけではないでしょう。

科学的な根拠?というところはきちんと説明してくれなければ、絶対信じない、と心のどこかで思っていました。

ところが、前回のブログで紹介した飯田史彦氏の「生きがいの創造」には、非常に摩訶不思議なことが書いてありました。飯田さんの本の中にも出てきますが、今こうした分野では世界的にも有名になったワイス博士という人がいます。知る人ぞ知る、ですが、この方はお医者さんで、精神科の医者です。

数多くの精神的な疾患のある患者さんのカウンセリングや催眠療法を行ってきましたが、その中の一人の女性に催眠療法を行ったところ、その女性が催眠中に前世の記憶を語り始めたというのです。科学者であり、博士号までとった医者でもあるワイス氏は当然そんなことはないだろう、と色々調べたところ、彼女の語った前世の記憶の一部が現存する歴史的に記録されている事実と一致することがわかったというのです。

ワイス博士が、このほかにも同じように過去生を思い出す人がいるかどうか実験したところ、他にも同じ症例があり、また同様の体験をしたことがある医者が周りにいるかどうかを確認したところ、大勢いることがわかりました。また、こうした症例について、世界中の文献を調べたところ、関連性は認めらるものの学術的ではない、科学とはいえない、という偏見だけ世に出ていない文献なども多数あることがわかったというのです。

スピリチュアルなんて科学的に証明されていない、と思い込んでいた私ですが、このあたりのことを読んでから、まてよ、本当かもしれないな・・・と思い始めたのです。

ワイス博士は、「前世療法」という本を記しており(全米ベストセラーです)、のちに私もこれを読みました。しかし、飯田史彦さんの「生きがいシリーズ」と呼ばれる一連の著作では、日本人の事例が多数取り上げられており、私たちと同じ日本人の事例だけに、より身近に感じられると思います。日本人の科学者の中にもワイス博士と同様な経験をし、科学的な意味がある研究として取り組まれている人も多いということも後に知りました。

しかし、頭でわかったつもりになっていても、なかなかその世界に入って行くことが出来ない人も多いだろうな、ということもその時は推察できました。具体的に理解するには、やはり人の死というものを直接的に体験するということが必要だ、と今も思っています。自分が特別な人間とは思いませんが、やはり最も身近な人間を亡くしたということが、より、スピリチュアルな世界を信じるということに直結していったように思います。

だからといって人の死に直面しなければ理解できない、というものでもないと思います。

この章の結論ですが、スピリチュアルなことについて、疑問を持っている方に対しては、ぜひ、飯田さんの本、あるいはワイス博士の本を書店で手にとってみてほしいと思います。できれば買ってください。お金がなければ図書館で借りてください。世界的に有名な著書になりましたから、多くの公立図書館にもおいてあるところが多いと思います。

単なる夢物語りと思うかどうかは、その人次第。ただ、スピリチュアルの世界について、科学的な見解を持ちたい、と、もしあなたが考えているならば、あるいは何を信じるか?」という疑問が生じているのなら、ぜひ読んでみてほしいと思います。(む)

はじめまして テンです

この子の名前は、「テン」ちゃんです。2年前の9月、隣町のお宅から頂いてきました。そのお宅のお嬢さんが勤めている会社の近くのマンションのゴミ捨て場に、他の兄弟(姉妹?)とともに捨てられていたそうです。
お嬢さんが拾ってきたときには、5匹いたそうですが、インターネットや近所の獣医さんでの張り紙を見た人達のところへ相ついでもらわれていき、最後の2匹になったところで、同じく張り紙を見た私たちと巡り合ったのでした。

拾われてきたもう一匹の兄弟と(左がテンちゃん)

私たちのマンションでは、猫を飼っても良いことになっていますが、1匹まで。まして、夫婦二人とも猫を飼うのはこれが初めてのことでもあり、さすがに2匹いただくことはできず、1匹だけ頂くことにしました。

問題はどちらを選ぶかでしたが、1匹はとても活発な子で、お嬢さん宅でも、もう既にその腕白ぶりを発揮し、先住猫をものともせず、飛び回っているとのこと。もう1匹のほうは、性格的におとなしく、甘えん坊ということで、初めて猫を飼う私たちにとっては、飼いやすそう・・・・・ということで、迷うことなく、おとなしい子のほうを選びました。しかし、この子を選んだもう一つの理由は・・・

実はこの子の背中には、ハートマークがあるんです!形は少々いびつなのですが、形はまがうことなくハート形。実は、獣医さん宅でみた張り紙には、背中にハートマークがあると書かれており、それを見たタエさんが、「ぜひ見てみたい~♥」と興味を示したのがきっかけ。

背中にハートマーク♥が!

頂き先のお嬢さんは、これまでも何度か捨て猫を拾って助けてきたそうで、今お宅にいる先住猫は、交通事故で瀕死の状態だったところを助け、我が家の飼いネコとしたとのこと。命をとりとめ、体は不自由ながらもやさしい一家に助けられた瀕死ネコ君は、とっても幸せそうでした。

ちなみに、最後に残った元気のいい子猫も、お嬢さん宅の末っ子になったそうで、これで拾われたネコは5匹ともすべて引き受け先が決まりました。

さて、我が家にやってきた子猫君。名前を何にするか息子も交えて、家族会議とあいなりましたが、最終的には、ヨメと息子で決めてくれ、と私が匙を投げたところ、息子と嫁の間で合意を得た名前が「テン」。

その理由はヨメと息子でそれぞれ違い、息子は、子供のころに好きだった漫画の「うる星やつら」の主人公、ラムちゃんの弟~火を噴くやんちゃ子鬼のテンちゃんにちなんだとのこと。

一方ヨメのほうはというと、子猫の背中の模様の右端に、小さな点がひとつあるから、とのこと。それぞれが、それぞれの理由で納得したようで、私としても短くて呼びやすい名前なので大いに気に入り、その日から、「テンちゃん」「テンテン」などと呼ぶようになりました。

タエさんに抱っこされて・・・(拾われてきたころ)

その後のことなど、もっと書きたいところですが、今日のところはこれまで。 このブログでは、「テンちゃん歳時記」というカテゴリー名をつけ、折につけ、テンちゃんの話題と写真を掲載していく予定です。お楽しみに!

 

人は、たとえ、地の底に立たされても、這い上がる力を持っている

「人は、たとえ、地の底に立たされても、這い上がる力を持っている。必ず希望を見つけられる。」

これは、がんの患者を最期の瞬間まで支える看護のスペシャリスト、田村恵子さん(50)がおっしゃったことばだそうです。日本に100人あまりしかいない、がん看護専門看護師のお一人です。

がん看護専門看護師とは、専門的で高度な知識や技術をもって、がん患者が抱える多くの問題を解決するお仕事だそうです。田村さんは、大阪市の淀川キリスト教病院ホスピスで、年間300人を越える末期がんの患者さんと向き合っておられ、がんが進行し、迫り来る最期を前に、患者さん達が抱えている死への恐怖や悔しさなど、色々な精神的苦痛をひとつひとつ取り除き、最期まで患者が人生を積極的に生きられるように支えていらっしゃいます。

この言葉をどういう状況でおっしゃったのかわかりませんが、死に瀕した癌患者さん達のいる病院での最前線でのことばであることには違いありません。

最前線といえば、未曾有の大災害に見舞われた東日本大震災の被災地においても、尊い命が失われ、残された人達の多くが家を失い、愛する人々も失って、人生への望みを断ち切られたような気持ちでおられるに違いありません。

私も人ごとではなく、かつて最愛の妻を亡くしたときは、この世の終わりのような気持ちで何年も過ごしました。今回の地震津波災害のように、ある日突然最愛の人を失ってしまうという悲劇に比べれば、まだ、隣人の死というものに対して備えることができただけ、幸いだったかもしれません。それでも、やはり「這い上がる」のには、その後長い時間がかかりました。

この言葉は、家内が亡くなった当時に聞いたのではなく、先日のNHKのテレビ放送で耳にしたものですが、その当時にこのことばを聞いたなら、どんなに勇気づけられただろうかと思います。ですから、今、被災地でで絶望の底に追いやられている人にとっては、最も力強い勇気を与えてくれることばのひとつに違いないと思います。

日はまた昇る!必ず希望は見つけられる! 被災地の方々にもぜひこのことばが届けばいいな、と思います。(む)

未来を予測する最良の方法は、それを発明することである

The best way to predict the future is to invent it.
(未来を予測する最良の方法は、それを発明することである)

これは、パーソナルコンピュータの父といわれ、教育者でもあるアラン・ケイ(Alan Key)氏のことばです。

アラン・ケイ(Alan Kay, 1940年生まれ)は、アメリカのコンピュータ科学者で、教育者でもありながらジャズ演奏家でもあるそうです。通称「パソコンの父」と言われ、まだ大型のコンピュータしか存在しなかった時代に、個人で使う「パーソナルコンピュータ」という概念を提唱しました。

1960年代当時、高価で大きく、複数人で「共有」するのが当たり前だったコンピュータを「個人向け」で使うという状況を想定し、それにふさわしいコンピュータ環境とはどういうものか、をはじめて考えた人だそうです。

「パソコンの父」ともいえる人ですが、教育者としてもすぐれた人で、数々の名言を残しており、そのひとつが、このことばです。

レーザープリンターや液晶ディスプレイ、光ディスクなどの開発で有名はカリフォルニア州のパロアルト研究所に属していたアラン・ケイに対して、1971年、親会社であるゼロックス本社がその研究内容の将来的な見通しについて再三見解を示すように求めました。これに対して、少々気分を害したらしいケイ氏がこのように答えたと言われています。

経営陣と開発陣の軋轢や見解の相違から出てきたことばでもありますが、これについて本人が別の機会に補足した言葉 もあります。それは、

「未来はただそこにあるのではない。未来は我々が決めるものであり、宇宙の既知の法則に違反しない範囲で望んだ方向に向かわせることができる」

科学技術が急速に進歩するこの世の中で、私たちの未来社会がどんなものであるかを予測することはなかなか難しいことですが、未来は自分達の努力によって望む方向に向かわせることができる、自分達が発明した世界こそが我々の未来になる、ということを言っているのだと思います。

自分達の将来は自分達が作らなければ誰も作ってくれない、という積極的な人生論であり、私も大好きなことばのひとつです。「宇宙の既知の法則」の意味するところが、スピリチュアル的な意味であるのかどうかはわかりませんが、科学は万能ではないんだ、人間の知能では割り切れない世界もあるんだ、ということを言っているようでもあり、意味深ですね。

市場参入は最後発ながら大手メーカーとの競争を勝ち抜き、プリント基板検査装置で世界シェア第2位となったベンチャー企業、サキコーポレーションの社長、秋山咲恵さんも好きなことばだそうで、アランケイのことばとともに、秋山さんのことも先日NHKの「プロフェッショナル」の中で紹介していました。

このことば、あなたの心にはどう響きましたか?

スピリチュアルとわたし

私が、スピリチュアルな世界に興味を持つようになったのは、7年前に家内を亡くしてからのことです。

20代の後半から30代にかけてアメリカに留学し、帰国して就職した先で知り合った前妻と結婚したのは1992年。もう19年前になります(早いな~)。結婚した年には、新たな就職先が決まり、家を買い、翌年には息子に恵まれ、それと同時に難関といわれた技術士試験に一発合格し、それからの人生は順風満帆・・・というところでした。そして十数年の間、何事もなく、子育てと会社への往復の日々が過ぎたころ・・・

その年は異様に台風の多い年でした。

恒例になっている山口の実家へのお盆帰省の準備をしていたころ、体調が不良だというので、その年に限って家内だけを残して帰省をしました。彼女のことが気にはなっていたものの、遊びたいさかりの息子は自然いっぱいの山口が大好きで、老いた父母にもその姿を見せたく、息子と二人きりの帰省を果たして帰って来たあとのこと・・・。

病院での診断の結果を聞かされ、彼女の体の異変の原因を知り、愕然としたのを今でも覚えています。

病名は子宮頸癌。診断では中程度の進行ということでしたが、子宮の全摘が必要との医師の助言に従って手術。その結果、なんと妻の病気は末期の状態であることがわかりました。冷たいリノリウムの廊下に家内のお母さんと二人で立って、執刀医からそれを聞かされた時、文字通り頭の中が真っ白になり、気を失いかけたのを覚えています・・・。

その後放射線と薬物治療を続け、一時的に自宅へ帰ることも許されましたが、年を明けてから病状はさらに悪化。介護のかいなく、その年の4月の末に家内は、39歳の若さであの世に旅立ちました。それは、連休前でちょうど家の前の八重桜が満開のころ。雲ひとつない青空のもと、新緑の緑の中、八重桜の花がそろそろと散り始めるころ起こったこの出来事は現実とは思えないようなもので、私の心に深い傷を刻みました。

それから、半年ほどが過ぎ、まだ心の中の整理ができていないころでしたが、心の隙間を埋めるべく仕事も再会したころ、実家の山口の、とある建設コンサルとさんとご一緒に仕事をすることが決まりました。その分野では地元でも一二を争う大手の会社で、その社長さんとの面談のため、本社を訪れた私は社長室に招かれました。

社長さんは私よりも3つほど年上だったと思いますが、先代が大きくした会社を継いだあとうまく切り盛りし、今の会社規模にまで高めた実力者。人格的にも素晴らしい人でしたが、何よりも感心したのは社長室にある書棚。仕事関係の本が多いのですが、歴史や文化に関するものもたくさんあり、ひじょうに読書家であることがわかりました。

読書がこの人格を形成したのだなと感心しつつ、話も合って会話もはずんだのですが、やがて話しのネタもつきかけたころ、その社長さんが本棚から一冊の本を取りだし、私に読むように勧めてくれました。私が家内を亡くしたことを社長に話したためでしたが、その時「この本、ちょっと不思議な本なんですけれども、読んでみられるときっとお役に立つと思いますよ」という意味のことをおっしゃいました。

その本の題名は、「生きがいの創造」。著者は福島大学の教授の飯田史彦氏。現在は大学を退官され、スピリチュアルな精神世界について、数々の公演活動や著作によってスピリチュアルの世界を人々に知らしめるべく、活発な活動をしていらっしゃいます。 

さて、本を勧められた私ですが、正直その時は、技術者部隊の統領である会社社長が勧める本にしては、妙に俗っぽいなという印象でした。しかし、家内を亡くしたばかりで心の中で何かすがるものが欲しいと感じていたのでしょう。早速家に帰って書店で同じものを入手し、それから、数日かけてその本を読みました。

すると、そこに書いてある内容は本当に驚くべきものでした。記述のひとつひとつが本当に私の心の中にスーッと入っくるものであり、心の中で欠けたり傷がついている部分にうまく浸みとおり、癒してくれる感じがしました。しかし、何よりも驚いたのは、読み終わったあと、死後の世界などというものはそれまで全く信じていなかった私が、それを信じて見ようか、という気になっていたことです。

その頃はまだ前妻を思い出してよく涙をこぼしていたものですが、その本を読んで流す涙はその涙とは何か違うな、と感じていたことを今でも覚えています。 

その後、飯田さんのホームページがあることも知り、その他の著作も手当たり次第に読むようになり、それから徐々にスピリチュアルの世界を理解するようになっていきました。飯田先生以外にもたくさんの人がスピリチュアルについて語ったり書いたりしていることもわかり、そうしたものを折につけ読むようになったのはその頃からです。

それらのスピリチュアルワールドのことについては、またこのブログの中で書いていきたいと思います。「生きがいの創造」の内容や飯田さんのその他の著書の内容についても折に触れ、このブログで引用したりさせていただこうかな、などと考えています。

なかでも、技術に関し、合理性を求める仕事に就いている私が、その内容にどうしてそうしたものに共感することができたか、などについては自分なりにもっと整理して語っていきたいと思います。

 飯田史彦さんのホームページは以下のアドレスです。けっして強要は致しません。ご興味あるかた、ぜひ訪れてみてください。(む)

飯田史彦研究室HP  http://homepage2.nifty.com/fumi-rin/
飯田史彦 スピリチュアル研究所「光の学校」 http://iidakenkyusho.jp/