紅葉、落葉そして進化……

紅葉の季節になりました。といっても、まだまだ始まったばかりであり、ここ修善寺の紅葉も観光協会さんのHPを見る限りでは、その見ごろは11月下旬から12月上旬ぐらいみたいです。一般的には紅葉が始まってから完了するまでは約1か月かかるそうで、一番の見頃は始まってから20〜25日ごろということです。

修善寺には紅葉の見どころがたくさんあるようで、修善寺温泉街の紅葉もさることながら、弘法大師が修業をしたという奥の院や、修善寺自然公園、そして修善寺虹の郷などがあるようですが、観光客の方も知らないような場所がまだまだあるかも。

これから季節が進んでさらにきれいになったこれらの紅葉をまた見に行って、レポートしたいと思います。

ところで紅葉といえば、一般には落葉樹のものですが、常緑樹にも紅葉するものがあるそうです。しかし、落葉樹と同じ季節に紅葉とするとは限らず、時期がそろわないため目立たないことのほうが多いようです。

ホルトノキという常緑時は、常に少数の葉が赤く色づくので紅葉とわかるそうですが、このほかにも秋になると紅葉する草や低木の常緑樹もあって、これらのものをひっくるめて「草紅葉(くさもみじ)」と呼ぶこともあるようです。

とはいえやはり我々が目にすることが多いのは、落葉樹の紅葉です。しかし、この落葉樹も同じ種類の木であっても、生育条件や個体差によって、赤くなったり黄色くなったり、その色の変化は千差万別です。

また一本の木でも紅葉の色が違う部分があり、我が家の庭に植えたトウカエデという種類は、秋だけでなく他の季節でもいろいろ色が変わるだけでなく、同じ木なのに部分部分で紅葉の色が違ったりします。

それにしてもなぜ秋になったら、木々の葉っぱは色づくのでしょう。また、なんで秋になると落葉がおこるのでしょう。気になったので色々調べてみました。

紅葉のメカニズム

……その結果、紅葉の理由は諸説あって、なぜ秋になると色づくかについてはどれも定説といわれるものはまだないのだそうです。落葉については、後述しますが、秋から冬にかけての厳しい気候に対応するための植物の反応です。

紅葉も落葉も「化学的なメカニズム」は明らかになっていて、紅葉は葉っぱに含まれている、「クロロフィル」の減少がその主な原因です。「葉緑素」ともいい、光合成をすることで空気中の二酸化炭素から炭水化物を合成して葉っぱ内に貯めこむ、というお話は小学生でも知っています。

で、このクロロフィルですが、秋になり、寒くなって日照時間が短くなると葉っぱの内部で分解されやすくなります。またこういう季節になると、葉っぱの付け根の茎との境に「離層」という特殊な水分を通しにくい組織ができ、この離層ができることによって、葉っぱには糖分(水溶性のブドウ糖や蔗糖などの糖類)やアミノ酸類が蓄積されるようになります。

落葉がおこる前、離層の形成のため葉っぱに溜められるようになった糖分やアミノ酸類で造られた「酵素」はクロロフィルの代わりに光合成を行うようになります。その結果として葉っぱの中に新たな「色素」が作られ、その過程で葉の色が赤や黄色に変化し、紅葉になるのです。

紅葉の色が、赤かったり黄色だったり、褐色だったりするその違いは、それぞれの酵素を作り出すまでの気温、水湿、紫外線などの自然条件の作用によってできる酵素系の違いとその量の違いによるものです。

酵素は光合成によっていろいろな色素を作り出しますが、例えば赤色は、主に酵素から作り出される色素「アントシアン」に由来するもので、これはブドウ糖や蔗糖と、紫外線の影響で発生します。

一方、黄色は色素「カロテノイド」によるもので、これは若葉ができるころから既に葉っぱに含まれていますが、秋になってクロロフィルが分解することによって、より目立つようになるものです

褐色の場合も、原理は黄色の場合と同じですが、カロテノイドよりも「タンニン」性の物質や、それが複雑に酸化重合した「フロバフェン」と総称される褐色物質の蓄積が目立つケースです。

黄葉や褐葉の色素成分は量の多少はありますが、いずれも紅葉する前の新緑のころから葉っぱに含まれており、本来は紅葉になるべきものですが、アントシアンの生成が少なかった場合には黄色や褐葉になるのです。

落葉のメカニズム

さて、次は落葉です。秋になると葉っぱと茎の間に「離層」という植物細胞が変化したものが生成されるということは前述のとおりです。

この離層は、色素のカロテノイドと同様に、初夏から盛夏の深緑のころの葉っぱが盛んに生長する時期に作られはじめます。そして、この離層こそが葉っぱと茎が離れやすくするための装置であり、植物はこれを秋までに用意することで落葉に備えるのです。

「離層」は、細胞は葉っぱで作られる植物ホルモンの一種で、「オーキシン」という物質に敏感です。オーキシンは植物の生長を促す植物ホルモンで、春から夏の間にはたくさん作られて茎のほうに送られていますが、これが秋になると寒くなったり日が短くなったりといった季節的条件の変化がストレスになって、その供給量が減ります。

葉からのオーキシンが減ると、「離層」の細胞はれを敏感にキャッチし、その形が「間延び」したようになり、この間延びした部分にはここから樹液が漏れないように「コルク質」が充填されていきます。

ご存知の通り、コルクはもろくて手で揉むとパラパラになりますよね。葉っぱと茎の間の離層が間延びし、ここにコルクが貯めこまれるようになると、やがて葉っぱの重さを支えられなくなり、ぽっきり折れて落葉がおこるというわけです。

植物の葉っぱというものは、本来は低温、特に凍結に弱く、また「気孔」といって二酸化炭素を取り込み、酸素を放出する「穴」があるため乾燥にも弱いものです。低温や凍結によって気孔を収縮されたりふさがれたりといったストレスは、葉っぱ内のオーキシンの製造量を減らす原因となります。

この結果として、日本のような温帯・亜寒帯のような秋になって温度が低くなる地域では、落葉する植物も多いわけです。

しかし問題は、なぜ木々は秋になると葉っぱを落とすのか、です。

その答えは、低温または乾燥という厳しい環境条件に耐えるために、そうした環境に弱い葉っぱを落として「休眠」に入るためです。一般的には寒くなるために休眠するわけですが、こうした正常な理由による落葉のほかに、周辺環境が塩害にあったり、極端な虫害が生じた場合にもその防御反応として落葉が起こる場合もあります。

よく秋でもないのに葉っぱが黄色くなったり赤くなったりして葉っぱが落ちてしまうのをみかけますが、それはその植物が何かの病気にかかっているか、何等かの環境変化を受けてストレスを感じているからと考えて間違いありません。

本来葉っぱそのものは、大きくて薄い方が効率はよいといいます。薄いほうがたくさんの葉っぱを蓄えることができ、大きいほうがたくさんの光合成をおこなうことができるためです。

大きくて薄い葉っぱは、熱帯雨林などの植物にたくさん見られます。しかしこうした熱帯植物は乾期や寒冷期など不適な季節に対応できません。これを耐えるためには、葉っぱを小さくし、厚くするというのがひとつの方法ですが、温帯地方に多く見られる「常緑樹」は熱帯より涼しい温帯の環境変化に対応するよう進化した植物です。

一方、落葉樹は、温帯よりもさらに厳しい寒さとなる地方において、葉っぱを小さくして厚くしたものの、それだけでは秋から冬にかけての寒さに耐えられなくなり、葉っぱを維持することをあきらめた植物です。

常緑樹の葉っぱは樹種にもよりますが、普通は数年の寿命があります。これに対し、落葉樹は、そんなおんなじ葉っぱを何年も持っていられるかい!そんなの捨てちまって、冬の間の数か月だけ死んだふりしてりゃあいいじゃん、ということで、葉っぱを「使い捨てる」道を選んだというわけです。

もったいないかんじはしますが、逆にいえば、自分の好みの時期だけ葉っぱを維持すればいいわけで効率的といえます。このため温帯から亜寒帯の地域では、秋になって葉っぱを落としやいよう、常緑樹よりも大きくて薄い葉っぱを持つ落葉樹のほうがだんだんと増えていきました。

ちなみに、サクラや梅も落葉樹ですが、秋までには葉っぱをすべて落とし、この様態で春先のまだ寒い季節に花を咲かせます。

これは、こうした季節での開花には低温や乾燥によるリスクが伴うものの、春先には虫が飛来してくることも多くなることから、花粉を運んでくれる昆虫に自分の花を見つけてもらいやすくするためです。まだ葉っぱがなく目立ちやすい時期に花をつけるほうが昆虫は花を発見しやすいのです。

こういう花を「虫媒花」といいますが、「風媒花」というのもあり、これは葉っぱを落として風通しがよくなるために、この時期に花を咲かせ、風によって花粉を飛ばしやすくなることで受粉効率がよくなる花です。

虫媒花、風媒花のいずれも葉っぱを落とす時期に咲き誇ることでより確実に種が保存されることを目指した植物であり、このため、他の落葉樹よりも早々と葉っぱを散らしていきます。桜の葉っぱがまだ秋になるかならないころから色づいて、他の落葉樹に先だって散ってしまうのはこのためです。つくづく、うまくできているもんだなーと感心してしまいます。

紅葉と進化

紅葉と落葉のメカニズムについては、だいたい以上のとおりです。しかし、そもそも木々はなぜ紅葉するのか、についてはまだはっきりとした科学的な説明の定番といえるものはないのだそうです。

ご存知のとおり、植物も人類他の動物と同様に、長い時間をかけて進化してきました。その進化の過程において、「紅葉」の進化的要因や進化的機能については、これまでは普通に葉っぱの「老化現象」にともなう「副作用」であると説明されてきており、あまり研究の対象にはなってこなかったといいます。

ところが、イギリスのウィリアム・ドナルド・ハミルトンという生物学者が、1999年(平成11年)に北半球の262の紅葉植物とそれに寄生するアブラムシ類の関係が調べたところ、紅葉色が鮮やかであるほどアブラムシの寄生が少ないという事実を発見しました。

前述のように紅葉の原因は、アントシアンやカロテノイドなどが葉っぱの内部で合成されるためですが、このためには光合成などの大きなコストがかかる一方で、特段、紅葉すること自体が直接害虫への耐性を高めるわけではありません。

ところが、アブラムシは樹木の選り好みが強い昆虫で、長い間の研究で一部の種は色の好みもあることがわかってきました。こうした研究結果からハミルトン博士は、植物の紅葉は自分の免疫力を誇示する「ハンディキャップ信号」として進化してきたのではないか、と考えました。

つまり、赤や黄色に変色する木々は、「十分なアントシアンやカロテノイドを合成できる俺様は、耐性が強いのだから、寄生しても繁殖することはできないぞ」と呼びかけているとみなせる、というのです。

ハンディキャップとは、そもそもスポーツやゲーム等において競技者間の実力差が大きい場合に、その差を調整するために事前に設けられる設定のことですが、競技に限らず様々な競争的な場での立場を不利にする条件を指す言葉として用いられます。

そもそもは弱い立場にある場合に、他の強い者に対抗するために与えられるアドバンテージのことですが、ハミルトン博士は植物の紅葉も一種のハンディキャップではないかと考えたのです。

前述の例えでは、植物は「耐性が強いのだから、寄生しても繁殖することはできないぞ」と強がっていると書きましたが、これは「僕はもともとアブラムシ君たちよりもずっと弱い立場にあるんだよ。だから、秋になったら君たちに食べられないよう、ハンディキャップとして君たちの嫌いなアントシアンやカロテノイドを合成させてもらうよ。」というふうに主張しているとも解釈できます。

つまり、ハンディキャップ信号というのは、危害を加えるものに対して自分がその対抗手段として何等かの「ハンディキャップ」を持っていることをアピールするための「信号」というわけです。

植物の場合、アブラムシなどの動物に対して自らが弱い立場にあることを示すハンディキャップが「紅葉」ではないかとするこの説は、実はこれより前から動物に関しても研究されていました。その典型的な例として挙げられるものにガゼル(アフリカなどに棲むウシ科の動物。鹿に似ている)の跳びはね行動(ストッティング)に関する研究というのがあります。

ガゼルは、捕食者であるライオンやチータによって狙われていることを悟ると、最初のうちはゆっくり走って逃げはじめますが、その途中で突然急に高く跳びはねるといいます。

一般的にみれば、より捕食者に見つかりやすくなるこの行動は、動物学者にとっては不可解な行動であり、なぜそんな行動に出るのかというのは長いこと議論の対象になっていたそうです。しかし、多くの学者は、その行動は他のガゼルにチータの存在を知らせているのだろうと説明づけていました。

ところが、1975年にイスラエル人の生物学者でアモツ・ザハヴィという人が、このガゼルの行動は、他の仲間より自分が健康で調子が良い個体であるということを捕食者に示し、捕食者がそれを追うことを避けなければならないようにするために行なっているのではないかと主張したのです。

つまり、健康な個体であるガゼルは、捕食者であるチータに、「俺はこんなにも元気なんだから、追っかけたって、最終的にはあんたの苦労は実を結ぶことのないよ。追跡はムダだぜ。」と知らせており、捕食者に対して、無駄なエネルギーを避けたほうがいいよ、とアピールするために、わざと高く跳ねるという行動に出たのではないか、というのです。

この結果、捕食者であるチータは、ガゼルの行動から健康か健康でないかという情報を得ることができ、捕獲する前にその難易度を図ることができるため、逆に調子の良いガゼルは追わないといいます。そして実際に、チータはストッティングを行わずすぐに逃げ出すガゼルのほうを狙うことが多いことが観察されているといいます。

この植物や動物が出す「ハンディキャップ信号」に関する理論は、「ハンディキャップ理論」とも呼ばれていて、ほかにもいろんな研究が始められているそうです。

「羽を広げるクジャク」もオスがメスに自分のエサの確保の能力や肉体能力を誇示しているのではないかと考えられる一方で、羽根を広げれば他の肉食系の動物に目立つ行為になることから、ハンディキャップ信号の一種ではないか、それを積極的に示すことが直接自己の生存や繁殖の何等かの利益になるのではないか、という研究がされているそうです。

オスがメスに自分のエサの確保の能力や肉体能力を誇示しているのではないかという考え方は、指標説(優良遺伝子説)というそうですが、これはクジャクのオスは肉体的な能力を誇示するためにその羽のきらびやかさをMAXまでメスにみせているという考え方です。

これに対して、ハンディキャップ理論では、例えば羽根を大きく広げるオスは、寄生生物への耐性があり栄養状態が良いことをメスに知らせているのではないか、と考えるわけです。

別の考え方もできます。「僕は無理をすれば、もっときらびやかな羽を持てるんだよ、でもそんなに無理しすぎると逆に羽根のほうに精力を使い果たしてしまって、「アレ」をするときに元気がなくなるので、この程度にしているんだよ」と他の種よりも「やや小さ目」に羽根を広げて、より生殖機能が高いことをメスにアピールしているといるのではないかという説です。

メスはより大きく羽根を広げるオスよりも、適度な大きさときらびやかさしかみせない、「謙虚な」オスのほうが、「元気なオス」と考えてこちらを選択するのではないか、というわけです。

逆説的な、見方によってはかなりひねくれた考え方ですが、従来通りの観察で物事を解釈するのではなく、別の観点から生物の進化の過程を明らかにしようとするアプローチで、なかなか面白いと思います。

この辺の話は、人間にもあてはまるような気がします。最近は、マッチョで粗暴な男よりも、少し痩せていて体力はなさそうだけれども、頭がよさそうで優しくしてくれる男性のほうを女性は好みます。

実際、こうした研究は、ヒトに関してもなされています。人間は多くの場合、男のほうが女よりも背が高く体格が良いのが通例ですが、これもクジャクと同様に普通に考えれば、男は食べ物の確保の能力や肉体能力を誇示するために女性よりもたくましくなると考えることができます。

しかし、ハンディキャップ理論に即して考えると、例えば、男は酒やタバコといった習慣性薬物を摂取する率が女性より高いといったことや、バンジージャンプのような自らを危険にさらす行動も女性よりも高い比率でやりたがる、といったこともハンディキャップ理論に基づけば、何らかの進化した本能の表現ではないか、と考えるわけです。

ヒトに関するこうした研究に結論が出たわけではなさそうですが、ハンディキャップ理論に基づいたこうした研究が進めば、近い将来、こうした研究から人類の進化に関しては驚くべき発見がなされるようになるかもしれません。

男性が女性よりも大きいのはもしかしたら、精神的には女性よりも繊細でよりか弱い生物であることのハンディキャップなのかもしれません。「僕は君たちより弱いんだよ。だから大切にしてね。」

いずれにせよ、次々と新説が現れるということは、人間はさらに進化しているということにほかならないわけで、このハンディキャップ理論という考え方が出てきたこと自体が人間の進化のあらわれなのかもしれません。

さて、今日は紅葉や落葉の話に端を発しましたが、だんだんと怪しい方向に進みだし、生物の進化の話にまで発展してしまいました。いつもの話ですが反省至極です。明日からは初心に帰って真面目にやろうかな。でもまた脱線するかもしれません。お許しください。

死者の日

今日、11月2日は、カトリック教徒の人たちにとっては、「死者の日」として死者の魂のための祈りを捧げる日とされているようです。古くは「万霊節(ばんれいせつ)」という言い方をしていたようで、これに対するのが「万聖節(ばんせいせつ)」であり、全ての聖人と殉教者を記念する日で近年は「諸聖人の日」と呼ばれています。昨日11月1日はその「諸聖人の日」でした。

私はとくにキリスト教徒でもなく、仏教徒でもないので、特段この日にお祈りを捧げる習慣はありませんが、日本だけで45万人もいるというカトリック信者さんたちにとっては、今日は死者のためにミサを捧げる大切な一日なのでしょう。

「教会暦」というのがあって、これは典礼暦(てんれいれき)ともいわれ、カトリック教会では、伝統的にその一年が待降節(アドベント)から始まり、「王であるキリスト」の祝いで終わるサイクルになっています。この間、主なものだけで20以上の「典礼」が行われ、それらの中には、我々もよく知っている「主の降誕」、つまりクリスマスや、復活祭なども含まれます。

この「死者の日」もそのひとつであり、他の典礼と同様にこの日にカトリック教会では「ミサ」が行われます。他の典礼日には聖書朗読の内容がだいたい規則によって決まっているそうですが、死者の日に関してはとくに固定されておらず、死者のためのミサも自由に選ぶ事ができるそうです。

「レクイエム」というのもミサのひとつであり、これは死者の安息を神に願い捧げられるミサです。本来は死者を弔う儀式全体のことを指したようですが、ミサで用いる聖歌のことを単体で「レクイエム」と呼ぶことも多いようです。

「鎮魂曲」と訳されることがありますが、レクイエム自体には「鎮魂」、つまり魂を鎮めるという意味はなく、単に「葬送」「死を悼む」とかいった単純に「死者を送る」「死を悲しむ」いう意味しかないそうです。

この「死者の日」の由来ですが、かつてカトリック教会ではその教えとして、人間が死んだ後で、罪の清めが必要な霊魂は煉獄(カトリックでいうところの地獄)での清めを受けないと天国にいけないという考え方がありました。

こうした思想はやがて、死者は生きている人間の祈りとミサによってこの清めの期間を短くできるという考え方に変わっていき、「死者の日」を設けることで、その日一日さえ煉獄にいる死者のために祈れば、安らかに天国にいける、と考えられるようになっていったようです。

そもそもカトリックだけでなく、死者のために祈るという発想自体は世界中で古代から存在していましたが、キリスト教においてその歴史の中で死者の日というものを取り入れたのは、11世紀のころといわれています。フランスのブルゴーニュ地方にあるクリュニー修道院の院長で「オド(オディロン)」という人がそれを始めたそうです。

イタリアには、11世紀に国王とともに教会改革を推進した人で、神学者のペトルス・ダミアという人がいましたが、この人はカトリックでは聖人とされており、この人が記した「聖オド伝」には、死者の日について次のようなことが書かれているそうです。

聖地に巡礼に行き、そこから海路を渡って帰ってきたある巡礼者が、嵐に巻き込まれ、ある孤島に打ち上げられました。そこには一人の修道士が住んでおり、その修道士に助けられた巡礼者は、ある日その修道士から島にある岩の中をのぞいてみるように言われました。

その岩のすきまから煉獄の様子がみえるというのです。

言われたとおりに巡礼者が中をのぞきこみましたが、暗くてよくは見えませんでしたが、確かに中からは煉獄で苦しむ人々の声が聞こえるようです。そして修道士は巡礼者に向かって、私は悪魔が「死者のために祈られると死者の魂が早く天国へいってしまうから不愉快だ」とぼやいているのも聞いたことがあると語りました。

この話を聞いた巡礼者は修道士にお礼を言い、そして故郷に帰りその地の聖人として崇められていた「オド」にすぐに会いに行き、その話を伝えました。

その話を聞いたオドは、それ以後死者の霊魂のために祈りを捧げる習慣を始めたということで、その日が11月2日であったことからクリュニー修道院においては、この日を「死者の日」としてミサを捧げるようになったそうです。

そして、やがてこの習慣はクリュニー修道院から系列の修道院へと伝えられ、それがフランス全体に広がり、西欧全体へと広まっていったといいます。

こうして「死者の日」はヨーロッパ各国に浸透していきましたが、宗教改革の時代、イギリスでは、イギリス国教会がこの風習を否定したことから、死者の日は廃止されました。しかし他のヨーロッパ諸国では、プロテスタントが主流の国であっても廃止される事なく継続されました。

ドイツでは、宗教改革の中心人物で神学教授だった「マルティン・ルター」が聖書に根拠のないすべてのキリスト教の伝統行事をすべて廃止しようとしましたが、それでもドイツのザクセン地方の信者たちは、死者の日の習慣を廃止しませんでした。

死者の日は単なる教会暦の祝い日という枠を超えて、人々の文化の中に根付いていたためです。

同様にフランスでも死者の日は廃止されることはなく、現在でもこの日になると墓に飾りをほどこすといい、宗教改革がとくに進んだドイツでもこの日に墓に花を飾る地方が現存しています。

ただ、プロテスタント教会の多くはこの日を「死者の日」とは呼ばず、聖徒の日、諸聖徒日、召天者記念日などと別名にして礼拝を捧げる教会が多いということです。

ところで、この死者の日とハロウィンは何か関係があるのでしょうか。

結論からいうと、全く関係ありません。ハロウィン、あるいはハロウィーン(Halloween)は、ヨーロッパを起源とする「民俗行事」で、毎年10月31日の晩に行われ、そもそも日付が違います。

西ヨーロッパには、その古代に「ペイガニズム」と呼ばれる自然崇拝、多神教の宗教があり、この宗教では「死者の祭り」と「収穫祭」を重視しました。紀元400年ほど前にヨーロッパを席巻したケルト人は「「サウィン祭」というお祭りを行っていたそうで、これがハロウィンの由来ではないかといわれています。

その後、ヨーロッパを中心としてアングロ・サクソン系諸国で、盛大なお祭りとして毎年行われるようになりましたが、今日のようなハロウィンの習俗に落ち着いたのは19世紀後半以降と比較的新しく、とくにヨーロッパからの移民で作られた国アメリカで「非宗教的大衆文化」として広まったものだそうです。

ハロウィンという語感には、なんとなくキリスト教の行事のような響きがありますが、本来キリスト教のような近代的な宗教とは無関係で、どちからといえば古代宗教の色合いの濃い習慣のようです。

ただ、ケルト人は、自然崇拝からケルト系キリスト教を経てカトリックへと改宗していったため、11月1日を諸聖人の日(万聖節)としており、これと古くからの習慣を合わせ、ハロウィンはその前日の10月31日に行うようになったといいます。

そしてこの日は万聖節の「イブ」にあたることから、諸聖人の日の旧称“All Hallows”の前夜“eve”、すなわち、“Hallows-eve”が訛って、Halloweenと呼ばれるようになったということです。

ところで、この「死者の日」は、アメリカの「インディオ」にもその風習が残っているそうです。日本では、「お盆」にお墓の前で飲んだり踊ったりする習慣が、長崎などのごく一部の地方で残っているようですが、インディオでも同じような風習があるそうです。

ただ日本の場合は、各家のご先祖様を迎えるために飲食をするわけですが、インディオの風習では、ご先祖だけでなく、自分にとって関係深い人々を迎える、という思想のようです。そして、数日前からご馳走を準備し、呼びたい人の分だけ揃えるのですが、その時必ず一人前、余分に作るのだそうです。

その理由としては、生きている人間でも誰にも声をかけてもらえないような人がいますが、霊にもどこにも呼ばれない霊があり、自分たちの親しい人の霊を呼べば、その霊がこうした誰にも誘われないような霊を誘って連れてくるためだそうです。

そして自分の親しい人たちの霊にだけご飯を差し上げるのではなく、こうした「身よりのない霊」にも寂しい思いをさせない、ということで一人前余分なごちそうを用意するのだといいます。

生きている我々だって、パーティをやるときには一人誘えばその人が誰かを連れてくることがあります。 二人誘えば四人になることもあり、そうしてパーティは大勢の人で盛り上がります。インディオの世界では、それが生きている人間だけでなく、死後も同じと信じられているわけで、こうした優しい風習が残っていることにはちょっと感動します。

浮かばれない霊の中には自殺をした人とか、他にもあまり良い死に方をしたことがない人の霊も多いといいますが、そうした霊もひっくるめて、みんなお盆のときくらいおいでおいでよ、ご馳走があるよと呼んであげれば、そうした霊の中にはそれで浄化されて解放されるものもあるかもしれません。

そして、自分が死んだあとは、あちらの世界で迷っている霊を誘い、一緒に良い場所へ連れて行ってあげる。どうせいつかは死ぬなら、そういう心の広い霊になりたいではありませんか。

源兵衛川 ~三島市

今年も、もうあと残り二か月になりました。去年のいまごろは何をしていたかな、とブログを読み返してみると、ちょうどこの家の購入の手続きなどが完了し、リフォームのための打ち合わせに伊豆へ来ていたころのようです。

あのころはまだ家の内外ともにボロボロで、とくに庭は草が生え放題、荒れ放題で、ホントに庭として使えるんかしらん、と危ぶんだものですが、人間やればできるもんですね~。自分で言うのもなんですが、それはもう立派な立派な庭になりました。

先日まではこの秋二回目のキンモクセイの花が咲き、芳香が庭だけでなく家中に行きわたっていましたが、その花も終わり、今はモミジの葉が赤くなるのを待つばかりといったところです。

その後リフォームも完了し、最近は伊豆のあちこちに出かける余裕まで出てきましたが、あれほど雑然としていた家の内外がここまできれいになるとは、昨年のいまごろは想像もできませんでした。

今はもうあと残り少ない今年の締めくくりとして、この家に移ってきてから初めての大掃除をし、庭のフェンスのペンキ塗りをすることくらいでしょうか。ともかく、ここ数年では一番落ち着いた年末が迎えられそうです。

ところで最近、「今日は何の日?」といったサイトをちら見したりして、今日のブログのテーマなどをさがすこともよくあります。今日も、11月1日は何の日かな?と思っていつも見るサイトを見てビックリ! す、すごい。○○記念日のオンパレードではないですか。ざっとあげると、以下のような記念日になっているようです。

計量記念日(改正計量法が施行記念)
万聖節(別名、総聖人の日。キリスト教で、諸聖人と殉教者を記念する日)
灯台記念日(日本初の洋式灯台、観音崎灯台の設置日)
自衛隊記念日(自衛隊法が施行されたことを記念して制定)
炉開き(冬になって炉や炬燵など暖房器具を使い始める日。「炬燵開き」とも言う)
犬の日(「ワン・ワン・ワン」の犬の鳴き声から)
川の恵みの日(三重県多気町の会社が制定。「111」が「川」の字に似ていることから)
点字記念日(明治23年に日本語用の点字が決められた日)
生命保険の日(生命保険協会が制定。「生命保険の月」の1日目の日。)
紅茶の日(大黒屋光太夫がロシアのエカテリーナ2世から紅茶を寄贈された日)
全国すしの日(全国すし商連が制定。新米が出回り、海山の幸がおいしくなる時期)
本格焼酎の日(作曲家の中山大三郎氏らが設立した世界本格焼酎連盟が制定)
泡盛の日(沖縄県酒造組合連合会が制定。11月は泡盛製造の最盛期のため)
玄米茶の日(全国穀類工業協同組合が制定)

なぜこんなに記念日が多いのか不明ですが、やはり夏が終わって涼しくなって人の動きも活発になり、年末までの時間も少なくなることから、できることは11月にやっておこう、でもどうせなら、その一番最初の日をスタートの日にしよう、ということなのでしょうか。

食べ物の記念日が多いのは食欲の秋ということなのかも。それにしても焼酎とか泡盛ってこの時期が一番おいしいんですね。すしもそうみたいです。炬燵に入り、熱い焼酎、または玄米茶を飲みながらおいしい寿司を食べ、そばにいる愛犬を愛でる。そういう日なのでしょう。

さて、昨日、三島の楽寿園のことを書きましたが、今日はその途中から少し話題にした「源兵衛川」について書いていきましょう。

この源兵衛川ですが、昨日も書いたとおり、楽寿園にある小浜池に湧き出る富士山の伏流水を水源とし、ここから1.5kmほど南にある、中郷温水池(なかごうおんすいち)という池まで流れる灌漑用水路です。

中郷温水池は、湧き水を稲作用水として利用するために水を温める人工池で、昭和28年に国、県の事業として建設されましたが、近年再整備され、周囲に植栽が施された気持ちの良い散策コースとなっています。南端は逆さ富士が美しく映る絶好の撮影ポイントとして知られており、私も今度その撮影にチャレンジしてみたいと思います。

この中郷温水池そのものは湧水池ではないようですが、三島界隈には、小浜池のような湧水池のほか、柿田川湧水群という有名な遊水池や丸池(清水町)などの湧水池がたくさんあり、これらの湧水を農業用水として使うため、縦横に灌漑用水路が造られてきました。

源兵衛川もそのひとつで、流路の一部が人工的に作られた川です。室町時代に久保町(現在の三島市中央町)に「寺尾源兵衛」という豪族がいて、このあたりの11カ村の耕地を灌漑するため、小浜池から湧き出る水を引き用水路を造りました。

この寺尾源兵衛さんを祖先とする方が今も三島市にすんでいらっしゃるそうで、その方は、三島大社と源兵衛川のちょうど間にある中央町というところでお菓子屋さんを営んでいらっしゃるということが、三島市のHPに書かれていました。

おそらくは三島広小路駅から三島大社までの商店街の一角にそのお店があるのだと思いますが、先日我々が訪れたときにはそれとは気が付きませんでした。

この三島広小路駅界隈は、こうした歴史のあるお店がたくさんあって、三島広小路から三島大社までの道はその昔「鎌倉古道」とも呼ばれた街道筋であり、現在この道はショッピング街路としてきれいに整備されており、お買い物がてらお散歩するのもとても楽しい場所です。三島大社や楽寿園に行く機会があれば、ぜひこの商店街も散策してみてください。

さて、水源を小浜池とする源兵衛川ですが、その下流の鎌倉街道と交わるあたりに広瀬橋という橋があり、このあたりまでを広瀬川と言う人もいるそうです。かつてこの川沿いに三島を代表する料亭があり、水が豊富なため、舟で料理を運んだという優雅な話も残っていて、その昔はかなりきれいな川だったようです。

ところが、小浜池から湧き出ていた豊富な水量が、昭和30年代中ごろから上流域での企業の水の汲み上げなどが原因として減少するようになり、これに合わせて三島周辺でも多くの工場などができたことから、これらの工場排水とゴミの投棄などにより、源兵衛川の汚染もひどくなりました。

こうした汚染は長い間放置され、源兵衛川はまるでドブ川さながらのようになっていましたが、1990年(平成2年)に、この川の流域が農林水産省の「農業水利施設高度利用事業」として開発されることが決定されたことから、源兵衛川にも「源兵衛川親水公園事業」としての手が加えられることになりました。

この事業の実施には、14億3千万円もの事業費が投入され、三島駅の北側(楽寿園の北側)にある「東レ株式会社」の三島工場もこの公園事業に協力することになり、小浜池からの湧水に加えて工場からの排水をきれいに浄化した水を流し、昔のような流量豊かで美しい水辺環境を取り戻すことに成功しました。

この源兵衛川の整備にあたっては、それに先立つこと7年ほど前の1983年、危機感を抱いた市民が「三島ゆうすい会」というサークルを発足させ、この活動が先述の農林水産省の「農業水利施設高度利用事業」へと結びつきました。

こうした町興しのために地域住民が立ち上がって行う環境整備のことを、「グランドワーク」と呼ぶことがあります。

もともとは、イギリスで1980年代からはじまった活動で、住民、企業、行政の三者が協力して、地域の環境を改善していこうというものです。行政と市民が協力し、これに企業が加わって地域社会を活性化することを目的としており、ただ単に環境を改善させるだけでなく、地域の経済的な面での隆盛もめざすことが多いのが特徴です。

日本ではこの源兵衛川のケースが初めてのグラウンドワークと言われています。1992年に「農業水利施設高度利用事業」の実施が着手されると同時に、もともとあった三島ゆうすい会を主軸に市内8つの市民団体が結束して「グランドワーク三島」を立ち上げました。

グランドワーク三島が手がけたプロジェクトは、源兵衛川の再生だけでなく、絶滅した水中花・三島梅花藻の復活、歴史的な井戸の復元、ホタルの里づくり、境川・清住緑地での原生林と湿地の復元、学校でのビオトープづくり、住民主導の公園などなどもあり、全部で30以上ものプロジェクトが企画されました。

そして、その具体的な実施のために1999年にはNPOまで創設し、このNPOは現在では20の市民団体が参加するネットワーク型組織に成長しています。

このNPOでは源兵衛川の再生にあたっては、1年半をかけてそのコンセプトを練り、50回以上も議論して水の都再生の行動計画を作ったといいます。また、グランドデザイン、建築、土木、造園などの専門家からなる設計者集団と、日本ビオトープ協会のメンバーや大学教授、トンボの研究家などの専門家からなる生態系アドバイザー集団のふたつの専門家集団を設立しました。

これらふたつの専門家集団をアドバイザー兼リーダー格とし、流域内の13町内会、2万人の住民が参加してこのプロジェクトに取り組むことになりました。

ところが、事前アンケートでは地域住民の98%が賛成だったのに、いざ事業が実施段階になると、例えば遊歩道が自宅前に通るとなるとプライバシーの侵害を危惧する住民などが現れ、遊歩道を右か左にするかで調整が難航するなどの問題が続出しました。

しかし、こうした問題をNPOと地域住民が話し合いながら、事業はひとつひとつ進展していきました。そして整備が進むにつれ、地域住民の意識も次第に変わっていきました。

遊歩道を嫌い、高い塀を設置することを主張していた住民などは、いざ遊歩道が完成するとその塀を取り去り、自宅前に草花を植えるようになりました。ひとつ環境が改善されたことで、さらにその環境を向上させようというふうに住民の姿勢が変わっていったのです。

源兵衛川の整備事業においては、景観を優先するために、住民宅や遊歩道と川の間に堤防や背の高い柵などは設けてありません。住民自らが「自分たちの手で整備した環境」という自覚があるので、万一の溢水などの事故の場合でも自己責任の範囲であるから我慢できるという考えが浸透しているのです。

こうした住民にアドバイスを行った設計家集団の一人の方は、「倒れて水を飲み、少々の怪我をするのが自然」と住民に語ったそうで、こうしたアドバイスを受け住民たちは少々の危険は意に介さなくなったといいます。

こうして、街中にありながら限りなく自然に近いような環境が整備され、水辺がきれいになった結果、源兵衛川では、蛍やカワセミが生息するようになりました。我々二人がちょうどこの川の遊歩道を歩いているときも、一羽のカワセミが下流から上流まで飛び去っていきました。こんな街中でカワセミを見るというのは初めての体験です。

この自然豊かな河川整備にあたっては、自然保護のために人を入れないようにすべきである、と知事に直訴する大学教授がいたそうです。しかし、グランドワーク三島の面々は、単なるビオトープではなく、人々が集う「ビオガーデン」をめざすべきだと考え、こうした意見を退けました。

「自然の生命力は強い。たとえ子どもたちが沢蟹を取ってしまってもすぐに戻ってくる。」と考えたそうで、生態系アドバイザー集団の方々がわざわざ調査を行い、人が入ることで自然が損なわれないことを確認し、その上で遊歩道を拡張していったといいます。

しかし、豊かな環境は取り戻せても、地域社会をとりまく行政や企業なども取り込まなければ、グラウンドワークの目標である、「地域活性化」と「経済的な成長」の両立はありえません。

このため、グランドワーク三島では、右手にスコップ、左手に缶ビール」というキャッチフレーズを合言葉に、まず自分たちで川に入ってゴミをすくい、どのような川にしたいか議論したそうです。

企業や行政に対して発言するためには、自己責任を取りながらまず考えるのが前提である、と考えたためです。そして、源兵衛川の汚染は、地域住民のみならず企業にも社会的責任(CSR、corporate social responsibility)があることを訴え続けた結果、これら周辺の企業の中から「東レ」のように、住民が川を清掃することを条件に工場の冷却水を供給することに同意するような企業が現れてきたのです。

一方、主たる「行政」である三島市は当初、環境改善には意欲的ではなかったそうです。そこで、グラウンドワーク三島では、行政の資金を当てにしないことにし、例えば水のみ場の設置では、そのモデルを自らの設計家集団がデザインしました。

そしてその水場の設置費用80万円のうち、30万をグランドワーク三島が出し、30万を他団体、20万を企業から調達し、管理は自らで行うことにしました。

こうした活動をみた三島市では、ようやくグランドワークの活動を認めてくれるようになり、その後の水飲み場の設置などについては、市が負担することになったといいます。

グランドワーク三島の活動には、静岡県のお役人も関与しているそうです。県の「NPO推進室長」が参加しており、こうした協力により行政情報はもちろんのこと、議会や市長の情報も入ってきたといい、グラウンドワークを推進する住民らにとって、これほど頼もしい存在はありません。

NPO法人としてのグラウンドワーク三島の会長さんは、三島駅前に9ヘクタールもの土地を所有する資産家だそうで、他にも地元の名士や顔役約70名が名を連ねているそうです。

よくありがちな住民だけで形成された社会団体ではなく、そこには行政や地元の有力者も参加しており、これに設計者集団や生態系アドバイザー集団といった専門家が加わり、民力・行政力・財力・知力のよっつの力が結集した結果、駅前を流れるドブ川をホタルやカワセミが飛び交う自然の川に変えるというマジックが実現したわけです。

この四つの中でも、川に最も身近な存在が沿川の地域住民です。プロジェクトの進行にあたっての集会などで、これらの住民たちはまず、「自分たちの役割は何か」徹底的に議論したそうです。

例えばゴミ捨て場になった空き地を「鎧坂ミニ公園」に整備した例では、まず誰がどのような目的で使うのかを議論し、アンケートを数十回も実施し、見学会やワークショップも重ねた上で専門家に絵も描いてもらったといいます。

その結果、デザインと管理の仕組みが住民の役割だという理解が浸透し、これもよくありがちな、できあがった施設の管理は「放りっぱなし」ということもなく、完成後も住民の管理によりその美しさが保たれ続けているといいます。

住民を巻き込むために、「ワンデイチャレンジ」や「ワンナイトチャレンジ」といったしくみも活用されたそうです。

例えばひとつの公園を造るという、「ワンデイチャレンジ」では、半日を使ってみんなで集中して作業をし、その作業が終わったあと、みんなで酒を飲むのです。皆で取り組む意義を、身をもって知ってもらい、かつそれが出来上がった喜びを皆で分かち合うためです。

昼間忙しい人のためには、「ワンナイトチャレンジ」を行い、夜9時頃から夜中まで集中してみんなで工事を行い、そのあとまたみんなでお酒を飲んだといいます。

住民の中には文句を言うだけの人もいたそうですが、その人たちをいかに引っ張り出すかをみなが算段すること自体がまた、ひとつの「川」を中心としたコミュニティの活性化にもつながっていくわけです。

グランドワーク三島は現在、「バイオトイレ」などの環境コミュニティビジネスにも参入しているそうです。

タンクに杉チップが入っており、これがし尿を水と二酸化炭素に分解、この水を洗浄水に再利用します。なかなか利用が進まない杉山の間伐材を有効利用し、これを切り出して乾燥させ、チップ状にして利用します。トイレ一つで150本の杉が必要になるということで、現在、2ヘクタールもの杉山を借りる計画でいるとか。

しかもその杉の木のチップ化の作業は障害者のある人たちに手伝ってもらう予定だそうで、いずれカンボジアのアンコールワットへの輸出することも計画中といいます。

ここまでくると、もう単なる河川環境整備ではなく、ひとつの「一大事業」であり、その事業に官財民と有識者すべてが関わっているという点が素晴らしいと思います。

今、国会では与野党が自分たちの利益のみを追い求めているかのような乱戦が繰り広げられていますが、いろんな異なる分野の人間がそれぞれの持ち味を生かし、それを持ち寄ってひとつの事業を成功したこの源兵衛川の実例を参考にすれば、彼らもまた一大連携を図る道筋がみえてくるのではないでしょうか。

長年公共事業に関わってきた私ですが、久々に良い事例を見たと感心しています。

実際、源兵衛川は、かつての失われた川を市民参加型のまちづくりで取り戻した優良事例として高い評価を受けています。

2004年の「土木学会デザイン賞」では最優秀賞を、2005年には「手づくりふるさと郷土賞」(地域整備部門)や都市景観大賞の「美しいまちなみ大賞」を受賞。

さらに2006年にも「優秀観光地づくり賞」で金賞に選ばれているほか、平成の名水百選、水と緑の文化を育む水の郷百選、疎水百選などに選ばれており、数ある賞や選抜の栄誉を総なめといったかんじです。

「桃李言わざれども下自ずから蹊を成す(とうりいわざれども、したおのずからけいをなす)」ということわざがあります。

桃やすももは何も言わないけれども、花の美しさに惹かれて多くの人が集まってくるから、こうした木の下には自然と道ができるという意味です。

源兵衛川にも美しい富士山からの湧水が流れており、この水の美しさにひかれて多くの人が集まり、美しい自然豊かな川と道ができました。

あなたの住む町にも汚れた自然があったら、もう一度見直してみてください。きっと再生できそうなもとのままに近い部分が残っているのではないでしょうか。そしてそこに集まってくる人を少しずつ増やしていけば、そこからその自然を再生する筋道も見えてくるかもしれません。