下田発 あじさい三昧 ~下田市

今日の修善寺は朝から雨模様です。気温も低く、肌寒い・・・梅雨寒です。梅雨に入ったばかりだというのに・・・

昨日アナウンスしたとおり、下田のあじさい祭りに行ってきました。下田の町中の南西端にある「下田公園」という場所です。ここへは伊豆へ引っ越す前、タエさんと一緒に行ったことがあります。冬だったのでもちろんあじさいは咲いていませんでしたが、ざっとみたところ、その数ははんぱない数だったので、きっと見ごろの季節に来たらすごいことになっているだろう、ぜひその頃もう一度来よう!と言いあっていたのです。

ガイドブック等で調べると、その数は、15万株300万輪とか。と、言われてもピンとこないので、日本各地のあじさいの名所で、下田公園以外で一番「株」の数が多いところをピックアップしてみました。すると・・・

北海道 立象山公園 久遠群せたな町 3万株
東北 東山公園あじさいの杜 山形県新庄市4万5千株
関東 花野辺の里 千葉県勝浦市 5万株 麻綿原高原 千葉県大多喜町 5万株
中部・東海 板取あじさい村 岐阜県関市 10万株
近畿 神戸市立森林公園 兵庫県 神戸市 5万株
北陸 太閤山ランド 富山県小杉町 2万株
中国 美咲花山公園 岡山県美咲市 2万株
四国 ホテル奥道後 愛媛県松山市 8万株
九州 高塔山公園 福岡県北九州市 4万2千株
沖縄 よなへあじさい公園 沖縄県本部町4万株

な、なんと下田公園が全国の中でも断トツ一位ではありませんか!2番目も、岐阜県のあじさい村だし、中部・東海の人ってあじさいが好きなんでしょうか。それにしても、日本全国、北から南までずいぶんあちこちに、大きなあじさい園があることにちょっとびっくり。でも意外と地元の人も知らない公園も多いんではないでしょうか。東京に長く住んでいましたが、千葉のほうに5万株もあるあじさいがある公園があるなんて全然知りませんでした。私の場合、関東であじさい、といえばまっさきに思い出すのは、鎌倉。でも、あじさい寺として有名な鎌倉の明月院ですら、2500株しかあじさいはないそうです。

で、やっぱりあじさいを見るためのシチュエーションというか、雰囲気とかが大事なんであって、数が多ければいいってもんではないんだろうなーと思う次第。鎌倉で見るあじさいは、あの古びた街並みで見るからこそ美しいのであって、大都会の真ん中にあじさいの群落だけがどーんとあっても、だれも感心しないと思う。

それに、そんな大きな公園に行かなくったって、あじさいというものは、そこここの小さな公園にたくさん植えてあります。どこの家でもたいていは1株や2株はあるでしょう。つまり、あじさいは、桜と同様、「国民の花」。どこでも見られるあじさいをわざわざ遠出してみる必要はない、と誰しもが思っているのでは。どうせ見に行くなら、あじさいだけでなく、あじさいを囲む緑とか空気とか、その場の「雰囲気」というものを味わいたいもの。それに桜と違って晴れた日に見に行くというイメージのものでもないし、かといって雨の日にわざわざ行くのはな~ やっぱ曇りの日かしらん・・・

・・・と、あーたらこーたら前置きばかり長いのは、少々昨日の疲れが残っているからかも(汗・・・)。とはいえ、昨日の下田公園を思い出しつつ、本当に「大きいことはいいことだ」なのか、考えてみました。そしたら、うーん、そんなに悪くないんじゃないかなーというのが結論。正直あまり期待はしていなかったのですが、15万株という数のあじさいは、さすがに圧倒的でした。

数が多いのもさることながら、起伏のある公園全体に植えられた「あじさいの丘」は風情がありました。ただ単に迫力がある、というだけではなく、海に近いというシチュエーションを生かした公園づくりは、なかなか工夫されていて、下田の人たちの町おこしに対する意欲のようなものが感じられます。

そのひとつは、案外と見過ごしがちなのですが、園内の散策路に敷き詰められている石。土や砂だけの園路は雨の日などには足をとられがちですが、ここの散策路はほとんどが石畳か、さもなくば細かくくだいた石がびっしり埋めてあります。ただ並べただけでは凸凹になるので、表面が平らになるように工夫してあり、車いすはさすがに無理としても、お年寄りでもつまづくことなく歩けます。総延長がどのくらいになるかわかりませんが、この石づくりの園路の長さは相当な距離になるでしょう。莫大な費用と手間がかかっているように思います。

また、「あじさい祭り」の会場入り口では、お手製の竹の杖が無料で貸し出されていて、アップダウンの激しいこの公園では重宝します。下田の人の「思いやり」がそこにも感じられるのです。園路のあちこちから下田の町や海が見えるのですが、特設で海が見える展望台もつくってあります。あじさいに飽きたら、そのたびに遠くへ目を向けると優しい色の海が見える・・・林間ごしに見える下田の町や、港、そしてときおり行きかう船もまた一興あり。海は、どちらかと言えば地味なあじさいの花を引き立てているという側面もあるようです。

訪れた観光客は、平日の月曜日ということもあって、それほど多くもなく、適度な人口密度の中、じっくりあじさいの淡い香りを嗅ぎながら散策できるのもよいかんじ。気温は20度ちょっとと、暑くも寒くもなく、ほのかな潮のかおりがそよ風とともに下の海から上がってきて、ベンチなどに座ればすぐにうつらうつらできそうです。その傍らに咲く、大輪のあじさい・・・私はといえば、気が付くと写真を数百枚も撮っていました。あーあ。後片付けが大変だよなー。

実際、ほかの観光客の方々も手持ちのカメラでバシャバシャと写真を撮っておられましたが、普段カメラなど持たない人でも、俄かカメラマンになりたくなる気持ちは、よーくわかる。それだけ絵になりそうなシーンが多いのです。

とはいえ、撮りはじめると、花の色が寒色系のあじさいの写真って、実は撮るのが非常に難しいということがわかります。周囲の緑色に溶け込んでしまうので、どうしても平板になりがちだし、光量やピントの加減も難しい。みなさんも、きれいに撮れたと思っても、ウチに帰ってみてみてガッカリ・・・という経験はありませんか?

かくいう私も四苦八苦しましたが、そのうちのいくつかをアップしてみました。先日のバガデル公園のバラの華やかさとは違って、渋い落ち着いた雰囲気はやっぱ日本人好みだよなー。地味ながらも繊細。繊細かつ大胆。



さて、下田公園のあじさい園の真下には、その昔、黒船でペリーが上陸した「ペリーポイント」なるものがあります。現在は海に面した小さな公園になっていて、そこにアメリカ海軍から寄贈されたその当時の軍艦の碇などが置かれています。このペリーポイントから北へ平滑(ひらなめ)川という川が流れていて、その上流にある了仙寺というところまでの両岸は遊歩道として整備されています。

このお寺はその昔、アメリカの使節団と日本政府が交渉事を行った場所とか。この了仙寺からペリーポイントまでをペリーロードといいます。地元の商店街と下田市がタイアップしてできた「作品」ですが、遊歩道の両脇には柳の木とところどころにあじさいが植えられ、その後ろには大小のこじゃれたショップが立ち並んでいて、なかなかレトロで落ち着いた情緒をかもしだしています。

公園に到着したのはちょうどお昼前だったので、そのペリーロードの中のどこかの店で食事をしてから公園に行くことにしました。どこかいいところがあるかどうか探しておいてね、とタエさんに事前に調べておいてもらったので、そのお目当てのお店、「ページワン」に入ることにしました。こちらのお店、パスタ中心の食事メニューなのですが、その中でも、「渡り蟹のトマトクリームソースパスタ」の前評判が高かったので、二人してそれを注文。

待つこと、十数分。やってきました~ オレンジ色に光り輝くパスタが。結構多めのパスタに殻つきのワタリガニがたっぷり入っています。一緒に出されたトレイの中をみると、通常のフォークとスプーン以外に、カニを食べるときによく使う、カニスプーンが入っています。片側がスプーンで、もう一方がカギ状になっている、アレです。と、いうことは、カニを自分でほじくりかえしながら食べろということか・・・

ともあれ、お味は、ということで、たっぷりのソースにパスタを絡めてひとくち。うっ、ウマイ! と同時に、アッ、あッツイ! 舌をやけどしそうになりました。出されたパスタはかなりのあつあつ。しょうがないので、まずはカニの殻を割って、中の身を取り出してから食べることに。殻はあらかじめ割りやすいようにクラックを入れてくれているのですが、中にはなかなか割れないものも。そして、格闘すること10分ほど。ようやく身を全部出して、パスタにありつけました・・・

・・・結論として、味は満点。手間は減点。非常においしかったのですが、殻をむくのにやはり時間がかかりすぎ、その間にパスタが少し柔らかくなりすぎたのが残念でした。でも一皿1600円もするこのパスタ。量も味もばっちりで、本当に満足しました。久々においしいパスタを食べたというかんじ。

お店の雰囲気もよく、窓からは、ペリーロード沿いに植えられたあじさいも見えておしゃれです。お店の方の応対もよく、笑顔の店員さんと帰り際に「ありがとうございました」と言ってくださったオーナーシェフらしい年配の方もなかなか、おしゃれなオヤジでした。

その後、下田公園のあじさい祭りに行ったのは前述のとおり。散策路からは海が見える、と書きましたが、この公園は半島状になっていて、その先端(最南部)には、「下田水族館」という水族館が隣接しています(有料)。あじさい見物の散策路は、その水族館の真上まで通じていて、そこにある展望台の高さは海上から50mほどはあるでしょうか。そしてこの展望台からは水族館全体を見渡すことができます。

我々がそこを通ったとき、ちょうど、水族館の屋外プールで、「イルカショー」が始まりました。ラッキー! ということで、その高台からイルカショーを見学することに。ことばどおり、「高見の見物」です。近くで見るためには、もちろんお金を払わなければなりませんが、遠くからこうして見る分にはタダ。タダ、下のほうでは、インストラクターが、イルカに声をかけたりお客さんに説明したりする声が聞こえてきますが、何を言っているのかはわかりません。

でもインストラクターが、手をあげたり、魚をあげたりするたびに、イルカたちが水中から飛び上がってジャンプする様子が手に取るように見えます。幸い、望遠レンズを持ってきていたので、私はこれをぱしゃりぱしゃりと撮影。あとでみると、なかなか良くとれているじゃああーりませんか。

あじさいを見に来て、イルカショーまで見れるとは・・・超ラッキーじゃん。とご機嫌のタエさん。無論、もちろん、私も同じ穴のたぬきです。

・・・そんなわけで、あじさいも、海もイルカも満喫して帰路についたふたり。ほぼ半日を歩きづめでしたが、思ったほど疲れもなく、むしろ興奮気味で帰宅したのでした。

と、いうわけで、バラも見たし、あじさいも見たし、さあ次は何を見に行こうかな・・・と考える今日このごろ。でも遊んでばかりではなく、少し仕事もしなければ。庭造りも途中で放り出したまんまです。

そういえば、かなりの時間と手間をかけた庭造りが佳境に入っています。全長13mの塀はすでに完成。庭に生い茂っていた草や木はほぼすべて撤去し、新たに植樹ができる状態にまでなっています。今週の残りはその作業に少し注力しようかな。

でも、近場の名所など、まだまだ行きたいところもたくさんあります。庭造りの途中、また息抜きにそんな場所へも出かけ、また結果をアップしたいと思います。

もうすぐ結婚記念日。結婚に至るまでの二人のなれそめなども、またおいおい書いていきましょう。それでは今日のところはこれまでにて。

 あじさい園を行く、その美女は・・・

港にて ~沼津市

伊豆へ引っ越してきてから、今日でちょうど3ヶ月になりました。速かったような、長かったような。でも密度は高かったような。これからも記憶に残る3ヶ月になるでしょう。

さて、先日、同じ別荘地内に住んでいらっしゃる大工のTさんが突然来られました。何事かと思ったらおおぶりのサザエの入った袋を差し出されました。えっ頂けるんですか?というと破顔で、「今朝、三津の朝市に行ってきたんで、ついでに買ってきました」とおっしゃいます。タダでいただけるようです。最近、ちょっとお出かけになると、よくこうしたお土産を持ってきてくださるTさんですが、先日も別の朝市で買ったワサビをいただいたばかり。我が家のリフォームをお願いして以降、すっかり親しくなったとはいえ、たびたびの頂き物で恐縮至極です。

早速その夜にいただいてみましたが、さすがに新鮮な近海ものだけにぷりぷりで、しかも砂利などは一切噛んでいない上物のサザエ。それだけに、その味は極上。お酒がずいぶん進んだことは言うまでもありません。

三津(みと)とは、伊豆西海岸にある漁村の地名で、ここ修善寺からクルマで12~13分で行けてしまいます。Tさんに詳しく聞くと、この三津で日曜日の早朝から朝市をやっており、そこで買ったとのこと。駐車場もあって、市のある日は大勢の人でにぎわうそうです。

そりゃー行ってみんといかん。ということで、昨日の朝、早くから起きて、その朝市に行ってみることにしました。

三津には、三津シーパラダイスというイルカショーや水族館を売りにしたテーマパークがあります。現地に着いてみると、そのシーパラダイスのすぐそばにある内浦漁港という漁港内の駐車場が朝市の会場になっていました。早速クルマを止めて、朝市を見学しようと思ったら、もう既定の駐車場は満杯で止めるところがないほど混雑しています。なんとか桟橋横にスペースを見つけて、会場に向かったら、まあいるわいるわ、たくさんの人が。

市場の規模はそれほど大きくなく、テントが10ほどもある程度。それぞれのテントで野菜や魚、お惣菜や果物、干物、といったいろいろなものを売っています。これらは野外にある露店なのですが、これとは別に魚を水揚げする屋根付きのヤードがあり、こちらでは魚介類のみを売っていました。

内浦の漁師さんが採ったとれたての魚を売っているようですが、はっきり言って安いものばかりではありません。先日Tさんが届けてくださったサザエは、4個ほどを1500円で売っていました。東京のスーパーでは、これ一個が1000円くらいすると思うので、安いといえば安い。が、たびたび買って食べるにはちょっと高級品です。このほか、アワビが一個1200円、三個で3000円など、値段は少々高め。

でもおさかなのほうは、割とリーズナブルで、立派なサバが一尾800円。ムツ2尾が400円、カマス4尾が600円といったところ。お店の人にお刺身にするにはどれが良いかと聞いたら、スルメイカがいいだろうというので、値段を聞くと、7杯が500円とのこと。や、安い・・・ということで思わず買っちゃいました。先日河津から帰る途中、天城の道の駅で生ワサビを買ったのですが、これでそのワサビの使い道が決まりました。生のワサビに生の新鮮なイカ、もーう、たまりません。

市場を出て、漁港のほうに回ってみると、ここはどうやら釣り人のメッカにもなっているようで、防波堤の端から端まで人がぎっしり。日曜日の早朝だというのに親子連れで来られている人も大勢いて、ちょっとびっくりしました。ほとんどが地元の人だと思いますが、さきほどの駐車場には、横浜や品川ナンバーの車もあったので、もしかしたら週末を利用して東京方面から来た釣り客もいるのかも。

みなさんどんなものを釣っているのかなと、気になりましたが、確認できませんでした。それにしても、みんなのんびりと海に向かって糸を垂れていらっしゃいますが、よく飽きないこと。短気な私ならおそらく、30分はもたないでしょう。

この内浦漁港、こじんまりとした漁港で、停泊している船をざっとみると30~40艘といったところ。日曜日なので漁は休みのようでしたが、普段どんなものが揚がっているのか気になったので、うちに帰ってから、「浦漁業協同組合」のホームページをみてみました。すると、ここで揚がってい魚は、タチウオ、マアジ、マダイ、カンパチ、カマスなどが多いようです。

季節による違いもあるのでしょうが、今の時期はカマスとかがおいしいのかな? 塩焼きにすると絶品ですよね。このほか、イセエビやマダコも揚がるみたいです。季節ごとに来てみると揚がっている魚の種類も変わってくるかもしれないので、これからちょくちょく来てみたいと思います。

ちなみに、船の数え方って知っていますか? これは、大学のときに習ったのですが、比較的大きな船、タンカーや艦船などは「隻」で数え、比較的小さな船は「艘」で数える、というのが正解。また、ボートやヨットは、一艘二艘ではなく、「艇」です。

それから、船には左右の船首付近に舷灯というランプが付いています。夜間に海の上での船同士の衝突を避けるための装置なのですが、その左側の舷灯は赤色、右側は緑色です。

「いいか。赤玉がポート・サイドだ。赤玉ポートワインと覚えるんだぞ」と、大学の航海実習の際に、教官が言った言葉を今思い出しました。船は、進行方向に向かって左側をポートサイドといいます。バイキングの時代の船では右舷側に操舵装置が装備されており、舵が右側に出ていたため右舷での着岸ができませんでした。このため港(ポート:Port)に着岸するのはいつも、左舷側だったので、ポート・サイドという名が付いたそうです。

反対に、右舷側はスターボードといいます。バイキングの時代の右舷側に操舵装置は、スティア(Steer)といいます。今の乗用車のハンドルのことを英語でステアリング・ホイールといいますね。これも船用語から来ています。なので、船の右舷側は、正式にはスティア・ボード・サイド(Steer Board Side)といいますが、明治時代に、和製英語にしたときに、横着して略し、「スターボード」と呼ぶようになったんでしょう。

どうです。勉強になったでしょう。勉強ついでにもひとつ。なぜ、左右の舷灯の色が違うのか。それは、海の上は原則、「右側通行」、という国際法で決められたとりきめがあるからです。夜、船がどっちの方向に向かっているかを認識する為に「舷灯」が非常に重要になります。

「左が赤」とわかっていれば、船が進んでいる右前方に「赤灯」が見えてきたら、その赤灯の相手は進行方向の左側から接近してきているわけです。夜間に真っ暗な海の上を航海する際、国籍もわからない船同士がすれ違うとき、おたがいの安全を守るためにはこうした万国共通の取り決めが必要になるのです。さらに、こういう場合、正面衝突をさけるために、船は常にスターボード(右舷)に舵を切らなければなりません。これも法律で決められています。

以前あった、漁船と自衛隊の潜水艦の衝突事故は、これをどちらかの船が無視したために起こった事故です。どっちが、無視したのか実際のところはわかりませんが・・・・

・・・と昔習ったウンチクを思わず披露してしまいましたが、これから港へ行って船を見る機会があったら、確認してみてください。どんな船にも赤と緑の舷灯が付いているはずです。

・・・ということで、今日は海のお話になってしまいました。今日はこれから、下田へアジサイを見に行こうと思うのでこれまでにします。先日行った修善寺虹の郷にもアジサイ園があるのでそちらにも行ってみたいと思っています。先日はまだ満開でなかったバラがどうなったのかも気になります。そういえば今年はまだホタルも見ていないし・・・

あれこれと忙しい修善寺の毎日です。

梅雨と霊感 

東海地方が昨日、梅雨に入りました。東京に住んでいたころは、東海地方が梅雨に入ったと聞くと、東京も梅雨入りするのは時間の問題だな、とは思うものの、まだそれまでにはもう少し時間があるだろう、と心の余裕のようなものがありました。しかし、ここに移り住んでみて梅雨に入ったと聞くと、いきなりやってきたな、という唐突感がある。

実際、九州地方が梅雨入りした、と3日ほど前のブログで書いたばかりなのに、もう梅雨入りとは、ちょっと早すぎるんじゃない!と、だれに文句を言っても仕方なし。来るものは来るのです。これも必然・・・

じめじめべとべとの雨の季節は誰しもが嫌うものですが、でも考えてみると、子供のころには別にそんなに嫌ではなかったような気がします。子供のころ、雨の日は雨の日なりに、家の中で本を読んだり工作をしたりして過ごすのはあたりまえと思っていたし、むしろ普段外でばかり遊んでいたので、そういう時間を貴重な時間のように思っていました。

また家の中から庭先の草花が雨に打たれているのを長時間ぼんやり眺めながらいろんな想像をしたりするのも案外と楽しく、子供ながらも雨に抒情を感じていたのを覚えています。雨音は昼寝をするのに絶好の子守唄だったし、ときおり夕方に聞く雷やどしゃぶりは自然へのおそれを感じるというよりも、何かめったに見ることのできないイベントでに出くわしたようで、逆にわくわくしながら、なりゆきをみていました。

少しの晴れ間に外に出て、びしょびしょになりながら、泥んこ遊びや水たまりと戯れるのも楽しかったし、庭先にいたカタツムリを捕まえて遊んだりもしました。ときには、傘をさして、雨の中を近所の森に行ってはそこにいる昆虫を観察したり、工作に使えそうな木や草を採取し、家に持ち帰ってはそれを子供なりの工夫をして遊ぶ・・・そういう時間はけっしていやな時間ではなく、むしろ無限に続く楽しい時間だったように思います。

いまにして思えば、梅雨といえども、そういう豊かな時間の過ごし方をしていたな、と思うのですが、では、いったいいつごろから、そんな季節が嫌いになったのかな~と考えてみる。

少なくとも、中学校ぐらいまでは大丈夫でした。高校時代や大学時代のことは逆にあまり覚えていませんが、高校のときは受験勉強などで忙しく、梅雨なんて関係ないって感じだったと思う。大学は沼津の片田舎で2年、街中の清水で2年過ごしました。誰しもそうだと思いますが、日本の大学生というのはありあまるほど使える時間もあり、大学に行って勉強する時間以外はすきなときに好きなことをやって過ごすことができます。わたしが大学時代を過ごしたこのふたつの町は、地方都市だったので東京のようにありあまるほどの遊び場こそありませんでしたが、程よい人とモノの密度は生活しやすく、また近くには豊かな自然もありました。自由に使える時間を使ってアルバイトもしたし、友人たちといろんなところへ行ったりで、自由きままに過ごせました。ですから、この時代も梅雨の時期をうっとうしく思うというのはとくになかったように思う。

そうすると、梅雨を息苦しく思うようになったのは、就職してからか・・・と、思いを馳せると、なるほど、と思いあたることがあります。

大学を卒業後は、東京の渋谷にある会社に勤め始めたのですが、会社の寮は神奈川県の相模原市にあり、ここから小田急線と銀座線を使って1時間ちょっとの通勤をしていました。このころの小田急線の混雑度は都内の路線屈指のもので、夏の間は、人と人の間に挟まれて身動きがとれないほどの状態で新宿駅に着くころには汗でびっしょりになることもしばしば。梅雨の時期や雨の日などは、傘を持たなければならないため、そのためにより混雑が増すようなかんじもあり、窓も開けられないので冷房が入っていても湿度が高く、じっとりした空気の中過ごす1時間は苦痛そのものでした。

その後、寮を出て、中央線の阿佐ヶ谷や田園都市線の鷺沼などいろんなところに引っ越してみましたが、東京にいる限りはこの通勤ラッシュからは逃れるすべはなく、とりわけ梅雨の時期の通勤は苦痛でした。同じ通勤でも夏の日差しのカッと差す暑い日には湿度もそれほどではなく、また冬場には着ぶくれした人のために車内の圧力が増すという難点はありますが、逆に人のぬくもりのせいで温かく、苦痛ではありませんでした。それが、梅雨の時期になると車内の環境は一変。暑いだけでなく高い湿度、それに加えて人いきれ。薄いシャツにくっつく他人の衣類。汗の匂いと身動きのとれない車中に押し込まれての通勤は大嫌いでした・・・

首都圏などのように、通勤時間帯にラッシュがある場所では、人々にとって季節変化というものは重大な関心事です。ですから、朝夕のニュースでもその日の通勤の時間帯にいかなる気象変化があるか、ということをどこのテレビ局でも繰り返し繰り返し流しますし、通勤をしている人はそれを必ず確認してから外出するのはあたりまえ。天気予報というものは通勤客にとっては、なくてはならない情報であり、日々、予報の内容に一気一憂しながらドアを開けて勤め先に出かけるのです。ですから、いやな季節の天気予報にはとりわけ敏感になっているように思う。梅雨の時期の天気を気にする人は多いのではないでしょうか。

かくゆう私も毎日天気予報を気にしながら通勤を繰り返していましたが、とりわけ梅雨どきの雨の情報に敏感になっていったのはこのころからだと思います。このためか、いつのころからか、梅雨入りはいつかなー、早く梅雨が明けないかなーというのを気にしはじめ、毎年の恒例行事のように、気象庁の気象情報をチェックするようになっていました。

その後、海外へいた数年を除けば東京でもう20年ほども過ごしてきました。しかし、この間も大学を就職してすぐに身についてた梅雨への苦手意識は消えず、例年のように、早く梅雨が明けないかなーを繰り返してきたわけです。

しかし、よくよく考えると、本当は梅雨そのものがきらいだったというよりも、通勤そのものが嫌いだったのではないかという気もしてきます。別に梅雨という季節がきらいなのではなく、梅雨の間のジメジメべとべとの環境での辛い通勤の経験がトラウマとなり、その連鎖で梅雨=嫌いな季節となっていったのではないかとも思うのです。

その証拠に子供時代には、梅雨の季節がけっして嫌いだったわけではないし、考えてみれば、今だって雨の日に室内にいてまどろんだり、音楽を聴いたりするのはけっしていやではない。雨音は子守唄のように今も聞こえるし、雨に打たれた新緑をみるのは心が和みます。とくにここ修善寺にはなにやら雨にぴったりの抒情を感じるし、それを今年は心から楽しめる・・・そんな気がします。

それで、ここまで書いてきてふと思い出したのは、このブログでも再三登場する霊能者のSさんに最初にお会いしたときに言われたこと。Sさんがおっしゃるには、私もかなり霊感が強いほうだというのです。そのことについてさらに詳しくいろいろ聞いてみると、霊感の強い人は、他人の気をどうしても感じやすいので、人ごみが苦手の人が多いのだそうです。Sさんご自身も、バスや電車に乗るのがきらいで、それはやはり、他人の気を感じてしまいやすいから。Sさんはバスや電車ではなるべく人と目を合わせないようにしている、とおっしゃっていましたが、それを聞いて私もはっとしました。・・・同じだからです。

そういわれてみて、初めてわかったのですが、私は子供のころから、人ごみが苦手で、高校時代4km離れた高校に通うためにバスに乗るのがいやで、たいていは徒歩か自転車で通っていたほどです。

もしかしたら、通勤が嫌いだったのもそのせいか・・・必ずしも梅雨などの天気のせいばかりではなく、人の多い電車に乗るという行為そのものが嫌いだったのか・・・と気がついたのです。

自分が嫌いなものとか嫌なものを思い浮かべたとき、本当にそれが自分の本質に合わないので嫌いになっているのかどうか、についてはよくよく考えてみたほうが良いと思います。実際には嫌いではないのに、嫌いと思いこむ過程において、肉体的や精神的な何等かの別の要素の刷り込みが起こる。それが長年の風習になってしまっているというのはよくあることです。

私自身は、梅雨がきらい、と思い込んでいたけれども、本当はそれは人ゴミがきらいで、それと重なった梅雨の季節のイメージを嫌っていたのかもしれない。

皆さんにもそういうことってありませんか。梅雨はお嫌いですか?でも本当は私と同じように霊感が強く、雨の日の人ごみが、ことさらきらいだからなのではないでしょうか。

バガデル公園 ~河津町

梅雨が近づくにつれ、天気のおもわしくない日も増えてきました。雨が降って花が散ってしまわないうちに、ということで、前から気になっていた、バラの名所、河津バガテル公園に行ってきました。

修善寺から天城峠を越えておよそ1時間ほどのところにある河津町は、本州で一番早く咲く桜、河津桜で有名な町。産業は何かな、とちょっと調べてみたら、どうもみかんなどの柑橘系の果物を作って出荷する農家が多いみたい。下田にもほど近いので、下田に仕事に出る兼業農家も多いのではないかと思われます。

お昼直前に着いたので、どこかでお昼を食べる良いレストランでも、と探していたら、伊豆急行の河津駅前にある、「伊豆海鮮どんぶり屋」というお店が目にとまりました。駅前にもかかわらず、ほかにはあまりお店らしいお店もないので、ともかく入ってみることに。お昼時にもかかわらず、先客は一組だけで、店内はがらんとしています。河津桜の咲く季節でもなく、平日でもあることを考えればこんなもんなのでしょう。店の名前からして、丼物中心だろうな、とは思っていましたが、案に違わずメニューは、いろいろな海鮮どんぶりがあります。

わたしは、豪快海鮮丼、タエさんは、サーモン親子丼を注文し、およそ待つこと5分。出てきた丼は、なるほど豪快にいろいろな地ざかなの刺身と青物が乗っています。タエさんのほうは、ピンク色のサーモンの上に、いくらがまぶしてあるタイプ。どちらもおいしそうです。ここの丼は、すべて酢飯になっているとのこと。寿司の好きな私にとっては大歓迎。早速いただくことに。

さすがに、良いお値段なだけに(二人で3500円ほど)、味は上々で、お刺身もぷりぷり。いろんな味も楽しめてなかなかのものです。ただ、値段の割には一緒に出てきたお吸い物の中身がわかめだけ、というのはちょっと寂しいかんじ。せめて何かの魚のあら汁くらいにして欲しかったかな~。まあ、大満足とはいいませんが、私的にはまずまずといったところで及第点を差し上げたいと思いました。しかしタエさんはといえば、おそばか何か別のもののほうがよかったみたい。もともと、どちらかといえば魚は苦手なタイプなので、もっと別の店があればそちらに入りたかったご様子。でも選択肢はあまりたくさんなかったんで、仕方がないねー。

まあ、公園に行ったら、おいしいケーキでもご馳走するよ、と少しご機嫌をとりつつ、今日の目的地に向かいました。

その目的地、河津バガテル公園は、駅から車で10分ほどの高台にありました。山間の緩傾斜面の土地を整地して作ったらしいその公園は、かなりの広さがあります。どのくらいの広さかなと思ったら、約5ヘクタールあるそうで、そのうちの2haがバラ園だそうです。甲子園球場が、1.3ヘクタールだそうですから、バラ園としては、かなり大きい公園です。

その名前の由来ですが、「バカ」が出る公園かと思っていたら、デルではなく、テルだそうです。しかも「バカ」ではなく、「バガ」。フランス語で、「小さくて愛らしいもの」という意味とのこと。

天才バカボンとも何の関係もないらしく、有名なパリのブローニュの森の中にある公園の姉妹園として10年ほど前に開設されたとか。

バガテル公園を運営する会社のHPによると、初期のパリ・バガテル公園は、18世紀にルイ16世の弟のアルトワ伯爵という人が命令して、建築家のブランジェとその助手に作らせたらしい。
「公園全体が単なる集まりの場ではなく、人の和・愛・知恵等を主張するスペースで、自分のイマジネーションを、純粋な子供の如く自由に働かせ、多様さに満ちた自然との会話を楽しむ憩いの場であるというものであり・・・」と長い説明があるのですが、よくわからん。が、どうやらクラッシックなフランス風の庭園をめざしたのではなく、フランスの田舎の風景を凝縮したようなものを作りたかったらしい。

その後、1905年にパリ市が公園を買収したあと、モネなどの印象派の画家達の影響を受け、公園のイメージは少しずつ変化し、だんだんと華やかになっていったそうです。当初は大きなバラ園はなく、現在のようなバラ園が誕生したのは更にそのあと。

で、なんで河津町にパリの公園? と突っ込んで調べたところ、よくわかりませんがたぶん、桜以外何の観光産業もない町のこと、町おこしのために大きな目玉が欲しかったんでしょう。平成9年に、パリのバガテル公園を運営している会社と基本協定を結ぶことに成功。その後町が主導する形の、第3セクター方式の会社を設立し、運営を始めたようです。

このあたり、何やらわが伊豆市の誇る、修善寺虹の郷とよく似てる。市や町が主導で第三セクターが運営する施設を町おこしの目的でつくる、というのはよくあるパターンです。しかし、なかなかうまくいった例はなく、開園後まもなく潰れてしまったという施設はゴマンとあります。

それからすると、開園後、バラだけで10年以上も頑張っているバガテル公園はなかなかたいしたもの。うーん、あなどれんなー、敵もなかなか・・・とすっかり伊豆市のスパイのような気分。

実際、中に入ると、確かになるほどなるほど、とうなづけるようなしかけがいろいろあります。入場料一般1000円が高いかどうかは別として、園内のレストランで食事をすると、セット料金で食事代が割安になるというのは、ひとつのアイデアです。また、春から秋はよいとして、冬のオフシーズンにはバラは咲かないことから、こうしたオフシーズンには逆にそのレストランでの食事やショップ運営などを売りにしています。オフシーズンには入園料を安くし、いろんなイベントを打って、食事の質で集客を図る・・・ 園内の食事処のクオリティがいまひとつの修善寺虹の郷とは違ったアプローチといえます。

とはいえ、さすがにオフシーズンには人は少ないだろうなーと思う次第。ただ、この第三セクター、国民宿舎の管理運営もやっているそうで、公園とそのショップ運営だけではやっていけない部分を他で補っているらしい。だから、10年以上ももっているんだあ、と妙に感心。

それにしても、園内各所はきれいに清掃され、入口からバラ園に至る途中のレストランや喫茶店、お土産物屋、噴水、そしてそれらを囲むような木々、といずれも本当にフランスにやってきてそのの風景を見ているような趣があり、なかなかえーです。あちこちに、花を寄せ植えにしたワゴン車が置いてあって、これがまた牧歌的な雰囲気をかもしだしています。

この日はあいにく先にランチを済ませてしまっての入園だったので、レストランで出されるというフランスの田舎料理を食べることはできませんでしたが、次回はぜひその質を確かめてみたいもの。

・・・さて、前置きが長くなりましたが、肝心のバラ園はどうだったかというと・・・これもすばらしいものでした。手前から奥に向かうやや細長い形で配された庭園は、縦横に砂利の園路が配され、バラが植樹されている部分はすべて芝生で覆われています。庭園の一番奥は展望台になっていて、ここからは太平洋が見えるしかけ。逆に一番手前には宮殿風の休憩所の建物が作られていて、中はちょっとしたイベントが開催できるホールになっています。この日はそのホール内で写真展をやっていて、バガテル公園でバラをとったアマチュア写真家の写真がたくさん並んでいました。グランプリには河津町長さん賞などが与えられたみたい。ざっと拝見しましたが、グランプリ受賞作品はなかなかのクオリティでした。

バラの種類は、全部で1,100品種。6,000本のバラがあるんだそうで、広い園内を隅から隅まで歩いては、気に入ったアングルでいろいろな写真を私も撮ってみました。今日ここに掲載しているのはそのほんの一部ですが、今改めてみても写真からほのかな甘い匂いが漂ってくるようではありませんか。

園内をくまなく歩き、満足のいくまで写真を撮ったあとは、カフェでのどを潤しましたが、タエさんと食べたケーキもなかなかのもの。値段も手ごろで、納得感あり。カフェやレストランは、有料のバラ園の外にあるので、お茶や食事だけの利用客も利用が可能。これから何度か下田方面に来ることもあろうかと思いますが、ここで食事だけを楽しむために来るというのもありかな、と。良いスポットを見つけた、とタエさんと二人で大喜びです。

これらカフェやレストランの横には、バラの苗を直売しているガーデニングショップもあります。一般のホームセンターや園芸店では置いていないような品種のバラも多数置いてあって、それらをひとつひとつ見ていくのもまた楽しいもの。お土産にどれか買っていこうというわけで、二人で小一時間ほども見てしまいました。

最終的に、二株を選び、修善寺に持ち帰ることに。今回は二株だけですが、これからもたびたび訪れて、いろんなバラを集め、庭に植えようねと二人で話ながら、バガテル公園を後にしました。

そんなわけで、今日のショートトリップにはふたりとも大満足。それにしても、これだけ遊んでも帰宅は5時すぎ。東京ならば、ちょっとした遊び場へ出かけるにしても、帰りの渋滞に巻き込まれて、帰りが遅くなるなんてことはしばしば。伊豆半島内のどこにでも数時間で行くことができるという立地は、修善寺ならではのもの。あらためて良いところに住んでいるなーと実感できました。

そんなわけで、来週は下田まで行ってみよう、ということに。今、下田ではアジサイが見ごろになっているはず。こちらも出かけていき、たくさん写真を撮ってこようと思います。その結果はまたブログにアップしますね。それでは今日のところはこれまで。

神前にて

九州地方はとうとう梅雨に突入したようです。伊豆も時間の問題でしょう。先日、山口の母に電話をしたとき、そちらのホタルはどうかと聞いたら、もうそろそろ終わりに近いそうで、近くのホタル生息地、一の坂川のホタル祭りは、この3日に終わったそうです。ここ伊豆では、修善寺のほたる祭りが10日までなので、関西よりはやはり少しホタルは遅いようです。天城湯ヶ島のほたる祭りに至っては、7月1日までだそうで、伊豆では山奥に行けばいくほど遅くまでホタルが見れる、ということなのかな。おそらく、天城のほうが修善寺より気温が低いためなのでしょう。

さて、今日はタエさんとの30年ぶりの出会いの話などを書きだそうかな思っていましたが、昨日までの塀づくりで多少疲弊(へい)しているのと、天気もどん天で、気分もいまひとつ乗りません。今日のところはやめておきましょう。なので、昨日に引き続き、宮島での結婚式について書いていくことにします。

広島プリンスホテルから出航した船は、雨模様の中、それでも静かな瀬戸内海をゆっくりと進み、30分ほどで宮島の桟橋に着きました。宮島へ行ったことがある人は、ご存知だと思いますが、桟橋から厳島神社の社殿までは、通常徒歩で向かいます。途中、お土産物屋さんがあるルートと、海沿いの静かなルートのふたつがありますが、まずは海沿いの静かなルートを通って参拝し、帰りはお土産物屋さんのいろんなお土産で目を楽しませながら帰る・・・というパターンが一般的でしょう。

海沿いのルートには、本物の鹿があちこちにいて、観光客を迎えてくれます・・・といっても餌をねだりに近寄ってくるだけなのですが、なかなかかわいいもの。しかし、さわってみるとわかりますが、そのゴワゴワ感はやはり野生生物。あちこちにフンも落ちているので参拝のときには気をつけましょう。

もし、その日が晴れた日で多少時間に余裕がある方は、神社から10分ほど歩いた山の手にある「紅葉谷」という場所から出ているロープウェーに乗って、宮島の最高峰、弥山(みせん)に登ってみるのも良いかも。頂上からは、瀬戸内海の雄大な景色が広がり、最高の気分を味わえると思います。運がよければ猿の群れにも出くわすことができ、なかなかワイルドな経験をするかもしれないぜぇ。

あまり時間がない方にお勧めなのは、神社のすぐそばにある、「千畳閣」という建造物。別名、豊国神社といいますが、これは実はかの豊臣秀吉が建てようとした神社。「建てようとした」のですが、秀吉が途中で死んでしまったので、未完成のまま放置され現在に至っている建物です。「千畳閣」の名前どおり、とてつもなく広い伽藍で、広さは857畳とか。未完成なので、外壁はなく、その北側には広々とした瀬戸内海が見通せます。わたしは、子供のころからここの風景が好きで、宮島へ行くと必ずと言っていいほどここへ行きました。宮島の中でも最もおすすめのスポットです。

ちょっと脱線してしまいましたが、このほかにも宮島にはたくさんいいところや、おいしいものがたくさんありますので、一度も行ったことがない方はぜひ行ってみてください。島内にはほかにも面白いスポットがいろいろあるので、また機会があればご紹介しましょう。あ、そうそう、宮島へ行ったら、ぜひ「あなごめし」を食べてみてください。店にもよりますが、絶品ですよ!

・・・で、桟橋に到着した私たち一行ですが、さきほど説明したような通常の観光客が通る参道は通らず、その山の手側にとおる山道をバスで、社殿に向かいました。この道は、地元の人が使っている道で、観光客でごったがえすふもとの参道を迂回するためのいわゆるバイパスです。宮島は世界遺産ですが、昔から人が住んでいて、現在も2000人を超える住人がいます。参道からちょっと裏の路地に入ると、普通の民家がたくさんならんでいて、そのギャップにちょっとびっくりしますが、まぎれもない庶民の町。あちらこちらから島の暮らしの生活の匂いがします。

そんな裏道を通り、社殿前の駐車場に到着した我々一行が向かうのは、神社の最奥部にある本殿横にある待合室。その待合室までは、朱塗りの柱と天井に囲まれた長い渡廊下を通っていきます。我々の結婚式だからといって、別に貸切というわけではなく、普通に観光客が通っている廊下。おおぜいの観光客が和服のわれわれをジロジロと見ていきます。

羽織紋付の私と金襴緞子を着たタエさんは、とくに目をひくらしく、中には写真に撮る人も。途中、外国人さんのご一行がすれ違い、その人がハーイ、ハッローと声をかけてきました。写真を撮らせてくれ、と言うので、二人して外人さんご一行とハイ・チーズ。なんだかしらないけれど、珍しいものが撮れた、という感じで手を振りながら喜んで去っていきましたが、へへぇ、国際親善に一役買ってしまったなあぁ、とわたしは少しご満悦。

式直前で少し緊張気味ではあったのですが、そんなこともあってすっかりリラックスできた私。でもタエさんのほうを見るとやっぱ、緊張しているなーという感じ。そりゃあそうだ、生まれて初めての結婚式ですもの。私は二回目だけど・・・

待合室では、式が始まるまで30分ほどもいたでしょうか。この間、宮司さんから式の進行手順などの説明があり、それが終わるとお茶が出ました。式を待つ間、お茶を飲みながら親族同士でなごやかに会話をしたのですが、しかし、厳島神社本殿横の待合室、という特異な環境のためか、みなさんもやはり少し緊張気味のご様子。タエさんも緊張したせいか、おトイレに行きたくなったらしいのですが、なにせ重厚な帯でぎしぎしにおなか回りを「縛って」いるわけですから、無理からぬこと。付き添いの方に手伝ってもらってなんとか用を済ませたようですが、いやはや女性は大変だわ。

私はというと、羽織紋付とはいえ、いたって軽装なので小用もらくちん。鼻唄混じりで用を足しましたが、さきほどの外人さんとの一件もあり、なんだかとってもリラックスしていて、さあ出陣じゃ~という気分。酒を飲んでいるわけでもないのに、式直前になって妙にハイになっていました。

そしていよいよ式が始まりました。待合室のすぐ横はもう本殿の広間になっており、そこには神棚を中心として、そのすぐ前に新郎新婦の席。その両サイドにはそれぞれの親戚・友人の席がずらりと並びます。通常は、新郎新婦のほかに媒酌人、つまりお仲人さんがいるものなのですが、我々二人はとくにお仲人さんは設けませんでした。それで問題ないのか、と思われる人もいるかもしれませんが、媒酌人はいてもいなくてもいいのだそうです。若い人が結婚する場合、ゆくゆくの後見をしてもらうという意味から媒酌人を設けるようですが、我々のような熟年夫婦にはその必要はない、という判断でした。

神道における結婚式の手順は、日本全国だいたいぜんぶ同じです。入場から始まって、退場までだいたい10ぐらいの手順がありますが、簡単にいうと、まず、神主さんによるお祓いの儀式と全員による一拝。神主さんによる祝詞(のりと)の奏上。そしていわゆる三々九度の儀式をおこないます。三々九度のあとは、神社の「楽団」によってお神楽が奉納され、それが終わると、夫婦そろって神前で誓いの言葉をのべます(誓詞奏上)。

その後結婚指輪の交換を行ったあと、夫婦で玉串を神様に捧げます。玉串というのは、榊(さかき)などの小枝に紙を添えたもの。神様に対する貢物みたいな意味を持つようです。その儀式は玉串奉奠(たまぐしほうてん)というのだそうですが、これと、三々九度のふたつが、もっとも儀式めいた作法といえば作法です。それほど難しい作法ではないのですが、玉串奉奠では玉串を持ちかえる所作などに決まりがあり、三々九度でも最初の一口では酒を口に含まない、などの決まりがあります。この二つは結婚式では誰もが一番緊張するシーン。事前に練習しておくと本番で焦ることもありません。

玉串の奉納が終わると、今度は、親族一同が順番にお神酒をいただきます。そして最後に全員で神様に一拝して、無事、結婚式の終了です。

実際の式では、ちょっと心配だった三々九度と玉串奉奠の儀式もスムースにやることができ、晴れて二人は夫婦になりました。わたしとしての採点は95点ぐらい。緊張もしていなかったし、とくに誓詞奏上は気持ちよく行えました。用意された誓詞を夫婦二人して読み上げるのですが、わたしはこれをできるだけ大声で読み上げました。

神様に誓うのだから、声は大きいほうが良いと思ったからなのですが、式当初からかなりハイだった私の声はいつになく大きく、読み上げる本人もびっくりするくらい本殿に響き渡ります。これがまた実に気持ちのイイこと。だからといってとりわけご利益があるというわけでもなかったでしょうが、大声を出したことで、さらに気分はすっきり。気持ちよく本殿をあとすることができました。

結婚式が終わったあとは、社殿内のあちこちで、親戚や友人と記念写真。きらびやかな結婚衣装を着たタエさんはとくにみんなの引っ張りだこで、大人気でした。出口に向かう回廊では、これから参殿する大勢の観光客とすれ違いましたが、おめでとう、と声をかけてくれる人もいて、気分は最高潮。あー、宮島で結婚式をしてよかったなー、と実感できる瞬間でもありました。 が、三度目をやりたいか、といわれると、もういいかな。面白かったし、良い経験ではあったけれど、やっぱ肩こるわ。

社殿からはふたたびバスに乗って桟橋へ。そして、また船に乗ってプリンスホテルへ向かいます。午後からはいよいよホテルでの披露宴の開始。これまでは親戚と親しい友人だけでしたが、これからは、ほかの招待客も交えての宴が始まります。あとで聞いた話では、その披露宴には我々がお呼びした招待客だけでなく、あちらの世界からもお客様が見えていたとのこと・・・

そんなスピリチュアルな話も交え、またその披露宴の様子なども、このブログで紹介していこうと思います。そして、我々二人のなれそめのことなども。

今日はこれから、残る塀の作業を完成させなければなりません。疲れていなければまた明日続きをアップしましょう。